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ほぅほぅほぅほぅ。ワヤクチャと「絶対主観」ほぅほぅ!
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投稿者 べらぼうめえ 日時 2005 年 11 月 30 日 05:24:41: Pp7RR1Kd6Xi5A
 

ほぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅほ

よう、元気にやってるかぁい? 待たせて悪ぃな!
んじゃま早速、2レスまとめて成敗してやるょ(笑)

ぅほほほ呆ほほほほほほほほほほほ呆ほほほぅ

>認識は常に不完全だ。だから主観と言っている。

「認識は常に不完全だ」が常に正しければ「客観」で、
「認識は常に不完全だ」が時に誤りならば「断定」する意味が無いだろ?

>自己の認識を常に更新し続ける態度こそが正しい。
これ証明できるのか。証明への根拠が更新された時点で終わりだなぁ!

ほっほ、ほっほ、ほっほ、ほっほ、ほっほ、ほっほ、ほ。

>つまり、思考運動に意味を見出しているのであって
「意味」って「価値」のことか? 毎回お前の価値観を聞かされる身にもなったらどうだっ!
そんな話に付き合う芋‥‥失礼、意味が有んのかぁ?

>得られた認識について「絶対的真理」という思い上がりをしないように戒めているのだ。
大変だなぁ! 一方で「絶対的真理」は無いといい、他方では「絶対的」に主張する(笑)

力加減が大変じゃないかぁ? あんまし主張すると絶対化するし(笑)
そうゆ〜のは使い分け(随時の中道)のタグイと俺は視てんだぜ(笑)

>私は今現在自分が持っている世界観を崩すような情報は無いか?
これを仮に「マゾ思考運動」と呼ぶとすると、まさに浅間山荘だ(笑)
私を浄化してくれ、殴ってくれ、棒で突いてくれと身を投げ出す(笑)

>という事で情報漁りをしている。
ゴミ漁りでない事を祈るのみ(笑)

ほっほほっほ、ほっほほっほ〜っ。

新聞を端から端まで読む虫でさえ、
「平時の大本営発表」では何も見え
ないという形が客観不在の要諦だろ。

現在の新聞には気象兵器も、米軍機の侵犯
ないしは容認の説明も無かろうというわけだ。
田畑は、そんなものでも5紙も読むらしい(笑) ごしごし

>自説を強化する為に都合がいい情報を探す態度の逆だ。【←偉いね。(笑)】
されば、その態度に何処まで「徹底」すればいいのかという
基準を設ける事は可能か。限り無い努力目標とプレッシャー
だけがあるとき、それは努力階級格差や、恣意判断の介入を
許すのではないか(努力の偽装や形骸で内実に代えたりな)?

ほぅぅぅ? p@q p@q p@q p@q p@q p@q p@q p@q

>このような態度を取らない限り訴求力のある説は生み出せない。
訴求力は、イメージ戦略や、語呂のいい連呼・反復で何とでもなるんじゃないか。(でんつう)

リアリティが経験や経験の蓄積なら、真偽とは関係薄で独立しているはずだが?

ほぅ??? qp@qp qp@qp qp@qp qp@qp qp@qp qp@qp qp@qp qp@qp

>いわゆる左翼の敗北は
敗北を認めるのか御前は。どこまでの敗北だ、終に未来の多数化も見限ったか。陰謀であれ、
奇跡であれ天変地異のせいであれ多数化した場合、それは「真理の勝利」と叫ばれるだろう!

>自説に都合が悪い情報をシャットアウトした事による。
誰が好き好んで不利な情報を集めるんだ。その考課は?
そういう共有モラルなり、エートス環境が成り立つのか?

(しょせん支配ならば)人間への「飴と鞭」の無知が生産の
停滞を招いたという「風評」にリアリティがあるな。人間は
多くは怠ける(環境次第でそれが正しい)動物なんだろう。 (遊ぶ働き蟻が何割かいるとか?)
田畑でいうと、これを動物のエコノミーと呼ぶらしいが(笑)
ところでこの環境を作ったの誰なんだ。この環境で「正しい」生き方とは?(よりよい生だとぉ?)

>「客観的真理」という「薄っぺらな世界」に自分の脳を閉じ込めたのだ。
「客観的真理」論と、「観念」論とは、違うだろう。
「客観的真理」に閉じ込めるのではなく、
「観念」に閉じ込める場合、その観念が「絶対主観」であれば
「絶対主観」に閉じ込めるという言い方が出来るかもしれない。
要するに「「客観」に閉じ込めるか「絶対主観」に閉じ込めるかの差しかあるまい。
何れにしても「観念」に閉じ込めた、という言い方で説明できるはずである。
御前のも(笑)(笑)(笑)

>ソ連が崩壊した時に
田畑が消沈した噂(笑)

>負けるハズが無い計画経済が市場経済に負けた理由を説明できなかった。
説明は死ぬほどあるだろう。純粋に市場経済の問題というよりも、肥大化した
権力機構が足を引っ張ったんじゃないのか。M主義は権力システムに対する
認識が甘く、「国家」を進化させれば集権・管理の合理的強化という方向に
向かうのは目に見えていたはずだ。てか未だに社会設計に磨きをかけ、
人に働かせようという「気」が、左翼からも御前らみたいな“ネオ左翼”
からも漂ってくるようだ。天下国家を論じる自体からして、どこまで
いっても“自唱多随”を免れるものじゃないはずだぜ。御前らは
基本的に、人に「システム通りに働き、議論し、歩き、息を
して」欲しく、そういうのが根っから好きなんだろう。社会
概念がいいオモチャとすれば学校教育の弊害かもな。

>答えは(官僚主導型)計画経済は市場経済に取って代わるものでは無く【←なく】
システムに官僚はつきものだろ。事務方(官僚)というものは小さなサークル活動から
発生するよな。そいつらが“狡賢い選良体質”なら集団のコントロールを始めるかもしれん。
しかし集団で誰もコントロールしない(などと、左ノメリな)“平場”なんて可能なのか。それに、
そこに辿り着くまでに平民独裁や厳格な上下関係や鉄の結束を要するとすれば粛清だな(笑)
官僚の極みは左の理論官僚かもしれんぞ。左は右に発し、ネサヨは左より出づ、ってことだろう。

一方ロシアのイデオローグは、観念形態を支配に利用しただけで経済
なんて(笑) 選良の思想は可塑的で選良は時の総体制の申し子(笑)

>市場経済の補完物でしかなかったという事だ。
市場経済・コミ市場・物流・防災等々の補完物と
してしか、あえて「公」を定立して統御する意味は
無いだろ。本来は総委任した便利機関として、それ
ぞれの専門家集団があるはずだが、そういう分散型
サービス業と個別契約するのではなく元締めの国に
一括登録、一括徴収されるというのが現状の肥大
化した官僚制だな。利害調整をする機関が登録
業者を部署部局化して国家という体裁をとって
いるに過ぎないはずだ。例えば民間のセコムに
安全保障を依頼し、東電にはインフラ整備を依頼
するとかではなくて、生活保障連合(国家)に強制
加入させられているのが現在の無法な姿だな(笑) (違憲戸籍)

ちなみに貨幣価値の本源的高騰(カネこそ全て)も、万能
交換を強いた(または発行し、誘導し、そこまで高まった上
での)大流通の(そこまで拡がったという)結果だろ?(笑)

>自分が働いて稼いだ金を持って市場で買い物をする。
例えば、太陽光線には価格が無く、コスト換算していない
だろう。環境に対し“不可逆的加害”をした事も計上されて
いないはずだ。そういう経費の大規模な移転で地球規模の
詐欺を働いてきただけの話かもしれない。環境復元にかかる
減価償却費は天文学的な額となるはずだ。だから、基本的に
産業も経済も成り立っていない(笑) とすると、自分が稼いだ
つもりでいても、詐欺師の分け前に与っているんじゃないか? (国家商法)

国家規模で途上国の資源を買い叩いたり、強国の政治圧で
自国企業を保護してもらい、また余分な公共事業を世界で
展開し、自然を消費型都市空間に改造しまくっているだろう。
買い物の代金は、そんな国家的恩恵への御礼の残金でもある。(笑)

その上、陰謀の災害や事故で価格操作したり、国家予算分の
偽札が流通しているかもしれないのが「客観の不確実性」だと
したらどうだ。 また原資は無尽蔵の自然だと思いきや(無尽蔵
なら無料なものが、そうでないなら)、弁済する必要まで生じるや
もしれぬな。ただし、“科学であるはずの量子論が崩れ、”膨大な
エネは取り出せるらしい。が、そうなると「技術」を特許で独占して、
需要を煽って大儲けするだろうしイチガイに朗報とはいえないと思わ
れるなあ。他方ではケムによって日照が減り始めたらしいが、これもナ〜ァ。(笑)

>これ以上の経済システムはまだ生まれていない。
歴史展開上、直列では相容れないシステムというのが
あるかもしれん。前代に席巻したシステムがたまたま
西欧型封建社会であった為、現在は、低頭すら売る
消費封建社会に移り易かっただけだとしたらどうだ?

そういう売り手、買い手の立場の上下が、本音の労働
意欲をかきたて、一回り大きな市場を心理的に維持して
いるなら、結果的に豊かさは実現しているかもしれないが、
いかんせん比較すべきパラレルワールドが、物理学的机上
論にしかない(笑) (色々あって今はこのスタイルが定着?)

‥‥或いは大義や書類・データ捏造を駆使しつつ、そのシステムを支配
者が複雑な条件ニーズと末代への持続性を見越す深謀遠慮の末に
望んだ(伏線的布石)ということだったらどうするね。もちろんの事、
そういう意思機関の為せる業に限らず、そこには歴史的偶発も
多々有ったかもしれないわけだが‥‥。‥‥ところがサヨや
ネサヨは「自己更新を絶対化する」らしくて、事実としての
偶然や例外を直視せず、認めてくれないんだよぅ・・(笑)

>労働の価値を表す方法が金しか無いのであれば当然の事だ。
まあそれは、通貨の“有価証券的に”抽象的な、投機誘発性に
よるかもよぉ。通貨代用証券、補助貨幣を含む「現金」(銀行
券、ルール券)と「戦争」(交戦権、ルール権)は国家的
産物だろうな。ならばカネそのものが市場的なのだろう
か。為替に介入される以前に、本質として、カネは
官僚的所産に思われる。現金(市場)ゲームや
殺戮(戦争)ゲームが可能ならば、内外向け
ルールを整備したのは国家ということだ(笑)

>全ての情報が自分の世界観に整合的かどうかを検証する必要がある。
俺は客観認識を必ずしも問題にしていないと思うが(笑) 現象面としての力学的な
対象よりも、メタとしての論理の整合性(可能性と限界)を御前には、もっと考えて欲しいよ(笑)

>これが強力な「主観」を作る道だ。
強力な「国体」を作る道だ、とか、
ひそひそ話してるんだろうな。
怖い怖い。何でそんなもの
作る(集束、集権させる)
必要があるのかなあ?

>「主観ー客観」図式によって主観は否定的に捉えられた。
とは限らないよな。「御前ら」は権威の世界の中で、客観に
対する主観の優位へと顛倒させただろ? 方法序説のオジ
サンは、客観世界としての延長空間を認めたかもしれないが、
エポケーのオイサンは、客観世界を意識の内に基礎づけたん
だよな(唯脳内ではないだろうな、医師は客観信者だろうし)。
学の主流こそ主観優位だと思うぜ。小人(コギト)の閑居だ(笑)

>主観に過ぎないものを「客観的」と強弁する危険性を私は訴える。
主観である場合があるのではなくて、主観でしかありえないというのは
普遍的かつ絶対的だと思うんだけど分かってくれないかなああああ(笑)

>「うまく説明する」事ができる事の全てであり
アッポ! 何で決める? それが覆る可能性は?
だいいち旨く説明できたかどうか、誰が決めるのさ。

>それ以上のものを求めてはならない。
あああ、とうとう権威になっちゃった(笑)

>絶対的真理を求める態度は
態度の話を内面に摩り替えたりしないよな?(外形の内実化)
何でも分かるというのは「思い上がり」じゃないのか?
外からの観察で、内実を完全把握できるか。(自他の切断)

>権力欲である。
ほらきた(笑)  御前さぁ、人様の欲望を見た(体験した)のか?
それに権力欲を持ったらいけないのか、キ教の「聖人」でも
権力志向に見えるぜ(笑) 内面は“機構”というより夢の
如く混沌としているよな? 自分が「ここ」に居るという
“外形”は確信できても感覚や、細部の日常的判断や
行為の動機について、対象世界のごとくに一つ一つ
克明に、基礎付けられた説明が構成できるのか?
心裡イベントは確定不能、背景の文脈も多岐(笑)

客体世界もそうだが(笑)どうせ主観の投影か(笑) それと、
「心のうち、ここまでの範囲は“権力欲”だ」とか境界づけて
切除できるものでもないだろう。人間の「内実」なんて矛盾
したり対立・分裂していたりで(しうるだろうし、してもいい
だろうし)そんな単純に割り切れるものじゃないはずだよ。

合理も不合理も混ざり合って‥‥他者らの助言(記憶の蓄積)も
己の基準(経緯・経験による判断)をも、(往々にして)それらに
反する想いまでが混ざったりしながら、かつ、「他者とは違う
体系として」、‥‥渾然「一体になっている」んだと思うね。

だいたい「俺は単純だ。」といってみたところで証明できないだろうし、
逆に、人の「心」を(一般通例のものとして)判った気になられてもな。

第一、人のが「心」といえるものなのかどうか。個別の内部(意味
内容)の複雑そうな仕組みは、とうてい法則化は叶わないはずだ。
そういう意味では、主観の世界こそ真理が立たず、やはり退けねば
ならない個別のものでしかないということだろうな。だが主観が下位に
あるというのでもない筈だ。なぜって主観は全ての価値の基礎だろぅお?

>もし、自分だけが絶対的真理を把握したと考えたとしたら?
もし惜しげもなく共有させたら? 否、特許で独占するか(笑)

>全ての人間に対して優位に立つ事になる。
「主観」だといいながら、それしかない、と断定するなら、その
立場こそ“腰の低いファシスト”だろ。あたかも自分も間違って
いると謙虚な顔して、人の発見の否定には絶対的だもの(笑)

どうせ主観といえば客観論者全員が引き下がり、そこに主観
だと先に唱えてきた人のみが絶対権威として再び現れる(笑)
そして‥‥?

>唯我独尊となり、真理に到達していない者を殺してもいいという事になるのだ。
俺の話のつづきを書いてくれてありがとう(笑) それとは別に
真理が禁止しなければ、「主観の対等」レベルで強い者が
殺すわけで(笑) 議論しても無意味‥‥主観同士すべて
対等なはずなんで。これって怖いよね。議論の否定か(笑)

>これが内ゲバの論理である。
絶対論が危ないとは限らないな。
相対的優位というのかもしれない。
というか、内ゲバが自己浄化であり、
他者浄化であり、自己の純化への
強迫であるならば、まさに‥‥↓

>オウム真理教のポアだ。
まあ、アレフまでいかなくても、
死んでも「自己純化」するという、
死の需要はあるらしく、他殺の受容も
あるのでは? 修行・訓練、血の制裁
‥‥自他内外の粛清が一連の浄化の
「延長」上にあるとすれば整合する(笑)

>このような姿勢の否定こそが哲学の第一の任務だ。
哲学の任務を措定するなら、さらに絶対的根拠を要するな。
全て主観だと何でもありの大混乱、気の弱い人が遠慮、様子見して
いる間に、声高のコワモテがどんどん決めていく‥‥殺しも大虐殺も、
ルールが無ければリンチがはびこるんだ、力の序列しかないから(笑)
魅力というのも「力」で、演出された魅力という資力の発露も有るな?

>証明できない事を立脚点にする愚
お返ししたい。まさに仮説の肯定で
突き進んだのが「ソ連」だろう。旨く
隠しているつもりかもしれないが、
御前の言うのは焼き直しだよな?

どうせ更新されるからとテーゼ
中心主義で、結果オーライの
一大振興を図る点は、国家の
ダイナミズム、市場のダイナミズム
とも共通し、たとえ“時代のアダ花”に
なろうとも、原発もつくるし、ウィルスも
培養する、ってことだよなあ?(国家市場)

弁証法と近代国家3権の対応関係でいくと、
テーゼ中心主義であれば行政中心主義という
ことだろうし、官僚行政主導で司法も養う話(笑)

>未だ証明できていない事を前提であるかのように語る言説がある。
それは御前の「主観しかない」言説だろ、早く証明してくりぃ(笑)
しかし証明したら、それは途端に客観になりテーゼは崩れる(笑)
証明不能というのが「主観主義」であり、「主観依存症」だな(笑)

>意識の外の存在は証明されていない。
ならば論理は内か外か(経験の外部か)

どのみち主観(意識)こそが証明できたというのであれば、
主観を超える或る「観方」(少なくとも1つの客観命題‥‥
と論理)の存する余地が不在ではないというコトだろぉぅ?

>にも関わらず「存在があるという考えの方がうまく説明ができる。」
>という事だけで「意識の外の存在がある事が証明された。」と飛躍するのである。
あほか↓

>「うまく説明する」事ができる事の全てであり
つまり証明されていないんだろ、それ自体もぉ。

>証明できない事を前提にする全ての思考を批判しなければならない。
もしかして
破っっっ綻−−−−−−−−−−−ん???

ほっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっほ。

“「主観しか無い」のをいいことに、”何時しか主観が飛躍し、暴走
(絶対化)するんだろぉなあああ、仮説の絶対化、とかなあああ‥‥。(笑)

>自らの発信に対して何等かの反応があった時に
自己の反応はどうなんだ、それも操られてるんでは?

>他者の実在を証明されたもののごとく扱う態度がある。
自己の実在だって、ただのプログラム存在かもしれないし。

>しかし、実は何も証明されていない。
主観しか無いとの証明、そろそろ頼む。

>全てが自分の意識内部の出来事である可能性があるのだ。
それでも論理は成立するかもしれん。ぉぃ成否どっちの立場だ。

>だから自らの発信の後には「〜と思う。」という語尾が常についていると考えるべきだ。
それは御前の勝手な論理だろ。他の人は絶対だと思って断定形を用いているのに対し、
御前が伝達内容の差別化を図りたいとき、表示の差別化も図らずに密かに中身だけを
変えておいたら詐欺だろう。「絶対」や例えば「命令」がダメなら表示も合わせないとな…?
そこまで(言語的〜世俗的な習慣を変えてまで)主観を表示する覚悟が御前に有るのか!

もしも最初に云い始める人間が、(善意であれ)差を付けるために相対的に「思う。」を
付け始めれば結局のところ全員が「思う。」を付けざるをえないという一つの原理だな。←“全員が付けない‥‥の、逆になる!?”

さもなくば、一斉に国語の規範を変えにゃあなるまいて、これは左右ともに無理だろ!
言語的な習慣は変えられるだろうが。例、“フツーに‐ありえ‐んく‐なかった‐人‐すか”

>これが「全ては主観だ。」という意味だ。
たしかに主観についてメタ主観で語ることそのものに矛盾は無いだろう。
しかし何度もいうように‥‥全ての命題に対して、それ(“対象は主観で
ある”)が成り立つ(真)ならば、それは論理上、客観であろうし、成り立た
ないのであれば「全ては」の断定条件が無意味(矛盾)となる‥‥そして
どちらでもないとか、どちらか不明というのであれば主張自体が無意味に
なるのではないか。これは排中律に沿うと考えていいだろう。さらにいえば
「証明する」ということを要する限りで、論理(“証明するもの”)自体は否定
できないはずであり、また論理が客観判断のメタ客観体系であるというのも
事実だろう。そのようにつらつら考えるに、絶対主観は自己矛盾ではないか。

だが絶対性と曖昧さという表裏を右往左往、巧みに泳ぎ分けるに類する手管が、
論理的無理の強弁という形で、何と相対性理論でも堂々と展開されている(笑)

>客観的存在などを確認する事はできない。
ということを(客観的に)証明してくれないか。

真理が、分析命題までを扱えるのであれば、
客観的存在を確認すること自体が不要かも。
それで論理は(御前から)自由になれる(笑)

>証明できない事を前提にする全ての思考を批判しなければならない。
だから先生、御前の思考がまさにそれに当たると思うんですけど。(笑)

>リアルな主観
「リアル」って何・だ・よ?
厳格に「概念規定」出来んのお?
ぜひ絶対的概念を用いて基準をッ!(笑)

>これ以上のものは無い。
では「リアルな主観」至上主義は、いつ更新されるのか?

>自己の認識を常に更新し続ける態度こそが正しい。
(笑)(笑)(笑)

ほぅ、
ほぅ。

ほぅぅぅ、
ほぅぅぅ、
ほぅぅぅ。

ほぅぅぅ、
ほぅぅぅ、
ほぅぅぅ。

ほぅぅぅ、
ほぅぅぅ、
ほぅぅぅ。

ほぅぅぅ、
ほぅぅぅ、
ほぅぅぅ。

ほぅぅぅほぅぅぅほぅぅぅほぅぅぅほぅぅぅほぅぅぅほぅぅぅほぅぅぅ、
ほぅぅぅほぅぅぅほぅぅぅほぅぅぅほぅぅぅほぅぅぅほぅぅぅほぅぅぅ。

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