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[郵便検閲]GHQ批判を英訳した 元日本人検閲官が証言/毎日新聞
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投稿者 white 日時 2006 年 3 月 15 日 10:29:40: QYBiAyr6jr5Ac
 

□[郵便検閲]GHQ批判を英訳した 元日本人検閲官が証言/毎日新聞

 http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1775765/detail?rd

[郵便検閲]GHQ批判を英訳した 元日本人検閲官が証言
 占領時代に連合国軍総司令部(GHQ)が行った検閲を巡り、検閲官として日本人の雇用を示す資料を毎日新聞が入手し、元検閲官2人が実態を証言した。郵便検閲は無作為抽出した郵便物を対象に、GHQ批判などが書かれた手紙を英訳した。GHQ側は、日本人検閲官に「日本人の生活や考えを知るため」と目的を説明し、業務を口外しないよう指示していた。元検閲官は「人の信書を開封した痛みはずっとある。生きているうちに敗戦の現実を伝えたい」と証言の動機を語る。また、見つかった資料について専門家は「米軍が残しにくい資料で、極めて貴重」と言う。

 GHQの民間検閲部門は、占領下の情報統制のため新聞や雑誌のメディア検閲の一方、大規模な郵便検閲も実施。東京、大阪、福岡の検閲所などで4000人が従事、大半は日本人とされる。


 証言したのは、東京中央郵便局の民間検閲支局に勤めた、元朝日新聞記者の渡辺槙夫さん(82)と、主婦の横山陽子さん(77)。大学在学中、生計や学資のため公募試験を受け、検閲官となった。


 2人によると、東京での郵便検閲は、個人信書を3階、法人関係を4階で行った。2人のいた3階には、検閲官が30以上の机に約10人ずついた。管理職を除き大半が日本人で、無作為抽出した手紙などを閲覧した。占領軍への批判や意見、米兵の動向のほか、復員▽物価や食料難▽公職追放▽労働組合▽企業の経営状態▽政治や共産党の動きなどの事項を訳した。開封した手紙は検閲済みの文字入りテープを張り、郵便局に戻した。横山さんは「1日300通見た日もある」と証言した。


 資料は、横山さんが保存していた辞令書など。辞令書は48年2月3日付で、GHQの民間検閲支局が横山さんを、3段階あった検閲官の初級の「Jr・Examiner」から中級の「Examiner」に昇格させたのを明記。月給も1727円から2080円にした。【野倉恵】


 【GHQの郵便検閲】占領地の世論把握や連合国への批判防止などを目的に、45年10月から49年にかけ、新聞、出版物、郵便などの検閲を東京、大阪、福岡で行った。ピーク時約8700人いたとされる従事者は大半が日本人とされる。国立国会図書館所蔵の米国陸軍省関連資料によると、当時年間24億〜30億通だった手紙などの国内郵便物は、年間で最大1億5000万通が検閲されたとみられる。


 ◇日本人証言は貴重


 占領下の検閲問題に詳しい山本武利・早大教授(メディア史) 初めて見る資料で貴重だ。占領下の検閲は、GHQ検閲部門CCDや検閲行為自体、存在しないものとされてきたことを念頭に置く必要がある。49年のCCD廃止までに全信書の5〜10%が検閲されたとみられるが、自ら証言する検閲官の日本人はほとんどいない。米軍の機密機関による非公然活動で、米軍は日本人の雇用を明確に示す公的文書は残せなかった。


 ◇1日で300通見た日も…元検閲官


 連合国軍総司令部(GHQ)が行った郵便検閲。占領下に生きる糧を得るため、多くの日本人が協力した。元検閲官は、信書の秘密を侵した痛みと向き合いつつ、戦後を生きてきた。その経歴を自ら語る人はほとんどいなかったが、「歴史を証言したい」と重い事実を話した。【野倉恵】


 ▽元朝日新聞記者、渡辺槙夫さん(82)は1946年12月から約2年半、東京中央郵便局の検閲所に勤めた。幼いころ満鉄社員の父を亡くし、家族は終戦で資産を失った。学徒出陣し、南方沖に派遣され幾度も死にかけた。それだけに友人に仕事を紹介されても「米軍の下で働くのは強い抵抗があった」。


 個人の私信を扱う検閲所は500人以上の日本人検閲官がいた。「隠匿物資の情報を翻訳し、後日現場が摘発を受けたのを新聞で知った」こともある。


 横山陽子さん(77)は46年8月から1年10カ月、同じ検閲所に勤めた。学徒動員から戻り、入学した女子大の学費が10倍に急騰。学資稼ぎと両親を支えるため人づてに就職した。初日に日系人の上司が言った。「(検閲で)日本人の生活や考え方が分かり、より良い占領政策がとれる。裏切りと思われるから仕事のことを外で言うな」


 1日ではがきを中心に300通見た日もある。 《小豆を送って。枕の中に入れれば見つからない。米は芯(しん)の方に入れて》。「食べるのに必死な人々の叫び。子供を抱え、高物価を嘆く主婦の声が忘れられない」


 同僚の検閲官が1通をこっそり渡しに来たことがある。横山さんが米国に住むおばにあてた手紙だった。「戦後の食料難を嘆き、いっそ共産党に入りたいと書いたためか」。このままだと翻訳対象になると知らせてくれた。持ち込まれた郵便物の数はチェックされているため、同僚の所属する班の責任者に断り、家に持ち帰って書き直した。


 「ここまでやったという痛みが消えない。占領、敗戦の現実をいま伝えなければと思った」。渡辺さんは49年春、GHQ民間検閲部門を退職し、朝日新聞社に就職した。「手紙で国民の生々しい現実に触れた経験を生かさなければ」と考え、記者になった。横山さんは「終戦後は言論が自由と言われたが、『なぜ人さまのものを』とよく泣いた。多くの人と同じく自分も懸命に生きる中、携わった仕事自体が敗戦の現実。一つ一つの歴史のかけらは言わなければ消えてしまう」と話す。


2006年03月15日03時34分


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