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約束反古常習犯と多数決が国民主権を破壊(chakaのチャンネル)
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投稿者 七瀬たびたび 日時 2005 年 12 月 23 日 21:21:12: bo2NmpzpRHGO6
 

http://ch.kitaguni.tv/u/11162/%b1%d1%b8%ec/%b8%ec%b3%d8/%a4%bd%a4%ce%c2%be%bd%f4%a1%b9/0000303594.html?logout

 かなり過激なタイトルになった。然し、これが、日本を巣食う病気、癌の病根である。以前から、日本国憲法は、人の追及する究極の権利としての国民主権を日本国民が希求、獲得し、それを世界が、認め、保証したものであると述べてきた。それは、私の日本人としての誇りを支えてきたし、そのための努力を自分なりにして来た積りである。しかし、最近になって、その努力が、至らないということを、いくら努力をしても足りないということを痛感するようになった。それは、憲法の前文を詳細に読んだ結果、そこには、いままで学者や、知識人が、指摘するのを極力避けてきた重要なことがあることを私は、知ったからです。それは、憲法の国民主権に関連するもので、きわめて重く厳しいものでした。世界は、単に、東条英機を戦犯として、処分し、賠償金を定め、日本が無償借款などの経済援助をすることだけで。個々の日本人の戦争責任を無罪放免したわけではなかったのです。それは、日本人の勝手な思いこみでした。、戦争でアジア諸国など多くの国のおびただし命を奪い、家、財産を燃やし、略奪した戦争を理由は兎も角支え、遂行させた日本国民の責任は、国民には罪はない彼等も被害者なのだという理屈がとうるほどは、軽いものではなかった。それは、当時の世界の被害を受けた大多数の国民、さらには、こころある日本人も認めなかったのです。世界が、日本人に求めたものは、軍部のいう一億玉砕ではなかった。生きることであった。もし、日本人があの時一億玉砕していたら、髪の毛を黄色に染めた若者、バイクを近所迷惑を考えずに傍若無人に乗りまわす暴走族、議会でわめきたてる馬鹿な小泉チルド連と呼ばれる議員達もいなかったと思う。それは、世界が、被害を受けたアジア諸国が、日本人に生きれといったからいうことを忘れてはならない。その上、彼らは、私のような日本人が希求して止まなかった国民主権を、独裁者天皇、軍閥、官僚から取り返し、日本国民に由来する権利として、認め与えてくれたのである。これが、日本国憲法であり、国民主権である。残念なことに、日本人特に子供達はこの経緯を忘れようとする。自分は生まれつき自由なのだと思いこもうとする。これにつけ込んだのが、現首相小泉と自民党。だが、日本国民が忘れてはならないことが、もうひとつある、それは、日本人が生きることを許され、さらに希求していた国民主権を認める代わりに、最大の条件、約束として、政府を監視し、暴走して、再び、世界や日本が戦禍に導かれないように努力し、高邁な政治の大原則と理想実現のために全力を尽くせということである。しかし、日本人は、それを忘れ金の虜になりこの重い約束を反故にし様とする。いまや、無法者の首相に誘われて。この約束は、戦争の責任の代償として国民に課せられたものであり、国家賠償以上に大きく、無限である。日本人は一人もこれを逃れることは出来ない。忘れた結果が、今回の耐震偽装。特に、内河。彼の七十を超えた年齢がそれを物語っている。かれは、この約束を反故にし、自分の金と名誉に走った。小泉、自民党の議員 特に、政治献金を受けた議員、団体 その他の国会議員も同罪である。この気風は、小泉氏が首相であることからきている。それは、首相の発祥にある。日本人が、世界に宣戦布告して、人を殺しておいて、あれは、日本が追い詰められたから仕方がなかったという理屈がとうると考えるのは。首相は、極めて幼稚な発想で、国民を誘導している。前にも述べたが、港湾やくざを親にもつ子供としては、当然の発想である。戦時中、小泉家は、軍部に協力して、兵站部門に関わり、軍用物資の運搬、供給、兵員の世話全般を引き受け、財を成していたのである。こような前歴のあるものが、首相であること自体、世界に対して、あの戦争は、日本には責任がないというメッセージを世界に発信しているということを日本人は自覚しなければならない。この首相は、憲法改正主義者である。憲法で日本人が世界に約束したことをすべて反故にしようとしている。法律破りの常套犯である。この首相が、利用したのが、偽の民主主義多数決である。日本の憲法は、確かに、議会民主主義、多数決をベースにしているが、憲法のもうひとつの柱の国民主権は、多数決ではない。この二つは、場合によっては、対立する概念である。

 私は、憲法に記された約束を決して反古にしない。これは、私が、世界に対してなした約束だから。私はそのお陰で、この68年間を誇りある日本人として生きることが出来た。これからも、その誇りを抱いて生きる決意だ。できれば、世界の平和の実現のために尽くしたい。日本の生きる道は、再び、軍隊を持って国を守り、世界の紛争の解決に加勢することではない。日本人は全員が生涯、戦犯の責めを負っている、その罪の償いを果たし、世界が再び戦争の誘惑と、計略に巻きこまれようとする時、愚かなことは、止めようとさとす役割を果すべきなのだ。アメリカがイラクとの戦争を始めた時、日本が果たすべきは、自衛隊によって援助することではなかった。その方向に日本が踏み込んだ時、国民は、主権者として、そのように決めた、小泉首相を首相の座から引き摺り下ろすべきであった。それが、永久戦犯としての日本人の生きる定めでもあった。

 それが、今は、野党足るべき民主党まで、無法者の小泉の誘いにぐらついている。これが、戦争と敗戦でまともな思考を失った日本人のなれの果てなのだ。戦争で負けた日本人は、国のアイデンテイテイを完全に喪失した。これは、ドイツ、イタリアでも同じことであるはずなのだが、そうはならなかった。ドイツもイタリアも天皇のような王の支配する専制国家でなかったからだろう。反論もあろうが、ドイツ、イタリアの場合、日本とは違って、国が他国を侵略したのではない。一人の独裁的為政者に国が乗っ取られて、国民を戦争に駆り立てたのであった。それ故、敗戦の結果として、あらためて、国民に国民主権が与えられ、政府や国を国民が監視する義務や約束を求められることはなかった。政治の形態を、より民主的にし、独裁者とそれに連なるものを国民が罰するという形が取られた。それで、十分であった。その点、日本は違う、日本は、立憲君主制という政体をとってはいたが、天皇は、日本国家そのものであった。従って、主権を天皇から国民へ移す、主権の移動とともに、国民には、暴走した政府を監視する義務まで全体の戦争責任として課せられたと理解するほかない。もうひとつは、ドイツ、イタリアは西欧先進国であったが、日本は、東洋の野蛮な文明後進国としかみなされなかったということもあろう。

 日本という国は、東洋では、好戦的で、侵略的でずるい国、油断のできない国という認識ができあがっており、事実、八紘一宇に見られるようにアジアは日本が盟主となって統一、支配するのは必然という考えで固まっていた。この様なもとでは、何時力をもりかえして、同じことを繰り返されるかわからないという恐怖が、アジア諸国にあったことは否定できない。この恐怖が、主権を移動し、日本国民に政府を監視させるという要求となって憲法に盛り込まれたといってもいいでしょう。その点の恐怖は、ドイツ、イタリアに対してはなかった。それは、ドイツも、イタリアも国民そのものが好戦的、侵略的と見られてはいなかったし、また、王制などそれを可能にする政治形態は、過去のものとなっていた。事実、独裁者の首を挿げ替えるだけで、周辺国は、安心できたし、戦後のドイツ、イタリアの政治家の動きを見れば、その必要がなかったことは明らかである。この判断は、正しかった。

 日本では、自民党という、憲法そのものに反対し、国民主権を奪い軍事力を回復しようとする勢力が、戦後早い時期に、政権を民主勢力から奪取し、今日では、憲法を廃止、新しく制定しようという動きが活発になっている。韓国、中国などかっての被害国が、この動きに恐怖を抱き、反発するのは、当然である。愚かにも、いまこそ、日本は、普通の日本になり、集団的自衛権を保持、誇示するのが当然というような、野望を捨てきれないでいる。今必要なのは、過去を反省し、日本国民が、政府を監視する世界との約束を果たすことである。

 そのためには、平気で、民主主義とは、多数による支配だとの考えで、選挙に臨み、大勝し、それを笠に憲法や国会、国民主権を無視しつづける小泉首相を退陣させ、自民党を廃党または無力政党化し、憲法と国民主権を尊重する代表を国会に送り、国民主権を回復し、日本を正常化することを真剣になって考えなければなりません。日本の憲法では、多数決が民主主義とは、いっていないからであります。日本の国民主権には、超えてはならない一線があり、それが、国民主権に伴う世界に対する約束であります。これは、多数決による一部国民の議会支配を避けるために日本に課せられた責務であります。多数決は、国民主権の破壊を招くこと。特に日本では、そうなりうることを見越していた世界の叡智によるものといえるでしょう。この責務は、日本人全員が戦犯としてその戦争の償いをすることで、憲法にその約束をしたものの当然の義務であります。この責任を果たした時、日本国民は、本当の意味において国民主権国家として世界に認められるのです。こうして始めて、日本の国土からの米軍の撤退を世界に求めることができます。米軍が、日本に駐留する限り、自民党のようにその力を借りて、政権を温存しようという不心得集団が跡を絶ちません。彼らは、世界との約束を反古にし、憲法を無視し、廃止することを止めないでしょう。

 憲法は、アメリカが一方的に日本に押し付けたものではありません。憲法に従うことは、日本がアメリカの属国になるような事を言う評論家や学者がいますが、これこそ間違いです。日本人が憲法を受け入れたのは、アメリカの属国になる為ではない。先の戦争に対する国民全体の責任を認め、その償いとして、政府の暴走により、再び世界を不幸に陥れないことを約束し、その、みかえりとして、世界に日本の国民が再び生きることを許されたのであります。憲法は、いわばその誓約書であり、これを、アメリカや日本の都合のいいように改正することは、戦争被害国ばかりではなく、こころある国民も許さない。それを、小泉首相や自民党があくまでも求め画策するなら、憲法の名のもとに、国籍剥奪、国外追放しなければならない、責務を日本国民は負っていることをあらためて申し上げる。

 日本憲法は、日本国民が、忠実に守る限り、戦争で世界に被害を与える国を規制する、世界法規の役割を果たせるでしょう。もし、世界で、日本と同様に愚かな戦争を仕掛けるものがあれば、日本同様の処分を受けることを日本は主張できる筈です。すなわち、その国の憲法を日本同様にすることを戦争犯罪の償いとして、求める権利を日本が保有するということです。日本が、戦力を捨て平和を求める限り、世界で不当に戦争を仕掛ける国は、武力解除と、国民主権の確立を求められ、平和国家となることを求められるでしょう。これは、アメリカといえども例外ではありません。もし、イラク戦争で、アメリカが不当であることが判明すれば、アメリカには、現憲法に代えて、日本の憲法を与え、大統領制も改めなければならないし、世界から軍隊を引き上げ、解除を求め、平和国家となるようにアメリカ国民にその責務を課することを要求できるのです。日本人が、こうした、憲法の世界平和に対する貢献を考える時、憲法を改正しようとすることが、いかに愚かなことか、元東大教授の増添氏には理解できないことではないでしょう。国民主権国であり、戦争犯罪国の日本が、この世界で生きるには、現憲法を忠実に生きる他はないということを理解できる人が、日本の国では首相となるべきで、その点、小泉首相は、失格といわざるを得ません。このことを本当に理解できる人物が現れることを心から願っております。

投稿者:chaka at 13:32

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