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実に興味深いオプス・デイの「冷静さ」
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投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 6 月 03 日 07:16:13: SO0fHq1bYvRzo
 

(回答先: <ダ・ヴィンチ・コード>映画に揺れる世界、各地の現象は! [毎日新聞] 投稿者 white 日時 2006 年 6 月 01 日 16:17:04)

実に興味深いオプス・デイの「冷静さ」


先日の「モハメッドに対する冒涜」のマンガに続く、「キリストに対する冒涜」の映画なのですが、どちらにもどうやらシオニストの絡みがあるみたいですね。もっともキリストとマグダラのマリアの関係はシオン修道会あたりの秘密教義になっている、という話もありますが。

ところで、この物語の中で大変な役を背負わされた格好のオプス・デイなのですが、他のキリスト教団のような激しい抗議活動やボイコットなどは一切行わず、最初から極めて冷静な「大人の対応」に終始しています。

たとえば、下はオプスデイHP(日本語版)ですが、ソニーに宛てた手紙で「要望」を行ったのですが、その内容は貼り付けませんので、各自でご覧ください。

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http://www.opusdei.jp/art.php?p=14815
広報室からの手紙
映画「ダ・ヴィンチ・コード」に対して皆様に伝えたいこと。
2006/04/06
ソニー株式会社
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面白いのは次の文章です。

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http://www.opusdei.jp/art.php?p=11659
オプス・デイと映画「ダ・ヴィンチ・コード」「苦いレモンを甘いレモネードに変えたい」と語るオプス・デイのスポークスマン
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これはローマ教会系(「保守派」でオプス・デイにも近い)の雑誌ZNITがオプス・デイの広報担当者マーク・カロッジオに対して行ったインタビューを、和訳してオプス・デイ機関誌に載せたものです。その一部をご紹介します。

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【前略】

■ オプス・デイの人たちはどのような反応をするとあなたはお思いですか?
■オプス・デイの人たちの反応は、他の多くのキリスト者と同じものでしょう。つまり、苦いレモンを甘いレモネードに変えることです。

実際、私たちはイエス・キリストについて話す絶好の機会を前にしています。イエス・キリストは一体誰なのかという興味が、この小説をベストセラーにした理由の一つだと私は考えています。これは、有名な物や人を問題に取り上げて有名になったり、ルール違反を芸術的なものとして描くといった、文化における寄生現象の典型的なものでしょう。この本の中心テーマがイエス・キリストでなかったなら、興味はもっと薄れていたのではないでしょうか。

もっとも望まれる反応は、正しい手段を使って、イエス・キリストについての知識を提供することだと考えています。今年は、多くの人が聖書を手にとったり、キリストの生涯についての本を探したりすると思いますよ。あるいは、人間の存在そのものに関する質問への答えといった、信仰の根本的な課題を考えようとする人たちもたくさん出てくるかもしれません。

そういうことがすべて、私にとっては苦いレモンを甘いレモネードに変えるということなのです。

■確かにダン・ブラウンはオプス・デイを最新の流行に押し上げましたし、皆さん方も自分たちのことを説明する機会になったことでしょう。広報部でもそれを感じられましたか?
■もちろんです。ここ数ヶ月というもの、アメリカ合衆国だけで、100万人以上の人が私たちのホームページ(http://www.opusdei.org)にアクセスしましたが、その多くは「ダ・ヴィンチ・コード」のおかげでしょう。つまり、間接的に私たちの宣伝をする結果になっているのです。

かつての共産主義国で起こったことを思い出します。ある政府が教会を非難するような記事を発表し、その中にオプス・デイへの攻撃が含まれていた時、その国の人々から匿名のメッセージを受け取ることがありました。その人たちはそういう記事を逆に、つまりその《ネガ》を読んでいたのです。カトリック教会を攻撃するその同じ人たちがオプス・デイを攻撃するなら、それはきっと知る価値のあるものだと結論付けたのです。「ダ・ヴィンチ・コード」において、これと似たことが起こっているのです。

もうすでにかなりの《レモネード》を本から作りましたが、映画によってもっとそれを増やしたいと考えています。完全にドアを開いて、あらゆる情報を提供する用意をするつもりです。望む人に対して、オプス・デイから直接情報を提供したいのです。この小説の著者も、映画の監督もそうは望まなかったのですが…。

【後略】
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ある意味で「時の寵児」となった感があります。この「音無しの構え」を「騒いだら逆にまずいからおとなしくしておこう」と努めて無視している、と見ることもできるのですが、それを積極的に利用していこうというようなオプス・デイ広報官の発言です。

小説と映画の内容自体については次のように語っています。

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【前略】

■この本、そして今回の映画において、もっとも不快に思ったのはどんなところでしょう?
■フィクションの世界には独自のルールがあるのであって、あまり真面目に考えない方がいいということは分かっていました。しかしながら、ひとりのキリスト者として、イエス・キリストをこれほどまでに軽薄に扱うという点には、不快感を覚えました。

しかも、このタイプのストーリーは、ある人たちを《犯罪者》扱いしてしまいます。教会というものを、とんでもないデタラメを二千年間隠し続けてきた人たちの集団であるかのように描いているのですから。

グロテスクであると同時に漫画的なことですが、ある人々を憎しみに満ちた姿で描き出すことは、そのような姿を見せられ、しかもそれに対抗する手段を持たない人々の中に、新たな憎しみを生み出してしまうということがはっきりしています。

どんな宗教に対しても、これほど現実離れした描き方をする必要はないでしょう。私たちは皆、一致と和解と相互理解を目指しています。右手で殴りかかりながら、左手で和解を求めるようなことはできないはずです。

【後略】
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他のキリスト教団体が「救世主に対する冒涜」としていきり立っているのに比べて、「イエス・キリストをこれほどまでに軽薄に扱う」という言い方はしているのですが、何とも控えめな表現です。(私はこちらのTVで何とパキスタンのキリスト教徒たちがこの映画に抗議して街頭デモを行っているのを見たのですが、大きな暴力騒ぎにまではならなかったものの、実に厳しい表情でした。)

しかしそれにしても、この対応は、むしろこのようなキリストの扱い方(十字架では死なずにマグダラのマリアと結婚して子供をもうけた)自体に対しては、さほど違和感を感じていないのではないか、という感想を持ちます。

例えばもし敬虔なイスラム教徒やユダヤ教徒がこの映画についての感想を求められたとしたら、やはり同様の言い方をするでしょうね。

イスラム教では「救世主」はありませんし預言者は結婚して子供を作るのが当たり前(イスラムの教えではイエス・キリストは大預言者の一人)であり、ユダヤ教では「メシヤ」はあってもイエスがそうだとは認めていませんし、イスラム教徒同様に預言者が結婚して家庭を持つことは当たり前です。もちろん、ある大きな宗教で「宗祖」とあがめられている人物を描く場合にその宗教を信じる人の心を傷つけるような描き方をしたならば、敬虔なイスラム教徒やユダヤ教徒たちもやはり「不快感」を表明するでしょう。

しかしそれにしても奇妙ですね。この「ローマ・カトリックの中心にいる教団」の態度は、私などから見たら精々が「イスラム教徒やユダヤ教徒がイエス・キリストを見る視点と同じレベル」にしか感じられないのです。

新約聖書をお持ちの方は、例えばパウロの「ローマ人への手紙」でも読んでみてください。自分の身に深く食らいこんだ救いようの無い「原罪」に対する激しい絶望感を踏まえなければ理解できないのですが、クリスチャンにとってイエス・キリストの「十字架上の死」は救済に対する『絶対的ドグマ』、これを否定されたら救済そのものを否定される、というものでなければならないはずです。だから多くのキリスト教団が激しい抗議を行っているのです。

私はこのオプス・デイの対応の仕方を見て、やっぱりこれは私が今まで阿修羅で投稿してきたとおりの、もはやキリスト教ではない、キリスト教の姿を借りた「現世的メシアニズム」の一種だな、という感想をますます強くしています。この小説と映画制作の背後にこの教団がいるのかどうかは知りませんが(少し前の「キリストのパッション」には直接に関わっていましたが)、さほど「遠い」とは思えません。

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