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「平和願う」小泉首相の意識と行動…(暁を撃て!)
http://www.asyura2.com/0510/senkyo16/msg/217.html
投稿者 ドキッ!プロ奴隷だらけの水泳大会 日時 2005 年 10 月 25 日 13:20:40: hSNyXCkDoAhxY
 

http://ch.kitaguni.tv/u/10977/%bb%fe%bb%f6%a5%cb%a5%e5%a1%bc%a5%b9/0000279517.html

というわけで本日小泉首相はいきなり靖国神社を参拝しましたね。前回曲がりなりにも靖国関係のコラム書いたんですから、これにも触れなきゃいけないでしょうとやる気エンジン空ふかし。しかし靖国問題について総合的に述べるとなるとそれこそ本一冊書いても足りませんから、今日はちょっと狭い話にしてみます。

(…と言ってはみましたが書いてみたらえらく長い文章になってしまいました)

さて、本日参拝を終えた首相は、お昼の政府与党連絡会議で「平和を願う一国民として参拝した」と説明したそうです(神奈川新聞の号外より)
この発言自体は以前とあまり変わりません。これまでも首相は、参拝の理由について「戦争を二度と繰り返さないという不戦の誓いを新たにするため」といった説明を繰り返して来ました。これらの言葉は、参拝に反対する人にとって、場合によっては参拝を望む人から聞いても、大なり小なり違和感のある言葉でしょう。
それは、これらの言葉と靖国神社の性質とが、あまりに一致しないからです。

アジア太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼称し、アジア解放の為の聖戦と位置づけ、極東軍事裁判は不当と主張する靖国神社の歴史観は、刊行物やWEBサイト、そして遊就館などによってよく知られています。要するに靖国神社は明治維新以降の日本の戦争を全肯定しているわけで、そこから「二度と戦争を引き起こさない」という誓いを見いだすのはかなり困難でしょう。

そして小泉首相自身、今年6月共産党の志位委員長に対する答弁において、「靖国神社の考えは政府の考えと違う」と明言しています。さらに今年開催されたバンドン会議では、「我が国はかつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」という95年の村山談話を引用しています。
靖国参拝を繰り返しながらのこうした発言を偽善的と見る人も多いでしょう、しかし、ここまではっきりと「植民地支配」や「侵略」といった言葉を使うところを見ても、例えば言を左右に先の戦争への評価を避け続ける安倍晋三とはかなり違います。
恐らく、小泉首相の歴史観と靖国のそれは実際に、かなり違うのでしょう。

しかしでは、「私の認識は違うから」といって、首相が参拝する際、靖国神社の歴史観が持つ問題は解決されるのでしょうか。それはありません。靖国神社の歴史観は、靖国の性質そのものだからです。

靖国神社は、国のため(天皇のため)戦って死ぬ者を神として顕彰し、崇拝の対象とすることによって、国民の「名誉の戦死」への抵抗意識を弱め、場合によっては喜びに変え、徴兵によって軍人となる国民やその家族が本来は持つ、戦争への恐れを払拭する役割を果たしてきました。
そうである以上、祀られる兵士は「犠牲者」ではなく「英雄」でなければなりませんし、彼らの戦う戦争もまた完全無欠の正義でしかあり得ないのです。

靖国神社が上記のような歴史観を持つのは、宮司がたまたまそうした歴史観の持ち主だったとかそういうことではありません。靖国神社の歴史的経緯を考えれば、靖国神社はこのような歴史観以外持つはずもないし、この歴史観自体が、靖国神社の性質を表しているのです。

小泉首相が「侵略戦争」という認識を抱き、それに基づいて「不戦の誓い」をたてる以上、それを世界に示す場が、日本の戦争を100%肯定するところからしか出発しえない靖国神社であって良いはずがありません。第一靖国神社は顕彰施設であって追悼施設ではないのですから、「靖国で追悼」ということ自体大きな矛盾と言うほかありません。

では、そうした矛盾を指摘されながら現在の小泉首相を参拝へ突き動かしているのは何でしょう、こればかりは推測するしかありませんが、恐らく「彼らは靖国で会おうといって死んでいったのだ」という「戦死者の価値観」ではないでしょうか。

「桜花と散り 九段(靖国神社)に還るを夢に見つ 敵艦屠らん 我は征くなり」

2001年、知覧特攻平和会館を訪れた小泉首相は特攻隊員の遺したこの辞世の歌を読み、展示ケースに手をついたまま涙を流し続けたと言います。悪い意味でも感動屋なこの人は、「靖国で会おうと死んでいった人たちの気持ちに報いねば!」というそれこそ「並々ならぬ決意」を抱いてしまっているのではないでしょうか。

この「兵士たちは靖国で会おうと言って…」という論理はよく語られますが、しかし戦死者を追悼するとき、彼らの価値観に100%よってたつことは不可能ですし、そんなことはすべきではないのです。

例えばドイツの人たちが第二次大戦中の戦死者を追悼するとき、ナチスの思想に基づいていなければならないかといえばそんなことはありませんし、あってはなりません。日本においても、空襲や原爆の犠牲者を悼むに当たって「神州を盲爆する鬼畜米英の所行が」などと言うトーンで語ることはあり得ません。戦死者の価値観と、それを追悼する側の価値観は、違っていて当然なのです。そもそも戦後の日本は、「大東亜共栄圏」とか「脱亜入欧」といった当時の価値観を既に捨ててしまっているのですから。

そして、靖国神社での追悼によって死者の価値観へ100%寄り添うことも不可能です。靖国神社は、遺族が合祀の取り下げを求めている徴用された植民地の兵士をも合祀していますし、そもそも全ての兵士が「靖国で会おう」という価値観に基づいて死んだはずがないのです。

今後、戦没者追悼施設に求められるのは、A級戦犯と宗教性を取り除いた第二の靖国ではなく、戦争への反省によってたつ、「犠牲者のための追悼施設」でしょう。自らの行為を聖戦と断定し、自分の側の戦死者だけを一方的に神として祀るような性質を持つ施設での「追悼」が、諸外国との相互理解へと繋がるはずがありません。
首相が真に「戦争を二度と繰り返さないという不戦の誓いを新たに」し、「平和を願う一国民として」行動するのであれば、自らの戦争を全肯定する靖国と、その背後にある戦前日本の価値観から離れることが必要なのです。

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