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“絶対系の存在は確実”
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投稿者 危機状況 日時 2005 年 8 月 16 日 08:36:35: EejynwrxlmrnQ

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飽和した学の陰謀 【杉岡氏のHPより要所転載配列】 アインシュタイン3


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光が無の空間を直進していくこと

 
 
 光は波ですのでなにか媒質のようなものがあって、速度cとはそれを基準にした速度であるにちがいないと考えられ、エーテルなるものの存在が想定されました。そこで、エーテルの存在を確めようとマイケルソンとモーレーが実験をおこないましたが、結局エーテルの存在を証明することができなかったことはあまりにも有名です。

 ここでアインシュタインが登場し、特殊相対性原理というまばゆい原理を提唱して「そのような基準となるような絶対系はこの世には存在しない。すべての慣性系は同等なのだ!」と主張し特殊相対性理論をつくりあげました。

 ここで注意しなければならいのは、当時の物理学者は、エーテルと絶対空間というものを切っても切れないものと見てしまったということです。すなわち、「エーテルがあること」と「絶対空間を設定できること」を同一視してしまった。「エーテルが無いこと」と「絶対空間が設定できないこと」を同一視したともいえる。

 ここが決定的に重要な点ですが、じつはこの二つは同じことではないのです。とくに光の空間での進行に関しては同じではない。同じでないにもかかわらず、当時の物理学者は同じものとして絶対空間までもこの世から葬り去ってしまいました。しかも現代の物理学者でさえ、いまだにその誤解に気づいていない。
 20世紀の物理学が誤った道を行くきっかけの一つとなったのは、まさにこの点にあります。

エーテルと絶対空間はなんの関係もない。エーテルなんぞなくても絶対空間は定義できる。エーテルがあろうがなかろうが、光にはなんら無関係。電磁波の速度cは絶対空間に対する速度であり、エーテルに対する速度ではない!

 なぜこのように断定できるか、その理由がわかりますか?現代の物理学者はわからないはずです。もしわかれば、柔軟な思考の持ち主といえます。なぜわからないのか?

それは、空間を物理的実体と見てしまう風潮が現代物理学にあるからです。

 つまり、絶対空間は、“空虚な広がり”としての意味しかもたないものなのであり、また上の電磁波の発生機構をみてもわかる通り電磁波はその進行に関してなんら媒質など必要としないのですから、もし20世紀初頭に「マイケルソン・モーレー実験(以下MM実験)でエーテルは否定されたが、光は媒質を必要としないのだから無の絶対空間を基準にして進むと考え直せばどうなるか?」とだれかが主張して深い考察をしていれば、100年間もの時間を無駄にすることはなかったのです。

電磁波は、波とまったく同じ性質は示すがそれでも波とは似ても似つかぬものといえるのです。もちろん粒子でもない。

 巷では「電磁波が真空中を伝わる」などとよく表現されますが、“伝わる”という表現はほんとうは適切な表現ではありません。

光は絶対空間に杭をつぎつぎと打ちこみながら進むものということができます。断じてエーテルなどという媒質を必要としたりしない。杭とはもちろん電場と磁場のことです。

 “伝わる”という表現には媒質をイメージさせるものがありますが、波としての性質をもちながらも電磁波は媒質を必要としないものです。絶対空間を独立独歩で進んでいく実体である。それが光です。

 窪田登司さん流にいえば「絶対空間」は「無の空間」となるのでしょうが、同じことです。

 窪田氏も主張されていますが、“無の空間”は、エーテルなどとはまったく無関係な空虚な広がりとしての空間、すなわち絶対空間のことであり、その無の空間に対して光はとんでいくように進んでいきます。

 イメージできますか?
 物理学者にはできないかもしれません。なぜなら、現代の物理学者は、「真空の空間は負の電子でびっしり詰まっている」(ディラックの空孔理論)などと、すぐに空間を物理的実体でおきかえてしまう習癖が出来上がってしまっているからです。

何もない不動の絶対空間をイメージできないのです。

 一般相対論でもよく宇宙“空間の歪み”が論じられますが、これなども空間を実体としてとらえる現代物理学の偏見からきているといえましょう。

 ここで注意していただきたいのですが、私は「エーテルがない」と言っているのではなく、たとえ空間に充満する物質があったとしても、それと絶対空間とは無関係であるということを主張しているので、この点誤解なきよう願います。

 これまでの議論からマクスウェル方程式から出てくる電磁波の真空中の速度cは不動の絶対空間に対しての速度であることがわかります。
 ここまでくれば、自然に次の言葉が理解いただけると思います。

 光とは絶対空間に杭を打ちつけながら進んでいくもの

 そして、このことが理解できれば「光の速度が観測者によらず一定値c」などという光速度不変の原理がいかに誤ったものであるかすぐにわかります。

 光は絶対空間という無の空間を光速度cでとんでいくのだから、当然近づいてくる観測者には光はcより速い速度にみえますし、遠ざかる観測者にはcより遅い速度になります。当然のことです。ニュートンの絶対空間の概念は現代でも生きており、今後の物理学は、絶対空間の概念の上で記述されなければならないのです。

 ところで、もし「無の空間」とか「絶対空間」という言い方がイメージしにくければ、絶対静止座標系を考えればよいとおもいます。これは、宇宙において光が発射された瞬間の地点を座標原点として絶対空間に設定される座標系のことです。これは、絶対空間と一体のものですから、絶対静止座標系と呼ぶべきものですね。そしてその座標系に対して相対速度ゼロの座標系はすべて絶対静止系であるといえますので、絶対静止座標系が無数に設定できることにすでにわかります。

 宇宙では光速度がcである絶対静止系が無数に設定できます。一つの絶対静止系に対してある一定速度で動いているべつの座標系から見ると光の速度はcにならないことはいうまでもありません。光速度不変の原理は間違っているのです。

 現在、相対論学者は全員が「絶対空間(絶対静止系)は存在しない」としていますが、じつはそんなことはなく、無の絶対空間を走る光そのものが絶対静止系を定義していることに気がついてほしいとおもいます。

 ともかくエーテルの有無などどうでもよかった。
 光とエーテルとはなんの関係もないのですから。光が関係するのは、単なる“広がり”としての意味しかもたない絶対空間だけです。
 では、なぜ物理学者がそんなことを間違えたのか?
 それは光というものの本質を当時の物理学者(いや現在の一部の学者も)が見間違えたからです。あまりにも光を“波”としてとらえすぎた(「注記」参照)。“波”と考えれば次は「ではそれを伝える媒質は?」となるのが当然のなりゆきです。電磁波は波と同じ性質は持ちますが、我々の常識に則った”媒質の振動としての波”とはすこし違っている。

 当時の物理学者はこのようにして間違え、その間違いは現在もなお続いており、MM実験の誤った解釈からでてきた「光の速度はどんな観測者から見ても一定値c」などという奇妙この上ない原理がいまだに生きつづけているのです。

[注記]しかし当時の物理学者がこのように考えたことは致し方ない面があったのも事実です。というのは、当時は、光が回折や干渉という波特有の現象をしめすことがわかっていたので、光も音波や水面を伝わる波と同様に、なにかの媒質の振動として伝わるものであると物理学者が考えたのも無理はないと思えるからです。当時は粒子説よりは波動説の方が有利でしたので、上の「1.マクスウェル方程式がまず基本」で述べたような現代的な光(電磁波)の真実の描像をだれももちえず、単純に「波」と考えたため、物質的な媒質(エーテル)を想定せざるをえない状況にあったということです。
 
 

以上をまとめますと次のようになります。

 現代の物理学者は、光は無の空間を直進するということは分かっている。同時に、特殊相対性原理(「光速度不変の原理」と言ってもよい)も大事に守っている。しかし、これまで指摘してきたように、「エーテル=絶対空間」という勘違いのミスを犯してMM実験他を解釈してしまったのは明白なのであるから、そのミスから生まれ出てきた特殊相対性原理は、いますぐにでも葬りさらなければならないのです。そして、もう一度、歴史の原点にもどって、エーテルと光の伝播の解釈から根本的に考察し直さなければならない時期に来ているということです。

 いかがでしたでしょうか。

「エーテル=絶対空間」としてしまった歴史的なミスは、だれの目にもあきらかなのですから、物理学者が現代的視点からもう一度相対性理論の根本を再考しなければならない時期にきているのです。

 
 
 
 

レーザージャイロにより、絶対系の存在は確実となった

 航空機やロケットに搭載されているレーザージャイロにより、光速度不変の原理が破れていることが窪田氏や後藤教授により報告されています。
 ところが、相対論学者は、相対性理論をつかって巧妙に反論し、レーザージャイロこそ相対論を支持するものだと主張しており、双方譲らない状態のままきているように思われます。
 この問題を考えているうちに、相対論派が根本のところで大きな勘違いをしていることに気づきました。ここでは相対論派の勘違いを明らかにします。
 まず議論の本質的な焦点を、<論点>という形でまず一言で表現しておきます。

<論点>レーザージャイロの光の挙動は、絶対系を前提にしなければ成り立たないものである。

この<論点>が正しいか否かが、最大の焦点になっています。
反相対論派は、上の論点は正しいと言い、よって相対性理論は間違っていると主張します(もし<論点>が正しければ結果的にこのようになります)。しかし、相対論派は上の主張に対してまず真っ先に相対性理論をもち出し、つぎのように反論します。

 
 
相対論派の反論

回転体上の光の観測点は、回転系すなわち加速度系にあるのだから、これは特殊相対論の適用範囲には属さない。よって、このことで特殊相対論が正否を議論をするのはおかしい。これは加速度系であるから、一般相対論を用いなけれ ばならない。一般相対論で計算すれば・・・としていろいろと計算し、「ほら、まったく矛盾がない。相対論は正しいのだ。」 として、締めくくる。

 そして、その一般相対論での計算が合っている合っていないで、またさまざまな議論がくり広げられています。
 しかし、よく考えてみれば・・・・相対論派の主張はおかしいということに気づきます。

 ここでの議論の中心は、レーザージャイロの光の挙動が絶対系を前提にしなければ成り立たないものなのか否か、ということです。上の<論点>の正否をのみを問題にしている。
 もしジャイロの光の動きが、絶対系を考えなければ説明のつかないものならば、特殊相対性原理は間違いということになり、相対論は崩壊します。一方、もし絶対系となんら関係のないものならば、この現象から相対論が否定されることはありません。
 今の議論では、この現象から必然的に絶対系が出てくるか否かが最大の焦点なのです。
 ここまで来ると、気づくことがあるでしょう。それは、この現象を説明するのに、かならずしも相対論をもち出す必要などない、ということです。これが相対論派の反論はおかしいと私がはじめに述べた理由です。

 相対論以外の観点から説明され、その結果、絶対系の存在・非存在が明らかになれば、この議論はまったく正常に終わります。そして、その結果、つぎの段階として相対論の正否が判断されるというそれだけのことです。相対論をもち出す絶対的な必要性、必然性などないのです。

 にもかかわらず、上の<論点>を証明するのに、相対論派は、まず真っ先に相対論を持ち出し、あれやこれやと説明する。相対論でなければ、<論点>の正否をだすのは無理とでも思っているかのようです。しかも、もち出してくるのは、まだ十分には実証されていない一般相対論であり、説得力などないことは明らかですし、また等価原理の観点から一般相対論が間違っていることは、一般相対性理論が間違っていることの証明で私が証明したとおりです。

 それよりも、まったく違った観点から明快に証明できるのです。[証明]
 レーザージャイロは、物体の回転角速度を検出する装置です。
 航空機の機体に加速度計とともにとりつければ、ジャイロからは機体の傾きの情報が、また加速度計からは位置の情報が得られ、それら情報から航空機の正しい姿勢や進行方向を逐次割り出します。レーザージャイロと加速度計をあわせて、慣性センサといいます。

 機体が傾きすぎればもとの姿勢にもどし、方向がはずれそうになれば機首を正しい方向にもどす。慣性センサは、まさに航空機の頭脳の役割を担っています。

 レーザージャイロには、リング・レーザージャイロと光ファイバージャイロの2種類がありますが本質的な原理は同じです。レーザージャイロは、装置全体が回転すると光路差に応じた周波数差が生じそれから発生する干渉縞を光検出器で読みとり、その情報から回転角速度を検出します。レーザージャイロを使うと、機体の傾きを検出しその情報を伝えることで、航空機はつねに安定したよい姿勢をたもつことができます(実際は3次元物体の回転角をリアルタイムに検出し、3次元的な情報により姿勢制御をします)。

 レーザージャイロはまったくのブラックボックスの中に置かれていながら、航空機に正常な姿勢を指示し、加速度計での位置情報とを合わせることで、機体を正しく目的地まで誘導してくれる。この事実自体が、絶対系の存在を確実にしていることは明白です。なぜなら、もし絶対系などというものがなく光にとって“全ての慣性系が基準”などということになれば、まず航空機の頭脳として用いるという発想自体が浮かびません。設計しようにもできないからです(足場となる絶対的な基準座標を設けることができない!)。

 たった一つの絶対系というしっかりとした足場(基準座標)があるから、機体の連続的な傾き等の情報値を逐次たし合わせることが保証され、正確な姿勢・位置が割りだせる。最初の出発時の初期姿勢をゼロにセットし、そこから順次更新していく状況を思い浮かべてください。絶対系という確固たる足場があるからこそ、現地点での計算値が保証される。

 もし絶対系というものを想定しなければ、飛行機の頭脳である慣性センサの設計すらできません。このことはレーザージャイロの設計自体が、絶対的基準系を足場に光が進行することを前提に組み立てられている証拠なのです。また設計上の計算を実際にみても、絶対系を想定した計算がなされているのに驚きます。

 さらに、この装置の設計においては、慣性系、加速度系(回転系)などという区別がなされる必要がないことがわかります。「回転系は一般相対論で、慣性系は特殊相対論で・・」などとそんな風に設計をしているのではなく、そんなことにはおかまいなしに、技術者は絶対系という一つ絶対的な基準座標を用いて、古典物理学の範疇でレーザージャイロという装置を設計し作っています。そして、現実にその装置は超精密な精度で動作している。

 結局、現代の技術者たちは、マクスウェル方程式を、相対論誕生以前の常識的観点から素直に解釈したということです。真空中のマクスウェル方程式の二つのrotの式 rotE(x)=−∂B(x)/∂t と c^2・rotB(x)=∂E(x)/∂t から波動方程式が導かれますが、それを解くとその波の速度はcとなります。これこそが「電磁波がcという速度で走る絶対系という特別な足場があるんだ」と我々に教えてくれていたにもかかわらず(<光速度不変の原理は、絶対空間を前提にしたものである>参照)、アインシュタインは「特別な系などない。全ての系は同等だ!」という誤った特殊相対性原理を勝手に打ち立て、電磁気学の基本解釈を無茶苦茶にしてしまった。しかし、現代技術の前に、特殊相対性原理という原理の嘘があっけなく露呈してしまいました。

 結局、光とは絶対系を基準に速さcで走るものであり、他の運動系から見た場合c以外の速さになるという、相対論誕生以前の物理学者なら誰しも考えた解釈に技術者は素直に従ったということであり、その解釈に則ってレーザージャイロを設計し大成功をみたわけです。

 ブラックボックスの中にいながら、レーザージャイロは、航空機が正常に飛ぶための情報を発信しつづけている、という事実をもう一度よく考えてみてください。
 光が絶対系を基準に進行していることが、この事実よりはっきりわかるからです。証明終わり。

 上の説明で慣性系、加速度系まったく関係なく、また相対性理論をもち出さずに光を使って絶対系が提示されたことに注目してほしいと思います。

 以上から、冒頭の<論点>は、正しいと私は判断します。特殊相対性原理の破綻は明らかで、相対論が否定されることはいうまでもないでしょう。

 さらに、後藤教授、窪田氏らのレーザージャイロに関する詳細な説明をよまれることをお勧めします。レーザージャイロは、現在、飛行機のみならずロケット、ミサイル、人工衛星、ヘリコプタ、潜水艦などありとあらゆるものに搭載されその姿勢制御に強力な威力を発揮しています。

*後藤教授により、さまざまな本で、本論よりももう少し直接的な方法で光速度不変則破れの証明がなされています。上記証明は、後藤教授の説明に比べれば、やや間接的な方法といえるかもしれません。ただし、絶対系の存在を示すにはこれで十分なのです。後藤教授は回転系、慣性系の区別にすこしこだわった議論をされていますが、上の証明より、 その必要もないことがわかるでしょう。

<レーザージャイロに関する参考論文>
 ・「姿勢センサ」日本航空宇宙学会誌 第30巻 第336号 P.15〜P.25
 ・「リング・レーザージャイロの現状と応用」日本航空宇宙学会誌 第34巻 第388号 P.27〜P.34
 ・「ロケットのストラップダウン型慣性誘導システム」日本航空宇宙学会誌 第31巻 第357号 P.40〜P.47
 ・「GPSとINSとの航空機のハイブリッド航法」日本航空宇宙学会誌 第35巻 第396号 P.29〜P.36
 ・「宇宙用ジャイロの研究開発」日本航空宇宙学会誌 第31巻 第357号 P.48〜P.52
 ・「レートジャイロ出力積分による飛しょう経路制御」日本航空宇宙学会誌 第28巻 第319号 P.53〜P.58
 ・「慣性航法装置の慣性素子」日本航空宇宙学会誌 第31巻 第353号 P.32〜P.41

 
 
 
 

223.6倍に寿命が延びた人間や動物が発見されなければおかしい

 
 
「相対論の正しい間違え方」(松田卓也、木下篤哉 共著 丸善)によると、μ中間子の寿命の伸びの問題が論じられています。今回はここを問題にし、松田教授の重大な間違いを明らかにします。

本P.49〜50の記述。
「 ・・・・
 もっとわかりやすいのは、宇宙船・・ではなくて宇宙線の寿命に関する相対論的効果についての話である。宇宙か らやってくるμ中間子*の計測により、粒子の寿命が伸びるというのは有名だろう。たとえば、光速の99.999%の速度 の場合、γ=223.6程度になる。つまり、粒子の寿命が223.6倍にも伸びるので、存命中(?)には到達不可能と思わ れる地上にまで到達することができる。
 ただ、この説明は一側面からのものである。μ中間子とともに動く観測者を考えれば、μ中間子の寿命は伸びたり はしていないはずである。だから、μ中間子は地面まで届くはずはないと、件の教授はいう。そこでμ中間子が実際 に地面に届いてしまう理由を、どう説明すればよいのであろうか?
 ここまで書けばすでにわかっている方が多いであろう。大気の厚さが1/γに縮んでいるのである。寿命がγ倍に 伸びることと、移動すべき距離が1/γ倍に縮むことは、まったく同じ効果を生む。・・」
*μ中間子というのは昔の表現で、いまはミューオンまたはμ粒子という。

 このように記述されています。一見、スマートに説明されているかの印象をうけますが、上の説明は、相対論の正しさを示すものでもなんでもなく、じつは相対性理論の破綻を示す例であることを以下で証明します。

 <時間と長さに関する従来説明は相矛盾している>でも指摘したように、時間の伸びが、μ粒子の実際の寿命の伸びで観測されるというならば、空間の縮みの方も実際に観測されなければなりません。進行方向に空間が縮むわけですから、μ粒子(のみならずその系内の全ての物体も)が進行方向に扁平な形となって観測されなければならない。にもかかわらず、そんなことはこれまで一切言われたことがない。全くおかしなことであり、私は、この矛盾を<その1>では、「時間と長さにおける非対称の矛盾」と名づけました。

 上では「大気の厚さの縮み」などと表現されていますが、実際は、「その粒子の立場にたった系」全体が縮んでいるわけです(「その粒子の立場にたった系」は、「その粒子の固有の系」、「その粒子が原点に位置している系」などと表現してもよい)。

 その粒子固有の系全体が縮んでいるのですから、宇宙全体、すなわち我々地球上の物体や人間や動物まですべて含まれねばならない。しかし、縮んだ物体が発見されたというニュースは聞いたことがありません。

 教授は、μ粒子だけに焦点をあてていますが、相対論を正確に解釈すれば、その粒子固有の系全体、すなわち、宇宙全体が縮むことになる。にもかかわらず、その点に何も言及されていないのは完全に片手落ちの説明であるし、μ粒子の実際の寿命が延びたわけですから、実際に縮んだ人間、実際に縮んだ動物が発見されない事実は、相対論の理屈通りに現象が進行しなかったことを示し、これは相対性理論が破綻していることを意味します。

「μ粒子は小さすぎてその縮みは観測にかからないのだ」などという学者の言い訳は、まったく理由にならないのです。物理学における「系」の範囲は、宇宙空間全体におよぶものであることを忘れないでください。

 上では「移動すべき距離が1/γ倍に縮む」などとまるでその系内の物体自体の縮みは関係ないかのような表現が用いられていますが、相対論では系全体が縮む、すなわち「その系に含まれるあらゆる物体が縮む」ことになります。μ粒子は、その固有の系(いまM系とする)の座標原点に常に位置していると考えれば、その粒子とM系はいつもくっ付いた形で運動しているという、この重要な点を忘れてはなりません。そのM系の中に我々や他の星々もM系内の物体として当然含まれています。崩壊してその寿命を終えるまで、μ粒子とその固有系は一体となって運動しつづけるわけです。

 松田教授も述べているとおり、時間と空間の議論は、特殊相対性理論においては、本質的に対等の論理でおこなわれていますから、「寿命が実際に延びた!」というならば、物体の縮みも実際に観測されなければなりません。にもかかわらず、そんな事実は全くないし、また物理学者が今回指摘した件に一切ふれないのは、なぜなのか?
現代物理は、アインシュタインに対して、大甘の態度をとりつづけているといわれても仕方ないでしょう。
この「時間と長さにおける非対称の矛盾」が、今後さまざまな場所で議論されることを希望します。

 上だけでも衝撃的な事実ですが、松田教授は上のミュー粒子の寿命の説明にも根本的な間違いを犯されていることに、みなさんは、もうすでに気付かれていることでしょう。

 松田教授は、μ粒子だけの寿命の延びを述べていますが、相対性理論を正確に解釈すれば、その粒子固有の系全体の時間が遅れているのですから、粒子の寿命が223.6倍に実際に延びたのならば、223.6倍に寿命が延びた人間や動物が発見されなければおかしいのです。
 しかし、そんな事実は、聞いたことがない。

 さてここでもし「μ粒子の平均寿命は2.2×10^-6と非常に短い。こんなに短くては、人間への影響は無視できる!」と反論されるならば、ここは考えて頂きたいのです。宇宙からは無数の宇宙線(原子核)が地球上に絶え間なく降り注いでいます。それが大気にぶつかり、無数の各々のμ粒子を発生させます。それら無数のμ粒子の各々の固有系の中に我々はつねに身を置いているわけです。地球だけではなく、大気をもつ宇宙中の無数の星への宇宙線の突入まで考えると、私たちは絶えず「時間の延び」の影響にさらされていることになります。にもかかわらず、我々の寿命は実際に延びない。非常におかしいわけです。これはそのまま相対論の理屈通りに現象が進行しなかったことを示し、相対論が誤っている証拠であるといえます。

 ここで、もし学者が「宇宙全体の時間が一様に延びるのだから、人間はその時間の延びに気付かないのだ」という反論をするならば、それでは「なぜその粒子固有の系の中でその粒子だけの寿命が特別に実際に延びたのか」ということを今度は説明しなければなりません。それは無理でしょう。どの道駄目なのです。

 くり返しますが、崩壊してその寿命を終えるまでμ粒子とその粒子固有の系は完全に一体となって運動しつづけている事実を絶対に忘れてはなりません。系とは何か?を一度よく考えてみてください。

 以上より、相対論の正しさの証拠であるとされてきたμ粒子の寿命の延びの問題はじつは相対性理論を否定する実例であったことが明らかになりました。

 
 
 
 

合成速度の新パラドックス

 相対論における相対速度に関しては、<光速度不変の原理における新パラドックスの提示>でパ ラドックスを提示しその矛盾を指摘しましたが、合成速度の面からも新しいパラドックスを見出し ました。先のものと本質は同じですが。相対性理論があくまで正しいと主張される方は、この難問 に挑戦されてはいかがでしょうか。

 大地(K系とする)に立った人に対して速度uで飛んでいるワシAと、さらにそのワシAに対し てwの速度で飛んでいるワシBがいるとします。いま、これをK系の中での物体の運動と考え、人 に対する相対速度を求めてみます。K系という一つの系内で考えていますから、人からみたワシB の速度vはu+wとなることは自明です。すなわち、人は、ワシBをv=u+wで飛んでいると観測 するわけです。この場合を状況@としましょう。

 さて、つぎにワシAをK´系の代表(K´系の原点に固定されているとする)とし、さらにワシ BをK´´系の代表と見ます。すると、今度はK系、K´系、K´´系という3系間の運動を論じ る形となり、相対性理論での系間の合成速度の計算から、人からみたワシBの速度vは、

v=(u+w)/(1+uw/c^2)

となります。この場合を状況Aとしましょう。この場合、人は、ワシBをv=(u+w)/(1+u w/c^2)で飛んでいると観測するわけです。

 奇妙なことになりました。

なんと、状況@とAで、人から見るワシBの相対速度vが異なっているのです。
真実は一つですから、これは全くおかしいわけで、まさにパラドックスが発生しているのです。状 況@とAは、物理的には全く同等な状況であることはいうまでもありません。

(言わずもがなの注意ですが、@も当然相対論を使っての議論ですので、この点は誤解しないでく ださいね。)

 このようになんら無理な設定をせずとも、相対性理論を適用すると、自然に決定的なパラドック スが発生してしまうことになります。このパラドックスは全く致命的で、逃れる余地はないように 私の目にはうつるのですが、皆様はどのように考えられるでしょうか。このパラドックスを「合成 速度の新パラドックス」と名付け、「光速度不変の原理における新パラドックス」とともに今後様 々に議論されることを望みます。

(注釈)

なぜ系間での合成速度が上記のような結果になるのか、念のため少し厳密な計算で示しておきます 。

[合成相対速度の計算]

状況Aの場合、 特殊相対論によれば、K系とK´系の変換は次のローレンツ変換で結ばれていま す。

 x′=(x−ut)/√(1−(u/c)^2)、 y′=y、  z′=z、  t′=(t−ux /c^2)/√(1−(u/c)^2) ・・・・@

同様にK´系とK´′系の間の変換は、次のようになります。

x´´=(x′−wt′)/√(1−(w/c)^2)、 y´´=y′、 z´´=z′、t´´=( t′−wx′/c^2)/√(1−(w/c)^2)・・A

Aの右辺に@を代入して整理すると、

x´´=[x−((u+w)/(1+uw/c^2))t]/√(1−(1/c^2)((u+w)/(1+ uw/c^2)))・・・B

となります(t´´は略しますが、以下の結果は同じになります)。

さて、K´´系のK系に対する速さをvとすると、K´´系とK系の間のローレンツ変換は次とな ります。

 x´´=(x−vt)/√(1−(v/c)^2)、 t´´=(t−vx)/√(1−(v/c) ^2)・・・C

 BとCのx´´は等しくなければならないから、比較することにより、

 v=(u+w)/(1+uw/c^2)

となり、状況Aでの合成速度vが求まります。

以上。

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