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懐疑論から出発した唯物論です
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投稿者 縄文ビト 日時 2006 年 3 月 26 日 22:34:16: egUyw5BLxswRI
 

(回答先: Re: 私が言わんとしている・・・ <-- 唯物論を捨てられたのでしょうか? 投稿者 健奘 日時 2006 年 3 月 26 日 21:36:39)

健奘さんは、これを観念論だと思っていますか。

>”我思う、ゆえに我あり”、ということは、2元論 -- 心と体 -- を、認められるということでしょうか?

我思うゆえに我ありは、自分を疑うことから始めよという哲学の本来の入り口になります。
ここから観念論としての有神論か、唯物論のどちらかに進みます。サルトルは嘔吐という作品の中で自分を疑うという体験を書いています。

 私も最初自分のものであると思っていた知識・知識を通して得た認識を自分のものだと思っていましたが、それらは他人から「こうなんだよ」という知識を与えられただけのものであり、それらは自分の物ではないということに気がつき、そこから自分とは何か、私とは何か、我とは何かというところから、それまでの知識を自分を中心として組み立て直し、自分なりの人間とは何かという回答を出したわけです。

 その中では私とは何かということを時間的連続性を持って捉えることが出来ます。

 つまり自分が今存在していることは無限の空間の中での宇宙空間があり、地球の誕生があり、生命の発生から進化を経て人間までの生い立ちがあり、色々な歴史を経て現在の自分まで来ているということを認識として理解できます。

 これは本来全ての人間に通じるものであり、ただそこではそれを意識するか意識しないかということにしかすぎません。

 たまたま私はそれを意識できるということかも知れませんが、ただ自分なりに組み立てた認識に間違いが無いかの検証を議論を通して行うという唯物論弁証法という方法で行っていることになります。

 ここで議論していることもその形です、観念論としてではなく今まで得た知識の中で直感として答えの出せない形としてではなく、否定・肯定を繰り返しながらも答えを出せるものとして書いているわけです。自分の書いたものは自分の手を離れた時一人歩きをするということも知っています。それなりに書いて良い事と書いてはいけないことを自問自答しながら書いています。

>唯物論を語っておられると考えていました。

 間違いなく出発点は懐疑論ですが、語っていることは唯物論です。もし「神」が存在していることを科学的(唯物論的)に出せれば私自身も神を信じますが、残念ながら神及び死後の霊魂なるものは証明が無い限り、今まで人間がだまされてきたとしかいいようがありません。それならば人間はこの世だけの者として、生まれてきた「生」を全うすることでしか取るべき道は無いと考えます。

 私が創価学会という組織名を使いましたが、全ての宗教に通じることです。まず宗教を政治・経済から切り離すこと。それしか人間の生きる道は無いと考えます。そして現在の資本主義社会はやがて行き詰まります、それに替わる社会を考えるべき時代に来ているとみています。


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