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主権在民の確立なしに諸国民の公正と信義に信頼しては不可能(chakaのチャンネル)
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投稿者 ドキッ!プロ奴隷だらけの水泳大会 日時 2005 年 11 月 25 日 20:17:05: hSNyXCkDoAhxY
 

http://ch.kitaguni.tv/u/11162/%b1%d1%b8%ec/%b8%ec%b3%d8/%a4%bd%a4%ce%c2%be%bd%f4%a1%b9/0000293631.html

 先ごろの小泉首相や自民党の皆さんを見ていると一つのことがやけに目に付く。それは、軍隊もないのに、既に軍隊を持っているような居丈高の態度と、国家、政府に主権がないのにまるで政府や政治家が既に持っているような振る舞いをしている事だ。選挙に勝つということは、憲法の無視が許されるのかといいたい。自民党は、よく苦節五十年というが、憲法のどこが改正できなくて苦節五十年になるか聞きたい。憲法にに従わせられることをまるで屈辱とか、アジア諸国をのさばらせるということをよく増添先生などもおっしゃいますが、憲法に従うと、何故隣国をのさばらせることになるかお聞きしたい。本音は、憲法の主権在民、国民主権をようやく抹殺できるところまで漕ぎ着けたでしょう。選挙で、狂気の限りを尽くし、憲法を無視し、国民主権を踏みつけ、踏みにじることによって大勝したことで。アジア諸国とこころある日本国民が、一番怖れている事は、軍隊を持ちたいとおっしゃる小泉首領や自民党子分がおもちゃの兵隊をもったら、その銃口を誰に向けるかなのだ。それで誰を脅すかなのだ。アジアや日本の国民のこころある者が一番怖れていることは、日本の政治家、政府に国民主権や軍隊を強奪されると、過去の再現が間違いなく始まるということなのだ。それは、何故か、今回の憲法改正案の主意は、国民主権の抹殺と軍隊の保有にあることが明白だからだ。国民に主権があれば、国民が政府の暴走を阻止できること。軍隊が出来れば、主権を奪われた、日本国民に銃をを向けて脅し、近隣諸国の威圧、挑発、侵略に駆り立てることを必ずすると近隣諸国は思っているし、こころある日本人の大半もそう思っている。憲法は、この二つを政府、政治家からもぎ取った。だから、それが欲しくてたまらない政治家が、民主党も結託して、特に、国民主権の二文字を抹殺、軍隊保有の文字を入れようとする。政治家の鉄面皮と破廉恥はいまや頂点に達しようとしている。国民主権を奪還しようと与野党が結託する。それがわかっているから、アジア諸国は、騒ぎ立てる。それを、日本人が憲法に従っておとなしくしていると、相手がのさばるといってわめく。与野党こぞってわめく。

 その本音が現れているのは、憲法調査会での委員の次ぎの発言であります。現代社会では、政治目的に向けて行政を指揮、監督する’執行権’を持つ首相とそれを輔佐する国務大臣で構成される内閣を中心とすべきであり、国会の役割については、内閣による政策決定のコントロール機能および国民に対する争点提供機能の二つが重要とする意見がのべられたとあります。一言でいうと、国会の審議は、現代社会では無用であるということなのだ。主権を内閣に移せという風にも聞こえる。これは、正に、昨今の首相の態度と国会審議にあらわれている。現代社会では、国家にとって政治が重要であり、難解かつ複雑だから、国民などには、分からない。主権在民などとつべこべ言わずに、すべて専門家である政治家と官僚に任せろといっているようにも聞こえる。まるで自分は、日本国民で無いかのような発言である。

 審議に無駄な時間をかけているのは、国民の意思を無視し馬鹿にし、踏みにじって勝って気侭なことをしようと企む、首相や内閣であって、彼らに自由裁量を認めるとどうなるかは、戦争が証明している。現代社会であれ、いつの時代であれ、国民に主権を認めない制度下では、首相、政府は、暴走し国民を苦しめる結果になることを歴史が証明しているから、憲法では、政府を国民全体の下位において安全を図っていると私は、理解している。従って、現憲法下では、これが国民から主権を奪う強欲な政治家どもの共同謀議でなくて何なのだと主権者の国民の一人として叫びたい。審議会の構成を見ると、自由民主党と民主党が殆どで、この二つが結託すると憲法改正が自由にできるということか。
これが顕著に現れたのが、苦節五十年の自民党の憲法改正であり、国民主権の抹殺が第一の目的であることは明々白々であります。これを見れば、軍隊に昇格される自衛隊の銃口は、首相、内閣に反対する国民に向けられことは間違いありません。

 主権を持つ国家と政治を担当する政治家に反対するといって。選挙は、全く形式化され、それは最早主権在民とはいえないようになり、銃剣で脅かされての選挙となる事は、必至であります。銃剣が、隣国に向けられる前に政治家に反対する国民に向けられることも必然の結果でありましょう。過去の戦争を反省すること無い、日本の政治家は、必ず国民から主権を奪います。昨今の小泉首相と自民党の苦節という文字はそのことを語った余りあります。

 私は、主権在民という言葉を念仏のように唱えているように自分でも感じているし、そう見られているように思います。一体、憲法の前文が示す国民主権とは何かを考えてみたい。国民主権の基となっているのは、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保するということであります。誰が、どのようにして。これが主権であります。憲法には、日本国民はとあります。これが、政府はとなれば、政治家、国がとなれば、国家がということになります。すなわち、恵沢を確保するのが、政府であれば、政府や政治家が富を独占し、国であれば、国の財政が豊かになり、反対に国民は重税に泣かされることになります。憲法のもとではどうでしょう。

 憲法では、富の公平な分配を前提としているかというと、そうではありません。ここが大切な部分です。自由のもたらす恵沢には、富の
公平な分配が含まれないことは、明らかです。それは、国民の主権は、正当に選挙された国会における代表を通じて行動することになっているからです。もし、富の分配が、公平であれば、主権の行使である国会の代表は、国民が公平にかわるがわる果たせばいいということなります。そうではなく、一番相応しい能力をもつ人を代表に選んで政治を行ってもらうという制度を憲法はとっており、このため、日本では、国民主権でありながら、代表がそれに対する相当額以上の報酬を求め、地位や身分にも差を求めるという結果となり、国民はそれを黙認させられるという形が支配。今日では、代表と主権者の国民との間に大きな格差を生ずることになりました。勿論、この格差は同じ主権を持つ国民の間にもかなりの規模においてあります。今、この格差は、国民主権を破壊する最大の要素となるまで拡大しております。簡単にいいますと、代表に報酬の差を認めることにより、持ち物、所有物の差を生むことになり、憲法下では、私有財産の所有と格差を認めざるを得ない結果となりました。

 この状態では、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢の確保を国民が享受することが、不可能になってまいりました。現在の日本の政治状況を考える時、最大の問題は、この国民間の格差であります。この格差をのりこえて、憲法下で国民主権のいう、自由のもたらす恵沢を確保できるのかが、国民主権の実現を達成する最大の課題といえるでしょう。

 恵沢を幸せや幸福とみることもできますが、幸せ論、幸福論となるとあまりにも考える広がりが大きすぎ私の手におえません。私としては、ひきつづづいて格差についてみることにします。その前に一言、私は、憲法学者ではありません。 しかし、全くの素人が、憲法のいう主権在民を実現できる可能性を憲法の中に見出すことができればと願っております。小難しい理屈をこねなくても必ず実現可能という答えが得たいのです。さて、最近のDNAの知識を借りるまでも無く、人の間に能力差があります。憲法でも、上述のように、能力差による、格差を認めております。憲法下の対等、公平にということは、この格差を前提としており、格差を認め合うことを、主権在民の前提に置いていると理解せざるを得ません。

 格差には対極となるものが必ずあります。それは、共通項です。同じ人として、人間だからというのがこれに当たります。主権の根拠となっている自由による恵沢を確保するとは、格差を確保することではなく、この人間の共通部分を互いに認め合い、保障し合うことと受け取ることができます。具体的にいいますと、目、口、手、頭など人として共有し合っている部分が個々に同じ扱い(恵み)を受けられるように国民が互いに保障し合うということです。勿論、この共通の部分には、格差を生み出す部分や器官も人の存在の一部として当然含むまれ、排除することはありません。人として共有するものが同じ扱いを受けるということは、格差を認め尊ぶことも意味することになります。人の共通項というのは、端的にいって、人の生きる能力を生み出す、肉体の部分や器官であります。これが、最大の能力を発揮出来るように互いに保証し合うことが、主権在民の基盤となります。基盤ということは、以下に述べますように、これを基にして、付帯的に権利が拡大する可能性のあることを示唆しています。それは、社会形態と国民の持つ主権者意識によるといえます。しかし、目や手の一部など共通部位を排除した、最低限上述のことが出来ない社会は国民主権とか主権在民とはいえないでしょう。

 憲法が発布されるまでの、日本は、格差を力で押付け、弱いものが、強い者を虐げるという状態が続きました。強いも者が、さらに強い者に負け、その結果、一番弱いもの同士が互いに認め合い、互いに共有の各部分が、その能力の差にかかわりなく、対等、平等に恩恵を受けられるように御互いに保障し合う、国民主権が憲法によって、確立されたのです。人の各部が、本来の能力を発揮するには、その部分の自由の働きが確保されなければなりません。自由がすべての部分に認められることが、国民主権の第一要件となります。

 身体の各部分でも、極立つて重要な部分があります。 それは、口です。食べなければ、肉体は死に存在そのものが無となります。かくして、最低限の食物を保証し合うことは自由と並んで、主権の主要な一つを構成します。また、言葉を語ることが出来る口がその能力を十分に発揮できるには、言論、表現、報道出版の自由も主権の一つと認めなければならないでしょう。このようにして、殆どの、基本的人権と呼ぶものが確立されました。格差をもって相手を負かせるには、その格差を生み出す器官や部分を破壊しますが、戦争の例のように。主権在民下では、この部分も最大限の能力を発揮できるように保証され、その格差を助長することにより恵みが主権者全員に享受されることになります。保障し合うということは、誰かが、自分のために金を出し最低限の保証をしてくれるのではありません。個々人が、己の能力が最大限まで発揮できないような状態になった時、例えば、病気になった時などは、病気から回復し能力が復帰できるよう、協同で最大限の助けをし保障し合うことです。このように、互いがその持てる最大限の能力が発揮でき、その幸せになる能力や機会を保証し合うのが、憲法のいう主権在民の本質であります。自分が生きることを他人任せにすることではありません。それは、主権在民を破壊することになります。

 現在の憲法のもとでは、互いに保障し合う、基本的な権利の侵害は、厳しく罰せられます。また、互いの能力を保障し合うということを前提とすることは、自分の稼ぎを独占できないことを意味します。政治の基盤は、独占の保証ではなく、相互の能力の保証に置かれていますのでこれは、当然のことです。しかし、この保証の義務を果たしさえすれば、財産の所有も、自由競争、自由市場、自由企業も認められている社会なので、資本主義に代わる活気溢れる社会と安心な生活を御互いに保障し合うなかで、築けるというわけです。

 こうした、御互いに最低限度の恵沢を保障し合う社会が、前提となって、はじめて、諸外国との間に、公正と信義に信頼する関係が実現されます。他国民との間にも自国民同様の権利を認めることが出来ない限り、他国にも同様の保証を要求することが出来ません。かくして、すべての基盤に、御互いに持たれ合うことのない、互いの権利を保障し合う厳格な主権在民を置いた憲法の下での協同社会が実現可能となります。御互いに共有する部分の能力を最大限に発揮できる、機会、環境、施設を整える事業に権利を保障し合うという厳格で積極的な関係を確立することで、自由による恵沢を日本全土にわたって確保するという理想が現実となる。これが、憲法の保証する、厳格な自己管理をベースとする主権在民を基盤とする将来の日本社会であります。このように、主権在民は、狭義の意味で福祉等のセーフテイネットも含まれます。従って、主権在民を抹殺してわざとらしく福祉を書き込むことは無用であります。

投稿者:chaka at 09:08

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