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喧嘩太郎の過激なダンディズム (教員免許 施設実習が義務 議員立法 理由 お父様の田中角栄さんの介護を真紀子さんが)
http://www.asyura2.com/05ban/ban4/msg/531.html
投稿者 国松三郎 日時 2005 年 10 月 05 日 12:44:08: Bb4pDJtIqr3Cc

喧嘩太郎の過激なダンディズム

 

 太郎という名前の人は喧嘩が強いというか、うまいというか、そういう御仁が多いのではないだろうか。

 桃太郎や金太郎のお伽噺にはじまって、八幡太郎義家や岩見重太郎、剣客では才谷梅太郎(坂本竜馬の変名)、その同僚の中岡慎太郎、幕臣の山岡鉄太郎(鉄舟の通称)などがいるし、相撲ならば今の曙太郎や朝潮太郎よりも、幼名太郎吉と呼ばれた雷電為右衛門や明治の横綱梅ヶ谷藤太郎が忘れられない。

 また武見太郎は日本医師会長の権力を25年間も握りつづけ、健康保険などは相手にせず、政財界の有力者しか診ないという強い医者だった。政治家では昔の桂太郎、小村寿太郎に加えて橋本龍太郎、石原慎太郎など鼻っ柱が強そうである。そして岡本太郎は「芸術は爆発だ」と叫びつづけ、役者の勝新太郎も人のいうことを聞かなかった。


 

 そういう人と同じ名前を持つ屋山太郎は「私にはどうも、暴力信仰が抜けないところがある」という出だしで『私の喧嘩作法』(新潮社、2000年7月15日刊)を書きはじめ、今日まで60年余り、如何にして正義の喧嘩をしてきたかを語る。

 鼻っ柱が強いという言葉の本来は、逆にここが人間の急所で、だから喧嘩をするときは先ず相手の鼻っ柱をぶん殴れというのが著者が父上から教わった喧嘩のコツだった。「もともと“太郎”という名前は屋山家代々続いてきた名」で、したがって著者の喧嘩の強さは、先祖伝来のものといっていいかもしれない。冒頭たくさんの「太郎」を並べて、著者もまた例外ではないことを示したゆえんである。

 しかし、著者の喧嘩は単なる腕力や乱暴ということではない。鹿児島人の気風に沿って礼儀正しく、古来の作法を守り、言い訳をせず、卑怯であってはならないとする。あるとき、まだ子どもの時分、姉といさかいを起こして、お姉ちゃんが悪いといういきさつを説明したところ、父はその説明をさえぎって「いいか。男がやっちゃいけないことが二つある。一つは弁解、二つは卑怯だ」

 そんな教育を受けた著者は疎開先の上田中学で貧しい高梁弁当を持っていって馬鹿にされ、ケチくさいいじめを受けたことがある。そのとき著者はガキ大将を中心に徒党を組んだ4人を次々と殴り倒しながら、担任教師の前では説明も弁解もせず、沈黙を守って転校することになった。

「喧嘩というのは男の子の成長にとって不可欠のことだと思っている……そこから勇気とか瞬間の決断力、度胸、敗けたときの口惜しさを学んだ」と語りながら、東北大学では暗闇で肩をついてきたヤクザに先制パンチを食らわせ、インチキ麻雀を仕掛けた博徒の急所を蹴り上げ、やがて時事通信の記者になる。


 

「記者に必要なのはダンディズムである。……男の美学であり、精神的にシャレていなければならない。……時にストイックで、つらいものである。ダテの薄着というが、かっこよく見せるためには寒さを我慢せねばならない。……精神のかっこよさが必要なのだ」

 その手本を著者は映画『ローマの休日』に見る。小国の王女オードリー・ヘップバーンの特ダネをつかみながら、その信頼を裏切らぬために「特ダネとなるべきはずの写真も王女に渡してしまう。記者は淋しさと満足感の入り混じった表情でひとり街をあるいていく――」

 そうしたダンディズムと正義感をもって、著者もまた思いがけずイタリア特派員となる。そして、自分が日本人であることに目覚め、「日本代表という心意気」で仕事をする。東京への通信料金を値切ったときは、電報会社の社長が出てきて「君の取り分はいくらにする?」と訊いた。東京の本社にいくらか上乗せして請求し、上乗せ分をキックバックで著者に払おうというのだが、もとよりそんなことは考えてない。「日本は貧乏だ。国から出ていくお金は少ない方がいい」と説明したところ、「おー、お前は国のために値切ったのか。お前こそ本物の愛国者だ」と抱きしめられた。その社長は、かのメディチ家の末裔だったので、すっかり気に入られた著者はその後しばしばパーティに招かれ、極東の愛国者として人びとに紹介される。

 かと思うと、身ぐるみはがれた日本人旅行者を相手にしようとしない日本領事館の公使に対し、「領事というのは日本人を世話するために遣わされているんだろ」と両腕をつかんで3、4回ゆさぶったら相手のワイシャツがびりびりに破れた。公使はようやく折れたが、しばらくして本社から「物事を解決するのに暴力を使わぬようにされたし」という電報がきた。


 

 日本に戻ってからも愛国心と正義感はつのるばかり。福田首相に「私のような一介の記者でも、日本のためになら死んでもよいと思うことが1年に1ぺんぐらいありますが、先生はどうですか」と問いかけるたりする。福田の答えは真っ当だったが、最近の政治家はどう答えるだろうか。

 田中角栄の時代を経て、政治家がカネのことばかり考えるようになったとき、著者がラーメンをすすっている前で、のちに通産相、文相となった田中龍夫氏が「最近の記者はみんな中共からカネ貰ってるんじゃないか」というのを聞きとがめ、「オレは貰ってないよ」とラーメンのどんぶりを田中氏の頭からぶっかけた。

 あるいは中村弘海代議士が料理屋の高い縁側から庭園に向かって放尿しているのを見とがめ「尻を思いきり蹴飛ばした。中村氏は小便をしながら背の高さほどもある廊下から落ちて行った……」


 

 そして1969年、文芸春秋社のオピニオン誌『諸君!』が発刊されるや、怒りの時事評論を書き始める。そのとき三つのことを心に決めた。一つは実名で書くこと。「人を攻撃するとなると自らの名を明かさないのは卑怯であり、ダンディズムにもとる。武士道の精神にも正義感にも反する」からである。

 第2は「相手に文句をつけたり、攻撃するときは直接名指しでやる。遠回しに相手を指摘したり、“一部の人は”などと敵をぼかしたりしない」。第3は「私生活については触れない……要するにヘソから下の話は書かない」

 1979年、ワシントンでエジプト・イスラエル平和条約が締結される前、世界中のほとんどの記者が「会談、物別れ」という悲観的な見方であった。しかし著者は、いくつかの大局的根拠から「“会談合意へ”という記事をぶっ飛ばした。受け取った外信部は……これでいいのかと震えたという。しかし4日後に歴史的な平和条約が締結され、サダト、ペギン両氏は78年度のノーベル平和賞を受賞した」

 その電報を打つ直前、著者は取材にきていたNHKの磯村尚徳氏に「まとまるんじゃないか」という根拠を説明した。磯村氏は「私も同感だ」と答えていながら、ニュースの実況ではまるっきり違うこと言う。いぶかる著者に磯村氏は「こういうときは皆と同じことをいっていれば、怪我は少ない」と答えた。

「これではただのサラリーマンである」というのが著者の感想だが、磯村の馬鹿さ加減は東京都知事選で誰もが知るところとなったし、またそういう男だからこそNHKの中で出世したのである。


 

 こうして著者は「社会党やマスコミの防衛思想を叩き、国労を叩き、総評を叩き、……田中角栄氏の政治を斬りまくった。左傾した学術会議を潰せ、ともわめいた」。1993年には『官僚亡国論』(新潮社)という本を出したが、その各章の結びまたは表題は次のような過激な表現になっている。

「ひたすら地方を押し潰そうとしている自治官僚などはくたばれ」
「建設官僚は国賊だ!」
「運輸省には運輸政策局というのがあって重要ポストとされているが、政策は消費者の方を向いて立てられるべきもの、と自覚せよ。業界保護、権益の保護は、もういい加減にしてもらいたい」

「企業のいいなり、事業官庁の意のままというのがこれまでの日本の環境行政だった。腑抜けな環境官僚というほかはない」
「このさい郵政官僚に一言もの申しておきたい。役人というのは国民の利益のために存在し、その利益を追求するのが国益だ。それに逆らって省益しか考えない役人どもは、全員クビにしろ」
「こんな手合いが経済外交を主導しようというのだから、外務省も落ちるところまで落ちたというほかない。バカな外交官僚を征伐しろ!」

「大蔵“金融帝国”を打倒せよ」
「もう経済企画庁なんていらない」
「労働省を投棄せよ」
「農水省を解体しろ」
「文部省は何もしない方がいい」

 

 あれから7年経って、霞ヶ関はまだ同じような状況にある。このことを著者は議員内閣制ではなくて「官僚内閣制」という言葉で説明する。政治家を動かし、大臣を動かし、内閣を動かしているのは、国民でもなければ議員でもない。官僚なのだ、と。来年1月には官公庁の解体と統合がなされるそうだが、果たしてこうした問題は解決するのだろうか。

 ともあれ、本書はまことに刺激的で面白い。言わんとするところは小言ではなくて大言だが、小言航兵衛も見習わねばなるまい。

 
 
 

‥関係薄弱‥

「小泉革命」と日本政治におけるその源流
21世紀政策研究所
理事長 田中 直毅
http://www.21ppi.org/japanese/message/200106/0106b.html

‥関係薄弱‥

6月17日:【佐藤首相退陣表明「テレビカメラはどこか」】 佐藤栄作首相が退陣を表明した。首相官邸で行われた退陣記者会見で「テレビはどこだ。NHKはどこにいる。前に来なさい」「私はテレビと話したいんだ。国民と直接話したいんだ。新聞記者諸君とは話さないことにする。帰ってください」などと異様な発言を連発し、記者代表の抗議に対して「新聞の人はみんな(外へ)出てください」と大声を上げ机をたたいた。新聞記者がいなくなった会場でカテレビメラに向かって約20分間独りでしゃべり続けた。
6月11日:田中角栄通産相が「日本列島改造論」を発表。
7月5日:大平・福田・田中・三木の4人で争われた自民党総裁選で、決勝投票の末田中角栄が福田を破って当選した。 ことば「三角大福」

http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/1972.html

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