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日本人も昔は首狩り族だったのだが(ダヤク人 インドネシア専科>諸民族とその社会の紹介)
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投稿者 たかす 日時 2006 年 8 月 25 日 21:30:51: ifeEPcYg7BdHI
 

(回答先: 「子猫殺し」直木賞作家 背景に「日本嫌い」 [J-CASTニュース] 投稿者 white 日時 2006 年 8 月 25 日 19:54:40)

日本人も首狩りの風習がなくなってフラストレーションがたまっている人が多いのかも知れない。なんてね。あまりに文明化・除菌され過ぎて、暑くて厚いアスファルトとコンクリートに囲まれて息が詰まってきたのでしょうか?
あんまり関係ないかな?↓

624.ダヤク人

 カリマンタン島のプロト・マレー系(→565)の先住民がダヤク(Dayak)人である。先住民でもイスラム化すればダヤク人(注)でなくなる。総人口約百万人は多くの種族に分れて広い内陸部の山岳地に分散している。外部の人間がダヤク人と総称しているだけで彼らに同一民族としての自覚があるわけではない、むしろ種族間の争いを繰り返してきた。⇒カヤン族
 種族間の敵対の最大の原因は“首狩り”の蛮行であった。手に入れた首は収集品として大事に保存された。首は守護神として御札(おふだ)のようなものらしい。
 その他のダヤク人の奇習は“刺青(いれずみ)”と“耳飾り”である。体中に丹念に文様の刺青を行っているので裸でいても服を着けているように見える。指の先まで手袋と見間違うばかりの刺青である。耳飾りも特大のものを付ける。このため耳朶が大きくなって肩まで垂れ下がる。これもハンサムの条件である。⇒ダヤクの刺青
 ダヤク人は木彫り、イカット(→928)など民族の伝統を伝える手工芸品に優れている。また、150b以上にも及ぶロングハウス(→941)に一族がアパート方式に住む風習が珍しい。
 吹き矢(→663)による狩猟が蛋白源である。ちなみにカリマンタン島以外のニューギニア島のなどの未開民族では弓矢による狩猟である。
 ダヤク人は一般のインドネシア人と比べると肌の色は白い。イバン族が酒を回し飲みして褌(ふんどし)姿で阿波踊りのように踊るところは日本の宴会そっくりである。
 ケニヤ族、カヤン族は人口も少なく小集団で中央から東の山岳に分散しているが、ダヤク固有の文化を墨守している。かれらの居住する島中央部の秘境であるアポカヤンが観光地化しつつある。
 ダヤク人は、今、押し寄せる文明の波の中でダヤク固有の文化を喪失しつつある。伝統で伝えてきた耳飾や手足の先にいたるまでの刺青の文化も青年には忌避されている。青年は都会の文化に憧れてロングハウスを出たきり帰ってこない。

 イバン族はマレーシアのサラワク州から西カリマンタンに拡がっている代表的ダヤク人である。焼畑農業(→882)による陸稲栽培がダヤク人の一般的生計であるが、イバン族の一部の部族では伝統の棚田による水稲栽培も行っている。
 サラワク州ではイバン族を中心として政治的結合が図られてきた。インドネシアでも中カリマンタン州がダヤク人の政治要求の高まりから成立した。しかしカリマンタン島へはジャワ島からの移住民が押し寄せ、資源の冨はジャカルタを潤しており、先住民のダヤク人が疎外されていることは否めない。
 近年の西カリマンタンや中カリマンタンの民族紛争(→738)では移住民であるマドゥラ人と対立している。ダヤク人はバランや槍でマドゥラ人を攻撃し、狩られた首の写真がインターネットに掲載されて世界にショックを与えた。インドネシア体制下で鬱積久しいダヤク人の先祖返りであろうか。 
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インドネシア専科>目次>F 社会>F-4 諸民族とその社会

625.首狩の風習

 ヘッドハンターの語源はボルネオの“首狩族”であり、ダヤク人の中でイバン(Iban)族は首狩族の代表としてその悪名は世界に鳴り響いていた。首狩の慣習は多くのダヤク人に共通しており、インドネシアではカリマンタン島のみならずトラジャ人(→618)も首狩の慣習があり、ヌサ・トゥンガラ諸島、マルク諸島でも行われていた。
 イバン族の男は青年になるとブジャライ(bejalai)に出かける。ブジャライとは首狩りが目的の放浪の旅である。勇士の首を持ち帰ってはじめて一人前の男として認められ、求婚の資格(注1)ができる。近隣部族との摩擦を避けるため、同一河川の流域では首狩りをしないというしきたりがあった。⇒首狩り族の後裔
 首狩は頭には生命力が宿り、生命力は持ち運びできるという信仰(注2)に基づくものである。今日でもロングハウス(→941)には汚れて黄ばんでいる数個の頭蓋骨が篭に入れて天井からつるしてある。この首は必ずしも首狩りの戦果ではなく、身内の首をこのようにして保存しておくのが供養である。多くの頭蓋骨があっても誰のものか見分けがつくらしい。
 カリマンタン島の北側のサラワクにやってきた白人ラジャ(王の称号)のブルックは原住民の文化を尊重したが、首狩りの蛮行を黙視しえず、これだけは止めさせるという姿勢で臨んだ。
イバン族はこの条件を受け入れてブルックの軍門に下った。こうして成立したサラワク王国は今日のマレーシアのサラワク州になった。
 オランダ領側のイバン族でも首狩りはあったが、近代文明の浸透による社会緊張がサラワク側ほどでなかったためか、悪慣行は自然になくなった。オランダ植民地政庁の治世というよりはキリスト教の布教の成果であった。⇒イバン族の戦闘舞踏
 
 ところで日本人も首への執着が強いように思う。中世の合戦は相互の大将の首取りゲームの要素があった。獄門という死刑にした上になおかつその首を晒すという刑罰には単なる“死”以外のものを首に価値づけているからである。江戸時代の赤穂浪士の討ち入りも吉良上野介を殺すことではない、首をとることに復讐の意義がある。吉良上野介の首を下げた行列を誇示して復讐のセレモニーが終了する。
 桜田門において水戸浪士によって井伊大老は暗殺された。水戸浪士が求めたのは井伊大老の死そのものではなくこれもまた首である。明治になっても西南戦争で敗れた鹿児島軍は大将である西郷隆盛の首をとられないように隠した。
 日本とカリマンタン島の中間になる台湾の高砂族も20世紀まで首狩りを慣行とした。日本人の首へのこだわりもその延長にあるような気がするが、民俗学の泰斗(たいと)柳田国男先生の膨大な著作にも日本人の首への執着についての言及は残念ながら一言もない。

出展:インドネシア専科>目次>F 社会>F-4 諸民族とその社会
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/page054.html#622

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