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全世界の国民が、恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利(chakaのチャンネル)
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投稿者 世話をかける少女 日時 2005 年 11 月 07 日 20:28:32: IxT49uoyvizzs
 

http://ch.kitaguni.tv/u/11162/%b1%d1%b8%ec/%b8%ec%b3%d8/%a4%bd%a4%ce%c2%be%bd%f4%a1%b9/0000287178.html

 私は、憲法の前文を解説している積りは、全くない。私が、日本国民として、何をすべきかを前文の中に求めているに過ぎない。それは、自民党案は、憲法の前文を、高校生にも劣る作文に変えてしまい。これを、首相である小泉は、了承したからである。そんなに、憲法の前文は、軽んじられていいのか。もう一度問いなおしたい。私は、この前文は、世界の如何なる賢者の言葉にも勝ると断言した。それは、実行を要求することが、憲法には出来るからというのが、最大の理由である。どんな賢者の言葉も、日本人は、無視できる。しかし、憲法は、そうはゆかない。すべての日本国民(天皇も)が従うことが要求される。一人も逃れることは出来ない。もう一つの理由は、それよりも恐ろしい・・・これは、ギリシャ神話のシーシュポスに課せられた、罰に相当し、日本人は、死ななければ逃れられない。

 それは、憲法に掲げられ、日本国民に課せられたものは、人類普遍の原理、理想、名誉ある地位をいうように、完遂には、時間を要するばかりか、成し遂げるとさらに先には、より高い原理、理想が立ちはだかり、それは、シーシュポスが地獄で受けた罰に似ています。彼は、地獄で手と頭で大岩を押し転がして坂の向こうまで運びあげるという努力をするという罰を受けました。坂の上の大岩は、その重さゆえ、押しても、押しても再び元に押し戻されるのである。したがって、その罰は、永遠に絶えることはない。しかし、高い原理や理想は、さらに、重さが増し加わって限りがない。

 こう見ると、あの大戦により多大な被害と、虐殺にさらされた世界は、こんな人でなしのことを世界に向けて行った日本民族の蛮行を無条件に許したわけではないし、自国で殺された民の場合もそうであった。心から、改心し、改心するばかりではなく、世界で最も優れた人殺しをしない民に成るように努力することを罰として課したのである。

 一億玉砕を叫んでいた民は、その諸悪行によって、世界から抹殺されても、文句は言えなかった。あの時むしろ玉砕し、抹殺されていれば、良かったと私は思っている。もし、そうなら、戦後、戦犯の生き残りの岸信介のもとで、平和を叫んで、警察に撲殺される者はいなかった。また、小泉や武部(岸の娘婿の安倍晋三)のような恥さらしは、決してすることはなかったし、見ることはなかった。よく、憲法を評して、理想的だとか、現実に合わないとか、自虐的だとかいう声を聞く。それは、終戦時の状況を考えれば当然のことなのです。他国に対してまた自国に対して蛮行と悪行の限りを尽くし、挙句の果てに、一億玉砕を叫んで、開き直ったものが、際限の無い改心と罰なしには済まないだろう。

 もし、この定めを恨むなら、戦争に駆り立てた軍部と、官僚、政治家を徹底的に恨めといいたい。その元凶の生き残りが、小泉を筆頭とする鉄面皮な自民党の二世、三世の議員である。あの時、この元凶達が、自ら望んでいたように玉砕していたら、こんな破廉恥な二世、三世の顔を見ることはなかったと残念に思います。彼等が逃れたいのは、理想地獄。理想地獄では、地盤、看板の神通力は、地に落ち、無きに等しい。憲法の下では、生きる場を失うからである。

 しかし、私は、憲法には、明るい面・・・、失われていた希望と夢しか見ない。第三は、前文の少ない文言の中に必要なものをすべて凝縮したところが、優れているといえます。それは、永遠普遍の原則と理想を盛り上げたから可能になったのですが。それは、憲法におけるもう一つの重要な要素として、他国の国民をとりあげ、他国民にも自国民と同等の権利を認めたことにみることができます。すなわち、われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。であります。前文の中心は、日本国民と国民主権でありますが、それに終わらず、同じ権利を他国民にもはっきり認めているのです。これは、凄い。凄すぎる。自国の欠乏(経済的な窮地)を他国への侵略により解決しよう図った欲の深い日本の深い自戒の念から来ていると信じたい。

 そもそも、戦争と平和とは、合い矛盾する人間存在の宿命と見る人が多い。極端なことをいう人は、戦争は、ダーウインのいう人間の自然淘汰であるとまで。戦争の心と平和を求める心は、相克し合いながら永続するという研究もある。

 自然淘汰とする人は、戦争は、第一に、増えすぎた人間を減らす有効な手段という。第二に、戦争は、科学を進歩、発展させる原動力となり、特に、相手を殺し、抹殺する為の最新兵器の研究は、最先端の科学の成果を引き出すと主張する。その極限が、原子兵器と量子科学の発展にみられると。量子科学の発展は、民間企業を大転換し、IT世界を招来したのだと胸を張る。

 第三に、戦争は、人間の劣等因子を淘汰する。簡単いうと、戦争で負けるのは、劣等因子を持った国民であるという理屈である。劣等な因子や血をもつ人間が殺されることは、それだけ、人類の中から劣等因子を持った者が抹殺され、人類の進化が進むという考えである。 こういった考えの下では、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を認めることは、自国と人類の進化における自殺行為とする逆説を生むことになります。すなわち、自国と人類の自滅を憲法は要求するとも考えられるというわけです。

 しかし、理想を追求する憲法は、この文言が、世界平和を実現し、人類の繁栄に通ずると日本国民に告げます。これは、一面、自らに課した罰でもありますが、この憲法を守ることで、戦争で尊い人命を奪い、また失った日本国民は、人類永遠の高い原則と理想を達成し、人類の永遠の繁栄と理想の実現に民族の存続をかけたともいえます。戦争で流した、あらゆる血の代償として・・・ 

 日本国民が今求めるものは、頭が痛くなるような、理屈や理論ではありません。単純素朴な心。温かい血の流れた心。小泉のような死にぞこないのありふれた、カッコばかりの非情さには到底持ち得ない日本と平和を愛する心。二度と自国と他国の民の血を流させないぞ。二度と、子供には、武器を持たせ、戦争をさせないぞという母親(父親)の心では無いでしょうか。欠乏は、国民を戦争へと誘惑し、戦争は、他の国民に最大の恐怖を持ち込むことを忘れてはならないと、今憲法は、すべての日本国民に警告しております。
 
投稿者:chaka at 14:03

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