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Kotetuさんにとって考古学あるいは歴史学とは何なのでしょう?
http://www.asyura2.com/0601/dispute24/msg/160.html
投稿者 秋元健一 日時 2006 年 8 月 10 日 04:54:35: EjfswsyCJQQaY
 

(回答先: Re: ですから、細かい話は抜きでつうことです (^^ゞ 投稿者 Kotetu 日時 2006 年 8 月 09 日 15:59:19)

うーん、「でわでわ、縄文ビトさんとの対話にお戻りくださいませ」と振っていただきましたが、なんかだんだんKotetuさんが何を言おうとしているのかわからなくなってきました(汗
僕は考古学を歴史学の一分野と思ってますが、Kotetuさんはどんなふうに考えていらっしゃるのでしょう?
それはともかく、一応問いかけのようなものに、僕なりに錆付いた知識で答えてみたいと思います

>>>三角縁神獣鏡があるからといって、倭が魏の属国であったわけではないでしょうね。
>>>おなじことで、同鏡が出土したからといって、その地が倭の支配下にあったわけではありません。
>>★当然でしょうね、少なくとも日本の考古学者でそのようなことを主張している人物を僕は知りません
>
>  列島三島(本州島は西部のみ)における三角縁神獣鏡の出土と、関東平野における七支刀の出土と比較したらどうなるでしょう。
>  あるいは、列島三島(本州島は西部のみ)における貝輪の出土と覇権はリンクできますでしょうか?
★関東から七支刀って出土してたっけか?たとえ話かな?
三角縁神獣鏡は主に近畿地方に集中していますが、本州島東部(関東・東北)の広域にわたり出土しています
僕の住んでる千葉県銚子市の近所では6世紀代の前方後円墳からも出土していて、ちょっとよそとは同列に論じられない部分もありますが…
いずれにしろ三角縁神獣鏡という特異(大きさや形態など)な存在の舶載鏡の国内配布を考える場合には、魏から倭国内に持ち込めるだけの主体者がいたと考えざるを得ませんから、それは『魏志倭人伝』の記載された邪馬台国であった可能性が高いとするのが一般的な見方だと思います
邪馬台国はこれ以前に前漢と交渉を持った奴国をも勢力下に置いているようですから、相応の国力・権力が存在したと思われます
ただ、いまだに邪馬台国がどこにあったのか確定できなかったり、卑弥呼の墓も特定できていない状態なので、その王権の実態は未解明と言うほかありません
肝心の主体王権の内実は不明でも、その後(古墳時代)の三角縁神獣鏡の分布によって副葬された古墳の被葬者・地域との関係を究明しつつあるのが現状だと思います
関係性が支配隷属であったか、王権を支える連合勢力の一つであったかは僕にはなんとも言えませんけど…
七支刀が関東で出土したとしたら、石上神宮所蔵品との関係でとても興味深いですが、三角縁神獣鏡とどう比較すれば良いかは僕にはわかりません
「貝輪の出土と覇権」ですが、これ、ゴホウラ貝製の貝輪のことですよね?
ゴホウラ貝の貝輪は弥生時代前期以降の出土だと思いますので、直接覇権の有無は関係ないんじゃないでしょうか?
たぶん考古学界では琉球方面との交易品として捉えていると思います
この貝輪を祖源とする鍬形石という遺物が古墳時代に存在しますが、これの流通あるいは配布には何らかの権力(畿内の王権かどうかは別)の存在が背景にあったと考えてもいいかも知れません

> ただねぇ、「王権」とかが如何なるものなのか、そのへんが論争が弱いということは、「王権」の性格とか機能などが解明されていないという現れだろうと思いますです。
> そのへんが「考古学=物証から王朝=非物証が推定できるなんて考えるのが云々」という拙文の趣旨になりましょうか。
★前記したように邪馬台国が当時の倭国内でどのような存在であったかは、肝心の卑弥呼の居住地や墓が特定されていないせいで解明も進まないのだろうと思います
奈良県桜井市の纒向遺跡周辺と箸墓は、邪馬台国中心地、卑弥呼の墓と考える学者も多いですが、陵墓参考地になっていて箸墓主体部の学術調査ができないことで研究の進展を妨げていることは間違いないと思います
こういう状態はきっと、傍から見ればじれったくてしょうがないと思いますが、おそらく一番口惜しい思いをしているのは当の研究者たちではないでしょうか?
多分、どんな学問も同じだと思いますが、研究の進捗はその時代の技術や社会状況の制約を受けざるを得ないはずで、歴史上の問題解明が遅々として進まないこと自体はKotetuさんが言う「考古学=物証から王朝=非物証が推定できるなんて考えるのが云々」の証左ではないと考えます

>たとえば数千年後に「京都市内の町内会倉庫遺跡」から祇園祭の山鉾を飾るペルシャ絨毯が、なんらの文献を伴わずに出土したらどういう評価になるでしょう?
> 「東大寺正倉院正倉院遺跡」から出土するペルシャ琴と違った評価になるような気がします。
★可能性としてはもちろんあるでしょうね
二つの遺跡について全く文字資料が残っていないとして、それでも僕は考古学的な手法によってかなりのところまで解明できると思います
たとえば二つの遺跡で過去に一度も発掘調査が行なわれていなかったとすれば、初めての発掘調査で同所が「町内会倉庫」であったことのほかに、倉庫が建つ以前のさまざまな人間活動の痕跡や、もしかしたら大変な発見が期待できるかも知れません

> 追記】
★ご教示ありがとうございます
実は僕、テレビも新聞も見ない・読まない人なんです(汗
もし分析が安価にできるのなら、片っ端から調査してもらいたいものです
蛇足ですが、webをうろうろしていたらこんな↓ページを見つけました
http://inoues.net/mystery/3kakubuchi.html

> 分析対象が「景初四年鏡」だったら、それはそれで興味深い結果ですね。
>  卑弥呼はんは廃棄物を貰ったとか・・・(^^ゞ
★確かに(笑
まぁ、廃棄物かどうかは別にして、魏鏡であることが間違いないと確認できれば、実際には使われなかった年号が鋳出されていることで鋳造時期が改元直前と推測できるかも知れません

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