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イスラム世界の発展関連HP
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投稿者 たかす 日時 2006 年 8 月 23 日 10:16:48: ifeEPcYg7BdHI
 

出展:2・2・2 インド洋の交易都市とイスラーム交易民
http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi2/page002.html
▼縫合船ダウの起源、それが長らえた条件▼
 インド洋の特有の船舶として縫合船が、長年にわたってなぜ使用され続けたかについて、い
ろいろ議論があるようである。その理由について、(1)装釘船は沈没するという磁石山伝説、
(2)船材に使用する木材が堅いため鉄釘は使えない、(3)インド洋の海水は鉄釘を腐蝕させ易
い、(4)縫合型船の方が衝撃に柔軟性がある、(5)鉄資源が不足していて高価といった諸説が
あるという(家島前同、p.413より)。
 家島彦一氏は、縫合型船の利用と普及の自然生態的条件について、三角帆を装備した縫
合型船はモンスーンと吹送流を最大限に利用する航海に最も適合した船であり、しかもインド
洋を迅速、直線的に横断するには、大型であるよりは小型で軽装の縫合型船である方が望ま
しかった。次に、その社会的条件について、アラブ系やイラン系商人たちが中国ジャンクのよう
な大型構造船にしなかったのは、彼らの資本形態の特殊性、すなわち1回の航海によって船
の建造費を全額償却するという、比較的少額に限定された出資と分散投資を行うことが多く、
また血縁と肉親・兄弟間の共同合資(ムカーラダ)の形態によったため、大資本を集めて1隻の
大型船を建造することが少なかったからだという(家島前同、p.418)。
 このように種々考察を加えた上で、地中海において古くから使用されていた装釘船がどうして
インド洋の海域では普及しなかった最大の理由は、ペルシャ湾岸とインド洋周縁部には鉄資源
が乏しく、また西アジア地域では鉄の精錬に必要な木材資源が不足していたことにあるとす
る。中世イスラーム時代、地中海沿岸部のチュニジア、アンダルス、小アジア、ビザンツ帝国や
西ヨーロッパなどから、西アジアのイスラーム商人がそれらを購入し、インド洋周縁部に再輸出ていたという(家島前同、p.418)。
 それより早く、山田憲太郎氏はイスラム船には「小型の索縄船であることと、三角帆の使用、それに船員は黒人奴隷である」という特徴であるとし、そうした船が利用された理由として(1)「索縄船はがっちりしていないが、それだけに柔軟性がある。波の高いインド西南部の砂浜に打ち上げられても、船体は割れないですむ」、(2)「小型船の主要材料はココヤシと鯨油であって……鉄の精錬と鉄釘の製造は……非常に高くつく」、(3)「当時の航海技術と気象観測はまだまだ幼稚であったから……安い小型船を多数使用」されることとなった、(4)「インド洋では沿岸各地の海賊だけで……小型船で十分航海ができた」ことを上げる(同著、『香料の道』、p.
124-5、中公新書、1977)。
 その上で、それら「小資本の冒険商人の小船が多数集積して、イスラムのインド洋貿易は展開され」ていたとし、それは「船員はペルシア人の船長を除けば、ほとんど東アフリカ・サンジュの奴隷(黒人)で、船員のコストはきわめて低い。船自体は小型の索縄船で、これも安価である」、そして「小型船の所有者と船客、それから彼らに出資している高利貸は、スピーディーで一攫千金だけしか考えていない。だから1隻の船の損失が軽くてすむことを切に望んでいる」からであるとする(山田前同、p.126)。
 この脆弱な船体と手軽な帆装のダウはインド洋ばかりでなく、家島彦一氏によれば中国の唐代、五代や宋初、広東、福州、温州、揚州などに来航していたとする。その例証として、唐末期に広州に滞在した劉恂がその著書『嶺表録異』巻上において、「賈人(外国商人)の船は、鉄釘を用いず、ただ光榔(シュロの一種[光には木偏がつく])の髪を使って束ねて繋ぎ、橄欖(熱帯に産する果樹の一種)の糖をこれに塗りつける。糖は乾くと、非常に堅く、水に入れると漆のようである」という史料を上げる。この文中の「賈人の船」は、おそらく、ペルシャ湾から出港したアラブ系およびイラン系の縫合型船ダウだとする(家島前同、p.398)。そうした船がそれなりにいたのであろう。
 ダウがその原形を保って今日まで長らえた条件は、インド洋海域の船が西ヨーロッパの船に後れをとり、その発達を疎外する条件となった。ダウはインド洋海域というローカルな船に進んで甘んじてきたといえる。なお、現代はともかく、中世のダウが竜骨構造であったかどうかにつ
いて、いずれの論者も言及していがいないが、それはその起源や建造方式からみて、当然そうではなかったとみたからであろう。
 なお、これら縫合船の構造やその船員の出自などの知見は 『アラビアン・ナイト』のシンドバッドの項が、ヒントになったいるとみられる。

出展:世界史ノート(中世編)
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/mokuji02.html
第6章 イスラム世界の形成と発展
3 インド・東南アジアのイスラム化
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/90-islam10.html
2 東南アジアのイスラム化
 ムスリム商人は、すでに8世紀後半のアッバース朝時代から盛んに海上に進出し、インド洋から東南アジアを経て中国の海港都市でも活躍していた。イスラム教は中国にはアラブ人が7世紀後半に海路経由で伝え、広州・揚州・泉州などの港市にはイスラム寺院も建てられている。しかし、東南アジアにイスラム教が広まるようになるのは13世紀以後のことである。
 東南アジアでイスラム教が広まる時期が遅れた理由としては、初期のムスリム商人達が布教に余り熱心でなかったこと、東南アジアの住民達にも受け入れる気運がなかったことなどが考えられている。13世紀に入って東南アジアにイスラム教が広まるようになったのは神秘主義教団の活動によってインドのイスラム化が進んだことが深く関係していると考えられている。
 イスラム社会では、10世紀頃から神との一体感を求める神秘主義(スーフィズム)が盛んとなった。スーフィズム教団の修道者は、羊毛で作った粗末な衣服(スーフ)をまとい、ぜいたくな生活を排し、苦行と瞑想によって神との一体感を求めた。12世紀になるとスーフィズム教団の組織化が進み、多くの神秘主義教団が結成され、教団員は貿易路に沿ってインド・東南アジア・中国に進出し、イスラム教の布教に熱心に従事した。

4 イスラム文明の発展
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/91-islam11.html
2 イスラム教徒の学問
 イスラム教徒の学問は、「固有(自国)の学問」と「外来の学問」に大別することが出来る。「固有の学問」は、アラブ固有の学問分野でイスラム教・アラビア語・ムハンマド・「コーラン」研究から発達した学問で、法学・神学・言語学・歴史学などが含まれる。
 言語学・文法学は「コーラン」の研究から発達した。「コーラン」はアラビア語で書かれていて、他の言語への翻訳は禁止されているので、「コーラン」を正しく理解し・伝達するためにはアラビア語の言語学や文法学が大切な学問であった。
 法学・神学も「コーラン」の解釈を中心に発達した。イスラム法は、「神の定めた掟」の意味でシャリーアと呼ばれ、行政法・身分法・家族法・商法など社会生活全般に関わる規定を含んでいるため法学は最も重要な学問とされた。イスラム神学・法学に精通した人はウラマーと呼ばれ、神学・法学上の問題の裁定を行う。従ってウラマーのイスラム社会での発言権は強く、社会のエリートとして大きな影響力を持った。神学者としてはイラン系のイスラム神学者のガザーリー(1058〜1111)が知られている。
 歴史学は、ムハンマドの伝承研究から発達した。イラン系の神学者・歴史家タバリー(839〜923)は年代記的世界史「預言者と諸王の歴史」を著した。
 イブン=ハルドゥーン(1332〜1406)はイスラム世界最高の歴史哲学者として有名である。チュニス出身で法学を学び、政治家となり若くして北アフリカのハフス朝(1228〜1574)の高官となったが、妬まれて各地を転々としたり投獄されるなど波乱の半生を過ごした。43才で政界を引退し、歴史書の執筆にあたった。「世界史序説」を著し、遊牧民と定住民との関係・交渉を中心に王朝興亡の歴史に法則性があることを論じた。50才の時エジプトに移住し、マムルーク朝に仕えてカイロの大法官となり、その後カイロで没した。   
 「外来の学問」は、ギリシア・インドなどの非アラブの学問で、哲学・論理学・地理学・医学・数学・天文暦学・工学・錬金術などで自然科学の分野を中心に発達した。
 これらの「外来の学問」は、9世紀の初めにギリシア語の文献が組織的にアラビア語に翻訳されるようになって飛躍的に発達した。特に自然科学は大いに発達した。
 医学・薬学は、ギリシア・インドから学び、特に外科・眼科などが発達していたと言われている。有名な医学者としてはイラン系の医学者・哲学者で「医学典範」の著者であるイブン=シーナー(ラテン名アヴィケンナ、980〜1037)とコルドバ生まれの大哲学者・医学者で「医学大全」を著したイブン=ルシュド(ラテン名アヴェロエス、1126〜98)がよく知られている。
 イブン=シーナーは、サーマン朝の高官の子としてブハラに生まれた。17歳頃サーマン朝の君主の病気を治療し、その宮廷図書館で学究生活を送った。その後各地を転々とした後ハマダーンのブワイフ朝君主の宰相となり、その保護のもとで14年間を過ごした。その学問は医学・哲学・神学・数学・天文学に精通し、彼の著作は100を越え、「学問の長老」と称された。特に「医学典範」はアラビア医学の集大成で、ラテン語に翻訳され、12〜17世紀にかけて西ヨーロッパの大学・医学部で権威あるテキストとして重用された。イスラム世界では現在でも利用されていると言われている。
 イブン=ルシュドは、コルドバの名門に生まれ、法学・医学・哲学を学び、その天分を発揮し、27歳頃モロッコのマラケシュに赴いてムワッヒド朝のカリフに謁見し、コルドバで法官となり、晩年にはムワッヒド朝のカリフの主治医となった。この間多くの著書を残したが、特にアリストテレス哲学の研究家・注釈家として有名で、中世ヨーロッパにおけるアリストテレス哲学の研究に大きな影響を与えた。
 数学も、ギリシアの幾何学やインドの数学を学び、特にインドから学んだ数字・十進法とゼロの観念を大いに発達させた。
 現在我々が使用している算用数字はアラビア数字と呼ばれる。インド数字を原型として、イスラム世界で完成し、後にヨーロッパに普及し、現在は世界中で使用されている。このアラビア数字の最大の長所はインドから学んだゼロの観念をアラビア数字・十進法と結びつけたところにある。
 ローマ人はアルファベットを用いて数字を表記した(1はI、5はV、10はX、50はL、100はCなど)が、大きな数字を表記するのに大変苦労した。例えば1999はCIC(1000) IC(500) CCCCLXXXXVIIII(1000と500の右端のCは、Cを裏返して左右を逆にした記号になる)と表記した。これをアラビア数字では1999で表せるし、さらに0を付け加えるだけで無限大の数字を表すことが出来るようになった。まさに画期的な記数法である。
 従来の数学は、例えばギリシアの場合も発達したのは代数学でなく幾何学であった。代数学が発達せず、幾何学が発達した理由はやはり数字の問題だと思う。この計算に便利なアラビア数字の発明によって、イスラムでは、代数学・三角法が発達した。イラン系のフワーリズミー(780頃〜850頃)は、ホラズムに生まれ、アッバース朝に仕えた。アラビアの数学を確立し、代数学の創始者となった。彼は天文学者としても有名だった。
 天文暦学は、古代オリエントでも盛んであった占星術がイスラムでも大いに発達し、そこから天文観測や暦学が発達し、正確な暦も作成された。
 オマル=ハイヤーム(1048〜1131)は、イランの詩人・数学者・天文学者で、セルジューク朝のスルタンの命により、きわめて精密な一種の太陽暦である「ジャラーリー暦」の制定に従事した。数学者としては3次方程式の解法の体系化しているが、彼の名を有名にしているのはペルシア語の「四行詩集」(「ルバイヤート」)の作者としてである。ルバイヤートは19世紀に英訳されて世界的に有名となった。
 錬金術は、古代エジプトに起源を持つ、卑金属を貴金属に変えようとする技術である。もちろん実現するはずもないが、そのためにあらゆる実験・観察が繰り返され、その中から様々な元素記号が生まれ、化学反応式さらに酸とアルカリの区別などが知られていた。このイスラムの実験・観察のデータをもとに、近代ヨーロッパで化学が発達することになる。
 ヨーロッパ人が、イスラムから様々な学問・知識を受け入れていく際、当時のヨーロッパ人には知られてなくて、そのものを表す単語がないときにはアラビア語がそのまま使われた。このため今日の英語の中にも多くのアラビア語起源の単語があることはよく知られている。例えばalcohol,alkali,algebra,alchemy,alembic,amalgamなどの科学用語の他にsugar,cotton,syrop,check,tambourine,luteそしてzeroなどがある。科学用語にalの付く語が多いがalはアラビア語の定冠詞である。
 「外来の学問」は、自然科学以外の分野では哲学・地理学なども発達した。
 哲学では、ギリシア哲学・特にアリストテレス哲学の研究が盛んに行われた。前述したイブン=ルシュドはアリストテレス哲学の研究家として知られ、彼の注釈は後の西ヨーロッパに大きな影響を与えた。イブン=ルシュドと同じく医学者として有名なイブン=シーナーも哲学者としても有名である。

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