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1. 組織論 第1章「組織における人間観」〜第14章「戦略の失敗」 【株式会社イニシア・コンサルティング】
http://www.asyura2.com/0601/bd44/msg/172.html
投稿者 hou 日時 2006 年 5 月 28 日 11:25:15: HWYlsG4gs5FRk
 

http://www.initiaconsulting.co.jp/archives/management/1_01.html

1. 組織論
第1章「組織における人間観」

 1. イントロダクション

 組織論を勉強するにあたって、組織がどのような人間によって構成されているのか、その人間観を考えることが非常に重要になってきます。次のような話を聞いたことがあるでしょう。

 (あるベテラン社員が新入社員を見て…)

 「最近の新入社員は、言われたことはきちんとするんだけど、言わなければ何にもやらないよなぁ。自発的に動くということはできないのかな」

 (入社3年目の社員が、上司から「君には期待しているからね」と言われて…)

 「あぁ、こんなにも期待されているんだ。がんばらなきゃなぁ。無様な格好なんてみんなに見せられないよね。体がしんどいけど、徹夜してでもがんばろうかなぁ」

� (中堅社員がふと自分の最近の生活を振り返ってみて…)

 「俺、最近、給料分以上の仕事をしているんじゃないかなぁ。朝から晩まで働きっぱなしだし。なんか割に合わないな。ちょっとさぼって帳尻を合わせようか。」

 このように、人間の感覚はさまざまです。このような問題(もしくは前提)を、組織論では「人間観」の問題として取り上げています。たとえば、「人間にはそもそも責任感がそなわっており、積極的に仕事をこなすものだ」と考えるか、それとも「そもそも人間は、言われたことしかやらないし、好きで仕事をやっているわけではない」と考えるかによって、コミュニケーションのあり方や管理の方法は大きく変わってきます。ひいては、どのような人間観に立脚するかによって、理論の体系も異なってくるのです。

 人間観に関する研究は組織論にとどまらず、社会科学では理論を構築する上で非常に重要な視点です。経済学ではあらゆる情報を持っている、完全に目的にみあった意思決定を行う人間が仮定されています。「こんなもんでいいや」という満足するレベルの意思決定ではなく、「これはベストだ、理想的だ」という意思決定を行う人間です。というのは、経済学は国家もしくは人間社会という非常に広い範囲での意思決定のあり方と行動(つまり資源配分)を分析してモデルを構築しようとしているからです。そのためには、完全に目的に対して最適な決定を行う人間(=目的合理的な人間)という、非常に簡略化された人間像を持たざるを得ないわけです。経済学の最終的な目標は、人間の心理や個々人の相互作用などではなく、経済全体の構造がどうあるのかということを分析するものですから、そこでは人間は比較的合理的に行動するだろうと仮定することは非常に妥当な考え方です。

 2. 人間観の類型

 しかし、経済学と違って、組織論では、人間と人間の関係、人間によって形成される集団というように、より人間に近い所で分析が行われますから、どのような人間観に基づいて分析するかは非常に重要です。「個々の人間の顔がより見える」ような学問とでも言いかえることができるでしょう。この人間観に関しては様々な研究者が様々な主張を行っています。たとえばグールドナーという人は合理性モデルと自然体系モデルに分類していますし、野中は動機と構造という2次元で人間を捉えようとしています。ここでは占部・坂下(1975)を参考にしながら、マーチ=サイモンの分類を取り上げることにしましょう。

 彼らは組織論を、その人間観に基づいて、伝統的組織論、人間関係論、近代組織論に分類しています。彼らの言う人間観は以下のようなものです。

 伝統的組織論/古典的管理論(テーラー、フェイヨル、ウェーバー)
組織の構成員、とくに従業員は本来受動的な用具であり、仕事を遂行し、命令を受け入れる能力を持つが、みずから問題解決を行ったり、重要な影響力を他人に行使する能力は持たない。

 人間関係論(メイヨーなど)

 組織に対して、各構成員は人間として自分の動機、価値や目的を持っているとみなし、組織行動のシステムに彼らが参加するためには動機づけ、または誘因が必要であるとする。また、個人の目的と組織の目的との間に矛盾があるために、構成員の態度やモラルの問題が組織行動の説明に中心的な重要性をもってくる。

 近代組織論(バーナード=サイモン)

 組織の構成員は意思決定者ないしは問題解決者であり、意思決定のための認知や思索のプロセスが、組織の行動の説明に中心的な役割を持つ。

 冒頭に書いた「最近の新入社員は、言われたことはきちんとするんだけど、言わなければ何にもやらないよなぁ。なにか自発的に動くということはできないのかな」というあるベテラン社員の感想は、配属された新人が伝統的組織論/古典的管理論で前提としている人間観を抱かせるような人だったのでしょう。

 入社3年目の社員が「がんばるぞ」と感じたのは、上記の「人間関係論」で書かれているような人なのでしょう。注目されていると、俄然やる気が出てくるような人が世の中には少なからずいますが、人間関係論と呼ばれる分野が想定している人は、まさにそのような人間です。

 また「給料に見合った仕事量じゃないよな」と感じている中堅社員は、自分の仕事量ともらっている給料を冷静に比較して考える社員なのでしょう。「近代組織論」と呼ばれる分野が前提とする人間観は、そのような冷静にコスト・ベネフィットを考慮して行動するような人間です。

 3. 人間観の違い

 これらの仮定を見てもわかるように、人間に対する仮説は、それぞれの理論で大きく異なっています。伝統的組織論では、人間は機械に対する付属物、命令された作業を遂行するだけの受動的な用具とみなされています。そのため、伝統的組織論では、組織の命令系統などの設計ミスがない限り、組織内でのコンフリクト(=対立)は発生しないと主張されます。これは電気回路の設計をイメージするとわかりやすいでしょう。電気は何も考えずに回路にしたがって流れるだけです。その状況で何らかの間違いがおこるのは回路の設計が間違っているからです。伝統的組織論の前提に立つと、組織において何らかの間違いが起こるのは、そもそも命令が間違っていないとすると、命令がどこかで捻じ曲がって、当初意図したところとは違ったところに届いてしまうからです。

 それに対して、人間関係論や近代組織論は、どちらも人間は機械の用具ではなく、感情や動機、欲求を持つ主体である、と考えています。たとえ給料が少なくても、誉められればやる気が出てくる人は多いでしょう。また言われたことだけをするのではなく、状況を見ながら、言われなくても自分で考えて自発的に行動する人も多数存在します。

 このように、人間関係論も近代組織論も同じように思われますが、異なる点もあります。人間関係論は、どちらかというと、組織における人間の感情という、ある意味ではなかなか説明することができないようなことが原因となって生じる行動が研究の中心になっています。

 それに対して、近代組織論では人間をより積極的な存在として捉え、組織における人間行動の合目的性の側面に研究の力点を置いています。近代組織論では、人間は個人的な動機や欲求を持つこと、そして他人から言われて行動するのではなく、自分で決めて自分で行動するという意思決定の能動的な主体であること、したがって選択の自由をもっていること、人間をそのように捉えています。受身的で従属的な人間は組織や協働には不適格者であり、能動的で自主的な意思決定者としての人間が組織や協働には適切な個人となると考えています。伝統的組織論で扱われているように、個人は単なる機械への付属物ではないのです。

 4. 分析対象の違い

 伝統的組織論/古典的管理論は、人間の「作業」に注目して、管理を能率的に達成するための原理・原則を明らかにしようとする分野です。これは機械の用具のように人間を捉えていることが原因です。パソコンを思い浮かべてください。人間がキーボードを通して「ファイルの保存」などを行います。それを「いかに正確に能率よくやるか」ということを考えて、保存という作業が正確に行われるようにプログラムを書き、またいちいち保存のコマンドを書いたり(かつては何らかのジョブを行うために、いちいちプログラムを書いていました)、プルダウンメニューから選ばなくても、タスクバーに「保存」のアイコンがあったりするわけです。

 これに対して、人間関係論や近代組織論は、組織における具体的な人間の行動について研究を行っています。では両者の違いは何でしょうか。人間関係論では、組織図や職制手続きに表される形式的な組織(人間関係論で言われる公式組織というものです)ではなく、飲み会やお昼ご飯を食べる集まりなど、組織図に書くことが難しい、みんなで“わいわいがやがや”やるような組織(人間関係論で言われる非公式組織というものです)の役割を非常に重要視しています。

 近代組織論は、人間の意思決定に注目して、いわゆる公式組織こそが目的に見合った活動の行われるところだ、と考えています。近代組織論では、組織が引き起こす現象を分析するときに、まず最初に注目するのが公式組織なのです。そして、人間は、作業の前にはかならず何らかの意思決定を行っているはずであるから、注目すべきものは作業そのものではなく、そのような作業を行うことを選択する意思決定のプロセスが重要だと考えています。たとえば近代組織論において「そもそもなぜ人は組織を形成することになるのか」という、より本質的な問題が問いかけられています。これは、個人を意思決定の主体と仮定して、個人の行動や意思決定はどのような要因によって制約・影響されるのか、またその制約要因をどのように克服するのかという問題意識をもっているからこそ、そのような考え方になるわけです。

 5. 参考文献

 占部都美・坂下昭宣(1975) 「近代組織論U」 白桃書房


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