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梅雨入り前から雨続き…異常気象なの? 『天保の飢饉そっくり』  【東京新聞】
http://www.asyura2.com/0510/nature01/msg/460.html
投稿者 愚民党 日時 2006 年 6 月 10 日 20:00:40: ogcGl0q1DMbpk
 

梅雨入り前から雨続き…異常気象なの?
『天保の飢饉そっくり』

 気象庁は9日、関東地方の“梅雨入り”を発表した。しかし今年、さわやかな青空を何回拝めただろうか。そんな中、「今年の天候不順は天保の大飢饉(ききん)の状況と酷似している」との学説を唱える気象学者が登場した。地球温暖化の影響や世界的な異常気象が伝えられる中“平成の大飢饉”の可能性は? (坂本充孝、吉原康和)

 「天保六(一八三五)年と今年で、天候が極めてよく似ているのは間違いない。天候には何らかの要因が絡んでいるわけですから、今後も似たように進む可能性は高いと思われます」

 淡々と話すのは水越允治(みつはる)・三重大学名誉教授(75)。

 水越氏は東京教育大(現筑波大)大学院理学研究科を修了。三重大教育、人文学部教授を歴任し京都大防災研究所水資源研究センター教授も務めた。近世と現代の気候データ比較研究の第一人者だ。

 水越氏は約三十年前から全国に残る古い日記などの古文書に当たり、気象観測以前の時代の天気を推定する作業を続けてきた。例えば江戸時代末期を生きた藤堂藩(津市)の重役、中川蔵人が残した日記には天保四(一八三三)年から慶応四(一八六八)年まで三十五年間の天気が克明に記されている。こうしたデータを丹念に拾い集めて分析した。

 この結果、江戸三大飢饉のひとつである天保の大飢饉(一八三三−三九年)の期間中の三五年と今年で重要な類似点がいくつもあるのを発見したという。

 主な類似点は次の三つだ。

 <1>冬の寒さが厳しかった。

 <2>三月に大雪が降った。

 <3>五月に長雨が続いた。

 <1>については、八剣(やつるぎ)神社(長野県諏訪市)の古文書によると、天保六年は諏訪湖で御神(おみ)渡り(湖面が全面結氷した後に見られる氷の亀裂現象)があったと伝えられている。長野地方気象台によると御神渡りは今年一月十三日、二年ぶりに出現した。

 また<2>について、天保六年は三月十日に津市で七、八寸(約二十センチ)も雪が積もった。今年は三月三十一日に東海地方で季節はずれの大雪が降った。上信越地方でも記録的な大雪が降った。

 <3>については別表の通り。今年はゴールデンウイークの終盤から雨、曇りが続き、日照時間は東・西日本とも平年の約七割にとどまった。天保六年も晴れが少なく、水越氏の分析では五月十四日に梅雨入りしていた。さらに、この時期にカミナリが多かった点も一致している。

 こうなると興味の的は、今後の推移だ。

 水越氏は、別表のように、日照時間の量から当時の気温も推定している。それによると、天保六年の夏季三カ月(六−八月)平均日最高気温は二八・三度だった。三重県の津地方気象台の観測では、一九七一年から三十年間の同地方の夏季三カ月の平均日最高気温は二八・八度なので、比べると、平年よりやや低い程度。農業被害を心配する向きには、ほっとさせられるデータではある。

 しかし問題は来年だ。飢饉のピークだった天保七年には二七・一度とひときわ低くなる。果たして、来夏が記録的な冷夏となることを暗示しているのか。

 水越氏は、過分な警戒は無用とのスタンスを取りながらこう指摘する。

 「江戸時代は小氷期にあたるといわれ、現在よりは少し気温が低かったはず。それにしても天保七年は前後の年と比較して突出した冷夏だったとみられ、注目に値する。ここから来年の天気を占うのは乱暴ですが、参考ぐらいにはしてもいいのでは」

 気象庁は九日、関東甲信地方、東北南部が「梅雨入りしたとみられる」と発表したが今年は五月の連休以降に雨の日が多く、ぐずついた天候が続いていた。「本当はもっと早かったんじゃ」と思う人も多いのでは。

 気象庁の担当者は「そんな疑問を持つ人がいると思うが、梅雨入り前にはもともと、梅雨のはしりのような現象がある。五月にも梅雨前線が本州近く北上していたが、その後、南に下がるという予測もあって、この時期は梅雨の前触れと判断した」と説明する。

 気象解説者の森田正光氏も「今年より天候が悪い年は過去にはある。五月の日照時間の平年値百八十一時間に対し、今年は一三六・七時間。平年の約70%だったが、一九六三年には日照時間が八七・九時間という記録もある。むしろ、今年五月の降水量は一日平均九五・五ミリで、平年より少なかった。全体からみれば、一時的に野菜が高騰した時もあるが、異常気象とはいえない。異常気象というならば一九六三年だろう」と指摘する。

 「天保の大飢饉の時期の気象に似ている」という水越氏の指摘に対し、気象庁の担当者は「気象庁が創立されたのも、気象観測を開始したのも明治に入ってからで、天保の大飢饉の年の天候を把握していないので、何とも言えない。気象条件は『一期一会』で、似た年はあっても、全く同じということはないだろう」としながらも「今月二日時点で、日照不足や低温情報があり、農作物の管理について注意を呼びかけている」と対応を説明する。

 今年の米や農作物の出来具合はどうなるのか。農業・食品産業技術総合研究機構・東北農業研究センター「水稲冷害研究チーム」の菅野洋光チーム長は「江戸時代に、今年と同様の気象が起きたら飢饉になったかどうかは分からない。しかし、少なくとも、現在は日照不足や低温にも対応できる品種改良や栽培管理技術の向上、かんがい技術の発達があるから大丈夫だ」と強調する。

 都内の野菜卸会社の担当者も「五月中旬の天候不順で生産が遅れ、五月全体で国産野菜は昨年五月より二十円弱高くなったが、過去の平均的な値段。価格が高くなったのはスーパーなどで二倍近くで売っていたため。今後、日照が回復してくれば、急激に高騰することはない」と予測する。

 一方、気候変動が人間社会に及ぼす影響を研究テーマとする筑波大学名誉教授の吉野正敏氏は「(天保年間の気象と)全く同じということはあり得ないが、日記や古文書などから拾った当時の日ごとのデータは貴重で、確度も高い。中国では国の研究グループが二十年以上前から気象関係の古文書の復元などをやっているが、日本では個人的に研究している程度で、この方面の研究が弱い。その意味で、水越先生の研究はおおきな意義がある」と評価。その上で、今後の気象学界にこう提言する。

 「異常気象には周期といえるか、どうかは分からないが波はある。二酸化炭素の大量消費などによる地球温暖化が急速に進まなければ、東北地方は二百年前と同じような厳寒で、低温時代と極めて似た状況だったはず。天明や天保の大飢饉のような異常気象のほかに、中規模クラスの冷害、干ばつなどもある。過去のデータを蓄積して比較することは、今後の気象予測にとって重要だ」

<メモ>【天保の大飢饉】 
 江戸時代末期の天保4(1833)―同10(39)年に起きた大飢饉。東北地方を中心とした洪水や冷害で農作物に全国的な凶作が発生。約10万人が餓死したとされる。米価が高騰し、特に貧しい農民や都市の貧しい人々が苦しんだ。米の値下げを求める一揆や打ち壊しが相次いだ。武士の中から幕府の政策を批判する声も上がり、大塩平八郎の乱も発生。幕藩体制の動揺につながった。享保、天明に続く江戸三大飢饉の一つ。

<デスクメモ>
 高層ビルに囲まれた北品川商店街にある法禅寺。品川宿には農村から流浪した民が押し寄せ病や飢餓で亡くなっていったという。納骨堂下からうめき声が聞こえてきそうだった。当時、米問屋が不当に値を上げたのも被害を拡大した。現代は飢饉にならないかもしれないが“便乗値上げ”には警戒が必要だ。(蒲)


http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060610/mng_____tokuho__000.shtml

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