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【殺人の自由化】無善悪1【コンパスと定規と6つの角】まだ読んでないが参考になりそうで…ここに保存したい、いいかな?
http://www.asyura2.com/05ban/ban4/msg/1003.html
投稿者 SV問題 日時 2005 年 12 月 10 日 08:46:38: cY3WTwUQzcbhA

【引用1】

 
 

自殺の自由化
(サンプルテキスト)

前世期末未来環境問題いじめ自殺未遂校内暴力家庭内暴力不登校更正精神医療問題絶対価値観安楽死尊厳死脳死エイズ末期精神病不安神経症死後絶望学園祭瞑想解脱悟りカウンセリングコミケ同人誌酒鬼薔薇人口爆発人口問題老齢化社会老後環境破壊死刑戦争完全自殺マニュアル死にたい人

…殺人について考える空間

 
 

殺人に善悪はない


プロローグ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
殺人や殺戮とは、それを善悪の問題として
是非の白黒をつけるのではなく、
「自然現象」のひとつとして観察して、
考察すべきである。…
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

結論から言えば、私は殺人や殺戮が「悪い」とは思わない。
しかし、また、それを「良い」とも思わない。

「良い」と言うつもりはないが、しかし、
殺人は悪いと「言い切る」のだけには私は抵抗がある。
私は殺人肯定派でもないし、殺人を趣味として好む性質でもないが、
「殺人を何の思慮もなく、ただ否定する事」だけは否定するつもりである。

つまり、殺人行為を、人間という生き物の自由意志の産物か、
はたまた、人間という動物としての属性(性)や本能の問題として扱うつもりである。
・・・・・・・・・
そして、もしも殺人や殺戮の原因を、本能や属性の問題であると仮定した場合には、
そもそも、その是非を論じることは無意味になると思われる。

なぜならば、本能は我々が自らの意志で自分の中に作り上げた衝動ではないからだ。

殺人の問題に関しては、私はそれを単細胞的に良いとか悪いとかの問題で仕分けするの
ではなく、人間は歴史の中で、それぞれのケースで、いろいろな理由によって、
数限り無く殺人と殺戮、すなわち「殺し」を行って来たという『事実』だけを認める事
に留め、それ以上の「理想論」などには到達しようと思ってはいない。

それに、そもそも殺人を悪として「断定する」事には、
もともと、いろいろな無理があるものだ。

たとえば、人が人を殺す事を「悪い」と言う一方では、
人が人間以外の生物を殺すことは悪いとは言われない。
むしろそれは、「生きるためには当たり前の事である」とか、
人間の保安上の問題として「しかたない」と言い捨てられる。

また、殺人は悪いのだと言う一方で、日常目にする多くの娯楽番組やサスペンスドラマ、
アクションシーン、そしてテレビゲームが、殺人という題材を好んで使っているかを見
ればよいだろう。
たとえフィクションとは言え、殺人はまぎれもなく、物語りを作り出す際に人間が好ん
で使う素材なのである。

そして、そこではなんと悪人が善人に殺されて死ぬ事に観客は拍手を送るのである。
これだけを見ても、殺人それ自体を、実は誰も嫌悪はしておらず、
誰かが殺されるのは良く、誰かが殺されるのは悪いという差別があるのである。
・・・・・・・・・
経済競争や、スポーツや、テレビゲームも、もともと「ゲーム」というものは、
ゲーマーのサバイバル行為なのであるから、
それはどうしても「戦う」という状況設定を生み出してしまう。
そして殺人というものは、その闘争の果てにあるものである。

そこで、ゲームの世界ではなく現実の社会に場所を変えると、社会は、
戦うという「ゲーム自体」は許すが、殺人は「ルール違反」として扱っているようだ。

すなわち、我々は、我々の意識が進化した結果によってではなく、
「ルール違反だから」という理由で殺人を悪とする習慣に親しんでいるのである。

ところがこの平和社会のルールも、いったん国が戦争になれば、いきなり逆転して、
相手国の兵士を殺したり、投獄したりすることこそが優先されるという「ルール変更」
が起きるという矛盾をはらんでいる。
・・・・・・・・・
なお、本論は私の個人的な「雑感」であって論文ではないので、
話題の展開は理路整然とはしていない。
ただ、ここでは、「頭ごなしに、殺人を悪とする事の矛盾」について、
思いついた順に書き連ねてみただけである。
・・・・・・・・・
子供たちから「どうして、殺人はいけないの?」と親が質問されたとき、
「そんな事は当たり前です」では答えにはなっていない。
そんな答え方をしたら、子供は納得しないどころか、反感を持つだろう。

子供たちは「だってテレビでやっているじゃない」と言うだろう。
しかし、それはテレビやビデオのせいですらないのだ。
なぜならば、ドラマ以前に原作というものがあるからだ。
殺人を小説の題材や一部として描くということは、
そもそも、あらゆる種類の冒険小説、探偵小説、恋愛小説において容認されており、
そして何よりも殺戮とは、歴史に刻まれた人類の足跡そのものであるからだ。

殺人という言葉の表面を見ると、殺される側の「苦」が常に反射的に連想される。
しかし殺人それ自体が悪い事なのか、そうではなく「苦しむ事」が悪いのかという、
こうした本質的な問題についても、人類は未だに何も解決してはいない。
その代表的な課題のひとつが、安楽死や、尊厳死や、自殺の自由である。
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ただし、「善悪基準とは結局は『生存に有利か不利か』のみで決定されている」という
哲学的エッセイを書いたEO(エオ)という日本人がいる。
彼の文書は『死心伝』というメニューに資料として掲載したのでご参照戴きたい。
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◆◆◆◆殺人と殺戮に関する哲学的雑感◆◆◆◆

はじめに
さて、私が殺人を哲学的に考察してみたいと思ったきっかけは、いくつかある。

1/まず、ある青年がTVのトーク番組で「なぜ殺人はいけないのか」という素朴な
疑問を投げかけた事。そして、それに対する周囲の反応があまりにも幼稚なほど感情的
なものであり、論理性に全く欠けていたこと。

2/神戸の幼児殺害事件の動機が、大人社会によくある死活問題や「利害関係」による、
「駆け引き」の要素がなく、また少年犯罪にありがちな「ムカついたから」という衝動
的な殺人でもなく、また2人の被害者に対する個人的憎悪による殺人からでもない事。
すなわち、彼独自の人間観や世界観から、彼の知の欲望を満足させようとして殺人に至
った可能性が若干あり、
また自分の存在を社会的に消し去りたいという自滅的な意図から、殺人に及んだ可能性
もある。

また、彼は社会を恨んでいるという次元よりも、
もう少し広い範囲における人間存在それ自体への疑問の痕跡がうかがえる。
従って、私個人としては、少年Aを病的思考構造の殺人マニアであるという単純な枠の
中に分類して片付ける事には納得がいかなかった。そこで、あらためて、
殺人という人間の行為の原因を再度考察してみたくなったのである。

3/その昔『デッドゾーン』という名作の映画があった。SF・ホラーのカテゴリーで
今もレンタルビデオショップにあるはずであるから興味があれば、ぜひご覧戴きたい。
物語りは、ある事を機に、主人公にサイコメトリー能力が芽生える事から始まる。
すなわち他人の手に触れると、その人間の未来が見えるようになったのだった。

そんな彼が、ある時偶然に、近未来に大統領になるであろう男の手に触れた。
するとその瞬間、その男が核ミサイルの発射ボタンを押しているヴィジョンを見る事に
なった。
そこで主人公は近い将来人類を破滅してしまう独裁者となる、その「一人の男を殺す」
ことで人類全体の未来を救うべきか、
それとも殺人とは「無条件に普遍的に悪」なのか??という問題で悩み抜く。
そして、彼は結局、選挙の演壇に立っているその男を狙撃する事を決意し、その実行へ
と至る。結末は、ビデオを借りて見て戴きたい。

 

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◆いくら文化的になっても
    原型は弱肉強食の社会である


殺人や殺戮というとやっきになって、その行為を社会的に叩くというのは、ごく近代の
法治国家(ただし法治国家が知性的国家である事ではない)における話である。
江戸時代までは日本でも庶民が「殺せ殺せ」と叫ぶ中で、罪人の処刑が行われたわけで
あるし、イスラム教圏では、現在も公開死刑は行われているようだ。

「鬼畜米英」を叫んでいた戦前の日本の話を現代で持ち出す事には、異議を唱える者も
多いとは思うが、私が戦前の常識や人類の戦争と殺人の長い経歴を持ち出す大きな理由
は、人間がはたして、たかだかこの半世紀の間に本質的な精神的成長をした結果として
「殺人は悪い」という認識に到達したかどうかは、かなり疑問であるからである。

わかりやすい例をあげてみよう。
「力によっては何も解決しない」と叫ぶヒューマニストがいるかもしれない。
しかしヒトラーを屈服させたのは、あきらかに連合軍の『武力制圧』であり、
また湾岸戦争を終結させたのも、武力制圧である。
そして、武力とはもともと「殺すぞ」という威圧であり、
それは国連が認めた『脅迫罪』であると言っても過言ではない。

脅迫というのは、一般人が行えば、その理由のいかんにかかわらず起訴される。
ところが、「従わないのならば、武力をもって攻め込むぞ」というまぎれもない脅迫は、
公然と容認されているのである。

そして、愛によって戦争が終結したためしはない。
また、愛によって、何がが解決した事もほとんどなく、
常に裁判という名の論争の『戦場』で、人類の多くの問題は解決をはかられてきたので
ある。
だから、いかに文化的社会なる形に集団の生活形態が変化したところで、
少年Aが言うように、この世の中では弱肉強食の原則が、
今も形を変えてあらゆる社会の中で生きている。
そして常に、『武力的な勝者』たちが、
「正義が勝ったのだ。神は正義に味方したのだ」と、叫ぶのが世の常である。

『るろうに剣心』というアニメの中で主人公がこんな事を言う。
「勝者が、必ずしも正しいとは、限らないのでござるよ」

しかしながら、この言葉にも疑問の余地がある。なぜならば、
「何をもってして」『正しい』と言うのか???という疑問には、
人類は未だ完璧な答えを出していないからである。

つまり、「何が正しいのか??」という疑問に、完璧な答えが出ていないということは、
これは裏返せば、
「殺人は正しくない」と主張する根底すらも、
決して確実な根拠となる支柱をもっていない事を意味する。
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‥‥

 

◆間接殺人と合法的殺人


また、刃物や銃や核兵器で、直接に他人を殺傷しなくとも、
人類という悪知恵を持った猿の集団の中では、
『間接殺人』は日常茶飯事である。

1/経済的、あるいは精神的に相手を自殺に追い込むという方法もあり、

2/薬害問題のように、当然予測出来た死を、意図的に放置するという方法もあり、

3/また、逆に治療という名のもとに、老人を使った新薬の実験によって、
本来ならばもっと長生き出来たはずの老人が短命で死んでゆく。
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さらには、言うまでもないことだが、
殺人は、次の3つのケースでは、先進国ですらも「例外」として扱われる。

1/裁判の結果によっては正当防衛という名の殺人は認められている。

これゆえに、「最も文明的な国である」と自負するアメリカでは、
未だに銃規制すらも成立していない。
「もしもやられそうになったら、殺していいよ。あとの事は裁判で決着をつけな」と、
国自体が国民に言っているわけである。

2/死刑という名の殺人は認められている。

これには反論の余地はあるまい。またいくら仮に死刑が全面廃止されたところで、
治安上の基準だけで言えば良いことは何ひとつないし、留置所が混むだけだ。

私は個人的には、EO氏が『小さなブッダの大きなお世話』で述べていたように、
『公開死刑制度』の有効性を支援したいとすら思ってしまう。
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(EO著『小さなブッダの大きなお世話』36Pから42P参照。
 また、『廃墟のブッダたち:外伝』の66Pから68Pでは、戦争に反対する資格は
 人類にはないとの見解が示されているので、興味があれば参照のこと)
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3/戦争という名の殺人は認められている。

イスラム圏では神の名のもとの聖戦とすら言われる。もっともこれは、アイルランドを
見ればお解りのように、キリスト教圏同士ですらも全く同じことである。
それに愛を説くそのキリスト教徒たちが迫害したり、殺害したり、植民地化したりした
「彼らにとっての異端思想を持つ民族」そして「魔女に仕立て上げられた人々」や、
「先住民とその文化遺産」は、膨大な量になる事は言うまでもないことだ。
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さて、ほんの半世紀前までは天皇陛下の為に命を投げ出し、敵を殺すを善しとしていた
日本国民も、『殺人の前科を持つ欧米』の文化思想の「おかげさま」で、
殺人や戦争は悪いのだと国民が「平均的に」思うようになった。

もっとも、単にそれだけではなく、もともと殺人事件は、
ある種の「動物本能としても嫌悪感」を伴うというのも大きな理由ではある。

というのも、殺人者に対する判決で、「社会不安を引き起こしたから」という言葉が
裁判所では「お題目」として、頻繁に言われるようだが、この場合の社会不安とは、
簡単に言ってしまえば、「もしも、犯人が捕まらなければ、
いずれ自分も被害にあうかもしれない」という恐怖感なのだろう。

このように、危険な動物の徘徊に対して持つ『恐怖感』から、
『犯人を隔離するか、処分してしまおう』とする意志は、動物としての本能からすれば、
当然と言えば当然の事だろう。
ようするに、「痛い目に会うのと、殺されるのは、まっぴら御免だ」という、
人類共通、あるいは全生物に共通の『本能』である。
(本能であるから、私はこれを『理性』とは呼ぶ気はない。)

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