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“踏切”はテクネーの延長線上にあったものか?
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投稿者 如往 日時 2006 年 11 月 17 日 03:14:34: yYpAQC0AqSUqI
 

(回答先: 「関係性の不在」から「関係性の一線」へ--如往さんへ (1) 投稿者 愚民党 日時 2006 年 11 月 16 日 02:16:25)


 愚民党さん、こんにちは。(Sun Shineさんには割り込みで失礼します。)
 先日は楽しいひと時をありがとうございました。闊達で冴えたお人柄に接することができ、私にとって嬉しい出会いになりました。


 >いくら稽古場で稽古をしても、舞台人の制御装置感覚は身に付きません。本番を積み重ね、さまざまな観客にさらされてこそ、制御装置感覚は増幅していきます。頭脳がまず対象化して技術を身につけるのではなく、身体感覚が悟っていくという悟性こそ舞台人の「主観」と「客観」だと思います。

 やはり、愚民党さんに伺ってよかったと感じています。おそらく、それは制御装置感覚によって劇的宇宙(Space)が生成されるということではないかと受けとめています。さらに、そこまでには何かに誘われるようなプロセスが存在するのではないかとも想像しています。

 >さて、舞台の俳優におのれの主観を投影する劇場における「共同主観」が、はたして成立しているかの問題ですが、「共同主観」は成立していないと思っております。

 表現者が主体となって生成させている宇宙(Space)の律動に臨場している観客の感覚が律動の先取りをも含んで完璧に同調し得るのか、そうした状態が成立し得るのか、愚民党さんの見地を敷衍すれば、観客が受けとめているのは残像もしくは痕跡に過ぎぬということになるのでしょうか。つまり、とりわけ舞台における「共同主観」が同時性を要件とするのであれば、このズレは致命的なものであるように思われます。

 >自分が出演した斉藤吉彦監督の映画「愛ノ戦士」への如往さんの批評「関係性の不在がコンセプトなら、徹底せよ」というお言葉が胸にしみいりました。

 斉藤監督には失礼かも知れませんが、未完成の作品を観るというのもたまにはよいものです。私の高校時代は部の備品であるミッチェル(16mm)で遊んでいた一端の写真小僧ならぬ映画小僧でした。そんなやんちゃ心が手伝って生意気なことを語ってしまいました。
 けれども、最初に出て来た踏切は彼岸と此岸とを別けるターン・テーブル、あるいは二つの並行する宇宙(空間)を繋ぐ扉の比喩なのかも知れないと月並みですがそんな想像をしたことが端緒となって、断続的な接点の象徴化によって反面では関係性の不在という現実を描出しようとされているのではと妄想してしまったのです。それは別にして、非日常性を表象する愛ノ戦士ゼンマインという題材は面白いと思っています。

 >如往さんの批評を聞き「関係性の不在」から「関係性の一線」への可能性模索がこれからの自分のテーマであると自覚いたしました。

 或る種の統一の地平もしくはシンクロする並行宇宙(空間)への可能性を意味するのでしょうか。何らパフォーマンスのテクネーを持ち合わせていない非才の私には困難さばかりが想起される大きなテーマですので、愚民党さんの後背を見据えて何かを掴みとることができればと考える次第です。

 また、会いましょう。

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