投稿者 いかん!いかん! 日時 2006 年 2 月 12 日 23:51:08: quKJjhPrFN9TM
パロディーにおいてリアル(/現実)を否定することはできませんよね、リアルさを複製し、
その前提で確実に(または執拗に)「ズラさ」なさくては?
リアルの要素(正)と破壊の要素(反)という「転」の部分と、「結」(新味の整合的な全体性)の鼎立一体、といった感じのものが要るでしょう?
換言するとパロディーというのは共時的な、ボケの要素(総体制的な抑圧への、知的動物的な逸脱)と、
ツッコミの要素(既知の、世俗常識の即時巻き返し)みたいなところのバランスかと思います。
さらに、いいかえれば“自分は安全な側から下げ嘲りつつ、喝采して支持する”というのでしょうか(観劇的に)、
大人は(そして大人びた子供も)生活業務からは抜けられないから、みたいな悲しげな(無抵抗な)攻めなのかもしれません。
次へ 前へ
▲このページのTOPへ
HOME > 昼休み6掲示板
投稿コメント全ログ
コメント即時配信
スレ建て依頼
削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/
since 1995
題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。