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アリスの国会見学:チェシャ猫もびっくり!不思議の国の共謀罪(1)
http://www.asyura2.com/0510/senkyo15/msg/473.html
投稿者 馬場英治 日時 2005 年 10 月 11 日 07:00:14: dcAX/x0KhXeNE
 

今日は共謀罪という「犯罪」がどんなに奇妙奇天烈で不条理な罪であるかをアリスと一緒に研究してみることにしよう.不思議の国探訪の道案内は民主党の津川祥吾議員にお任せしよう.共謀罪の問題性・危険性は与党議員を含む多くの識者からつとに指摘されているところであるが,問題の本質をもっとも深く理解されているという点において,津川議員の右に出る者はおそらくいないだろう.ある人によれば,国会はすでに小学校になってしまったとのことであるが,国会の中にまだこのような知力と見識を備えた議員が残っていることに感謝したい.日本国民は全世界に向かってこれを誇ることができる.

不思議の国のアリス チェシャねこのところにもどってみると、まわりにかなりおっきな人ごみができていたのでおどろきました。首切り役人と王さまと女王さまが、論争(ろんそう)をしています。三名は同時にしゃべっていますが、それ以外はみんなだんまりで、すごくもじもじしています。

 アリスがすがたを見せたとたん、その三名がいっせいに自分の意見をうったえてきて、問題を解決してくれ、といいます。そして三名とも自分の言いぶんをくりかえすのですが、みんな同時にしゃべるので、いったいそれぞれなにを言ってるのか、きちんと理解するのは、とてもたいへんでした。

 首切り役人の言いぶんは、首を切りおとすには、まずその首がどこかのからだにくっついていなくちゃダメだ、というものです。首だけの首を切りおとすなんて、いままでやったこともないし、だからいまさらこの歳(とし)になってはじめるつもりもないよ、と言います。

 王さまの言いぶんは、首がそこにあるんだから、それを切りおとすだけのことでなんの問題もない、へりくつをもうすな、というものでした。

 女王さまの言いぶんは、いますぐなんとかしないと、みんな一人のこらず死刑にしてやる、というものでした(この最後のことで、みんなあんなに困って不安そうだったのです)。

@近代刑法で処罰するのは「犯罪」だが,
 共謀罪の対象は倫理的「罪」である

ウソは泥棒の始まりという.確かにほとんどの犯罪には何らかの「ウソ」が関係すると言っても過言ではない.その犯罪について外部に対して沈黙を守っていたとしても,自己の内面に住む「良心」に対し,「ウソ」をつき通すことがどれほど難しいかは,ドストエフスキーが「罪と罰」で活き活きと描写した通りである.ウソをつくことは明らかによくないこと,人間倫理(人倫)に背くことであると人類の圧倒的多数は考えていると思うが,ウソをついても刑法上の罪に問われることはない.(私たちは,すでに地上には「平気でウソを付ける人たち」が無数に存在することを知っている.ないし,そのような時代に生きていることを認識している.)

罪と罰もちろん,すべての原則には例外が存在する.たとえば,法廷や国会などでの偽証,犯罪の証拠隠滅(これも虚偽の事実を捏造するという意味でウソの一種である)などは犯罪として処罰される.その代わり,虚偽の自白,つまり「ウソ」をできるだけ避けるために,「黙秘」という仕組みが組み込まれている.

なぜ,ウソをついただけでは犯罪にならないか?と言うと,一般にはウソをつかれても,それだけでは被害は発生しないと考えられるからである.刑法では誰かに「損害を与える行為」だけを「犯罪」とみなしている.もちろんウソはしばしば深刻な災禍を発生することも有り得るのだが(マスコミのウソなど),ウソとそれによって生じる損害の因果関係を直接立証することが原理的に不可能であるがゆえに,ウソをつく行為自体は刑法では処罰されないのである.

他者に損害を意図的に発生させる行為はすべて犯罪として処罰されるべきであるが,近代刑法では犯罪の範囲をもう一段階絞り込んでいる.いわゆる「罪刑法定主義」というのがそれである.これについてはBで説明することにしよう.

ちなみに,共謀罪法令化を要請している国際組織犯罪防止条約の第5条では,「(不当に)物質的利益を得ることを目的とする行為」のみを「犯罪」としているが,これはある意味で片手落ちである.これではテロルのようにもっぱら相手に「損害」を与える行為を処罰できない可能性がある.「損害を与える」という定義なら,相手から不当利益を得る場合と相手に損害を与えるだけの場合の両方を包含することができる.前者の場合,相手から取り上げた金品は自分の利得であり,同時に相手から見れば損害である.

ウソをついただけでは犯罪にはならないが,もし,そのウソによって直接損害が発生していることを立証することができれば,そのウソは刑法上の犯罪を構成する.たとえば,詐欺罪がこれに当たる.換言すれば不当な利益を得る目的でウソを付き,それに成功したとき初めて詐欺罪が成立する.一方,共謀罪は何か犯罪を共同で計画し,その計画に2人以上の人間が合意したとき,その時点で成立する.このとき,罪は犯罪を計画し,その企画を実行することに各自が賛同したことをもって発生するのだが,この時点ではまだなんら具体的な犯罪行為は実行されていないのだから,当然,何の「実害」も発生していない.従って共謀罪の成立要件は,刑法理論的にはまったく「犯罪」を構成していない.

もちろん,犯罪を計画することは悪いことであり,罪である.場合によっては許し難い罪であるかもしれないが,ウソをつくことが刑法上は処罰されないのとまったく同等の理由から,刑法理論的な犯罪ではなく,倫理的な罪に留まるのである.ここではこのような倫理的な罪を「神が裁かれるべき罪」として類別することにする.「神が裁かれるべき罪」を言い換えれば,「人間が裁くべきものではない罪」ということになる.神が裁くべきものを人が裁こうとするところから,不可避的に様々な不条理が起こってくる.これを順次見てゆくことにしよう.
伊勢神宮
※ここで述べた類別と直接関わるものではないが,延喜式の大祓詞の中には「天つ罪」と「国つ罪」の別がある.通説では天つ罪は暴風・農耕に関する罪,国つ罪は地上ないし社会で起きた罪と解釈されている.天つ罪を公共に対する罪・公的な罪,国つ罪を私的な罪と解釈してもよいかもしれない.水田の用水路を破壊する行為などは,重大犯罪として天つ罪に区分されている.そのような解釈が可能なら,串刺しの罪(他の田に杭を立てて横領すること)は,公共物の私物化とでも理解されるのではないか?伊勢神宮は垂仁天皇の代に倭姫命が建てた宮で,内宮には天照大神が祭られている.天照大神はここで倭姫命に,神田や忌み言葉,天つ罪・国つ罪・祓清など神宮の決まりについて託宣したと伝えられている.

刑法は「既遂行為」を処罰するが,「人の内面・思想を処罰しない」と言うのは,このことを別のことばで表現したものである.もちろん,ここでも例外は存在する.殺人のような重大犯罪では「未遂罪」というのがある.殺人の意図をもってピストルを発射したのだが,弾が逸れたような場合がこれに該当する.国家転覆を意図する内乱罪のような大掛かりな重大犯罪には計画段階で陰謀罪が適用される.謀反グループが国家転覆に着手した段階では,すでにどのような対抗手段も無効になってしまうかもしれないからである.しかし,これはあくまでも緊急避難的な例外である.一種の「正当防衛」と言ってよい.

余談ではあるが,昔「私はウソは申しません」と言った首相がいた.この総理は「所得倍増」という政策を掲げて,しかもそれを文字通り実現した.今の時代では,総理大臣や大統領が毎日のようにウソをついているというのは常識である.しかし,そのウソが「戦争」と呼ばれる大量殺戮と他国の国民資産の略奪を目的とするものであったすれば,そのウソの罪は重く,深刻なものである.我々の希望するところは,人類がいずれそれほど遠くない時期に,「すべての戦争は犯罪である」というテーゼを確立し,承認することである.

もし,戦争が犯罪であるとすれば,犯罪に用いる道具つまり兵器の製造・販売・流通を禁止し,違反行為を処罰する必要がある.これを行うのは【国際】警察の役割である.国連の核査察はこのような来るべき未来を先取りするものであり,極めて重要な取り組みである.テロリズム防止のための国際協力もこれとまったく同種の試みであり,そのノウハウを蓄積することには重要な意義がある.しかし,その反面,戦争とテロリズムがシャム双生児のように同根であることも近い将来には暴露されることになるだろう.第43代アメリカ大統領J.W.ブッシュは,国際社会の「WMD査察」をあと1ヶ月継続してくれという懇請を無視してイラクに対しハル・ノート(最後通牒)を発し,泥沼の戦争に突入していったという歴史的事実を決して忘れてはならない.これこそブッシュの戦争が犯罪そのものであることを裏書きするものである.

ここではこれ以上展開しないが,政治家のウソと匹敵するのがマスコミのウソである.戦争が国家犯罪であるとすれば,マスコミの翼賛的な報道は,その犯罪を組織し,指示し,ほう助し,教唆し若しくは援助し又はこれについて相談(カウンセリング)する行為に当たる.しかし,これらの行為は(放送法などには違反しているとしても)刑法上の犯罪を構成しないから,彼らは罰せられることもなく,従って懲りることもなく,同じ過ちを幾たびも繰り返すのである.

ここで,重要なポイントは「ウソ」を「処罰」することはできないが,それと同等の効果を「暴露」によって果たすことができるという点にある.近代法制が言論の自由を担保していることの意義はそこにある.この小論の文脈に沿って言えば,言論の自由は「神の裁き」を地上で代行しようとするものと言えるだろう.エクソダス2005《救国》国民運動第4権力と呼んでいるものも,この「神の裁き」をシステム化し,恒久的に確立することを意図している.

A一度共謀罪を犯すと取り消すことができない

イエスが語ったことばで一番大切なことばは「悔い改めよ」である.イエスのテーゼはこのたった一行に尽きる.もう一つ重要なことばに「汝の隣人を愛せ」というのがある.これは,テーゼというよりは組織論である.イエスは「悔い改めよ」というただ一語で世界を変革しようとし,またそれが可能であると信じた.この一語には,彼の「天国」が賭かっているのである.人間が過ちを冒すことは避けられない.イエスでさえ,サタンの誘惑にさらされたのである.実に,「誘惑が来るのは避けられない」のであるから,もし,我々に罪の「赦し」がなかったとすれば,「生命」の道に戻る希望は存在しない.
ビュッフェ
倫理的な罪を裁くのは神である.しかし,神は人間の弱さを知っておられるから,人間に反省の機会を与えてくださる.つまり,「悔い改める」ことによって「神の赦し」を得ることができる.これはキリスト教に限らず,すべての宗教に備わる機能であり,宗教に(期待される)固有の機能であると言ってよいはずだ.人間は堕落を免れない.それは地上という重力場に棲息する人間の宿命である.(このメタファーが分かり辛ければ,重力を欲望と読み替えられたい.欲望は人間のすべての活動の起動因であり,その活動を遂行するエネルギーを供給する.)その堕落から回復するためには,普段の再起(エントロピーの回収)が必要である.幸いにも目覚めるとき,昨日の疲れから癒されてリフレッシュした新鮮な朝を迎えることができるとすれば,それは内在する神の働き(ソロス的な循環である)と考えても間違いなかろう.

@で共謀罪は神に代わって倫理的罪を裁くものであるとした.しかし,本法案の立案者はいやそうではない,共謀罪も「共謀行為」という「既遂行為」を裁くものであると強弁している.それが(神の前で)どれほど愚劣で思い上がった身の程知らずの挑戦であるかを,前回(162回)国会の法務委員会における政府側答弁で確認しよう.

○津川祥吾委員 ちょっと済みません、それで【何度か集まって殺人計画の】話し合いをして、【中間段階ですでに合意=共謀罪が成立という流れで】最後の共謀の段階でこれはやめようという話をしたらどうなるんです か。共謀罪は成立するんですか。

○富田大臣政務官 それは、一たん共謀が成立していれば成立することになります。

この富田大臣政務官のことばを目を凝らして百回読み直して欲しい.「一度共謀罪を犯すと取り消すことができない」のである.「謀議」の段階では,計画は何度も変更される可能性があり,「合意」はなんども覆される可能性がある.しかし,どこかの時点で少なくとも一度「共謀」が成立すると,「その計画を破棄することを共謀」しても,「元の共謀罪」を破棄することはできないのである.ブラック・ユーモアというにも度が過ぎている.あまりにシュール過ぎて笑うこともできない.イエスが「悔い改めよ」と言ったことばの意味をもう一度噛締めて欲しい.

このロジックがよく,理解できないときは,もう一度○津川委員のところまで戻って,読み直しをして欲しい.百回読んでもなお,富田政務官のことばが「理解」できないとしても悲観する必要はない.それがむしろ正常な,まともな人間の反応である.この点に関してはもう少し厳密に論証する必要があると思われるので,やや(自然)哲学的議論に入ることを許されたい.

物事がある一定方向に進み,後戻りできないことを「不可逆的」と言う.たとえば,あなたは日に日に年老いてゆく.これは人生というものが「不可逆的過程」であることによる.地上には「可逆的過程」というものも存在する.A→BというプロセスとB→Aというプロセスが並存するような場合である.たとえば,水素2分子と酸素1分子から水1分子が合成されるというプロセスがあり,逆に水分子が水素分子と酸素分子に分解するというプロセスもある.

一般に巨視的レベルではプロセスは確率論的に進行するので,ある状態が安定であるという場合には,大抵の場合,A→BというプロセスとB→Aというプロセスが等確率で起こっている(平衡状態・均衡点).マッハの提唱する現象論的還元主義的ドグマによれば,すべての現象は可逆的であり,不可逆的に見えるのはたまたま逆方向の現象の生起する確率が極端に小さいからであるという.もし,このドグマが正しいとすれば,時間が(タイムマシーンに乗ったときのように)逆行することも(極めて小さい確率で)起こり得るということになってしまうのだが,ここでは一般に「時間の矢」と呼ばれている「時間の不可逆性」は自然法則(真理)であるとする古典力学的立場で考えることにする.

ファインマン図※現代の(量子論)物理学者は微視的レベルではすべてのプロセスは可逆的である,つまり世界は時間に対し対称であると考えている節がある.彼らからすると,時間の矢は巨視的レベル固有の現象であるということになる.言い換えると,時間が現在のような方向に流れているのは偶然であって,スタートつまりビッグ・バンの初期条件によれば,時間軸が反転していてもよいのだという考え方である.ところが,K中間子のβ崩壊ではパリティ(偶奇性)が保存されないという現象があり,ここでは時間の対称性が壊れているようにも見える.

「既遂行為」と呼んでいるときには,この「行為」は不可逆的なものであると暗黙に仮定されている.つまり,やってしまったことは「償うことができない」のである.お金で償えばよいという人がいるかもしれないので,「元に戻すことができない」と言い換えておこう.このような「元に戻すことのできない」不利益を相手に与えることを「損害を与える」ないし「加害」と言い,それが犯罪の処罰の対象となることを見てきた.つまり,<既遂行為>→<損害>というプロセスは<原因>→<結果>という因果関係によって結合された不可逆的事象である.

本法案の立案者は「共謀行為」も「行為」の一種であるから,それを実行することができ,それが実行されたときに<既遂行為>になるとする.しかし,津川委員が質問された通り,<共謀行為>は「不可逆的過程」ではない.つまり,つねに後戻りして元の白紙状態に還元できるような「(擬似的)行為」である.その理由をカントの用語で説明すれば,理性は純粋直感としての悟性の先験的形式である時間の持つ固有の特性としての不可逆性から自由であるがゆえに,と述べることができる.つまり,思考が可逆的であることと,人間の自由には不可分の関係があると言ってよい.神が人間に与えられた自由は不完全なものではないから,人間は自分の意思に従ってあらゆる(可能な)ことを実行する自由を有している.神はこれを妨げることができない.しかし,この人間の自由があるからこそ,神の赦しもまた存在するのである.

人間が神の真似をしようとすると,どれほど無様で不条理なことが発生するかを理解するには,富田政務官の奇怪な答弁を聞くだけで十分であろう.もちろん,法理論的には,富田政務官は間違っていない.もし,「一たん共謀罪が成立した後は,取り消すことはできない」という「原則」を崩してしまえば,「共謀罪」という「犯罪」を罰することは原理的に不可能になるということは,簡単な推論を行うだけで理解することができる.この原則がなければ,「共謀罪が成立した状態」を特定することが不可能になってしまうからである.(→今日の宿題参照)
大審問官
大審問官』の冒頭 『神の栄光のために国じゅうで毎日のように焚火が燃えさかり、「壮麗な火刑場で心あしき異教の徒を焼きつくす」という異端審問のもっとも恐ろしい時代だ』『おびただしい数にのぼる住民の前で、ほとんどまる百人におよぶ異端者たちが、枢機卿である大審問官によって一度に焼き殺されたばかりのところなんだ』

神が赦されることを人間が罰するとしたら,これほど思い上がったことはないだろう.私はここでもう一度マグダラのマリアの説話を持ち出そうとは思わない.むしろ,カラマーゾフの兄弟に登場する体制の権力者である枢機卿・大審問官の言葉を引いておく方が適当である.

「今や、まさしく、人々はいつの時代にもまして自分たちが完全に自由であると信じきっているけれど、実際には、その自由をみずからわれわれのところへもってきて素直にわれわれのもとに捧げたのだ」,「(彼らは)われわれを『神に仕える』から『神とみなす』ようになるだろう」.

犯罪が成立するためには<既遂行為>→<損害>という過程が不可逆であることを要するという論点に不服のある向きもあるかもしれない.たとえば,万引きを意図して,本を棚から抜き取ったが(怖くなって)それを元に戻したときこの人は犯罪を犯したと言えるかどうか?である.この場合でもその行為が犯罪とされるためには,ある「ノーリターンポイント」を超える必要がある.つまり,その本をオーバーコートに隠して書店の外に一歩踏み出した時点で始めて犯罪が決行されたことになる.そのクリティカルポイントの手前ではいくら怪しげな振る舞いをしていたからと言って,犯罪者と決め付けるわけにはいかない.その本を持って店内をぐるぐる巡った後,最後にはまっすぐレジに進むかもしれないからである.

余談ではあるが,ここで銀行というシステムがこのような犯罪に限りなく近いということを見ておくのも意義があるかもしれない.銀行とは人からお金を預かり,それと引き換えに預かり証を渡して,預かった金を運用して利益を得るという商売である.銀行員が個人的にこれを運用して穴を空ければもちろん犯罪であるが,この銀行員が運がよくて決して損を出さなかったとしたら,この犯罪がばれない可能性はかなり高いと言えるだろう.ところが,実際には銀行というのはこれを,個人つまり一人の不心得な行員ではなく,組織全体でやっているのである.銀行は穴を空けることはないのだろうか?そのとき,ペイオフということが許されるという話だが,これは犯罪者に追い銭をくれてやるようなものではないのか?

【画像ソース】
不思議の国のアリス
ドストエフスキーと革命思想殺人事件の探求
伊勢の神宮:皇大神宮概要 社殿の様式と配置
ビュッフェ美術館 常設展
松岡正剛の千夜千冊 『時間の矢』 リチャード・モリス

(続く)

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