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ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』解説 日本は1930年代の英米経済とほぼ同じ状況(P・クルー
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投稿者 TORA 日時 2006 年 4 月 26 日 13:46:34: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu118.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』解説
日本は 1930 年代の英米経済とほぼ同じ状況(P・クルーグマン)

2006年4月26日 水曜日

朝生でインフレターゲットを説明する森永氏、しかし森永氏も
インフレターゲットの本質を理解していないようだ。


◆ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』解説 ポール・クルーグマン
http://cruel.org/krugman/generaltheoryintro.html

◆はじめに

  2005 年春、とある「保守系学者や政策指導者」の委員会が、19 世紀と 20 世紀の最危険書籍を挙げてほしいと依頼された。この委員会の指向については、チャールズ・ダーウィンとベティ・フリーダンが上位入選を果たしたのを見れば見当がつくと思う (note: ダーウィンはhonorable mentions に見事入選)。でも、『雇用、利子、お金の一般理論』もなかなか善戦した。それどころか、ジョン・メイナード・ケインズはレーニンやフランツ・ファノンをぶっちぎったくらいだ。ケインズは、この本のよく引用される結論部分で、「時期の遅い早いはあるにしても、善にとっても悪にとっても危険なのは既存利害ではなく、アイデアなのだ」と述べたような人だから、このベスト10 に選ばれてさぞ喜んだことだろう。

 「一般理論」なんて聞いたこともないという人や、それに自分が反対していると思っている人ですら、過去 70 年にわたり「一般理論」にものの考え方を決められてしまっている。自信の喪失が経済にとって危険だと警告する企業家は、自覚があろうとなかろうとケインジアンだ。減税して人々のポケットに使えるお金を残して職を作りますよ、と公約する政治家は、ケインズ思想なんて虫酸が走ると言うかもしれないけれど、でもケインジアンなんだ。サプライサイド経済学者を自称する人たちは、ケインズを論破したと主張するけれど、その人たちでさえなぜある年に経済が停滞したかを説明するときには、まごうかたなきケインジアンの説明に頼っている。 (略)

◆ケインズのメッセージ

 過去二世紀の最も危険な本の一冊として『一般理論』を名指した「保守系学者や政策指導者」たちは、たぶんこの本を読んでないと思ってまちがいなかろう。どうせ左翼文書に決まってて、大きな政府と高い税金を主張しているはずだと確信しているのもまちがいない。右の人々、そして一部は左の人々まで、『一般理論』については当初からそう主張してきたんだ。

 それどころか、アメリカの教室へのケインズ経済学上陸は、学問マッカーシズムのいやな例のおかげで遅れてしまった。ケインズの思想を初めて紹介した入門教科書は、カナダの経済学者ローリー・ターシスによるものだったんだけれど、これが大学の理事会を狙った右翼の圧力キャンペーンの標的にされてしまった。このキャンペーンのおかげで、この教科書を講義で使おうとしていた多くの大学は注文をキャンセルし、本の売り上げも最初はとても好調だったのに、激減した。イェール大学の教授たちは実にえらくて、この本を教科書として使い続けた。そのご褒美として、若きウィリアム・F・バックリーに「邪悪な思想」を唱えていると攻撃される羽目になったんだけれど*1。

 でもケインズは社会主義者なんかじゃなかった――かれは資本主義を救うためにやってきたのであって、それを葬り去るためじゃなかった。そしてある意味で『一般理論』は、それが書かれた時代背景を考えれば、保守的な本だとも言える(当のケインズも、自分の理論がある面では「ちょっと保守的な含意を持つ」[24 章 13 段落目]と述べている)。ケインズが執筆していたのは、すさまじい失業、つまりとんでもない規模の無駄と苦悶に満ちた時期だった。まともな人なら、資本主義は破産した、巨大な制度変更――たとえば生産手段国有化とか――でないと経済の正気を回復できないと結論しても不思議はない。そして、多くのまともな人は、実際にそう結論づけた。市場や私有財産にことさら恨みのなかった英米知識人の多くが社会主義者になったのは、単に資本主義のすさまじい失敗を治す方法が他に思いつかなかったからなんだよ。(略)


現代のマクロ経済学者は、こうした環境で金融政策がどうなるかについて、机上であれこれ論じる必要はないし、経済史の深みに入り込む必要さえない。驚くほど最近の事例を検討すればすむからだ。本稿を書いている時点では、日本経済がやっと持続的な回復を達成したかもしれないという希望が生まれているけれど、1990 年代初期から少なくとも 2004 年まで、日本は 1930 年代の英米経済とほぼ同じ状況にあった。短期金利はゼロに近く、長期金利も歴史的な低さで、それなのに民間投資は経済をデフレから引っ張り出すのに不十分なままだ。この環境では、金融政策はケインズが描いた通り役に立たなかった。日本銀行がお金の供給マネーサプライを増やそうとしても、それはすでに十分な銀行のリザーブと一般の現金保有を増やしただけで、ちっとも経済の刺激にはならなかった(1990 年代末の日本のジョークでは、消費者たちが買っているのは金庫だけだったとか)。そして日本銀行が無能だとなると、日本政府が大規模な公共事業を発注して需要を押し上げた。 (略)

◆救世主としての経済学者

 知的な成果として、『一般理論』と並ぶ経済学の業績はほんの一握りしかない。ぼくが最も高い評価を与えるのは、世界の見方をまるっきり変えてしまい、いったんその理論を知ったらすべてについてちがった見方をするようになってしまうような理論だ。アダム・スミスは『国富論』でそれをやった。突然経済というものは、儲けて消費する人々の寄せ集めじゃなくなった。それはそれぞれの個人が「見えざる手によって導かれて、自分の意図とはまったく関係ない目的を推進する」自律的なシステムとなった。『一般理論』もそれと肩を並べるものだ。突然、大量失業は需要不足のせいだという、これまではずっと周縁的な異端でしかなかった発想があっさり理解可能となったどころか、当然のことのように思えてしまったんだから。

 でも『一般理論』を真に独特なものにしているのは、それが圧倒的な知的成果を、世界的な経済危機に関わる直接的な現実的効力と組み合わせていたという点だ。ロバート・スキデルスキーによるケインズ伝第二巻は「救世主としての経済学者」と題されているけれど、これは誇張でもなんでもない。『一般理論』までは、まともな人々は大量失業というのが複雑な原因を持つ問題だと考えており、市場を政府の統制と置き換える以外には楽な解決方法はないと思っていた。ケインズは、実はその正反対なんだということを示した。大量失業は需要不足という単純な原因によるもので、財政拡張型政策という簡単な解決策があるのだ、ということを。

 『一般理論』が大恐慌からの出口を示してくれました、となればすてきだろう。でもお話的には残念ながら、実際に起きたのはそうじゃなかった。完全雇用を回復させた巨大公共事業、またの名を第二次世界大戦が生じたのは、マクロ経済理論とはまったくちがった理由からだった。でもケインズ理論は、なぜ戦争支出がそういう効果を挙げたか説明したし、戦後の世界が不況に陥らないように各国政府が手を尽くすのにも役だった。ケインズ経済学の導きがなければ恐慌のような状態が復活しかねなかった状況はいくつも指摘できる。特に顕著なのは 1990 年代の日本だ。

 社会科学の歴史上で、ケインズの業績に匹敵するものは存在しない。存在し得ないのかもしれない。ケインズは当時の問題については正しかった。当時の世界経済はマグネトーの問題を抱えていて、経済を再起動させるには、驚くほどつまらない小手先の修正ですんだ。でもほとんどの経済問題は、たぶん複雑な原因を持っていて、簡単には解決できないんだろう。もちろん、ぼくがまちがっているのかもしれない。今日の世界の経済問題は、ラテンアメリカの発展の遅れから、アメリカの格差の猛拡大にいたるまで、つまらない小手先の解決策があるのかもしれず、単に次のケインズがそれを発見するのをみんな待っているだけなのかもしれない。

 一つ確実なことがある。もし次のケインズが生まれているとしたら、その人物はケインズのもっとも重要な性質を持っているはずだ。ケインズは申し分ない知的インサイダーで、当時の主流経済思想について、誰にも負けないくらいよく理解していた。その知識ベースがなければ、そしてそれに伴う議論展開能力がなければ、あれほど徹底した経済正統教義の批判を展開することは不可能だっただろう。でもケインズは同時におそれ知らずの急進派であり、自分の教わった経済学の根本的な前提の一部がまちがっているという可能性を進んで検討しようという意志を持っていた。

 こうした性質が、ケインズに経済学者たちと世界を光へと導くことを可能にしてくれた――というのも『一般理論』はまさに、知的な闇からの壮大な脱出の旅なんだから。経済政策にとっての相変わらずの意義と並び、それこそがまさに本書を歴史に残る本にしているものだ。読んで、そして驚嘆されよ。


(私のコメント)
先月の「朝まで生テレビ」を見ていたら、森永卓郎氏がインフレターゲット政策について述べていた。しかし田原総一郎氏をはじめ金子教授や松原教授などの経済学の専門家もいたのですが、田原氏の恫喝的な反論で封じ込められてしまった。森永氏がインフレターゲットの説明をしようとすると「インフレターゲットてどうすること?」と聞き、「日銀が一千兆円も二千兆円も国債を買えということか」と話をすり替えてしまう。

要するに田原氏や金子氏や松原氏には経済理論の話しをしても無駄と言うわけですが、「政府の財政支出が必要だ」というと「無駄な道路や橋を作れという事か」と言う乱暴な意見にすり替えて意見を封じてしまう。松原氏などは小泉内閣の政策ブレーンなのですが、これでは小泉内閣では景気は回復するわけがない。

自民党の世耕議員や吉崎達彦氏なども否定的だったのだが、賛成しているのは宮崎氏ぐらいで、森永氏も説明が悪くて田原氏などにインフレターゲット政策とは日銀が国債をがんがん買い捲る事と言いかえられてしまう。確かに政府が財政を積極的にやらなければ、日銀がいくら資金を放出しても銀行が国債を買うだけになってしまう。

政府が積極財政を行なうには国債を発行しなければなりませんが、デフレギャップが存在する限り日銀が引き受けてもインフレにはならず金利も上昇しない。30年代のアメリカや90年代の日本には巨大なデフレギャップが存在したのですが、アメリカの場合は第二次世界大戦と言う巨大な公共事業でデフレギャップを埋めた。

日本の場合は公共事業などで埋めてきたのですが、第二次世界大戦に比べれば比べ物にならないくらい規模が小さい。日本一国が公共事業を行なってもグローバルな世界ではデフレギャップを埋めきれない。しかも生産設備がオートメ化されて世界中の需要を一つの工場で間に合うほどの生産力も拡大しては、デフレギャップは大きくなる一方だ。

だから生産業ではなくサービス業を主体とした景気刺激政策が必要なのですが、その為には教育投資が必要だ。つまり公共事業の代わりに国が国民の教育を面倒を見て、国民一人ひとりの生産性を上げてゆく事が必要だ。サービス業にはオートメーションを導入するにも限界がある。

高度なサービスを提供できるようになるためには、高度な教育と経験が必要ですが、個人としても巨額な費用と日数がかかる。そのための費用などを国が出してサービス産業を高度化して行けばデフレギャップの起きない産業の拡大が出来るようになる。つまり物の生産ではなくサービス産業で公共事業を行なえば投資しても投資利益は返ってくる。

問題は失業者はどうして発生してしまうのかについてですが、昔の農業社会は、どれだけの農産物を生産出来るかで人口が決まった。飢饉などの災害で人口は調節されたから失業者の問題はなかった。ところが産業革命で物の生産の時代となり工場労働がおもな労働になると、需要と供給のバランスが崩れると失業者が発生するようになった。

その為にケインズは「一般理論」で失業問題の解決策を提案したのですが、これは一つの基本理念であり、実際にどうすればいいかはその時代によって異なるだろう。90年代の日本は30年代のアメリカの政策を真似しただけでは不可能なようだ。道路や橋はもはや作りすぎてしまった。だからサービス産業への公共事業を行なうべきなのだ。

たとえば国が1000兆円の金を教育に投資すれば、教育産業も潤うし、それによって優秀な人材を供給された産業も潤うだろう。それらの産業が儲かれば税収となって公共投資は返ってくる。もちろん教育内容はその時代にあったものにするべきで、もっと定年退職者を教員に採用して実社会の経験を学生に伝えて行くべきなのだ。

私の「株式日記」も私の経験や知恵の社会還元なのですが、私は中学と高校の教員免許の資格があり、あいにく学校には採用されなかった。しかし電子技術の発達の結果、ネットで6000人近い生徒に毎日講義をしていることと同じ事をしている。だから新しいテクノロジーが新しい産業を生み出してサービス産業は高度化しているのですが、その為には教育が必要だ。その為には国が費用を出してサービス化社会に適応した人材を供給する必要がある。

「朝まで生テレビ」の田原氏はインフレターゲットをどうやってするのかをさかんに聞いていたが、報道番組ならばさまざまな情報を提供をするのが仕事のはずだが、インフレターゲット論を邪論として封じてしまった。日銀が資金を提供する事も必要なのですが、政府の政策が一体でなければならない。そして国民の誰もが政策を信用して金を使い始める。

マスコミが800兆円の国債を「借金」と呼んでいる限り、国民はいつかは大増税で税金を取り立てられると思い込んでいるうちは金は使わないだろう。マスコミや大学教授や財務省はそのように煽っている。しかし国と日銀との借金は返す必要がない借金であり、償還期限が来ればジャンプすれば済む話だ。金利も日銀と政府の間だけだから問題は無い。

ポールクルーグマンのケインズの「一般理論」に対する解説で一番言いたかったのは、知的な闇に対するケインズの挑戦の精神であり、それをアメリカでは社会主義者として葬り去ってしまった。そしてアメリカでは19世紀の資本主義が息づいているが、松原教授などは市場原理主義者であり、金子教授もバーナンキやクルーグマンやスティグリッツを異端者扱いするとんでも経済学者だ。要するに日本の経済学は世界からずれているのだ。

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