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イラク戦争は本当に石油のためだけだったのか?
http://www.asyura2.com/0601/dispute24/msg/220.html
投稿者 たかす 日時 2006 年 8 月 21 日 00:07:00: ifeEPcYg7BdHI
 

(回答先: 秘本「ゾハール」について 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 8 月 20 日 23:11:45)

イラク戦争が本当に石油のためだけだったのかは今後議論の必要があると思う。石油なら、他の国でも取れるからだ。

(参考HPアドレス)
須弥山 三千大千世界の宇宙
http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/newmon/betusekai/uchu.html
  須弥山と有頂天 (うちょうてん)
円盤のまん中にある山を須弥山(しゅみせん)といいます。梵語ではスメール、玄奘三蔵法師は妙高山と訳しました。新潟県にある妙高山はこれからとられた名前です。お寺の本堂の正面にある壇を須弥壇(しゅみだん)と呼ぶのは、この山を型とったところからきています。
人間の世界はこの山の裾にある島のひとつで、頂上には帝釈天をはじめとしていろいろな神様の住む世界があります。そして山上の空中にもいろいろな世界があり、悟りの一寸手前の世界、ほんの少し煩悩が残る世界を有頂天といいます。「うまくいった喜びで夢中になっていること」「得意の絶頂の意味に」転用されています。

須弥山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%B1%B1
須弥山(しゅみせん、本来の名称は須彌山、サンスクリットSumeru、スメール山)

阿修羅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%BF%AE%E7%BE%85
(貼付け開始)
ただし、阿修羅の起源は古代メソポタミア文明のシュメール、アッシリア、ペルシア文明とする説がある。 シュメールやアッカドのパンテオンに祀られていた神アンシャル。アッシリアの最高神アッシュル。ペルシアのゾロアスター教の最高神アフラ・マズダー。それらの神がインドに伝来してアスラとなり、中国で阿修羅の音訳を当てた。
シュメール、アッシリアの古代史と仏教の阿修羅にまつわる伝承との類似性も高く、信憑性のある事実として指摘される。
仏教伝承では、阿修羅は須弥山の北に住み、帝釈天と戦い続けた。阿修羅は帝釈天に斃されて滅ぶが、何度でも蘇り永遠に帝釈天と戦い続ける、との記述がある。これらの伝承を古代史になぞらえると、以下のようになる。
アッシュルを最高神と崇めたアッシリア帝国は、シュメール(現在のイラク周辺)の北部に一大帝国を築き、シュメール・アッカドの後に勃興したバビロニアに侵略戦争を繰り返した。
バビロニア人はメディア人と手を結びアッシリアを滅ぼしたが、国を再興したアッシリア人達にバビロニアは滅ぼされた。後にてバビロニアの地にカルデアが勃興して、再びアッシリアを滅ぼした。その後、アフラ・マズダーを崇めるペルシアが勃興して、カルデアを占領下におさめた。その後、古代マケドニアがペルシアを滅ぼした。
(以下略 貼付け終了)


シュメール文明 6 SUMERIAN 6  石川源晃著
http://www.geocities.jp/hmgenishi/page075f.html

世界史講義録
第4回 メソポタミア文明
http://www.geocities.jp/timeway/kougi-4.html
(貼付け開始)
 メソポタミアに最初に文明が生まれたのは、農業生産性が非常に高かったかららしい。
 まず、麦と羊の原産地だった。そして、この麦の収穫量が非常に高かった。1粒の麦を播いて、20倍から80倍の収穫があったといわれています。
 これが、どのくらいすごいかというと、19世紀のヨーロッパで麦の収穫は播種量の5、6倍くらい、現代でもヨーロッパで15倍から16倍、アメリカで23倍という数字があります。
 だから、現代と同じかそれ以上の収穫があったというわけだ。たくさん穫れれば、余裕も生まれる。その余裕が、後世に残る文明を生み出したのでしょう。
 ちなみに、日本の米はどうかというと、江戸時代は30から40倍、今は110倍から144倍です。

 シュメール人はメソポタミア地方にたくさんの都市国家を築きました。ウル、ウルク、ラガシュなどという都市が有名です。しかし、都市国家どうしの抗争が激しく、統一国家ができることはありませんでした。政治は、神殿を中心に神権政治がおこなわれていたらしい。

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シュメール人の文化
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 かれらの残した文化は後世に大きな影響を与えているからこれはしっかり覚えておきましょう。

 まずは、暦(こよみ)。世界初の暦。月の満ち欠けで、年月をはかる太陰暦です。

 数字は60進法でした。これは、現在もある分野で日常的に使われるね。何ですか。そう、時間です。一時間はなぜか60分。なぜかというとシュメールなの。多くの小学生が、時間の計算でつまづく。君たちも苦しんだでしょ。シュメールだね。
 なぜ、シュメール人が60進法を採用したかははっきり判っていません。
 土器は彩文土器というのがでます。土器に赤い模様が描かれていますね。
 文字は、くさび形文字を発明しました。紙はまだない時代、粘土板に葦を切ったものでくさび形に字を刻み込んでいきました。細かい文字でたくさん書いているね。シュメール人が歴史から消えたあとも、メソポタミア地方では長いあいだこの文字を使っていました。今のアルファベットの役割を果たしたわけだ。
 シュメール人の時代から二千年もあとですが、アケメネス朝ペルシアという国が大帝国をつくります。この国もくさび形文字を使っていて、ダレイオス大王という王が、自分の功績を刻んだベヒストゥーン碑文というのを残しました。これは三つの言語をくさび形文字で刻んだもので、くさび形文字解読のきっかけとなった重要な碑文です。解読したのははローリンソンというイギリス人。覚えておきましょう。
 この碑文は地上100メートル以上の絶壁に刻まれていて、ローリンソンは今でいうロッククライミングみたいなことをして、まあ命がけで碑文を模写したんです。19世紀のことです。
 それからハンコ、印章です、これもシュメール人が最初。円筒印章というのがあって、絵が刻んである。これを粘土の上をコロコロと転がすと長い絵が浮かび上がるわけです。円筒印章は中心にひもを通して首に懸けるようになっていた。これを身につけているのが高い地位の象徴だったらしいです。

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エデンの園
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 シュメール人の文化、暮らしはいろいろな伝説や物語に、大きな影響をあたえています。

 たとえば、旧約聖書にはシュメールの影響がかなりあります。
 旧約聖書の最初の話、神が世界と人間を創造する話があります。
 神が「光あれ」といって光ができる。これが一日目。二日、三日といろいろ造って、六日目に人間を造って、七日目にお休みします。これは、シュメールの七曜の影響。
 それからアダムとイヴの話。
 神が泥からつくりあげた最初の人間がアダム。一人じゃ寂しかろうと、神はアダムの肋骨を一本採って、これで女イヴを造る。二人は、裸のままの姿でそれを恥ずかしいとも思わずに、働かなくても暮らせる地上の楽園、エデンの園に住んでます。
 さて、神は二人に一つの約束をさせるんだ。エデンの園の真ん中に知恵の木がある。その実だけは、絶対に食べてはならないという約束です。ところが、なぜか蛇がでてくるのです。その蛇がイヴを誘惑する。知恵の木の実を食べても死にませんよ、ほら、こんなにおいしおっませ。食べなはれ、と言う。イヴはついつい食べてしまう。おまけにアダムにも勧めて、結局二人とも食べてしまった。すると、急に知恵がついてしまってかれらは互いに裸であることに気がつき、葉っぱで腰蓑をつくって、局部を隠します。
 約束を破ったことが神に知られ、その怒りに触れて二人はエデンの園を追放されました。追放されたのがエデンの東。そこでは、地にはいつくばって厳しい労働をしなければ生きていけないんです。ジェームズ・ディーン主演の「エデンの東」という映画があります。楽園のすぐ隣だけれどそこは楽園ではない、それがエデンの東。そう思って見るとこの映画また一段と深いよ。
 エデンの園の話がシュメールとどんな関係があるかというと、エデンの園はシュメール人が住んでいた実在の場所らしい。
 ラガシュとウンマという二つの都市国家が、前2600〜前2500年頃に「グ・エディン」(平野の首)という土地をめぐって戦争を繰り返しているんです。どうもこのグ・エディンがエデンの園のモデルらしい。
 話が後先になりましたが、旧約聖書をつくったのはヘブライ人という人たちです。かれらは前10世紀頃に自分たちの国家を建設するんですが、それ以前は部族ごとに分かれて牧畜などをしながらメソポタミア地方からエジプトにかけて放浪生活をしていた。豊かなシュメールの土地に住みたいけれど、そこに入り込むだけの勢力がなかったんだろう。なぜ、自分たちはあの豊かな土地に住めないのか、という不満・不運を自分たち自身に納得させるため楽園追放の物語がつくられたのではないかと思います。人間というのは納得さえできれば不運に耐えられる生き物なんだと思う。エデンは、豊かなシュメールの地の、その中でももっとも豊かな土地の象徴だったんだろう。
(以下略 貼付け終了)

一つの文明が
八つ裂きになった
A civilisation torn to pieces
Independent - ZNet - RobertFisk.com
13 April 2003
http://smile.poosan.net/mangamegamondo/annex/fisk/civilisation.html
(貼付け開始)
しかし“解放”はすでに占領にすげ替わっている。フィルドス広場ではイラク人が“自分たちを守り、安全と平和を維持するための”イラク新政府を求めて集った。本来、イラク民衆の護衛をする任にあるべきアメリカ海兵隊は、怒れる群衆に相対して集結し、いつでも引き金を引けるよう臨戦態勢をとった。ラムズフェルド氏はことさらだろうが、アメリカ人は事実認識を見誤っている。サダム・フセイン政権下で貧困にあえいでいたのは、つねにシーア派イスラム教徒であり、一方、フセイン自身がそうであったようにつねにスンニ派イスラム教徒は中流階級だった。したがって(アメリカ人が考えるように誰もが現状に満足しているわけでなく)今度はスンニ派が、シーア派の強奪の被害に遭って困っている。
昨日起きた所有者と略奪者の間の銃撃戦も、事実上、スンニ派とシーア派の抗争である。アメリカはその怠惰によって民族間の憎しみを焚き付け、その暴力を終わらせることに失敗し、バグダッドにおける市民戦争を煽っている。
昨夕、私は都市の中を一時間以上車で走り回った。数百もの通りはいまや石炭の燃え殻の塊や燃えた車、樹の枝を組んだバリケードで封鎖され、民家や商店を脅かそうとする見知らぬ人間をいつでも殺すことができるように武装した男たちが見張っている。1975年、ベイルートの内戦の始まりはまさにこんな感じだった。
アメリカ海兵隊数人のパトロールがやっと郊外まで足を伸ばし、すでに略奪を受けた後の病院まで行くことができた。しかし、夕暮れの街のあちこちでは、これで3日目になる火災が続いていた。市庁舎のビルは昨晩燃えてなくなり、地平線には他の大火災の筒状の煙が数マイルの高さまで立ちのぼっている。
少なすぎて、遅すぎる。化学技術者と浄水労働者のグループがアメリカ海兵隊の司令部に現れ、仕事に戻るために護衛をしてくれるように願い出た。電気供給業の労働者も一緒に現れた。しかしバグダッドは、すでに己との戦争を始めてしまっており、盗賊とガンマンに翻弄されている。
バグダッドには電気がなく、水もなく、また法もなければ秩序もない。博物館の地下の闇の中で、われわれはつまづき、倒れた彫像をまたぎ、壊れた羽根のある雄牛にぶつかった。遠くにある棚を懐中電灯で照らして息を飲む。「紀元前3500年」と角に書かれた棚にある鉢や壷はすべて、叩きつぶされていたのだ。
(貼付け終了)

「文化財略奪」の歴史を検討する
http://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/demo/review/LAB030429_cultural_assets/index.html
(貼付け開始)
● バグダッド陥落以後の世界と日本
八幡康貞(元上智大学教授・ザンクトガレン大学客員教授)
http://world-reader.ne.jp/renasci/next/yawata-030508.html
「4月15日のウエブ版「ザ・ガーディアン」の記事によれば、「英国の考古学者達は、略奪されたイラクの文化財が自由に市場に出回るようにしろと言う、アメリカのコレクターからのプレッシャーに、アメリカ政府が屈服した」ことが原因だと非難した。もちろん、国防省はこの非難を拒否した。英国考古学者達の疑念と関連して思い出されるのは、略奪が行われた直後のテレビ報道で、イラク国立博物館の副館長が、即座に「これは単なる民衆の暴発的な行為ではなく、プロの仕事だ」と言っていたことだ。収蔵室の厚い鋼鉄の扉が破壊されずに「キー」を使って開けられていたこと、最も価値の高い収蔵品だけが持ち去られ、他は破壊されていること、さらに、収蔵品のカタログが破壊されて、何が失われたか、即座には分からないようにしてあったことがその理由であるという。略奪のすぐあとで、テヘランやパリの骨董品市場に、バグダッドから盗まれた文化財が現れたと言う報道は、「バグダッドの盗賊」が、極めて計画的に、しかも正確なタイミングで、ごく短時間に徹底的な仕事をしたことを確信させるものだ。「バグダッドの盗賊」が何者であったのか、ミステリーやスパイ小説には絶好のテーマである。あるイラク人が言っていたように、博物館の前に、装甲車を1台置いておくだけで、この大惨事は防げたのではないか?」
(中略)
●ACCPの働きかけ
イラク侵略が始まる前、アメリカ文化財政策委員会(ACCP)は米国防省高官と数度 の話し合いを持った。このグループは、裕福な古美術品収集家や古美術商の集まりで、ナチスの略奪品を収集していることでも知られている。かけがえのないメソポタミア美術品の国外流出は、今までサダム政権が厳しく取り締まってきた。だからACCPは、イラク戦争後には、古美術品の輸出規制を緩和するように米政府に強く働きかけてきたのである。
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/40519/diary.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-04-18/06_01.html
・US accused of plans to loot Iraqi antiques (ソース)
http://www.sundayherald.com/32895
・それでも、アメリカ兵は見ているだけだった。
http://www.mainichi.co.jp/news/article/200304/15m/023.html
●ニューヨークのメトロポリタン美術館のモンテベッロ館長の発言
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/kokusai/20030416/K0016200708023.html
「イラク戦争下のバグダッドで国立博物館などの貴重な収蔵品が略奪された問題で、(中略)ニューヨークのメトロポリタン美術館のフィリップ・デ・モンテベッロ館長は「免罪して買い上げる」方が被害が抑えられるという「妙案」を提示している。(中略)モンテベッロ館長は、取り締まりで盗品の流出先を閉ざせば、盗んだ人たちは、美術品を壊す、溶かすなどして金目の部分を取り去り、結果として貴重な美術品が失われると指摘。恩赦と代償の双方を与える仕組みを作る方が、美術品を「死刑宣告」から救うと述べている。モンテベッロ館長は1昨年、アフガニスタンのタリバーン政権が仏教美術の破壊を進めた時にも、美術館負担で現地に専門家を派遣し、持ち出せる美術品を保護する計画を国連に申し出たことがある。」
(以下略 貼付け終了)

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