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3度目のW杯にかける思い 川口能活インタビュー 【スポーツナビ】
http://www.asyura2.com/0601/bd44/msg/294.html
投稿者 愚民党 日時 2006 年 6 月 13 日 03:30:24: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 日本、痛恨の3失点 オーストラリアに逆転負け テキストLIVE  【スポーツナビ】 投稿者 愚民党 日時 2006 年 6 月 13 日 03:13:05)

http://wc2006.yahoo.co.jp/voice/interview/kawaguchi.html

6月のドイツ――決戦の地、日本代表のゴール前で最後のとりでとなるのは、この人だろう。川口能活(ジュビロ磐田)は、30歳の円熟の落ち着きをたたえながら、来るべき時に備えている。極限状況の連続だった1997年のワールドカップ(W杯)アジア地区最終予選を22歳で戦い抜き、日本が初出場した8年前のフランス大会3試合にフル出場。2002年大会ではレギュラーから外され、ベンチからチームメートの活躍を見詰めた。ドイツ大会予選では、招集もされない時期を経て、途中からレギュラーの座をつかみ取った。日本代表は、ドイツで世界最高クラスの厳しい攻撃を受けることになる。GKだけでは防ぎ切れないゴールがある半面、GKだから止められるシュートがある。彼の活躍に期待が集まっている。

1998年のクロアチア戦のことは、すべて覚えている


日本代表のゴールを守る最後のとりで、川口能活【Photo:Kim Ran/SRP】


――まず、初戦の相手オーストラリアについての印象を教えてください

川口能活(以下、川口): オーストラリアとは、2001年の日本でのコンフェデレーションズカップ準決勝と、その年のアジア・オセアニアチャレンジカップで戦いました。イングランドのような身長の高さやパワーがあって、その上に技術が非常に高い印象を持っています。本大会でどんなチームになっているかは、直前になってビデオを見たりしないと分からないですけど、南米のウルグアイとのプレーオフに勝ってW杯出場を決めたということは、本当に彼らの実力を物語っていると思います。どういうサッカーをしてくるのかも大事ですが、彼らの勝負強さに興味があります。ただ、彼らにとっては久しぶりのW杯出場ですから、それがどういうふうに影響するのかは分かりません。

――優勝候補と呼ばれるブラジル(グループリーグ第3戦)はいかがでしょう

川口: ブラジルのプレーは、見ていて楽しいですし、動きも違う。誰もが認める世界ナンバーワンのチームだと思います。僕にとっては、そういうチームを相手にしてこそ、自分の能力を最大限に引き出せると思うんです。“負けてもともと”という精神状態で臨む方が人間って楽ですし、思い切ったプレーができますよね。自分たちがブラジルと戦う上では、思い切ったプレーが必要です。怖がったら絶対ダメです。怖がって守っていても、ブラジルはどこからでも攻めてきます。テクニックの素晴らしさが強調されますが、フィジカルも相当強い。90分間走り続ける体力があって、相手チームの選手の足がつっていても彼らはつらないと思うんです。身体的能力やフィジカルの強さでどんな相手でも圧倒できるのがブラジル。それがブラジルのあまり知られていない強さの秘密だと思います。

――ブラジルの攻撃を受けて立つことは、GKの立場ではW杯で一番の楽しみですか?

川口: ブラジルからは、必ず攻められます。ブラジルが攻めてこないなんて、あり得ません。GKの真価は、攻められているときだけで評価できるわけではありません。けれども、GKが普段一番練習しているのはシュートを受けることです。普段の練習の成果を一番発揮できるのは攻められているときですから、自分の持っているものを一番発揮できる相手がブラジルじゃないかなって思います。

――それでは、1998年W杯でも対戦した因縁の相手、クロアチア(グループリーグ第2戦)については

川口: 団結力がありますね。政治的な話でも、旧ユーゴスラビアの中でも一番まとまっている印象があります。団結力を基に、独立してから経済力、政治力を旧ユーゴの国の中で最も身に付けているのがクロアチアだ、というイメージがあります。サッカーだけではなく、国として本当に団結力があるように思います。1998年に対戦した時は、シューケルやアサノビッチ、ヤルニら個人技の素晴らしい選手がいました。しかし、彼らの強さの根本的なところは、やはり団結力じゃないかなと思います。総合的にも非常に実力のあるチームでした。あの団結力は、国民性だと思います。

――あの試合のことは、今でもありありと思い出せますか?

川口: 全部覚えています。前半のクロアチアの攻撃ですとか、中山さんの決定的なシーンとか、非常に暑かったこととか……。(敗戦の決勝点は)自分のニアサイド、DFの股間(こかん)を抜けて決められたシュートでした。あともう少しで取れたシュートでしたから、すごく悔しかったです。あの試合で僕らは決勝トーナメント進出の夢が絶たれましたから、強く記憶に残っています。



1998年W杯の記憶は、今でも胸の奥に焼きついている【Photo:山田真市/アフロ】


――今回の2006年大会に出場すれば、川口選手は3度目のW杯を経験することになります。それぞれの大会についての感想をお聞かせください。日本が初めて出場した1998年大会には、どのような印象がありますか?

川口: 初めてのW杯でしたから、自分が出場してプレーすることに喜びを感じていたと思います。自分のプレーの成果はあったので決して悪いことばかりではなかったんですが、チームとしての結果では、全敗して1つも勝てませんでしたから、すごく悔しかった。どの試合も1点差負けでしたので、より強く悔しさを感じました。いろいろプレーの手応えはあったのに、結果が出なかったので、とても複雑な気持ちになりました。

――2002年のW杯については

川口: 日本が勝ったことに対しての喜びはありましたけど、自分がピッチに立てなかった悔しさもありました。1998年大会とは別の、複雑な気持ちがありました。

――では、今年のドイツ大会はどのような大会にしたいですか?

川口: 自分が今まで身に付けてきたものを、心身ともに最高の状態で発揮できるようにしたいですね。自分がピッチに立って、ピッチの上で喜びを感じられるようにしたいなって思います。

――ちなみに、2004年に代表に復帰してから背番号「23」を付けていらっしゃいます。GKのエースナンバーといえば「1」ですが、何か思いの違いはありますか?

川口: 確かにレバノンでのアジアカップ優勝(2000年)や、日本でのコンフェデレーションズカップ準優勝(2001年)など、背番号1番のときにいい成績を残しています。ただ、23番は(2004年に)久しぶりに代表復帰して与えられた番号ですから、どちらも僕にとっては縁起のいい番号だと思っています。

――では、W杯の日本代表登録メンバーが発表される5月15日が来て、川口選手が代表に選出され、代表チームスタッフから「何番がいい?」と聞かれたら?

川口: いやー、どうなるんでしょうね?(笑)。ただ、ジーコ監督になってから、僕はずっと23番ですし、正剛(楢崎)は1番を付けている。ずっとその流れで行くんじゃないですか。(1番にしてほしいと要望を出すことは)特にないですし、人間、欲を言ったらきりがないので。

――その言葉の端から察すると、今の日本代表チームと関連付けなければ、やはりGKとして1番でありたいという気持ちは持っているのでしょうか?

川口: やっぱりエース番号だと思います。背番号でサッカーをやるわけではないですが、潜在的には……。ただ、僕が代表で付けた背番号は、ユースのときは19番ですし、アトランタ五輪のときは西野さんが1番を僕に与えてくださいましたけれど、あとはだいたい2けた番号ですから、何番でもいいんじゃないですかね(笑)。


「求道者の川口能活」と「穏やかな川口能活」


ピッチで見せるストイックな側面とは対照的に、素顔の川口能活は柔和な笑顔を見せる【Photo:Kim Ran/SRP】


――ドイツでは、ジュビロ磐田のチームメートとともに戦うことになると思います。代表とクラブでは何か違いがありますか?

川口: 代表へ行けば代表のやり方、ジュビロにいればジュビロの中での役割があります。その中でマコ(田中誠)やフク(福西崇史)、村井(慎二)とは接しています。ジュビロではフクがキャプテンですし、マコは4バックのセンターの右側、村井は左と、ジュビロでの戦い方があります。その戦い方での指示の出し方とか、あとは“こういうプレーをしてほしい”“ああいうプレーをしてほしい”というコミュニケーションを取ることが、代表につながると思います。そういう意識で、そういう現実の中で彼らと接しています。ジュビロだとか、代表だとか、特に分けて考えることはないですね。みんな能力の高い選手たちですから、W杯のために特に変わったことはしていません。

――話が昔に戻りますが、2004年12月のジュビロの入団会見で、あいさつし終えて慎重にそっとマイクを置く姿が印象的でした。出場機会が少なかった欧州から戻ってきて、緊張や期待、不安などがあったのでしょうか?

川口: あの時は、とにかくプレーしたいっていう気持ちが強かったんです。そのため、自分がジュビロで日本に復帰するという時にあれだけ多くのメディアの人が来ることを想像していなかったので、それに対する驚きはありました。緊張というのは特になくて、とにかく(プレーできる)期待がありました。

――普段から動作は穏やかなのでしょうか?

川口: サッカーを通しての僕って、強烈なインパクトしかないのかもしれませんけど、普段はわりとおとなしめな感じです(笑)。

――ピッチの上での集中や力強さと、普段の穏やかさに大きな差があるのでしょうか?

川口: ありますね(笑)。サッカーのときはいろいろデリケートな面もありますし、大胆さっていうのも必要ですから、わりと“ワッ”って感じですが、普段は結構ぼーっとしていて、あまり物事を気にしないです。もちろんしゃべるし、いろいろな喜怒哀楽はありますけど、おとなしいですよ。本当に普通な感じです。

――最近のメディアでは“求道者のような川口選手”と“丸くなった川口選手”という、それぞれ対極的な表現がなされることがありますが、ご本人としてはどう感じていますか?

川口: 両方とも間違ってはいないので、それはそれでいいと思います。サッカーに対しては求道者に見えるようなストイックなスタイルでやってきていますが、それは自分にとって“苦”ではないんです。サッカーがうまくなるためのひとつの手段で、それはそれで自分のやり方です。(求道者と表現されるのは)別に間違いだとは思いません。ただ、もともとサッカーから離れたときの自分ってそんなに攻撃的じゃないし、自分で言うのも変ですけど、どちらかというと穏やかな感じです。だから、“丸くなった”っていうのも、それは昔から持っていた一面なので、自分のそういう部分が見えてきているんだなって思います。まあ両方持っていますよ(笑)。

(インタビュー:原修一朗=SRP/提供:スポーツナビ)



川口能活
1975年8月15日生まれ。清水商業高校時代には主将として全国高校サッカー選手権で優勝し、横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に入団。1年目の1995年にレギュラーポジションを獲得すると、Jリーグ優勝、新人王を獲得。その翌年にはアトランタ五輪でスーパーセーブを連発し、ブラジルを破る“マイアミの奇跡”の立役者となる。日本にとって初のW杯出場となった1998年W杯でも予選・本大会ともにゴールを守った。2001年には渡英し、日本人GK初の海外移籍を果たす。しかし、なかなかクラブでは出場機会に恵まれず、2002年W杯でも控えに甘んじる。その後デンマークのクラブを経て、2004年にはアジアカップで“神がかり”的なセーブを見せて、連覇に貢献。そして2005年、ジュビロ磐田で国内復帰を果たした。ジーコ監督の信頼も厚い、日本の守護神。




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