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参 からすきにあらず 人の肌、陽の昇は上とあり、青は南に、黄はマヒガシゾ。
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投稿者 金十字架 日時 2005 年 12 月 12 日 21:52:52: mfAWtS4GF8MpY
 

香の煙の細くたなびくは どこまで細くなるとも消して途切れる事無く 回転しては広がり伸びて なお目に見えぬほどになるとも途切れず そのまま空に溶け込んでいく。

心という文字、それに対する捉え方位置づけは頭脳が生み出したもの。

しかし心はひとりひとりの無意識にこそ存在するものでけして言葉や文字でストレートに言い表す事など出来ぬもの。
人の数だけ心がある。

広がるものの中心に真の心がある。

生きた心である。

現実とはうつつの世である.この世は写し身の世であり、現実=リアルではない。
体の痛みがリアルなのではけしてない。


言葉とは面白いもので、不完全なツールとしての認識が在りながら、人は言葉にのみすべてを託そうとする。
一方の心の描写を、ストレートに他者にビジョンとしてみせる事の出来るツールというものがあるというのも(のちのち発明されるだろうが)、現代の人間の頭で考えれば怖いものである。しかし、言葉というもの、趣が在る。記号としてのメッセージは大いに果たす。実は不完全だからこそ魅力的ともいえる。

ここで本を紹介したりするのは、自身の中に住まう構想と、本の著者の胸の中にマッチすると想われる事柄が、その本の内容に納められているからである。そこに我の想いの全てが詰まっている訳ではないが、納得する事柄を二、三発掘して概ね好しと、心の糧とするのが本である。また自身の中に眠っていたものへの気付きもそこから生まれる。自ら考えるきっかけを他者の考えに見出し、目を覚ますようにして方向性に一致するを得たとき書というものは輝く。


掲示板に投稿し意見の求めたりは、自身の正体を求めさまよい歩くがごとし。

また密かに優劣の優を競い求め、それにのみ満足しようとするものも居る.
井ンターネッ戸環境そのものは整備された大いなる幻想の囲いである。
今では特殊とも思えないのが魅力として居るが、その特殊な環境に身を置く場合には、ある程度のそうした理解を深めた上でのつき合い方はあろうが、現実風景をそこにだぶらせるように、幻想の砦に収まりそこに身を固めての、発言やら交流やらが飛び交うように見えてくるから詰まらぬと覚える。
厳しい環境の外へ踏みいらぬ気質さえ感じる。
いずれにしても幻想の砦から大海を庭と眺望しているかのあり様で、環境の外へ立ち入らぬような気風は実に詰まらぬ。

どこに自身の肉体の在るべきか。
まだ独立独歩を感是る本の方がいい。


自ら考え紡ぐ経験に因る結果が、自らの思考の種蒔きなのであって、それが自身に対してのみ重要なのではなく、他にとっても間違いなく有用である、と信じることの衝動によって、人は行動を起こせるのである。

ここでよく見るのは、意見に対立、反発のあった時、それをただ排他しようとする試みに自分がつぶされていくという有様である。これはいささかも狂いの無い、どちらか一方は自身の経験の欠けた、他者の受け売りに凭れ掛かったファナティックなだけの人間である。

我々は巧妙なものに惹かれる性質が在る。よって自らも巧妙なものを紡ぎだそうとする意識が在る。つまり秘密というやつだが、謎めいたものには何か人を惹き付けるものが在るという事だ。よって真実というものも秘密が常に表裏一体のものとしての認識が在る。
何故そういうものであるのか。何故そういうものであらねばならないか、といった方が正しい。

ここでまた言葉というものについてであるが、マスコミの口々に飛ばす真実という言葉は我々にとっては二束三文にもならない。文字としての言葉というものはその心裏に隠された含み、重みまでを伝え切らない。巧妙に言葉を紡ごうにも他に視覚的、つまり肉体の演出が必要であったり、文字のみで載せるのであれば、まったく訳の分からない暗号として突き出したりと非常に趣がそこにでる。

含みから伝わるものは文字で単に言い表される事とは違う、意識、心理に働きかけてくるものだ。
そこが人の意識にあるかないかで世の中はがらりと変わる。

言葉も数学も万能ではない。万能のものの代名詞として科学や物質主義に身を落とすのは愚の骨頂。時間もまた数字や文字で量らえて納得するべきものでもない。
帳尻を合わすのは常に人の意識。人を殺すも活かすもすべて胸の内。心。


ためしてみるがいい。
寝る前などの時間のゆっくり得る時に、頭の毛の先から痛みを持つ指の先まで、全神経の細胞一つ一つにこう念じよ。

無。無。無。すべては無と。
無と覚えれば意識は感謝でみたされる。
息苦しい姿勢を敢えてとるのも己の意識、痛みに対し苦しく募るのも己の意識。

この世に移し身として清喜土から生まれ、肉体として結ばれ、肉体を通してこの世をみさだめるも、善と悪と二極化される世と、憎き、果敢無き、と覚えるも、その敵は常に己の中に。よくよく善悪の区別を捨てて離れてみれば、風も火も水もすべて弛むことなき悠久に続く清喜存在であり、それらを守らん、残るマガカミは己の中のみと。
天地を味方につけ深く感謝感謝と。

観自在。想うがままに。社会通念だの一般常識などのべんり言葉の常識より、己の正しきを身につける。バカ正直に慶び諌む武士のように。

自己憐憫、怒り、嫉妬、すべてはいきとしものをころすもの。生むものであり死せるものである。そこにこそ善悪の悪が在る。それは価値があろうと言えども真実を観る者にとっては二束三文にもならぬ。

真の怒りはみだりに人前で見せるものにあらざれば、真の怒り放つ時は男子として生涯に一度有るか無いかと心得よ。その時は命賭す時と覚えよ。

逆にならえば喜びも己が生むもの。まず無ありき、そこにこそ無心の喜びありき。それはしあわせぞ。

何があわれか、何が本当の苦しみか。自己の何を他者に伝えられのか。言葉で苦しみは伝えられようとも、真のしあわせというものは他者に言葉でなど伝えられぬもの。

何をどう伝えるのか。また伝えを受ける側にも何が必要か。

立つものが居らざればまたそこに立つものも現れない。

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