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小泉自民党大勝に見る「バカの壁」(MIYADAI.com)
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投稿者 まさちゃん 日時 2005 年 11 月 17 日 13:08:28: Sn9PPGX/.xYlo
 

M2第四弾への後書:小泉自民党大勝に見る「バカの壁」

投稿者:miyadai
投稿日時:2005-11-14 - 17:20:36
カテゴリー:お仕事で書いた文章 - トラックバック(2)

■M2シリーズも第四弾となった。お読みいただければ分かるように、今回収録分の期間内に、2005年9月の総選挙における小泉自民党大勝や、10月下旬のBSE関連の政治的決定(全頭検査解除、月齢20ヶ月以下輸入解禁)など、極めて重大なエポックが含まれる。
■後書きの場を借りて、本書の理解を支援すべく若干の補注を試みる。結論を言えば、我々は「自らの不安を鎮めたいがゆえの選択が、不安をむしろ増大させる」「自らの幸せを追求したいがゆえの選択が、自らの不幸をむしろ増大させる」という罠に完全に陥っている。
■背景にある歴史的事象と、前景にある現今的事象を、順次説明したい。背景にあるのは、通念的な右翼左翼図式の無効化だ。これ自体クリシェとして頻繁に語られるものの、事態の歴史的背景と意味が十分に理解されているとは言い難い。ここにも実は大きな罠がある。
■仲正昌樹が述べるように(『毎日新聞』10月17日号)旧来は資本主義を肯定するのが右で、否定するのが左だったが、かかる左右対立はもはや意味を失い、緊要な対立は、国家(による規制)に肯定的か否定的かにシフトした。後者の対立は旧来の左右内部にも存在する。
■私見では、思想史的に見た本来の左右対立は、一次近似としては集権的再配分を肯定する(左)か否(右)かを軸とするが、これが実は、主知主義(世の摂理を人知が覆う)か主意主義か(世の摂理は人知を超える)というルーツ的な対立の蓋然的な派生物に過ぎない。
■詳しくは別著(北田暁大との共著『限界の思考』双風舎)に譲るが、そうした意味において、仲正の言う新たな対立軸は、本来の意味での左(国家への依存)と右(国家からの自立)と緩く重なっている。だが問題は、重なりの緩さ、即ち微妙なズレにこそ存在する。
■N・シャランスキー『なぜ民主主義を世界に広げるか』への解説で述べた通り、80年代のレーガニズムやサッチャリズムのアンチデタントは、社会主義幻想の崩壊を前提とする。特権階級の富と情報の独占が、民衆の不満増大と社会の弱体化を招いている、との認識だ。
■そこから先でマルクス主義者は、『想像の共同体』(B・アンダーソン)の如く国家の恣意的排他性を批判するポストモダン左翼と、国家による弱者手当てを要求する再配分主義のリベラル左翼に分岐する。前者の典型がネグリ&ハート『帝国』の「多元的群衆」論。
■右派も同じく分岐した。国家による規制に反対する「小さな政府」のネオリベ右翼と、財政介入を通じた再配分を肯定するの国家共同体主義的右翼。因みに80年代に欧米に誕生したネオリベが、「20年遅れのネオリベ」として花開いたのが、小泉自民党政権である。
■かくして日本でも遅ればせながら「ポストモダン左翼+ネオリベ右翼=国家規制反対派」対「リベラル左翼+国家共同体主義的右翼=国家規制賛成派」という対立が顕在化した。前者は米国流グローバル化(過剰流動性)に棹さすが、後者は米国流グローバル化に抗う。

【グローバル化と国家依存の相互補完性】
■しかし、これは対立か。むしろ重要なのは、一方で、国家否定的なグローバル化が、何かというと国家を呼び出す国家肯定的なヘタレ右翼&ヘタレ左翼を生み、他方で、そうした国家依存的心性を支えとして、米国流グローバル化が推進されるという、「相補性」だ。
■仲正は、ヘタレが呼び出す国家が、国民国家から憲法国家へと──民族パトリオティズムから憲法パトリオティズムへと──変化することで、国家への参入離脱が自由になることが、ロールズ的な「公正としての正義」に適うので、重要だとする。違うのではないか。
■ヘタレ的な依存心性と、所属を選ぶ自立心性とが、完全に矛盾するからだ。私の処方箋は「自治と補完の原則」だ。できるだけ小さい「我々」に分権化し、「我々」で解決できない問題についてヨリ大きな「我々」を持ち出すという構図を、国家連合にまで及ぼさん。
■古くから述べてきたこの原則が要求される理由は、国家否定的グローバル化と国家依存的ヘタレ左右とが補完的に相互強化するという分裂生成(G・ベイトソン)が、矛盾するもの同士の相互強化ゆえ、論理的に見て分裂生成的にカタストロフを招くことが必定だからだ。
■カタストロフ直前に至るまでは、かかる国家肯定/国家否定の相互補完的カップリングは、それ自体が一つのレジームだ。そこでは、肯定も否定も〈肯定〉を招くという罠がある。だが独仏などの若干の思想家を除くと、罠への自覚は乏しい。我が国では皆無だろう。
■我が国で見られるのは、素朴なリベラリズムが反動的な機能を果たす(ことで周囲を幻滅させる)事態だ。典型が、過剰流動性(を翼賛する大衆心性)をこそ批判すべきなのに、大衆が要求する携帯電話や監視カメラを国家権力批判の文脈で論難する、斎藤貴男だろう。
■ベイトソンの初期業績が示すように、分裂生成解除の方策は、相互強化的な両要素の双方緩和しか論理的にはあり得ない。先の文脈に照らせば、米国流グローバル化の緩和と、国家依存的心性の緩和を、同時に遂行する以外ない。それが「自治と補完の原則」なのだ。
■過剰流動性(米国流グローバル化)に枠を嵌めるのに、国家でなく、分権化された自治単位を使う。ただし国家否定のアナーキズムではなく、紛争処理を含めて上位レイヤーの補完を不可欠とする。この場合、分権化は、パトリ細分化と、選択共同体化を、意味する。
■仲正の処方箋に引きつければ、自然共同体ならぬ、参入離脱自由な選択共同体を、国家ではなく(誤解を恐れずに言えば)顔の見える自治単位に採るのだ。かくして、国家を選択することが、ある統一フォーマットへの依存を意味するような今日的事態を、回避する。

【肯定も否定も〈肯定〉を帰結する逆説】
■先に、歴史的背景を前提にしつつ前景に展開する今日的事態と呼んだのは、肯定も否定も〈肯定〉を帰結するような、しかし未来に地獄が待っている、分裂生成的事態のことだ。そうした罠に陥った、もう一つの典型例が、格差拡大批判、とりわけ希望格差批判だろう。
■罠は、歴史的文脈の忘却に由来する。60年代には革命の危機を防遏すべく福祉国家主義による弱者の手当てが推奨されたが、70年代末からはこれが財政破綻とモラルハザードを招くとして新自由主義(ネオリベ)による弱者の手当ての中止(小さな政府)がなされた。
■これが却って教育や医療などの空洞化による社会的荒廃を招いたとし、冷戦体制崩壊前後から、福祉国家主義による弱者の手当ても、優勝劣敗的な小さな政府も、両方否定する「第三の道」が登場した。弱者(ボコ)の手当てでなく、動機づけ(デコ)の支援をする。
■要は、やる気のある者をその都度同じスタートラインに立たせるべく補完する「随時リセット主義」だ。「やる気のある者」の「同じスタートラインから」を目指す「随時リセット主義」は、福祉国家主義とは違って、「結果の平等」ならぬ「機会の平等」こそ理念だ。
■その意味で、上野千鶴子が言うのに反して(『毎日新聞』10月31日号6面)、残念ながら、《いつでも誰でも何歳からでもやりなおせる社会》と、《働き方を選べて、そのことで差別的処遇を受けない社会》を(少なくとも単純には)両立可能だとは見做さないのだ。
■私は古くから「第三の道」にコミットするが──因みに先の「自治と補完の原則」も「動機づけの支援(ポジティブウェルフェア)」と並ぶ「第三の道」の基本原則──、リスクテイカーと努力する者には、そうでない者と区別して、手厚く報いることを全面肯定する。
■一口で言えば「やりたい者」と「やり直したい者」を支援する代わりに、「やりたくない者」と「やり直したくない者」に最小限の支援しか与えない。これを(広義の)社会参加の支援と呼ぶ。そこで問題になるのが「参加が推奨されるのがどんな社会ゲームか」だ。
■ここで漸く「希望格差論」を論じるべき段取だ。「やる気」が親の階級的位置で決まる(ので本人責任に帰属できない)とする苅谷剛彦や山田昌宏の議論である。前述のリベラル左翼は、これを再分配や平等教育(反ゆとり教育)による階級格差是正論へと結合する。
■それは違う。上述の歴史を踏まえて言えば、否定されるべきは「(親の)階級格差による(子の)やる気の決定」で、「やる気による(本人の)階級格差の決定」は肯定されるべきだ。「階級格差によるやる気の決定」の緩和こそ、学校教育に期待される機能だろう。
■だがそれは、教養なき苅谷の言う「旧来の万人競争化」の如きとは、別物だ。自分に可能で楽しいと思う者は「仕事での自己実現」や「消費での自己実現」を目指して競争せよ。だが「皆が仕事や消費での自己実現を目指すべし」となれば失意と落胆が大量生産される。
■競争を肯定する場合でもせいぜい「(何度か)競争し、負けたら諦めてリスペクトせよ」に留まるべきだ。希望格差(がもたらす階級格差)は、「降りる自由」の観点からして望ましい。希望格差否定はリベラルに見えて、ポストフォード主義を分裂生成的に翼賛する。

【希望格差批判によって不幸になる逆説】
■フォード主義とは「構想(頭を使う人)と実行(体を使う人)の分離」で、近代過渡期(大量生産+機能価値)の社会構成原則だ。これに対し、近代成熟期(多品種少量生産+高付加価値)の社会構成原則たるポストフォード主義は「構想と実行の一致」を旨とする。
■いわば、万人に仕事での創意工夫を通じた自己実現を期待すること。リベラシオン学派のミッシェル・アグリエッタは、こうした「構想と実行の一致」(自己実現主義)のポストフォード主義を、社会体制の大規模な変化に人々を巻き込む、ある種のペテンと見做す。
■件(くだん)の大規模な変化とは何か。それは、政治面ではコーポラティズム(利益団体主義)からネオリベ(優勝劣敗主義)へ、経済面ではケインズ体制(修正資本主義)から米国流グローバル化体制(流動性下での生き残り)への、優先順位の大変動を意味する。
■政治経済両面での変動を支える御託宣が、生産点では「食うためではない仕事」を、消費点では「食うためでない消費」を推奨する、アグリエッタいわく「消費主義的パラダイム」=「自己実現主義」、即ち「仕事での自己実現」「消費での自己実現」の推奨である。
■システム理論的に見ると、ポストフォード主義はフォード主義のメタ化に過ぎない。そこでは「構想と実行の一致」を「構想」する「踊らせる者」と、「構想と実行の一致」を「実行」する「踊らされる者」とが完全分離したまま。分離はメタ視点からしか見えない。
■フォード主義の進化型たるポストフォード主義の克服には、万人を煽る自己実現主義からの、離脱が必要だ。それには「希望格差の肯定」が必須だ。だが、巷に溢れるのは自己実現主義からする「格差への憤怒」で、これではポストフォード主義を翼賛するばかりだ。
■ここに、素朴な大衆による「構想と実行の分離」に対する肯定も否定も、結局は〈肯定〉に結びつくという、例の図式が見出される。米国流グローバル化と国家主義が対立せずに相互強化するのと同様(不安による不安原因の強化)、憤怒による憤怒原因の強化がある。

【幸せになろうとして依存を翼賛する逆説】
■2005年9月の総選挙での自民党大勝利が与える教訓もまた、肯定も否定も〈肯定〉に繋がるという分裂生成的な罠からの離脱だ。様々な場所で述べたが、小泉自民党の「低IQ大衆」操縦戦略は「弱い自分を克服したいなら小泉自民党に投票しろ」というものだった。
■かくして、過剰流動性下で不安になったヘタレが、過剰流動性を推進する「断固&決然」国家を翼賛した。「弱者を幸せにしない強者に弱者が憧れる」小泉=ホリエモン的逆説だ。ここでも、自らを疎外するシステムの〈肯定〉を、素朴な否定や肯定こそが、導いている。
■かかる都市的弱者=都市型保守の「墓穴掘り」を回避するには、二つの抽象図式への敏感さが必要だ。第一は「不安な者が縋る乗り物こそが不安を再生産する」逆説への敏感さだ。第二は「幸せになろうとしてアーキテクチュラルな権力を翼賛する」逆説への敏感さ。
■第一の図式の意味は、既に述べた所から明らかだろう。分かりやすい例で言うなら、コーポラティズムが温存する談合的既得権益・への大衆的批判を、大衆自身を非力にするネオリベ的な優勝劣敗策へと意識的に誘導しようとする頭のいい官僚エリートの存在に気付け。
■あるいは、不安と不信ゆえの「断固&決然」の、不安と不信の対象が、自分自身であることに気付け。更に言えば、不安&不信ベースの生き方より内発性&信頼ベースの生き方に価値があることに気付け。とりわけ後者の立場が「真正右翼」たることを各所で述べた。
■第二の図式──幸せになろうとして自分を不幸にするアーキテクチュラルな権力を翼賛する逆説──は日米関係に現れる。典型例が昨今のBSE問題での「全頭検査中止&月齢20ヶ月以下輸入解禁」。大枠は昨年十月、日米関係を慮る外務省によって既に決められていた。
■米国は専ら農水省がエージェントで国務省は不関与なのに、日本では農水省や厚労省の頭越しに外務省がエージェントになる。それ自体、交渉が非対称であるのを示す。背景に、牛肉オレンジ自由化→大店法緩和→年次改革要望書→建築基準法緩和、という流れがある。
■米国外交戦略には二つ柱がある。第一は、あり得る地域的国家連合を米国との二国間外交で分断する「分断統治」戦略。第二は、諸外国に米国のエージェントとして自動的に振る舞う者を増やす「ソフトパワー」戦略。後者は、誤解されがちだが「唯物的」なものだ。
■例えば、フルブライトに代表される留学制度が、各国のエリートの卵に米国を好きになって貰い、かつ米国にコネを作って帰って貰う目的を有することは周知の通り。満州事変の前まであれほど日本に留学していた中国人の多くが、日本嫌いになったのとは、好対照だ。
■だが、エリートのみならず大衆を対象とする「唯物的ソフトパワー戦略」こそが重要だ。例えば、貿易の保護政策と自由化政策の是々非々対応を通じて、日本を、米国に依存せずして生産も消費もできない体制へと作り為すこと。戦後の日米経済関係を見れば、瞭然だ。
■「戦後復興の為の戦略的対米追従」を旨とする吉田茂的な保守本流の本義に対応するが、米国は円安固定相場制維持と米国市場開放で、日本の加工貿易的復興を全面支援してきた。経済復興達成後、かかる図式からの離脱を試みたのが田中角栄だが、米国政府に潰された。
■因みに1ドル110円に固定されたB円ゆえに米軍占領下の沖縄で製造業が発展しなかったのを見れば、米国支援の有難さが身に沁みる。だが角栄が弁えた通り恩義は弱み。米国は農産物輸入自由化を要求し始め、農産物自給率4割という安全「非」保障状態に陥った。
■日中関係改善による中国市場開拓に失敗した日本は、加工貿易でサバイブしたがる限り、米国農産物を受け入れざるを得ない。日露関係改善によるシベリア資源獲得に失敗した日本は、中東の石化エネルギーでサバイブしたがる限り、米国軍事力に頼らずに居られない。
■「国益追求上、米国依存は不可避」とほざく自称右翼は、米国への依存が不可避たらざるを得ない状況が、米国によるアーキテクチャー操縦の帰結であることを知らない。この図式は、エリートの政策的な選択のみならず、大衆の生活的な選択にも色濃く刻印されている。
■阪神淡路大震災を口実とした、年次改革要望書に応じた建築基準法改正で、米国標準ツーバイフォーが解禁された。尺貫法は廃れ、組立屋に堕した大工は窮して内装屋等に転じた。我々が安く住宅を建てようとすれば和風建築はあり得なくなり、街並みから匂いが消えた。
■そこには「幸せになろうとしてアーキテクチュラルな権力を翼賛する」逆説がある。資本主義や平和憲法の是非はもう論点にならない。永続する資本主義の下、不安を鎮めんとして、幸せを追わんとして、ひたすら依存を強いられる馬鹿右翼と馬鹿左翼がいるだけだ。

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