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「弟を死に追いやった側は、その後も普通に高校生活を送っていましたよ」。広島市中区の美術系の専門学校生、金高幸範さん(20)は、手元を見つめながら話し始めた。親元を離れ、都会で一人暮らす部屋には、自作のイラストが並ぶ。
一歳違いの弟、慎さん=当時(16)=は三年前の一九九八年七月、通っていた広島県沼隈町の沼南高の卒業生や生徒から恐喝、リンチを受けた後、内海町の自宅近くで首をつって死んでいた。
背景には、暴走族から暴力団へと金が吸い上げられる「上納金システム」があった、とされる。
暴走族の上納金システムの犠牲になった慎さん
当時、幸範さんは同じ高校の二年生。恐喝やいじめは、校内で「ありふれたこと」だった。周囲には助けも求められない。「チクリ(密告)は暴力やリンチと直結していた」という。
事件前、慎さんが数人からけられていた、と友人から聞いた。しかし、弟への心配を表面に出す照れもあって、聞き流した。数日して慎さんは姿を消した。その三日後、変わり果てた姿になった。
幸範さんは、危険信号を見過ごした、と自分を責めた。手首をカッターナイフで切ったこともある。それでも、学校には通い続けた。「両親をこれ以上悲しませたくない」と思ったからだ。
ある日、恐喝にかかわったとみられるグループと学校の廊下で擦れ違った。背中に大きな笑い声が飛んだ。同世代の心なさが、悔しくてならなかった。
朝礼で、逮捕されたメンバーから学校へあてた手紙が紹介されたことがある。反省の言葉と裏腹の「言い訳」が耳についた。「加害者なのに、捕まった途端、まるで社会の犠牲にされた被害者のように振る舞うなんて」。心の中で叫んだ。体中傷だらけの弟の姿を、今も夢で見る。
父の良樹さん(49)は「どこかで、同じような悲劇が起きていると思うと、胸が痛む」と言う。事件後は藤田雄山知事や広島県教委のほか、上京して当時の有馬朗人文相にも再発防止を訴えた。
しかし、今は積極的な取り組みを控えている。四人兄弟の末っ子だった慎さんの事件の記憶がよみがえるたびに体調を崩す妻、道子さん(47)への心配りだ。
自宅の前には、家業で育てるジャーマンアイリスの花畑が広がる。虹(にじ)色の花のじゅうたんに包まれ、家族総出で手入れに汗する日は、もう金高家に戻らない。