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資料】日本国との平和条約 (通称;サンフランシスコ講和条約)
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投稿者 Kotetu 日時 2006 年 5 月 10 日 15:35:10: yWKbgBUfNLcrc
 

(回答先: 資料】極東国際軍事裁判所条例第5条 投稿者 Kotetu 日時 2006 年 5 月 10 日 15:10:54)

日本国との平和条約
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日本国との平和条約(にほんこくとのへいわじょうやく、英: Treaty of Peace with Japan)は、第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国をはじめとする連合国の諸国と日本国との間の戦争状態を終結させるため、両者の間で締結された平和条約である。アメリカ合衆国のサンフランシスコ市において署名されたことから、サンフランシスコ条約・サンフランシスコ平和条約・サンフランシスコ講和条約などとも呼ばれ、ほかにも対日平和条約・対日講和条約などとも呼ばれることがある。なお、条約の正文は英語・仏語・スペイン語のみであり、日本語の正文は存在しない。今日我々が目にする日本語条文は外務省による訳である。

1951年(昭和26年)9月8日に全権委員によって署名され、翌年の1952年(昭和27年)4月28日に発効した。日本国内では、昭和27年4月28日条約第5号として公布されている。

この条約によって、正式に、連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認した(第1条 (b) )。なお、国際法上では、この条約が発効されるまでは「戦争状態」が続いていたとされ(第1条 (a) )、ポツダム宣言の受諾を表明した1945年(昭和20年)8月15日や降伏文書に署名をした1945年(昭和20年)9月2日に戦争状態が終了したとはされていない。

目次 [非表示]
1 内容・解釈等
1.1 要旨
1.2 領土
1.3 いわゆる外地人の日本国籍喪失
1.4 著作権保護期間の戦時加算
1.5 極東国際軍事裁判所並びに国内外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判の受諾
1.5.1 第11条の意味
1.5.2 中国・韓国との関係
2 講和会議
2.1 署名した国
3 日本国内の経緯
3.1 会議前
3.2 会議後
4 署名から50年後
5 関連項目
6 外部リンク


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内容・解釈等
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要旨
日本と連合国との戦争状態の終了(第1条 (a) )
日本国民の主権の回復(第1条 (b) )
日本は朝鮮の独立を承認。朝鮮に対する全ての権利、権限及び請求権の放棄(第2条 (a) )
(英文では“Japan, recognizing the independence of Korea”なので、“独立を承認”ではなく“独立を認識”が正しい)
日本の台湾・澎湖諸島の権利、権限及び請求権の放棄(第2条 (b) )
主権を持っていた千島列島・南樺太の権利、権原及び請求権の放棄(第2条 (c) )
南洋諸島の権利、権限及び請求権の放棄(第2条 (d) (f) )
南西諸島や小笠原諸島を合衆国の信託統治に置くことの承認(第3条)
賠償は役務賠償のみとし、賠償額は個別交渉する。(第14条 (a) 1 など)
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾(第11条)
 (所謂、東京裁判の判決結果を受諾した)

(英文では“Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan”なので、“裁判を受諾”ではなく“判決を受諾”が正しい)
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領土
日本には領土の範囲を決めた一般的な国内法が存在せず、本条約の第2条が領土に関する法規範の一部になると解される。

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いわゆる外地人の日本国籍喪失
条約に基づき領土の範囲が変更される場合は、当該条約中に国籍の変動に関する条項が入ることが多いが、本条約には明文がない。しかし、国籍や戸籍の処理に関する指針を明らかにした通達(昭和27年4月19日民事甲第438号法務府民事局長通達「平和条約の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」)により、本条約第2条(a)(b)の解釈として朝鮮人及び台湾人は日本国籍を失うとの解釈が示され、最高裁判所も同旨の解釈を採用した(最大判昭和36年4月5日民集15巻4号657頁)。もっとも、台湾人の国籍喪失時期については、本条約ではなく日華平和条約の発効時とするのが最高裁判例である(最大判昭和37年12月5日刑集16巻12号1661頁)。これに対し、千島列島・南樺太は、法体系上は内地であったため権原放棄に伴う国籍の喪失はないとされている。

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著作権保護期間の戦時加算
戦時中は連合国・連合国民の有する著作権の日本国内における保護が十分ではなかったとの趣旨から、本条約第15条(c)の規定に基づき、連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律(昭和27年8月8日法律第302号)が制定され、著作権法に規定されている保護期間に関する特例が設けられている。→「戦時加算」を参照


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極東国際軍事裁判所並びに国内外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判の受諾
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第11条の意味
この条約の第11条の規定を巡って「東京裁判を受諾した根拠だ」とする主張と「そのような効力は生じない」とする意見との対立が見られる。

「そのような効力は生じない」とする意見は、次のように主張する。国際法においては、講和条約が発効すると占領時に行われた施策の権限が失われる。すなわち何の措置も取らないで日本国との平和条約を発効させると、発効と同時に極東国際軍事裁判所並びに国内外の他の連合国戦争犯罪法廷で下された判決が無効となり、裁判が終わっていない場合は直ちに釈放されることとなる。そのような事態になるのを恐れた連合国、とくにイギリスの要求により、日本国との平和条約発効後も刑の執行を続けることと、日本が恩赦を与えることに制限をつけるために設けられた条項が第11条である。

一方、政府は答弁において、ジャッジメントの訳語については裁判という訳語が正文に準ずるものとして締約国の間で承認されている以上、「これはそういうものとして受け止めるしかない」としたうえで、その「ジャッジメント」の意味については、「ジャッジメントの内容となる文書、これは、従来から申し上げておりますとおり、裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべてが含まれている」としており、「東京裁判の受諾」を意味すると解している(第162回国会 外交防衛委員会 第13号 平成17年6月2日(木曜日))。

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中国・韓国との関係
第25条によれば、「第21条の規定を留保して、この条約は、ここに定義された連合国の一国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益を与えるものではない。」と定め、その第21条には、「この条約の第25条の規定にかかわらず、中国は、第10条及び第14条(a)2の利益を受ける権利を有し、朝鮮は、この条約の第2条、第4条、第9条及び第12条の利益を受ける権利を有する。」とある。

そのため、ここでの「中国」と「朝鮮」が何を指すとしても、第11条が除外されており、また、両国と終結した平和条約にも特別の言及が見られない以上、中国(中華民国及び中華人民共和国)及び朝鮮(大韓民国及び朝鮮民主主義人民共和国)との関係で、中国・韓国が、東京裁判、そしてその裁判ないし判決の結果について干渉する権利はないとする主張がある。

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講和会議
1951年7月20日、米英共同で、日本を含む全50カ国に招請状を発送。中国に対しては、代表政権についての米英の意見(中華民国か中華人民共和国か)が一致せず、日中間の講和については独立後の日本自身の選択に任せることにして、招請は見送られた。(1952年4月28日、中華民国との間に日華平和条約を調印。1952年8月5日発効。)

8月22日、フランスの要求を容れ、インドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)にも招請状を発送。

9月4日から8日にかけて、サンフランシスコ市の中心街にある戦没者追悼記念オペラハウス(War Memorial Opera House)において、全52カ国の代表が参加して講和会議が開催された。インド・ビルマ・ユーゴスラビアは招請に応じなかった。

日本の全権団代表は、首席全権の吉田茂(首相)、全権委員の池田勇人(蔵相)・苫米地義三(国民民主党最高委員長)・星島二郎(自由党常任総務)・徳川宗敬(参議院緑風会議員総会議長)・一万田尚登(日銀総裁)の6名。

9月8日、条約に49カ国が署名し、講和会議は閉幕した。ソ連・ポーランド・チェコスロバキアの共産圏3国は、条約の内容に反対して署名しなかった。

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署名した国
アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、ボリビア、ブラジル、カンボジア、カナダ、セイロン(→スリランカ)、チリ、コロンビア(※)、コスタリカ、キューバ、ドミニカ共和国、エクアドル、エジプト、エルサルバドル、エチオピア、フランス、ギリシャ、グアテマラ、ハイチ、ホンジュラス、インドネシア(※)、イラン、イラク、ラオス、レバノン、リベリア、ルクセンブルク(※)、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ニカラグア、ノルウェー、パキスタン、パナマ、パラグアイ、ペルー、フィリピン、サウジアラビア、シリア、トルコ、南アフリカ連邦(→南アフリカ共和国)、イギリス、アメリカ合衆国、ウルグアイ、ベネズエラ、ベトナム、日本
署名順【日本を除きABCD順に署名している】。
※は、署名はしたが批准していない国。
→は署名後、国名が変わった国。
なお、講和会議に続いて、日本とアメリカ合衆国の代表は、サンフランシスコ郊外のプレシディオ陸軍基地に場所を移して、日米安全保障条約を締結した。この2つの条約をもって日本は自由主義陣営の一員として国際社会に復帰したと言える。

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日本国内の経緯
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会議前
日本国内では、主に左翼陣営が、ソビエト連邦などを含む全面講和を主張した。

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会議後
1951年10月26日 衆議院が締結を承認
1951年11月18日 参議院が締結を承認、内閣が条約を批准
1951年11月28日 アメリカ合衆国政府に批准書を寄託
1952年4月28日 日本標準時で午後10時30分(アメリカ合衆国東部標準時で午前8時30分)に条約が発効
この後、日本は、この条約を締結しなかった国々と個別の平和条約を締結したが、ソビエト連邦(現ロシア)とはいまだに平和条約を締結しておらず(法的には現在も関係不正常状態)、北方領土問題などを残している。

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署名から50年後
2001年9月8日(日本時間では9日)、北カルフォルニア日本協会 (the Japan Society of Northern California) の主催で、「サンフランシスコ平和条約署名50周年記念式典」が講和会議の会場であったオペラハウスにて開かれた。日本からは田中真紀子外務大臣が、米国からはコリン・パウエル国務長官が出席し、それぞれ演説を行ない、日米の同盟関係のさらなる強化の必要性を確認しあった。なお、この式典の前に、プレシディオ元陸軍基地において旧日米安全保障条約署名50周年記念式典も行われた。

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関連項目
条約の一覧
平和条約国籍離脱者
日本の戦後補償条約一覧
極東国際軍事裁判
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外部リンク
日本国との平和条約(日本の法令 法令デジタル録音図書内)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%9D%A1%E7%B4%84" より作成
カテゴリ: 条約 | 日本の領有権問題 | 昭和時代 | 日本の政治史 | 日本の国際関係史 | 第二次世界大戦 | 冷戦 | 日本の戦後処理

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