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過去の結果として自分が存在している事は確かです。
http://www.asyura2.com/0601/dispute24/msg/283.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 9 月 02 日 23:00:47: YdRawkln5F9XQ
 

(回答先: 私が無からここに立っているのではないと言う証 投稿者 haru 日時 2006 年 8 月 31 日 23:28:06)

問題は過去をどう評価するかです。
我々は生まれた時から繰り返し物語を吹き込まれてきました。
これが真実であり貴方は日本民族の努力の結果として今ここに存在し過去の日本民族の努力に感謝すべきなのだと。
両親がいなければ貴方は存在しなかったのであり両親に対しては無限に感謝しなければならないと。
貴方の両親は日本民族の温かい保護の下で生活してきたのであり両親の恩人である日本民族に対して無限に感謝しなければならないと。
過去に日本民族が他国に侵略をしたという事があったとしてもそれも含めた結果として貴方はここに存在するのであり侵略が必ずしも悪いとは言えないと。
朝鮮戦争が無ければ日本の景気はあれほど急速に回復せず、あの景気の回復のお陰で結婚できた夫婦の子供は朝鮮戦争に感謝すべきであると。
さて、ここで問題です。
自分が存在する為に役に立った事は全て善なのでしょうか?
自己中心史観です。それは。

>私が無からここに立っているのではないと言う証
http://www.asyura2.com/0601/dispute24/msg/273.html
>投稿者 haru 日時 2006 年 8 月 31 日 23:28:06: tQR1Zy22P.JHM

>(回答先: 国家・民族・宗教は人間を使い捨てする為の道具 投稿者 ワヤクチャ 日時 >2006 年 8 月 31 日 10:54:01)

>今の価値観で、過去のことをどう評価しても、真実にはほど遠いのだと思う。

では過去の価値観で過去の事を評価するとどうなるでしょうか?
天皇制の価値観であの戦争を振り返れば「全て天皇の為にやった事であり、いいことをした。」って事にしかならないのではありませんか?
問題は今の価値観か過去の価値観かではなく「どのような価値観で」過去を振り返るのか?なのでは?
国家なるものよりも人間の命の方が大事だという価値観であの戦争の事を振り返れば?
逆に国民は国の為に命を捧げて当然だという価値観で振り返れば?
どのような価値観に立脚するかで過去の評価は全然違うものになります。
過去の人間の主観を分析する事とどのような価値観を元に振り返るのかという事が別の事です。

>靖国が過去の戦争を嫌が応にも肯定してしまうのか、

そうです。
戦死したら靖国へ行って神になるという気休めを言う事によって戦地へ多くの日本人を動員したのが靖国の洗脳機能です。
この事の批判抜きに「非戦の誓いの為に靖国参拝をする。」などと言うのは欺瞞です。

>それとも、あの戦争をひたすら恥ずべき過去として刻むべきなのか、、、

恥ずべきです。
日本人は民族をあげてあの戦争を遂行したのであり民族的責任は永遠に消えません。
個人があの戦争の責任をどう追うのか?という問題ではありません。
それは問題のすり替えです。
日本人は日本人としてあの戦争を遂行したのであり日本人という概念を保持する限り日本人としてあの戦争の責任を問われるのです。
もし、あの戦争の責任を清算したいのであればあの戦争の遂行に寄与した全てのものを廃絶しなければなりません。
天皇制と靖国神社の廃止が必要です。
様々なレベルにおける戦争責任の追求を行うべきなのです。

>その価値観でさえ、一様ではない今、、、

一様でないでしょう。
だから共通認識を得る為に戦争の問題を訴え続けているのです。

>そして、国家・民族・宗教など、何も知らぬ人たちばかりの世の中にあって、
>何を発言したところで、世の中が変化するわけではない、いま。

発言する事で少しでも変わると思いますが。

>我々は何を伝えてゆくべきであるのか?

何がなされたのか?の真実でしょうね。

>その答えさえ、雲散霧消と化してしまう世界にある。

雲散霧消してしまう原因は何でしょうか?
自民族の過去の悪業を知りたくもないという子供じみた態度が雲散霧消させてしまうのです。

>心の中にどうしてもひっかかるもの、、
>それに対して、忠実でありたい、
>そして、できれば過去を知り、
>その中から、その曖昧なものに対するヒントを得、
>後代に伝えてゆければ、それでいいのかもしれない。

>あからさまな、過去に対する修正など必要もないのかもしれない、、

何があったのか?だけで充分です。

>それでも、私は、過去に於ける人々を信じるが故に、過去に真理を求めたいと思って>います。信ずる理由は、性善説に依っているのだと思います。

しかし、それはどこまでいっても現在の目から見た「過去の真理」なのでは?

>無駄とは評価されようとも、その思いは消せません。
>それは、私が無からここに立っているのではないと言う証を得たいだけなのかもしれ>ません、、。

もちろん、貴方の存在は無から生じたものではありません。
しかし、貴方を存在させる事に役立った事が全て善であるとは言えません。

>そしてある意味、自分の現在に対する弁済の心も付随しているのかもしれません。

自分に関わる事に関しては肯定したくなるのが人情ってものでしょう。
しかし、人は自分が存在する事の理由を冷徹に評価すべきではないでしょうか?

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