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漂流する中国政権の末路(1981年4月 第四インタナショナル中央書記局)より
http://www.asyura2.com/0601/asia5/msg/661.html
投稿者 たかす 日時 2006 年 9 月 11 日 22:52:45: ifeEPcYg7BdHI
 

(回答先: 中国への抗議を恐れるアナーキスト(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 )など転載 投稿者 たかす 日時 2006 年 9 月 11 日 22:04:22)

第四インタナショナル中央書記局
国際社会評論社   
おめでたい急進主義者の無知について
<チェコスロヴァキア問題によせて>
【1968年10月】より抜粋

(略)ここにチェコスロバキア問題を扱った文章がある

北京官僚は現状打破を望んでいるのか
今日、おめでたい急進主義者の一部は、北京官僚の言葉づかい――たとえばソ連を「社会帝国主義」と呼ぶごとき――を笑いものにしている。だが、お笑い種なのは仲間内では左翼ぶっている彼ら急進主義者である。
彼らは北京官僚の言葉づかいは不正確であるとか、「歪曲」であるとか言いさえすればそれですべて終了と満足してしまう。なんという礼儀正しさ!! 言葉の国、中国においてはなんと立派な人々だと賞賛されるかもしれないが、中国国家をがっちりと握っている現実主義的な北京官僚は、これら無邪気な急進主義者を微苦笑しつつ抹殺してしまうに違いない。
北京官僚にとっては、自己の現実的な利害がすべてであるのに対し、これらの紳士的な急進主義者にとっては、なんとカテゴリーがすべてであるのだから、現実の政治における勝負ははじめから決まっている。
北京官僚がソ連・ワルシャワ機構軍のチェコスロヴァキア侵入をとらえて、「修正主義集団相互の闘争であり、ソ連は社会帝国主義に変質し、チェコスロヴァキア人民は両者に対して闘争せよ」と呼びかけたとき、その真の動機、如何なる利害がそうさせているかを明らかにすることなく、これらおめでたい急進主義者(つまり、いわゆる革命的マルクス主義派の諸君)は、「社会帝国主義」という言葉にとびついていった。
これらの諸君にとって最大の関心事は、北京官僚は如何なるカテゴリーであるのか、にある。だが、我々にとっては、現実の世界政治における北京官僚の利害は何であり、また、プロレタリア世界革命と第四インタナショナルの利害と如何にかかわりあうのか、これが最大の問題となるのである。
また、かかる観点から北京官僚を革命的な現状打破勢力と誤認――何というおめでたさ!!――する急進主義者、またそれに呑みつくされんとしている「戦後第四インター」の残党どもに我々は敵対するのである。
アメリカ帝国主義に対するむき出しの憎悪の表明、ソ連「修正主義集団」に対する闘争が必要であることの強調、暴力革命とプロレタリア革命の宣伝、等々は、だが北京官僚をしてシャルル・ドゴールより以上の現状打破を望んでいることの証拠であるだろうか? とりあえず、ここでは東トルキスタンの存在をあげよう。
現在、東トルキスタンはさりげなく新疆ウイグル自治区という行政上の名称で呼ばれているが、南ではチベットとカシミールに接し、西ではわずかにアフガニスタンと接しつつ、ソ連邦を構成するパミール高原のタジク共和国、北方においては同じくキルギス共和国とカザフ共和国に接し、東に向かって中国本土にひらいている広大な地域である。
ここは、いわゆるシルク・ロードの東の部分にあたり、古来、独自の文化が繁栄した地域であり、数多くの非漢民族が活動する舞台となってきた。遊牧と商業とにより、またオアシス農業とによりおこった都市文明は、ユーラシア大陸の各部分を結合する大動脈として、幾度も襲い掛かられた荒廃の危機に耐え、一体となって生き続けてきた。タリム、ジュンガル、トゥルハンなどの盆地は、かかるものとしてパミール高原と天山山脈を越えたソ連領土をなす西トルキスタンと同一の文化的同一性を保持してきた。
この大動脈が切断されるに至るのは、根本的には新しい航海術、蒸気船、スエズ運河の開通、イギリス帝国の世界支配の確立、世界市場の形成によってではあるが、直接には南下するツァーリズム・ロシア帝国と清帝国とがここにおいて相対峙し、さらにインド・アフガンを防衛するためにイギリス帝国が介入し、トルキスタンを分割支配することによってである(イギリス・ロシアによるトルキスタンの東西分割の確定は1895年)。
そして、現在の中国・ソ連国境は、ロシア帝国と清帝国の境界にほぼ等しく、かつてトルキスタン全域にわたって活動した諸民族は、中国、ソ連両国に分断され、その活力を奪われたまま、東トルキスタンは北京官僚にとって、かけがえのない植民地になっているのだ。
北京官僚はここに数十万の軍隊を送り込み、急速な漢民族への同化政策をとっている。新疆ウイグル自治区は、北京官僚の核実験場であり、豊かな鉱物資源の埋蔵地であり、なによりも偉大な清帝国の後継者として、ここ東トルキスタンを手放すことができないのだが、かつて何人にも従うことのなかった諸民族は、絶え間ない反抗を繰り返し、隣国ソ連に生活する同族の援助を求めてやまない。
これは西トルキスタンがモスクワにどれほどの忠誠をもっているか疑わしいのに加え、さらにイギリス帝国主義に代わってアメリカ帝国主義がインド洋に進出し始めたことは、東トルキスタン問題の爆発的性格を明らかにする。
ここにおいて北京官僚は解きほぐすことのできないほど複雑な、対立と依存の関係をモスクワと結ばざるを得ず、同様にアメリカ帝国主義とも同様な関係に入らざるを得ない。
北京官僚は帝国主義支配の下に苦しむ植民地人民の最大の代表者であると、誇大な自己宣伝を繰り広げている。だが、カシュガルの、あるいはウルムチの真の代表者を国際会議に派遣せよと要求されたとき、北京は如何なる態度を示すことか?!
もし、トルキスタン諸民族は、単一の中華人民共和国の兄弟であると彼らが言うならば、ポルトガル帝国もまた同様なことを言っている事実を知るべきであり、また同時に、その「兄弟たち」の半分は、ソ連邦を構成している諸共和国を形成していると言うに等しい以上、モスクワは北京の領土的野心について非難せざるを得ないだろう。
我々は、北京官僚に代わってかかる問題に頭を悩ましたりはしない。ただ次のように言うのみである――北京官僚もまた抑圧者であり、東トルキスタンについては全くの現状維持勢力であると。そして、これは単に部分的な問題ではなく、もし新疆ウイグル自治区が失われるならば、官僚の支配の正統性にきわめて重大な打撃を与える問題であり、中国国家の統一にかかわる問題であり、プロレタリア世界革命に代償として引き渡すべき高価なものを、北京官僚が所持していることを明らかにする問題であると我々は主張する。
かかる事情をひたかくしに隠しながら、自分こそは革命勢力であるとする北京官僚の宣伝ほど、あざとく、偽善的で醜いものはない。
彼ら官僚は、シャルル・ドゴールと同様に、世界政治における居心地の良い場所を要求しているだけにすぎず、現存の世界帝国主義支配秩序を、根底から覆そうなどとは思ってもいないのである。そして、ドゴールと違う点というならば、この自己支配権の一層の強固化を、反帝国主義・反修正主義の名の下にはかろうとしていることであり、また、そのためにプロレタリアートに階級として独立性の放棄をテロルをもって強制し、プロレタリアートの血を求める点にある。
北京官僚は自己の隊列に生じた右派を指して「赤旗をもって赤旗に反対する」と攻撃した。我々はこれを北京官僚全体に対して投げつけなければならない。
北京官僚の尻尾に自らなり下がることだけで満足できず、プロレタリアートを急進主義的な農民運動に従属させることが、反帝国主義に勝利する秘術であるなどと大ぼらを吹きまわり、プロレタリアートの革命性を自ら積極的に解体しながらプロレタリア大衆を軽蔑している、軽蔑すべき急進主義者は、一刻でも早く清算しなければならない。

「ちいさなやさしい群れへ」
今日、大部分の急進主義者と「戦後第四インター」は、ちいさなやさしい群れをつくっている。彼らの誰もが、現実の世界政治の苛烈で冷酷な風圧に耐えられず、「ひとりっきりで抗争できないから」といって、巨大な北京官僚の庇護下に入ろうとして互いに弁解しあっている。それでもなおかつ抑えきれない不安のために、いわく「批判的支持」、いわく「ジュネーブ会議で中国革命は変質した」等々の言葉をひねくりだし、痴呆のうちに眠りこけようと努めている。
もちろん、彼らだけが眠りこけ、現実とかけ離れた夢を楽しんでいるならば、我々もまた、その夢を壊そうとはしないが、疑い深いプロレタリア大衆の眼を恐れるあまり、「眠れ、眠れ!!」と騒ぎ立てることだけは絶対にやめさせるだろう。
(以下略)
(1968年10月)
http://www2.odn.ne.jp/4th-intl/czecho1968.htm

漂流する中国政権の末路
<「四つの現代化」路線後の小さな逆風>より抜粋
(略)
戦後体制に支えられた中国政権の誕生
農民の入場―両階級の疲弊
プロレタリア階級にとって1966年暮の上海ストライキが中国プロレタリア革命の新しい時代を切り拓いた。それは1927年、広東コミューン敗北以来の中国プロレタリア階級の革命的回復を意味する。
1927年以降、スターリンの冒険主義と日和見主義指導の下で都市プロレタリア階級は敗北を重ね、1949年、毛沢東農民軍が都市入城を果たすころには、農民軍と協議する部隊も、ましてや農民軍を指導できる部隊もまったく存在していなかった。毛沢東軍の都市入城はプロレタリア階級にとって蒋介石政府から毛沢東政府への支配移行を意味したに過ぎなかった。
都市プロレタリア階級の指導をまったく受け入れることのできないまま成長した農民軍と、その農民軍をプロレタリア階級の反乱で迎え入れることのできなかった事実が、そのことを如実に示している。もちろんかかる事実は農民軍に責任があるのではなく、プロレタリア階級をそれ以前に壊滅に追いやったクレムリンのスターリニスト官僚と、プロレタリア階級の指導を顧みることのなかった毛沢東中国共産党指導部に一切の責任が存在している。
農民軍は、壊滅したプロレタリア階級を前にして、自らの権力基盤をプロレタリア階級に求めることはまったく不可能な情勢にあった。毛沢東とその官僚仲間がプロレタリア革命を代行したという怪しげな説が、戦後第四インタナショナル(US派=『世界革命』派など)や急進諸派によって流布されている。しかしこれは、観念論等々といった高級な論議以前に、幻想の分野に入れてよい性格を有している。どんな個人も、どんな集団も、その支持基盤が生き生きとし他を圧倒するほどに成長していなければ、自らの実体的存在を勝利的に示すことはできない。
個人や集団はその支持基盤から押し出されるものであって、その逆ではない。彼らは存在しない支持基盤を夢想して権力をつくり出したというのであろうか。これは唯物論のイロハであり、この限りでのあやまちならば他愛のないことである。もう一度マルクスの本を読むなり、現実を直視する目を養うよう心がければよいことである。しかし、彼らの言う「毛沢東によるプロレタリア革命代行論」が政治的効果をもち、しかもそれが毛沢東政権の反革命的基盤を包み隠す最も基本的問題にかかわるとき、彼らのあやまちは取り返しのつかない害毒となる。
毛沢東政権を社会主義政権として認可することは、帝国主義とスターリニスト官僚の協調的容認によって形成された、この政権の基盤そのものを受け容れることになる。だから彼らは、中国の官僚がブルジョア的政策をとれば限りなくスターリニストに近づき、官僚的強権政策をとれば限りなくブルジョア民主主義に近づいていく。この右往左往のなかで階級の独立性に打撃を与えていくのが彼らの職分である。
農民軍はプロレタリア革命に迎え入れられなければ、ブルジョアジーに迎えられる以外にない。しかしブルジョアジーもまた、長きにわたった国内の分裂状態と帝国主義諸列強の収奪のなかで、中国の統一政権を支持するだけの力量は持ち合わせていなかった。プロレタリア階級とブルジョアジーの疲弊が、農民軍入城時の現実的姿であった。
イニシアティブをとるべき主体が国内には存在せず、農民の個別的利害のなかで千々に分解し自己崩壊を遂げるか、帝国主義諸列強によって再度国土を割譲させるか、どちらかの可能性しか残されていなかった。しかし諸列強の活力もまた、アメリカ帝国主義を除いてほとんど底をついていた。

誰が世界を組織するか
世界を焼き尽くした第二次帝国主義戦争の後には、唯一戦場から逃れ、武器・弾薬の供給庫となったアメリカ帝国主義と、戦乱をくぐりぬけ巨大なエネルギーにふくれ上がっていった西欧や日本のプロレタリア階級、そして革命的前衛=第四インタナショナルの未成熟によって、世界プロレタリア階級のエネルギーを消費する蓋然性を与えられていたスターリニスト官僚、それらだけが世界を維持する可能性のある勢力として残されていた。
もちろんスターリニスト官僚については、独自の勢力として可能性があったわけではなく、帝国主義がプロレタリア階級を全面的に圧倒することができない場合に限って、可能性を残した勢力として存在していた。
終戦を前後してこれら諸勢力は激烈な闘争を始めたが、闘争開始まもないプロレタリア階級には決定的に不利な状況が加えられた。第四インタナショナルの未成熟自体、明らかなハンデキャップに違いないが、革命的状況の発展のなかではプロレタリア階級の活力が短期間のうちに革命党を拡大させることはそれほど幻想的なことではない。
しかし決定的なことは革命的指導の誤りである。第四インタナショナル指導は、スターリニスト官僚の東ヨーロッパへの進軍を革命の前進と見誤ってしまい、果てしないスターリニストへの屈服を遂げていった。かかる状況のなかでプロレタリア階級は悪戦苦闘を強いられ、自らのエネルギーをスターリニスト官僚に食いつぶされていく。
アメリカ帝国主義による世界再編の可能性はプロレタリア階級の鎮静を前提にして初めてあり得た。闘争する世界プロレタリア階級の鎮圧に正面から取り組むには巨大なアメリカ帝国主義もあまりに小さすぎた。ヨーロッパや日本のブルジョアジーにその役割を担わせることはないものねだりに等しかった。
プロレタリア階級を鎮静化させ秩序化できる唯一可能な手段は、スターリニスト官僚との取引以外になかった。しかしそのためにはスターリニスト官僚の存在を保障する労働者国家ソ連邦の存続を許容せねばならなかったし、存続できるだけの領土的割譲も覚悟しながらバランスをとらなければならなかった。

毛政権の成立
スターリニスト官僚はトロツキー左翼反対派から第四インタナショナルに至るまでの革命前衛に対する一貫した血の弾圧を裏付けにして、プロレタリア階級のエネルギーをアメリカ帝国主義との取引材料として保持した。クレムリン官僚は自らの生活基盤の保障、そのためのソ連邦の存続をアメリカ帝国主義に要求し続けた。
ヨーロッパや日本のスターリニスト官僚は自らの存続もかけて、クレムリン官僚の下僕となって寝食を忘れて働いた。あるときはプロレタリア階級を煽り、あるときは控えさせた。
ソ連邦の国境線を守るためのアメリカ帝国主義とのバランスが築かれるまでには、東西接触地点での激しいやりとりと熱戦が繰り広げられた。バランスがどの地点で築かれるかは、この抗争のどの時点でプロレタリア階級が敗北を喫するかにかかっていた。彼らはプロレタリア階級にこの抗争のどちらかを選択させることによって階級的独立を破壊し、闘争を鎮静化させた。まさにこの時点が両者のバランスを確立させる時点でもあった。
このような世界的バランスの形成が毛沢東農民軍に政権掌握の機会を与えた。アメリカ帝国主義が蒋介石をあきらめ中国をスターリニスト官僚の領土としたのは、1950年を前後してヨーロッパ前面におけるバランスが固まってきたこと、そして日本プロレタリア階級の敗北を通して極東のバランスが確定してきたことによっている。まさにその時点で、毛沢東に幸いしたのは、蒋介石を圧倒していたという現実であった。
プロレタリアートもブルジョアジーも権力保持能力を喪失させられながらも、中国が自己崩壊に身を任せることもなく、また帝国主義諸列強の分割に身を投げ出すこともなく、奇怪な人工国家をつくり得たのは、根本的にはこのような戦後世界の奇怪な階級維持構造によっている。
しかしクレムリン官僚は、広大な国土と膨大な人口をかかえる、きわめて後進的な中国を陣営内に結びつけることがソ連邦の国境線防衛のために有益であるかどうか疑念を抱かざるを得なかった。このクレムリンの困惑は中国からの引き揚げ、中ソ対立となってあらわれてくる。しかしスターリニスト官僚が帝国主義存命のための世界機構として生存することになった結果、クレムリンの困惑をよそに毛沢東もまたスターリニスト官僚として生存する機会を得たわけである。

抱え込んだ矛盾
しかし、戦後帝国主義体制の特異な階級抑圧構造によってのみ政権を奪取しえた毛沢東は同時に政権を維持していく上において解き難い矛盾を内包した。その矛盾は一口で言えば、東欧諸国家も同様の性格を持っているが、政権が維持されなくてはならない国内的必然性が欠落しているところから発生する。つまり、ブルジョア階級の積極的必要性からも、ましてやプロレタリア階級の欲求からも、政権が押し出されてきたわけではないということである。
では農民の要望からか? 小経営者にとどまる農民が、階級的利害を統一し国家権力を押し上げると考えるのは、あまりに幻想的に過ぎる。事実これまでの中国の歴史が示すように、農民の欲望を開花させたとき結果は限りない分散化をもたらしてきた。
矛盾を緩和させる策は、ただ一つだけ残されている。政権の成立した経過をそのまま受け入れることである。つまり、帝国主義からも承認された「スターリニストの領土」に自らも甘んじて組み入れられることである。さらに言えば、クレムリンの支配を受容し、自ら衛星国の位置に甘んじ、独立国家を望まず、半国家となり、国内支配の理由付けを「共産圏」の維持=ソ連邦の維持に結びつけることである。
しかし、中国の巨大な国土と人口がクレムリンを尻ごみさせたし、長く培われてきた中華思想は毛沢東官僚に半国家の道を選ばせなかった。歴史も巨大でありすぎた。「中ソ対立」が具体化し、現実化していくにしたがって、中国は独立国家にふさわしい政権の国内的理由を探し求めた。しかしその理由となるべき物質的・経済的基盤の展開は中国政権そのものの存在をただ阻害物にするだけであった。
階級社会では、経済発展はその政治表現において階級利害の要求を強めていく。階級の積極的要求を表現することなく、しかもその状態を自らの政権の基礎としてとりこんだ毛沢東政権は自らの安定をいくら経済的発展に求めようとも、階級的利害との衝突のなかで、その願望を断念せざるを得ない。それ故に、いつも不安定であることが中国政権の常態となった。
経済的発展を求めれば政権を危うくさせ、政権の強化を求めれば経済を後退させる。この矛盾要因相互の交代劇がまた、中国政権を存続させた自浄作用でもあった。国家権力の維持と永遠に結びつきようのない国民経済の形勢、これが中国政権の現実の姿である。
このような中国政権は、確かにブルジョア階級にとってもプロレタリア階級にとっても、疎外された形態である。しかし両階級にとっての疎外の意味は違っている。ブルジョア階級にとってこの政権が改革の対象であっても、プロレタリア階級にとっては革命の対象である。
中国政権の成立が戦後世界の反プロレタリア的機構の形勢から生み出されたものであるが故に、プロレタリア階級の権力奪取が実現されたかどうかという議論をさしはさむ余地はない。プロレタリア階級の権力獲得そのものが、国際的なプロレタリア抑圧機構の形勢から生み出されるという想像は、ただ馬鹿馬鹿しいだけである。
さらに、両階級にとっての相違は、その展望においてより一層鮮明になる。ブルジョア階級が政権からの疎外を払拭するのは、生産関係が依然ブルジョア階級に存在しているにもかかわらず、きわめて困難である。広大な中国を経済的に統合するには、彼らの経済力はあまりに貧弱である。価値法則の解放がいつも分散化をもたらすこれまでの中国の歴史が、その不可能性を証明している。ブルジョア階級による中国統合のエネルギーは、戦後官僚支配を受け入れたときにすでに枯渇してしまっている。プロレタリア階級にだけ、その分散化と闘いうる可能性が残されている。
中国はすでに歴史の舞台から去ったブルジョア階級を、官僚とともに打倒しなければ救われることはない。この展望はプロレタリア階級にだけ与えられたものである。

存在理由を失った毛沢東政権
経済的基礎の上に成り立つことをはじめから否定されて出発した毛沢東政権は政治的強権以外に頼るものはなかった。その強権の裏づけは、クレムリンと袂を分かつ前までは「共産圏の防衛」という世界的論理(戦後反革命世界体制の論理)に求められていた。
その論理が棄却された後も、世界的裏づけを持ち続けえたのは、中国が依然帝国主義諸国からの封じ込め状態を保障されたことと、クレムリンへの反逆が幸運にも、反スターリニスト潮流を呑みこむ役割を中国政権に与えたことである。これは反スターリニスト潮流の思い入れから起こったもので、中国官僚にとっては幸運な出来事であった。
しかし米日への接近のなかで封じ込めを解除したことによって、中国政権の世界的裏づけも完全に喪失させられた。反スターリニスト潮流の思い入れも次第に薄れていく。この時点から中国政権は、その成立当初に抱え込んだ矛盾を根本的に開花させる。経済的展開と政治的強権の相互否定の自浄作用は、すでに機能しなくなる。双方が劇的な交替を行ってきた歴史的繰り返しは基本的に許容できない状況となった。
それは国内的裏づけを有しない中国政権が、国際的裏づけ(戦後反革命世界体制)をも失ったことによる。中国政権が帝国主義に対して「社会主義」を対置できなくなったことによって、政治的強権が「社会主義」的装いを保てなくなったのである。
このような事態に中国政権を追い込んだのは、一方で帝国主義そのものの戦後体制維持に対する困窮の結果であるが、他方で中国国内の階級的情勢の大きな転換の結果でもあった。
「文化大革命」発動以来、一年も経たない66年暮から67年初頭にかけて勃発した上海プロレタリアートの闘争が、1927年広東蜂起の敗北以来の中国プロレタリアートの革命の回復を意味したということはすでに述べた。実はこの上海とそれに続いた中国各地の闘争が、毛沢東政権を後戻りできない地点に追い込んだのである。
国内的裏づけを持たない中国政権が国家的統合を果たすには、ただ政治的強権による以外にない。この恐怖政治が恐怖政治に見えなかった理由は、戦後体制という世界的裏づけに基づいて、政治的強権を「社会主義」に偽装することができたからである。この「社会主義」にプロレタリア階級は、20年近くも沈黙を強要されてきた。都市プチブル層を動員して私設警察を張り込ませ、「階級闘争」という私設裁判所をところかまわず常時開設し、プロレタリア階級の一切の動きを封じてきた。
しかし、勇敢にもプロレタリア階級はその「階級闘争」のなかにもぐりこみ、「闘争」のなかに自らの闘争をつくり出していった。毛沢東の「階級闘争」は、プロレタリア階級の階級闘争に変えられていく。「階級闘争」の内的変化に恐怖した毛沢東は、自らの発動した「階級闘争」を弾圧しなければならない矛盾に衝突した。68年以降、中国全土を血の弾圧が席巻した。プロレタリア階級はこの過程で、「階級闘争」を改良するのではなく、「階級闘争」を打倒しなければならない意識を獲得した。
毛沢東はプロレタリア階級の闘争を惹起した、自らの「階級闘争」に恐怖せざるを得なくなった。再び「階級闘争」を発動させるならば、プロレタリア階級はその「階級闘争」に対して、獲得された意識から出発するであろう。官僚はまさに“思い切って”「階級闘争」を発動することができなくなってしまった。
政治的強権が社会主義的装いを脱がされたのは、まず国内においてであった。このことによって、中国政権の社会主義的偽装を可能にした国際的裏づけが、国内的には意味を持たなくなってしまった。国際的裏づけが放棄される国内的準備が整えられ、そのように処理された。
これまでは国際的裏づけに依拠して国内を支配したが、いま国内の危機から国際資本と結びつく。それは戦後反革命世界体制から官僚に与えられた中国支配の保障ではなく、中国支配の危機から導き出された国際資本戦争の中国への導入である。
官僚は政権を維持する上において、頼るべきすべてのものを喪失させた。あとは国内の自然発生的な価値法則の暴力に身をまかせ、その暴力と結びつく国際資本に翻弄される以外にない。

繰り返しを拒否する転換点
生産発展を閉ざした中国政権の成立
いまだに社会通念となっている中国の「社会主義」は、社会主義的所有に基づく生産を行ってきたのではなく、ただ商品生産を抑制することだけで保たれてきた。商品経済を基本的な土台としながら、商品生産を政治的強権によって抑制してきたが故に、中国「社会主義」はその成立以来、いかなる社会的生産も行ってこなかったといっても言い過ぎではない。
これまでも商品生産に門戸を開放しようとする時期が何度か訪れた。53〜57年までの「第一次五カ年計画」は、企業と地方を中央管理下におくための猛運動が行われた時期である。しかしその結果は生産の後退であり、停滞であった。
第六回大会(1958年)では53年の時期に後戻りすることが提案され、企業管理の地方移転が行われるが、一挙に矛盾が爆発、私的小経営が雑草のごとく広がり、地方の分散化傾向がもたらされた。この政策の寿命はわずか一年たらずであった。
二度目は「大躍進」後の「調整期」にあらわれた。しかし、それは言うまでもなく、「文化大革命」における国家管理統制体制の、自然発生的な地方分散化に対する熾烈な闘いのなかで押しつぶされていく。その結果は商品生産に対する、それ故に生産そのものに対する攻撃、抑制であった。
商品経済を生産の基礎としながら、商品生産の発展を抑制せざるを得ない巨大な矛盾が中国を支配してきた。官僚による商品経済の抑制政策から、怪しげな多くの経済学者と多くの左翼は、中国の経済的基盤を社会主義と類推し、見誤り、誇大宣伝し、過大評価してきた。
官僚は国家統合を維持し、政権を瓦解から防衛するために、結局のところ政治的強権に頼ってきたが、政権の物質的基礎、国家統合の経済的基礎を一方で願望してきた。このような官僚の願望とその願望の行き着く否定的結果のなかで、官僚内に二つの分派を固定化させた。
劉少奇・陳雲・ケ小平らは、中国官僚に運命付けられた強権的支配方法の変革を願望する分派として、「改革派」と名づけられていいだろう。しかし、彼らは四人組打倒に至るまで一度として権力を維持、継続したことはない。
これまで中国国家の統合を維持してきたのは権力統制、毛沢東思想による強権支配を毛沢東本人と四人組に連なる官僚群であった。彼らは中国官僚の運命に従い、中国国家成立によって決定づけられた支配方法を守ってきたという意味で、「保守派」と名づけられる。
保守派による生産の国家統制の下においては、地方も企業もその自主性を奪われ、私的利潤が保障されないために、経済はいつも慢性的な生産の停滞と後退を伴った。改革派は価値法則を容認し、それに基づいた生産の拡大を図ろうとして登場する。彼らは多くの歓迎を受けたが、その矛盾はすぐに表面化してしまう。
価値法則の行政的解放は国民経済の統一的形成ではなく、その分解をもたらした。農村には小経営者が続々と生まれ、闇取引が横行し、地方は「国家計画」を無視して国家資金を奪い合い、産業間のアンバランスを招いた。
農村では自留地や自由市場の開設が、農民間に富の格差を生み出し、地方機関内では処分権限をもつことのできる余剰・利潤の違いによって、地方間格差を増大させた。また工場幹部と労働者間の身分的、経済的、社会的な格差拡大が一般化し、階級的緊張も高めた。
この危機に保守派は経済的自由を企業や地方から取り上げ、企業、地方機関に対する国家管理を「毛沢東思想=階級闘争」の大運動のなかで強行し、モザイク的な国家統合を果たすのであった。商品経済の展開そのものの抑制が目的ではないにしても、国家的統一を維持するためには、そのような方法をとらざるを得なかったのである。たとえその方法が、社会的生産そのものの破壊に導くものであったとしても。

保守派官僚の冒険主義
政治的抑圧、統制による保守派官僚の行政手段が、表面上強固な統一をつくり出しているように見えながらも、内実は深い分解にむしばまれていた。どんな強圧的手段も、経済の私的利害に導かれる水面下の動きを押しとどめることはできない。1967年以降、プロレタリア階級の闘いによって、政治的統制の裏づけとなっていた「階級闘争」の大義名分を剥ぎ取られた保守派は、彼らの目を盗んではびこっていく個別的・地方的利害活動を、すでに抑えることができなくなっていた。
四人組の時代は、この自然成長的な分散化状況に対する、展望を失った保守派官僚の“もがき”の時代であった。「批林・批孔」をはじめとして、おそるおそる出される大衆動員号令は、すべて失敗に帰した。
すでにその号令との闘いに目を開いてきたプロレタリア階級の反撃に出会っただけであった。抗争事件をはじめとするこの時期のプロレタリア階級の闘いが保守派の大号令を鈍らせ、自然発生的な経済的分散化に対してもなんら有効な手段を行使し得なかった。
出口の見えない状況のなかで、彼らの抑圧行動は奇怪な表現をとっていった。国家的統一を脅かす私的経済活動の根源を、彼らは生産活動そのものに求めていく錯乱的結論に自らを追い込んでいった。壊滅的生産状況に陥った工場が数限りなく出現し、技術者やインテリゲンチャのほとんどが自己批判の候補者となった。生産活動の破壊が拡がった。
かかる事態の進行が、彼ら官僚の保守派内部に分裂を引き起こした。保守派の一部は共倒れを恐れ、逆に四人組を急襲した。華国鋒を頂点とする一部保守派は、葉剣英などの中間派を加え、四人組の排除を成功させた。これはもちろん改革派の賛同を得ていたし、彼らとの妥協の産物であったとも言える。
その祝賀大会ともなった第五期全国人民代表大会は、冒険的な「十カ年計画」(1976〜1985年)を打ち上げた。これは両派の混合物のようなもので、改革派から見ればさらにもう一段整理される必要があった。計画はまだ保守派の色彩を色濃く残しており、国家の行政的強力の一振りで巨大な工業を一夜のうちにつくり上げることができるという、彼ら一流の思い込みがあった。
農業の年平均成長率4〜5%、工業の同成長率10%、そして大型鉄鋼基地10、新幹線6、大型非鉄金属基地9、石炭基地8、油田10、発電所30など120の大型プロジェクトが計画され、その机上プランの結果、鉄鋼生産は85年で6000万トン、農業機械化率は85%、食糧生産は4億トンという算盤がはじかれた。
この夢の大構想に投じられる資金は、中国政権の成立から78年に至る28年間の投資額と同等額を予定するほど実に“野心”に満ちたものであった。
世界水準からすれば決して高い目標ではないが、中国の現状からすればとてつもなく冒険的であるこの大型工業建設は、それ故に開始されたとたん挫折の憂き目に遭った。その野心と冒険の程度は次のようなものであった。
中国の現状から、一億元の基本建設を完成するには、建築鋼材1500万トン、電気機械3000〜4000万間(約1万トンの鉄)、木材2万?、セメント3〜5万トンが必要だという。この試算からすれば、78年の基本建設を実現するのに、その年の鋼材、木材、セメント全部を使ってもまだ足りないという程度の基本計画であった。
資金問題だけでなく、技術的問題においても冒険的である。広大な中国市場のうまみをちらつかせながら、官僚は帝国主義諸列強の技術移転に大きな期待を寄せている。しかし、宇宙・エレクトロニクス技術がすでに中小工場にまで拡がるほど産業化され、素材革命やバイオテクノロジーなど新たな技術開発にしのぎを削っている世界の技術水準からすれば、中国の現状はあまりに桁がはずれている。恐ろしいまでの技術格差、それに伴う産業構造の極端な相違は、中国国内への技術移転をきわめて困難なものにしている。
鉄道や道路、港湾、電力など生産基盤に重大な欠陥をもち、流通や信用機構はまったく未展開のまま抑え込まれている果てしない国土の中に、どんなに大型工場を建設しようとも、それは文字通り砂上の楼閣に過ぎない。
日本のブルジョアジーは、ブームが去って少し頭が冷えてきた。砂に水をまくような資金の無駄づかいに慎重な対応を見せている。中国国内の経済体制の整備状況を見ながら、金の使い方を考え始めている。円借款問題でも中国国内の資金計画の明確化を要求するようになった。しかし関係の中断、縮小を恐れて、金をどぶに捨てる覚悟も必要視されている。これも「日中友好」の必要経費というわけだ。
ところが吝嗇な日本ブルジョアジーは、資金がすぐに利潤と結びつかねば気がすまない。いつまでも無駄づかいする気もないだろうし、いつ整うかもわからない中国官僚の国内整備を待つゆとりを、彼らが持ち合わせているだろうか。
日本ブルジョアジーが国内の資金計画に口を出す日もそう遠くない、しかし国内の資金計画までひきうけるほど、日本ブルジョアジーは能力も経済力も持っていない。せいぜい行き着くところは中国の国家経営を無視して、中国の富をかすめとっていくのが関の山である。
中国の統一は、国内的分散化によって引き裂かれていくだけではない、海の外からも引き裂く力が次第に強く作用し始めている。
(略)
中国政権の末路とプロレタリア階級
(略)
崩壊のテンポ
中国官僚の存在基盤がきわめてあやしくなってきた。彼らが如何なる裏づけを持って存在しているのか、その存在の理由がどこに求められるのか―彼らの存在の正当性を論理付けるのは、現実を理解する者にとって、全く不可能なこととなった。
中国政権の成立そのものが戦後帝国主義体制の形成に起因していたが故に、その存在基盤は戦後体制に求められた。つまり、中国が「スターリニスト陣営」内に押しやられたため毛沢東政権が成立し、政権の存在根源はクレムリン官僚とクレムリン官僚の存続可能性を与えた「堕落した労働者国家」に求められた。
しかし毛沢東政権はクレムリンと離反を起こした。その理由の多くが中国を抱え続けるだけの力量に不足していたクレムリン官僚に求められる。その理由付けはともかく、この離反によって中国政権は事実上その存在理由を喪失した。しかしアメリカ帝国主義が中国にも手をさしのべなかったことによって、その存在理由は形式的に残存することができたといえる。
決定的となったのは、アメリカ帝国主義との和平による「封じ込め」の解除であった。その理由の多くが決定的な世界資本主義の危機到来と、それに起因するベトナム戦争の終結、そして中国労働者階級の戦後初めての反乱に求められる。
かくして中国政権はその支配基盤を崩壊させ、その支配理念を喪失した。その後の官僚支配は、まがりなりにも混乱を中国統一に引き戻すべき一縷の糸を切断させ、重心を失った独楽のごとく揺れ動いた。まだ国家と呼ばれているのは、官僚支配の残影が投写されているからにすぎない。すでに、ただ言葉上の問題であるが、中国官僚をスターリニスト官僚と呼ぶべきかどうかも疑問のあるところである。スターリニスト官僚の残影と呼んだ方が適当であるかもしれない。
中国官僚が戦後帝国主義体制を基盤とする存在理由を失ったとき、中国政権は自動的に世界的存在であることをやめた。中国はいまアジア大陸の大部分を占める、まとまりのない後進的国家となった。今後、現中国政権が国際的に意味をもつとすれば、アジア・太平洋地域での混乱要因になることだけである。世界秩序の維持に関しては、中国政権は左翼潮流への影響力を含めた政治上の問題についても、市場への期待感を含めた経済上の問題についても、全く何の機能も果たさなくなっていく。
あとに残る問題は、中国政権崩壊のテンポの問題である。そこに保守派と改革派による官僚間対立の問題がからんでくる。経済的な意味では、中国はますます自然発生的で、無政府的で、分散的な市場化を進行させるであろう。それに規定されて官僚の動きがあり、その動きが崩壊のテンポをつくっていく。
(略)
どこにバリケードを築くか
一方、官僚がその存在理由を失うことによって、ブルジョアジーの活動が活発化している。これは形のある結集したエネルギーにはなり得ようがないが、プチブルジョア層を通して、ブルジョア的害毒が頻繁に流されることになろう。「民主化」のスローガンがその代表的なものである。プロレタリア階級は官僚の残影との闘いを、これらブルジョア的傾向への攻撃を強めながら貫徹しなければならない。官僚の存在は、プロレタリア階級を抑圧しぬくことのできなかったブルジョアジーの弱さの結果として選択されたものであって、プロレタリア階級が受けている抑圧とは根本的な違いがある。
中国の場合、官僚の主体性はますます低下せざるを得ないし、それに比例してブルジョア的傾向が不可避的に強くなっていくであろう。しかしブルジョアジーは官僚的桎梏を取り除くほどまでに、自らの経済的能力も階級的潔さも持ち合わせることはない。また他方、官僚もブルジョアジーの“わがまま”を叱責するほど勇気を持ってはいない。彼らはただ、なれあった小競り合いを続けるだけである。この小競り合いは、正負どちらの意味においても、歴史的には何の意味も持ってはいない。だからわれわれは、この小競り合いに口を出す必要もないし、放っておけばよい。ただ彼ら双方をともども墓場へ導いてやればよいのである。
(略)
中国プロレタリア階級にとって、この闘いは比較的有利な位置にある。なぜなら中国はブルジョア的傾向に対する歯止めを失っているからである。官僚は国家を統治する裏づけを喪失し、すでに情勢を集約する地点をもっていない。自らの行動を規定する論理性を失い、情勢の成り行きに身を委ねながら、政権は地すべり現象を続ける以外にない。クレムリン官僚がその歯止めになる可能性はほとんど完全になくなっている。アメリカ帝国主義の介入は情勢の進展を一層推し進めるだけである。
それ故に世界の階級支配構造を引き写した形の官僚とブルジョアジーの争いが、中国の場合、情勢の分岐点として持ち上げられる程度はより低いと考えられる。だからプロレタリア階級が、その分岐点に巻き込まれる程度も、より軽度に済むかもしれない。
しかしプロレタリア階級にとってのこの有利性は、裏返せば困難さでもある。一切の国家的分岐点そのものが破壊させられ、諸勢力の対立が個別化、局地化し、矮小化するなかで、階級の独立性が砕け散るという危険性である。分散化する情勢のなかで、プロレタリア階級は集中化を図らねばならない。プロレタリア階級の反撃を恐れるが故にますます情勢の成り行きに身を任せる官僚に対して、官僚となれあう以外に方策を持たないブルジョアジーに対して、そしてかかる情勢から官僚とブルジョアジーの小競り合いを階級の分岐点として拾い出そうとするプチブル的傾向に対して、プロレタリア階級は闘いを挑み、自らの階級的独立性を築いていかなければならない。
中国プロレタリアートのかかる闘いは、分岐点そのものが分解させられる困難さの予測から、ブルジョアジーとスターリニスト官僚に対して明確なバリケードを築きだしていく世界プロレタリアートの壮大な包囲網と堅く結びつかなければ、その展望は情勢の困難さのなかに埋没させられる危機を孕んでいる。
(1981年4月)
http://www2.odn.ne.jp/4th-intl/china1981.htm

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