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[芸術の価値]“形象不可能なるものの形象への降臨、受胎告知図”からの反照(追記)
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投稿者 鷹眼乃見物 日時 2006 年 5 月 30 日 21:55:12: YqqS.BdzuYk56
 

[芸術の価値]“形象不可能なるものの形象への降臨、受胎告知図”からの反照(追記)

*コメント&レスの追加(追記)があります。

・・・・・

#renshi  to 『toxandriaさま

この論考は、鋭いと思います。今は、余裕がないので、十分には述べられませんが、イタリア・ルネサンスの可能性に触れているからです。

私は、ルネサンス肯定派で、プロテスタンティズム否定派です。これは、差異と同一性に換言できると思います。

イタリア文化のベースには、差異があると思います(cf.エトルリア文化)。これが、ルネサンスで発出したと思っています。しかし、ギリシアの古典主義的発想に強く囚われています。しかし、初耳のカルロ・クリべりには、イタリア文化本来の過剰性があるように思えました。

つまり、形象不可能なるものが、基本的にイタリア土着文化にはあり、それが、クリべりに表出したのではと思います。

思えば、ダ・ヴィンチやミケランジェロにも過剰性はありますが、それを古典主義に収めてはいけないでしょう。

イタリア文化の形象不可能なるもの、これが、現代において、もっとも重要ではと思います。

プロテスタンティズムは、私見では、この反動です。現象的形象に閉じられていると思います。現象リアリズムです。

受胎告知とは、不連続的差異論的には、イデア界のメディア界化ではないかと思います。これは、母権的神話に表現されているものだと思います。イシス・オシリス、キュベレー・アッティス、ヴィーナス・アドニース等と同様でしょう。キリスト教もこのパターンが本来でしょう。聖母マリアとイエスです。今は、ここで留めます。』


#toxandoria to renshi 『コメントありがとうございます。

“イタリア・ルネサンスの可能性”、“プロテスタンティズムにある誤謬の芽”(すべてが誤謬とは思っていませんが・・・)、“イタリア文化のベースに差異がある”などについて、まったく同感の想いがします。

一般的には誤解されるであろうことを承知で述べますが、世界中の人々が、また日本人の多くがイタリアに憧れ続ける深層には、これらの問題が潜んでいると思います。恐らく、それは無意識に近いことだとは思いますが。

そして、実はこのイタリアの魅力の大部分は、日本人の場合もそうだと思いますが、もはや現実には失われてしまった自らの国々の土着文化の反照を見ているのだと思います。

それは、例えば、今、郷里で過ごされているrenshiさまが感じている“田舎の空気、風のそよぎ”のような土着的なスピリット(気配/http://ameblo.jp/renshi/entry-10012984866.html)のようなものではないでしょうか。それが、高度な美術や建築物あるいは魅力的な街並みや自然景観として現実に存在するのがイタリアではないでしょうか。

これから、少し前に書いたヴェネチア派に関する考察を新しい記事としてレニュアルしてみたいと思っております。

それから、参考までとして、toxandariaが加入しているML付属の掲示板に於いて遣り取りしたレスの一部を下に転載しておきます。偶然ですが、話題が、同じような方向へ進み始めているようです。

#イオン 『Toxandoria様

前回はどうも「釈迦の耳に説法」的なコメントで失礼しました。

さて今回のrenshi様のコメントに付け加えるとすれば、マリアへの受胎告知はイスラームの聖典クルアーン(コーラン)でも記載されています。クルアーンの第19章は「マルヤム(マリア)の章」と題されています。「聖霊」がやってきてマリアに受胎を告げ、イエスを出産し、イエスが預言者であると宣言するまでの物語は同章第16節から第34節を御覧下さい。

またrenshi様の言われる「イデア界のメディア界化」とは難解で今ひとつ理解出来ないのですが、私なりに一言加えさせて頂きます。受胎告知をする天使ガブリエルはイスラーム哲学のイブン・スィーナー(アヴィセンナ)などでは知性世界を形成する十の知性体のうちの最下位の存在に結びつけられることがあります。

またこの第十の知性体はアリストテレス主義の伝統の知性論でいう人間の知性を現実化する能動知性と結びつけられますし、またイブン・スィーナーによればこの知性体=天使がこの月下世界=地上世界の造物主となります。つまり知性世界(=イデア界、叡智界)の中でも地上世界に関わりの極めて深い存在となります。(以上H. Davidson, ”Alfarabi, Avicenna, and Averroes on Intellect” (New York/Oxford: Oxford UP, 1992), H. Corbin, ”Avicenna and Visionary Recitals,” tr. W. trask (Princeton: Bollingen Foundation, 1960)など参照)。

この天使が地上世界のマリアに現れて受胎告知するのですから、イブン・スィーナ−などの表象を借りれば、マリアのいる風景を一瞬だけでも叡智界=知性世界化すること、と言えないこともないでしょう。それを絵画化や物語の中で表彰することを、叡智界=知性世界がメディア化する、という意味に私なりに解釈しております。どうも失礼しました。

Toxandoria様、いつもながら思索へと人を強く促す論考を有り難うございました。またrenshi様にも興味深いコメントで思索させて頂きましたこと御礼申し上げます。』

# イオン 『申し訳ありません。

文章が乱れていますので、訂正致します。

クルアーン第19章「マルヤムの章」についてですが、「「聖霊」がやってきてマリアに受胎を告げ、イエスを出産し、イエスが預言者であると宣言するまでの物語」を

「聖霊」がやってきてマリアに受胎を告げ、マリアがイエスを出産し、イエスが自分が預言者であると宣言するまでの物語」と訂正致します。失礼しました。』


# toxandoria 『イオンさま、コメントありがとうございます。

こちらこそ、駄文をお読みいただくことになり申し訳ないと思っております。

「マリアのいる風景を“一瞬だけでも”叡智界=知性世界化する」ということからすると、“形象不可能なるものの形象への降臨”、つまり「受胎告知図」の真理を理解することがなかなか困難であることが分かるような気がします。

それから、renshiさまも触れていますが、ブッシュ大統領のような世界の覇権を握る王的な存在(つまり、謙虚さに欠けたプロテスタントのマッチョな王)が聖母(マリア)の真理を理解(信仰)できないことが現代世界を“現象リアリズム傾斜”の方向へ向かわせているような気がします。

つまり、これが“悪魔の思う壺”(=冷戦後にカルト的なエセ思想である新自由主義の奔流が生まれたことの悲劇的な意味)なのかも知れませんね。

このような観点から見ると、例えば、EUが市場競争の原理を受け入れつつもアメリカとは異なり社会的連帯、公正、平等など人間の尊厳を守る方向をギリギリの線で模索していることは非常に重要だと思われてきます。

因みに、マリアを意味するヘブライ語のミリアムには「平和の子」という意味があるそうです(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0359.html)が、これにも宜なるかなの感がしております。

今後とも、よろしくご教示をお願いします。』

(参考URL)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/

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