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国家にとって歴史とは個人の思い出のようなものだ。歴史を否定された国家は将来に立ち向かうことができず漂流するしかない。
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投稿者 TORA 日時 2006 年 9 月 18 日 16:11:07: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
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http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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国家にとって歴史とは個人の思い出のようなものだ。歴史を否定
された国家は将来に立ち向かうことができず漂流するしかない。

2006年9月18日 月曜日

◆産経Web 教育を考える アメリカ-中学生向け教科書編
http://toron.pepper.jp/jp/text/sankei/sankeius.html

◆(3)カスターはインディアンの女性や子供まで虐殺した
英雄的将軍か酷い惨殺者か

アメリカ映画といえばかつては西部劇であり、
幌馬車を襲撃する悪漢たちを撃ちまくったジョン・ウェインや
ゲーリー・クーパーといった主人公たちはいまもヒーローであり続けている。
その一方で、教科書の中の西部劇はまさに劇的な変化を遂げた。

例えば、ジョージ・アームストロング・カスター将軍と第七騎兵隊の逸話がその典型だ。
カスター将軍とその部隊は一八七六年六月二十五日、
モンタナ平原のリトル・ビッグホーンの戦いでシャイアン族とスー族の連合軍に殲滅された。

南北戦争での勇猛さ、赤いスカーフに長い金髪という派手ないでたちから
国民的な人気者だったカスターはこの死によって「西部劇の伝説」になった。
ハリウッドが四十本以上のカスター映画を作ったことからもそれがうかがえる。

ところが、ハイスクール用歴史教科書
「ライズ・オブ・ジ・アメリカン・ネーション」
(一九八二年版)はそんな英雄カスターを全く別人に描いている。

「スー族は再び約束を(白人によって)破られた。
居留地として認められていた
ブラック・ヒルズから金鉱が発見されたため、
第七騎兵隊はスー族をそこから追い出すよう命じられたのである。

指揮官のカスターは
根っからのインディアン・ファイターで、
数年前、オクラホマの平和なインディアン部落を襲撃し、女性や子供まで虐殺している。

カスターは一八七六年六月、
スー族とシャイアン族の村々を襲ったが、
インディアン側には二人のすばらしいリーダーがいた。
一人は能力があり誠実で理想肌のシッティング・ブル。
もう一人は妥協を潔しとしない軍事的天才のクレージー・ホースだった。
戦いは壮絶を極め、カスターと二百六十四人の騎兵隊員は全員殺された」


アメリカの輝かしい西部開拓史が
原住民虐殺史へと視点を変えたのは、ベトナム戦争以降に強まった
ネガティブ(否定的)史観にあることは、同じ教科書の六六年版をみれば明らかだ。

そこでカスター将軍は
「最後のフロンティア征服」の過程で登場した歴史的な傑物として記述され、
原住民を理不尽に殺りくした人物としては描かれていない。

歴史人物の評価の変化は
メキシコ革命の風雲児、パンチョ・ビリャにおいても顕著だ。
テキサスなど旧メキシコ領を併合した米国は
二十世紀にはいってメキシコへの投資を強めており、
一九一〇年から二〇年にかけて吹き荒れたメキシコ革命は大事件だった。
六六年版「ライズ・オブ・ジ・アメリカン・ネーション」は次のように書く。

「米国はいまやメキシコ新大統領をだれにするか指図する立場にあった。
ウィルソン(米大統領)は
アルゼンチンなど三国と調停会議を開き、
(独裁者の)ウエルタを辞任させ、代わりにカランサを就任させた。

カランサが外国人(米国人)の
生命と財産を尊重すると約束したのを受け、米国は新大統領を承認した。
だが、その決定に不服なビリャは北メキシコにおいて米人十八人を冷酷にも惨殺した。
ウィルソンはパーシング将軍率いる五千人の兵士をメキシコに送り込み、ビリャを追跡したが、
反米感情が強まる中、一九一七年に引き揚げた。
大統領は法と秩序を守るためやむなく力を使った」

一方、最新の九八年版歴史教科書
「ボイヤーズ・アメリカン・ネーション」は一転して次のように描いている。

「カランサ大統領時代は紛争に彩られた。
ビリャはカランサを承認した米国への復讐を決意し、仲間の革命派ザパタにこう書き送った。

『われわれはメキシコの仲間には銃を向けず、メキシコが自由の国であり、
裏切り者にとっては墓場であることを思い知らせるために米国人を襲う覚悟だ』。

ビリャは十七人の米人(うち九人が兵士)を惨殺したため、ウィルソンは
ビリャを生死にかかわらず捕まえるよう命じ、カランサの了解を得ないまま追跡隊を送り込んだ。
追跡隊は一時、一万人を超え、メキシコとの国境には米兵十五万人が集結したが、追跡隊がメキシコに深く入り込むほどに反米感情も激化した」

盗賊の頭領のように描かれていたビリャがまるでロビン・フッドのような存在になった。

だが、こうした評価の一変に反発する声もある。
ニューヨークの「米教科書評議会」のギルバート・スーワル氏は
「カスターが極悪非道な惨殺者で、ビリャは実は愛国的革命家だった
と描けば描くほど本当の姿から乖離するわけで、行き過ぎた歴史修正と言わざるを得ない」と批判している。(ワシントン 前田徹)


◆(4)リンカーンの目的は奴隷解放ではなく合衆国維持にあった
「南北戦争」異なる歴史認識

米国の歴史教科書が扱うテーマで
最も論議を呼ぶのが南北戦争(一八六一−六五年)の記述だ。

米南部連合州と北部連合州の内戦はいまも
米国最大の危機として記憶されているが、戦争原因やその背景についての評価が
百四十年を経たいまに至っても敗戦(南部)側と戦勝(北部)側の間で食い違いを見せているからだ。

とりわけ南部側は戦争が北側の言う
奴隷解放の是非を争うようなものでなかった点にこだわっている。
つまり善(北)と悪(南)の戦いではなく、
「古き良き伝統を守ろうとした南部のプライド」をかけた戦いだったというわけである。

今年四月、ミシシッピ州議会が
黒人運動家らの強い反対を押し切って南部連合のシンボル入りの州旗を
掲げ続けることを議決したのはそうした歴史観がまだまだ根強いことを示している。

一九六六年版の歴史教科書「ライズ・オブ・ジ・アメリカン・ネーション」は、
南北戦争当時、南部で広く論じられた奴隷制賛成論を二ページにわたって詳述していた。

「奴隷たちには満足な衣食住が与えられ、
病人になっても年老いても面倒をみてもらえた。
何よりも文明化という点で大きな利点があった。

逆に北部の
工場労働者たちは解雇の不安に常に悩まされ、
工場主に搾取され、年老いたり病気になると捨てられた。
この見方は大農園主に特に支持され、小農園主や奴隷を持たない小作農たちにも広く浸透していた」

奴隷制度の擁護につながるかのような
こうした記述は最近の教科書からは消えたが、
南部における奴隷制が南北戦争の主因となったという歴史認識はとりわけ北部で根強い。
その見方を反映した現行の全米向け教科書「ジ・アメリカンズ」は次のように記述する。

「一八五四年六月二日、
ボストン市の通りは五万の人で埋まった。
抗議のための半旗が翻り、多くの商店は黒い布で覆われた。

(逃亡奴隷である)
バーンズを持ち主に返すことに抗議して
窓からは『自由の葬儀』と書かれた棺さえつるされた。

逃亡した奴隷を持ち主に返す法に怒った北部州の人たちは
アフリカン・アメリカン(黒人)たちをカナダに逃すために自警団まで組織した」

このページには年老いた黒人女性の写真が掲載され、
「奴隷逃亡を組織し(かつてユダヤ人奴隷をエジプトから救い出した)
モーゼの再来と呼ばれたハリエット・タブマン」という説明が付けられている。

ベトナム戦争以降、米国で急速に強まったネガティブ(否定的)史観は
ベトナム戦争が共産主義に対する“正義の戦い”だったという視点を退けた。

また、六〇年代に進行した公民権運動によって
黒人、アメリカ先住民(インディアン)、メキシコ系米人ら
米国の少数派と呼ばれる人たちの権利を強く意識した歴史観が生まれた。

しかし、南北戦争に関する限り
こうしたネガティブ史観は痕跡をたどるのが難しい。
むしろ南部史観と北部史観が混在するという多様性さえみられるのである。

全米の多くの州が採用している高学年用「ジ・アメリカン・ネーション」は
リンカーンの奴隷解放宣言をめぐる説明を次のような書き出しで始めている。

「最初、南北戦争は奴隷制度をめぐるものではなかった。

北軍が進出するところでは
必ずアフリカン・アメリカン(黒人)が奴隷解放を期待して現れたが、
北軍兵士は多くの場合、これら逃亡奴隷を捕らえて元の持ち主に戻した。

リンカーン(大統領)は
戦争当初の目的が奴隷解放ではなく
合衆国体制を維持することにあったと明確にするため、
『私は奴隷を解放せずに合衆国を維持できるならそうするし、
解放することで維持できるというならそうもする』と演説した」

「この戦争の過程で南部がとりわけ悲惨だったのは、
ほとんどの戦場が南部であり、戦闘による破壊を被ったからである。
また、北部のだれもがこの戦争を支持したわけでもなかった」
「リー(南部軍将軍)はこのまま戦えば部下がすべて戦死することがわかっていた。
一八六五年四月九日、降伏した。
これに対し、(北軍の)グラント将軍は非常に寛容な扱いをした。
『戦争は終わった。反乱軍(南軍)は再び我らの同胞になった』と語った」

この記述からは
奴隷制度を維持する時代遅れの南部を
懲らしめる進歩的北部という単純で一方的な歴史観は排除されている。
奴隷制度原因説を強調した前出の「ジ・アメリカンズ」とは際立った違いだ。

南北戦争について多様な歴史観を示す米教科書は、
南部と北部の歴史認識の違いを強制的に同一化することはなく、
異なる認識の共存が許されている。(ワシントン 前田徹)


(私のコメント)
昨日からの続きの歴史観についてですが、韓国や中国の歴史教科書の中身については以前に紹介しましたが、これらの国では反日が一つのイデオロギーになってしまっている。韓国にしても中国にしても建国して60年も経っていない国ですから、第二次大戦以降の記述が主体になり、日本との戦争を自分達のアイデンティティにするようになる。

アメリカも建国してから200年足らずの国であり、大きな歴史的な出来事は限られるのですが、西部開拓時代のインディアンとの戦いや、南北戦争が大きく取り扱われている。それらの歴史的評価についてはアメリカでも時代と共に変わって来るものであり、一つの出来事について普遍的な評価を下すことは難しい事を物語っている。

だから株式日記でも大東亜戦争についての歴史的評価は後世の歴史家に任せるべきだろうと書いてきた。私自身は大学で日本近代政治史をゼミで専攻したが、歴史の出来事についてどのような評価を下すかが歴史家の仕事だからだ。その為には資料を出来るだけ集めて、あらゆる観点から検討していかなければならない。

私自身は大東亜戦争についてはアジアの植民地解放戦争であり、人種解放戦争でもあったと評価している。アメリカにおいてもベトナム戦争の頃から黒人やインディアンなどのマイノリティーからの評価も歴史教科書に反映されるようになり、カスター将軍はインディアンの女性や子供まで殺した虐殺者と書かれる様になった。

丁度その頃はベトナム反戦運動や公民権運動などが起きており、アメリカのマイノリティーから見ればカスター将軍は虐殺者だ。いずれはアメリカにおいても広島、長崎への原爆投下は正しかったかと言う反省が起きるだろう。産経WEBの記事ではパールハーバーの事や原爆投下の事にも触れているが、ハイド議員のような太平洋戦争の当事者も生きていてはまだ冷静な評価を下すのは難しいのだろう。

南北戦争についても未だに戦争の傷跡が残っており、北部と南部の人とでは南北戦争についての歴史教科書も大きな食い違いを見せている。北部の人から見れば南北戦争は奴隷解放戦争なのでしょうが、南部の人にとっては国家の統一を維持するための戦争と言う見方であり、南部の歴史と伝統を守る戦いであったと教えている。

このようにアメリカ国内の歴史的出来事に対する評価も時代と共に変わるのであり、南北戦争ですら今でもアメリカでは普遍的で公正な評価を下すのは難しい。ましてや大東亜戦争が何であったのかを評価するにはまだまだ早いのだろう。だからアメリカで一部の議員が靖国神社の歴史観について訂正を求めるのは間違っている。

アメリカにおいてもベトナム戦争の頃からネガティブ史観が見られるようになったように、敗戦と言うのは歴史観を変える要素になるようだ。日本においても大戦の敗北によりネガティブ史観が日本の歴史の定説となり、日本の小学生や中学生は、日本は好戦的な侵略国家だと教え込まれて、憲法九条こそ日本は守るべきだと教育されてきた。

田原総一郎氏などのジャーナリストたちも大東亜戦争は侵略戦争だと決め付けているが、彼は歴史学の専門教育は受けていないのだろう。関が原の合戦だろうと、明治維新の評価でも時代と共に歴史的評価は変わるものであり、株式日記でも明治維新は欧米のフリーメーソンが深く関与していたと言うように思うようになった。

田原氏や秦氏のように歴史書を多く書きながら、疑問を感じざるを得ないのは、歴史に普遍的な評価を下そうと言う点があることだ。秦氏も富田メモが出てきたときに「これは一級資料だ」と言っていましたが、歴史学上では一級資料とは直接本人が書いた手紙や日記などを言うのであり、富田メモは伝聞であるから二級資料以下なのだ。だから歴史家ならば伝聞メモは一級資料とは言わない。

昨日はハイド議員などが靖国神社史観を批判したことに対して、彼らがどこまで事実を認識しているのか疑問を書きましたが、重大な出来事ほど真相を探るには難しく、日本でもアメリカでもなかなか公文書などが公表されず、事実の解明ができないことが多い。公表されても黒く塗られて分からなくされて、パールハーバーの奇襲攻撃も大統領は知っていたのかどうかは謎のままだ。

ケネディ暗殺も9,11テロ事件もおそらく政府は何も発表はしないだろう。南京大虐殺の真相も本当にあったのかどうかを探ろうにも、朝日新聞が次々ガセネタを公表しては混乱させてばかりいる。それらは歴史家によってガセであることは見破られている。一級資料だけを注意深く選別していかないと、伝聞だけで検証もせずに発表してしまうのは、歴史の専門家から見れば信用を失うだけなのだ。

先進文明国家であるならばイデオロギーに満ちた歴史教科書は使うべきではないが、アメリカですら自国の歴史を冷静に見る事は南北戦争の記述を見ても難しい事は明らかだ。英仏などでも自国の帝国主義については反省は見られていないが、日本だけがネガティブ史観を周辺諸国から強制されるのは政治的な意図があるためだ。産経WEBでも最後に次のように書いている。


◆(6)原爆投下によって数十万人の米兵の命が救われた「正当化の論理」は変わらず
http://toron.pepper.jp/jp/text/sankei/sankeius.html

米国の歴史教科書がベトナム戦争への
疑問を発端として大きく記述を変えたのは間違いないだろう。

ベトナム戦争での敗北感が伝統的歴史観を揺るがし、
白人中心の米国史は黒人や原住民(アメリカ・インディアン)
という少数派の目からみた歴史観によって修正が加えられたからである。

歴史家、シュレシンジャーが
そうした修正をいわゆるネガティブ(否定的)史観と呼んだのは、
「過去のマイナス面を強調しすぎたため輝かしい過去まで否定してしまった」との反省からだ。

しかし、米国は日本のように戦勝国や周辺国から
歴史観の変更を強く迫られ、激しい非難にさらされることもなかった。
第二次大戦の原因や原爆投下の理由についての記述でも自らの歴史認識を否定する積極的な必要性もなかったのである。

シュレシンジャーはネガティブ史観の行き過ぎを戒める次のような警告を発しているが、
これはむしろ自虐史観といわれるほど歴史の暗部だけをことさら強調する教科書があふれるいまの日本にこそ当てはまるように思える。

「国家にとって歴史とは個人の思い出のようなものだ。
過去を全否定された個人が無気力になるように、
歴史を否定された国家は将来に立ち向かうことができず漂流するしかない」


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