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自己の克服課題として他者と抱き合うこと
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投稿者 メタモルとの温もりの交感 日時 2005 年 4 月 26 日 02:19:48: kEA7DhlgVRD9A

自己の内に宇宙(調和)が存在しているのを字義どおりに読めば、もう宇宙は要らないかもしれない。
自己の内に宇宙(調和)が存在していないから、求め合い、重なり合い、宇宙として一体になることもできるのではないか。
両者の関係を超えるということは垣根を取り払うということでもあるはずだ。
体は一体感が得られるようにできており、その一体化によってこそ、生命すら授かるような、命の能力の最大の発揮とエネルギー場であるかもしれない。
そういう欲望は自然であり、理に適っているはずなのだ。また会ったことも無い相手に、空想以上の具体的な欲望は沸かないだろう。
欲望と呼べは卑しく響くかもしれないが、相手に対する信用の証のように思っている。何らかに信用しなければ服を脱いだりしないだろうから。
服は脱いでもらっていないにしても、何かは脱いでくれた気がする。これでも自分は愛されたのではないか。どこかで愛しあっているのではないか。逃げるべきか。
人が見過ごすような場面で相手の体を気遣うというのは愛情なしに出来ることか。
そしてその意識の対象は、まさに体ではないか。しかし、嫌らしくもないし、欲望という言葉もそぐわないと思うのだ。
関係と捉えるから、関係が生じるのであれば、関係を意識することなしで引き合う一体化の、その究極こそが、合一なのだと思う。
彼女は、そうは見ていないようだが、じっさい自分は性交への恐怖心があって不得手のようだ。
これを克服して接合すること、相手を確認して相手の中で、自分が生きるというのが自立であり、自立あっての共生なのかもしれない。
関係を意識するから、社会の関係に絡め取られるのであれば、正直に求めにしたがえば、卑猥でもないのだろう。
愛し合うことはカルマの増大か。むしろそれは逃げに聞こえる。
性交に恐怖がある状態を良いと思わない限りで、それを克服し、なるべく異なる他者と抱き合って、他者への信用を回復していくことが、自分に限らず、それぞれの自分の内側から求められているのかもしれない。
永劫回帰については次元を超えた時点で広がるのであれば、一期一会をたいせつに、衣を超えて肌と肌とで体温を感じあおう。
この出会いは無意味ではなく、次に繋がるのであれば、逃げないほうが良いのであろう。

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