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JMM [Japan Mail Media]  自治体、財政破綻の責任 
http://www.asyura2.com/0601/hasan47/msg/570.html
投稿者 愚民党 日時 2006 年 8 月 29 日 19:05:49: ogcGl0q1DMbpk
 

                              2006年8月28日発行
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JMM [Japan Mail Media]                 No.390 Monday Edition
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                        http://ryumurakami.jmm.co.jp/
▼INDEX▼

■ 『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』【メール編:第390回】

  ■ 回答者(掲載順)
   □真壁昭夫  :信州大学経済学部教授
   □土居丈朗  :慶應義塾大学経済学部助教授
   □岡本慎一  :生命保険会社勤務
   □三ツ谷誠  :金融機関勤務
   □金井伸郎  :外資系運用会社 企画・営業部門勤務
   □菊地正俊  :メリルリンチ日本証券 ストラテジスト
   □山崎元   :経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員
   □杉岡秋美  :生命保険関連会社勤務
   □津田栄   :経済評論家

  ■ 読者からの回答
   □水牛健太郎 :評論家、会社員

 ■ 『編集長から(寄稿家のみなさんへ)』

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 ■ 先週号の『編集長から(寄稿家のみなさんへ)』
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 Q:724の回答ありがとうございました。マウイに来て10日間が過ぎました。
到着した当初、落雷で電話線が使えず、ネットにつながらない日々が1週間ほど続き
ました。近くのホテルのビジネスセンターまで出向けばメールを見ることができたの
ですが、すっかりレイジーになっていてPCに触れるのもおっくうで、テニスとプー
ルと読書とカリフォルニアワインを楽しんでいました。メールを見られないのは不便
ですが、ネットから一定期間離れるのは精神的に悪くないなと思いました。

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 ■ 『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』【メール編:第388回目】
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====質問:村上龍============================================================

Q:725
 財政破綻した夕張市が市長らの給与を減額したそうです。
http://news.goo.ne.jp/news/sankei/seiji/20060819/m20060819001.html
 自治体が財政破綻した場合、その責任は、誰が、どのような形で、負うべきなので
しょうか。

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※JMMで掲載された全ての意見・回答は各氏個人の意見であり、各氏所属の団体・
組織の意見・方針ではありません。
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 ■ 真壁昭夫  :信州大学経済学部教授

 今回、夕張市の財政破綻について、首長中心に責任を取った格好になっています。
これは、基本的に適正な措置と考えます。地方自治体の首長は、企業の経営者と同様
に、当該自治体の経営者ですから、そこから発生した様々な事象の結果は、全て首長
の責任に帰されるのが当然だと思います。地方自治体の首長は、それなりの心構えと
覚悟、さらに経営センスを持つことが必要です。

 エコノミストや経済の専門家たちと話していると、わが国全体のマクロ経済の先行
きに、大きな心配をしている人は殆どいません。わが国には、しっかりした“もの作
りの技術と伝統”が存在することもあり、将来、一時的に経済が停滞する局面はある
かもしれませんが、新しい技術や製品の開発は続けることによって、それを克服する
ことができると思います。少し長い目で見ても、わが国は、世界経済の中で技術提供
国としての存在価値を失うことは考え難いでしょう。

 そうした状況が維持できるのであれば、国内に殆ど資源を待たないわが国でも、マ
クロベースで経済的な地位を保つことは可能です。新しくて魅力のある製品を、次々
に生み出すことができれば、それによって外貨を稼ぎ、海外から資源を買ってくるこ
とは可能なはずです。現在のわが国の技術力や、自然科学系の研究成果などを見てい
ると、将来に付いても、それほど心配になる必要はないと思います。むしろ、新技術
の実用化の分野では、かなり頼もしいと感じることが多いと考えます。

 一方、こうしたマクロ面とは逆に、地方経済の先行きに懸念を持つ専門家は多いよ
うです。私自身も、経済のグローバル化や、国内の少子高齢化の進展などの条件を勘
案すると、これから、地方経済をどうするのか不安を感じます。

 いままで、わが国は、国内のどこでも、同程度の文化的な生活ができることを目標
として政策運営を行ってきました。具体的には、経済的に富が集中する都市部から地
方へ、交付金や補助金と言う格好で所得移転を行ってきました。わが国の企業が、高
い成長率を達成できる間は、そうしたメカニズムを維持することは、それほどむずか
しいことではありませんでした。しかし、経済がグローバル化して国際競争が激化す
る中、わが国の企業が生き残るためには、そのようなシステムを維持するコストを負
担することが難しくなっています。

 従来は、国の信用力=国の借金で、所得移転のメカニズムを何とか続けてきました
が、財政状況の悪化から、これ以上は難しいポイントまで来ています。こうした状況
を考えると、地方経済は、いままでのような所得移転を期待することは難しいはずで
す。

 そうなると、地方自治体は、独自のメルクマールに基づいて、当該地方の振興を図
る必要があります。振興と言っても、それは単に経済的な尺度とは限らないはずで
す。ある地域では、経済よりも美しい自然を享受することを選択するかもしれませ
ん。また、ある地域では、昔からの伝統芸術や文化に重きを置くことができるかもし
れません。日本中どこでも平準化した生活を標榜する従来の方針を、自治体を中心に
して、他と違う価値観によって再構成することが必要だと思います。

 実際に、それをすべき人は誰かと言うと、自治体の経営者である首長であるべきと
いうのが私に意見です。現実には自治体の予算はかなり硬直化して、企業のような自
由裁量の余地が少ないことは理解しているつもりです。しかし、少しずつ、そうした
状況を変革して、首長を中心に、いままでと違った価値観で自治体を経営することが
必要だと考えます。

 そのためには、自治体の首長は、自治体について発生する、良いこと、悪いこと、
全てのことの最終責任を負っていると言う自覚が大切です。その意味では、今回の夕
張市のように、財政破綻に追い込まれるケースでは、市の財政を切り盛りしてきた首
長の責任が問われることは当然のことです。そうしたプロセスを通って、本当に経営
能力のある首長が選任されることにつながると考えます。

                       信州大学経済学部教授:真壁昭夫

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 ■ 土居丈朗  :慶應義塾大学経済学部助教授

 夕張市が、今秋にも申請を行おうとしている財政再建団体について規定している法
律は、地方財政再建促進特別措置法です。また、自治体の行財政運営の基本を規定す
る地方自治法、地方財政法など、これらの地方財政関連の諸法律には、懲罰に関する
規定がありません。たとえ、これらの法律に違反する行為を自治体が行ったとしても
(事実、夕張市は昨年度の決算処理について違法行為を行ったようです)、規定がな
いために法に基づいて誰かが処罰されることは一切ありません。残されるのは、道義
的責任というか、極めてインフォーマルな、場合によっては感情論的な責任追及があ
る程度でしょう。

 私は、2年前に、拙稿「地方債と破綻処理スキーム」『フィナンシャル・レビュ
ー』第71号(http://www.mof.go.jp/f-review/r71/r_71_005_040.pdf)で、地方
自治体の破綻法制について書きました。決済資金に窮した自治体が、現行の地方財政
再建制度でカバーできない方法で債務を膨らませ「破綻」する恐れがあるから、早期
に債務処理スキームを構築するよう提言しました。当時、自治体・指定金融機関の関
係者からはもちろん、学界でも「自治体の破綻などありえない。非現実的な議論だ」
と反発を買いました。しかし、夕張市のこの出来事は、私の机上の論理が杞憂でな
かったことを示す結果となりました。

 自治体とて決済資金が滞る恐れがあり、こうした状況は実質収支の赤字として認識
されます。実質収支とは、当該年度の歳入総額から歳出総額を引き、さらに翌年度に
繰り越すべき財源を控除して求めた差額で、企業で言えばキャッシュ・フロー収支で
す。実質収支赤字の規模が小さければ、通常、当該年度が終了してその出納整理期間
(翌年度の4〜5月)中に、翌年度の収入を充当することによって決済を完了できま
す。しかし、その規模が大きければ、その赤字を補填するに足るだけの信用を供与し
てもらえなければ決済が滞ることになります。

 こうした過度な実質収支赤字がある場合には、地方財政再建促進特別措置法の規定
を適用することで対応するのが通常です。同法では、財政規模の一定割合を超えて実
質収支赤字が生じた場合には、地方債を発行することが制限されます。もし地方債を
発行したければ、同法の規定により財政再建団体となることを申し出る必要がありま
す。

 財政再建団体は、自主再建方式か準用再建方式かのいずれかに従って財政再建を進
めなければなりません。自主再建方式では、自治体が国の支援を受けずに自ら再建計
画を立案し実施し、地方債の起債制限以外には国からの制約はありませんが、国から
の財政援助や法令上の優遇措置はありません。そのため、現実的な選択肢は、準用再
建方式となります。

 今回、夕張市が申請しようとしているのも準用再建方式で、これは、例えていうな
ら、GHQの占領下に置かれた日本政府と同じような状況になることです。つまり、
財政再建団体になると、通常通り首長や地方議会議員の選挙は行われ、それぞれ形式
的には機能しますが、総務大臣が首を縦に振らないことは事実上実行できないことに
なります。

 とはいえ、積もった債務は、今さら当事者を批判しても、責任者を糾弾しても、減
るものではありません。さらに、今後同じ轍を踏まないよう、自治体の甘えを断ち
切って制度改革を断行すべきです。最近の報道で、総務省が自治体の債務免除も視野
に自治体破綻法制の整備を検討する旨が伝えられました。私が、2年前に、前述のよ
うにそれを検討すべきだと主張したとき、当局の反応はけんもほろろだったことを思
い出すと、(たった2年なのに)隔世の感があります。

 現行の地方財政再建制度は、次のような問題点があります。債権者にとっても債務
や金利の減免に応じた方が得策となる場合があっても、それは自治体の債務免除、金
利減免は認められていません(これまで自治体関連でそれが行われたのは、第3セク
ターや地方公社などの債務で、自治体本体の債務ではありません)。債務減免の前
に、増税することも考えられますが、増税は強制されないので、住民や議会が反対す
れば実現しません。実質収支などフローしか監視していないので、ストックの債務残
高の累増を予防する効果が薄いことも問題です。しかも、その収支は、主要な会計が
対象の普通会計だけで、夕張市が会計操作したように、対象外の会計でごまかしをし
ても事前に見つけにくいのです。

 おまけに、安定成長期以降の再建団体では、最大の収入源が地方交付税という団体
が大半で、実態としては地方交付税で救済した側面が強いのです。要するに、国から
もらう地方交付税の方が相当多いので、財政再建のために公共料金を値上げしても、
増税しても、収入増は焼け石に水というレベルです。

 これを改めるには、まずは、債務累増を未然に防ぐ早期是正措置が必要です。そも
そも、独自の税収(地方交付税収入を含めない)で債務返済が十分に行えない自治体
は、これ以上借りてはなりません。国から押し付けられた事業を執行するには、借り
たくなくても借りなければできないのだ、などと言い訳して、独力で返済できない債
務を抱えるようなことを、認めてはならないと考えます。資本主義の常識が全うされ
るよう、地方債制度を改めなければなりません。

 さらに、債務が過大な自治体や債務減免を必要とする自治体には、増税を強制する
ことを法的に規定する必要があるでしょう。また、予期せざる住民の移住によって、
自治体が債務返済能力を失うことに備えるなら、地方債を発行してから償還するまで
の時期に転出する人に対して相応の税負担を負わせるべく、(空港利用税のように)
「転出税」を課すことは有効でしょう。債務や金利減免を要請した自治体は、既存債
務の返済を優先させるべく、地方債の新規発行は当然制約されるべきです。極力応益
原則を徹底することが求められます。

 さらに自治体での連結決算を早急に導入し、発生主義的に債務を認識して的確に決
算を示すべく、新たな地方自治体の公会計基準が不可欠です。単に、破綻法制だけを
整備するのではなく、地方公会計基準も整合的に整備してゆく必要があります。これ
らを、今後早急に検討する際には、「自治体は破綻しない」、「地方債はデフォルト
しない」という旧態然とした発想の識者を排し、資本主義の常識を理解した賢明な識
者を議論に加えるべきでしょう。

                    慶應義塾大学経済学部助教授:土居丈朗
                  <http://www.econ.keio.ac.jp/staff/tdoi/>

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 ■ 岡本慎一  :生命保険会社勤務

 毎月のお小遣いを決められている子供は、お小遣いの範囲で支出を上手にやりくり
します。一方、必要なお金を必要な時に必要なだけ渡される子供はお小遣いのやりく
りの仕方を学べません。今何を買って、どれだけ貯金しておくことかというバランス
感覚は予算の制約があって始めて学べるのだと思います。

 しかし、日本の地方税制制度は「やりくりの仕方」を学べる制度になっていませ
ん。地方交付税制度の下で「資金が足りない時には重要な順番にお金を使う」という
当たり前の感覚を失っています。たとえ首長や議員が道義的な責任を踏まえて給与を
減額したところで、自治体の収支が改善するものではありません。地方自治体の住民
が「やりくりしなければ自分たちが損をする」と考える制度に改めなければ赤字は無
くならないのです。

 そのためには、まず地方交付税制度を改めることです。三位一体改革を推進し、地
方に税金の取り方と使い方を同時に決めさせることが必要です。子供が上手にお小遣
いをやりくりするのは、お小遣いを使って便益を受けるのが他ならぬ自分自身であ
り、お小遣いが無くなって困るのも自分自身だと知っているからです。

 また、お金の貸し手の責任を明確化しておくことも重要です。地方債には元利償還
金の一部には地方交付税を充てる「暗黙の政府保証」がつく仕組みになっているた
め、金遣いの荒い自治体にもお金を貸すことができます。早期是正措置を導入し、自
治体の債務免除等を認めることにより、安易な資金調達ができない仕組みになれば、
貸し手への規律付けになるはずです。

 私は全ての赤字が悪いと言いたいわけではありません。有効な支出は将来世代にも
遺産として残ります。したがって、将来世代の増税は親からの遺産で支払うことが可
能となり、世代間の移転は緩和されます。つまり、黒字化を目標にするのではなく、
雪だるま式に増える赤字に歯止めをかけることと、赤字の質を改善することが目標だ
と思います。そのためには、費用と便益の関係を地方政府レベルで明確化し、地方が
「やりくりする意思」を取り戻すことが最も重要な点と考えます。

 最後に、地方選挙の時に立候補者に予算書を提示させるということを真剣に考えて
みることを提案します。お金を使うことばかりを声高に叫ぶ選挙演説では財政赤字は
拡大するばかりです。

 以前、教育と福祉の拡充を掲げて県議に立候補している政治家に、県予算の配分に
ついてどう考えているかを尋ねたことがあるのですが、彼は教育と福祉にどれだけの
お金が使われているかということさえ知りませんでした。こうした人が県議になって
も財政が良くなるはずもありません。やりくり上手な政治家を選ぶためにも、選挙時
に予算計画書の公開を義務付けることは一考に価するのではないでしょうか。

                         生命保険会社勤務:岡本慎一

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 ■ 三ツ谷誠  :金融機関勤務

「近代に見つけられた街における自治 〜漂泊性と自治の問題」

 再建団体になっていない通常の自治体について考えれば、基本的には自治体の予算
を最終的に認めるのはその自治体の議会になる訳なので、予算や予算によって成され
ようとする施策の最終的な責任者は、議会を構成する議員になると思います。そし
て、その議員は選挙によって住民を代表する以上、結局の処、自治体破綻の責任を負
うのは住民自身とまずは整理できると思います。

 勿論、実際には、微妙に世代間負担の問題があったり、変わりつつあるとは言え、
国を通じた都市住民の負担という問題があったりはするでしょうが、自治体破綻の責
任は、その自治体を作り出す(構成する)住民自身が、公共サービスの劣化や各種料
金の値上げ、場合によっては増税という形で負うものでしょう。

 ところで、テレビ番組というものは我々の品性に比例して、相応にえげつない企画
を映像として流しますが、6月の終りかけた頃でしたか、夕張市の再建団体申請に関
する報道が相次ぐ中で、夕張市の観光施設の実態をリポーターが伝えるという報道系
娯楽番組を見る機会がありました。多分それは土曜日の昼で、私はソファかなんかに
横たわってなにかしらくよくよと、或いはくよくよしても仕方ないさと自分を鼓舞し
ながら、翌週の仕事について段取りを考えていた時分だったと思います。

 余りに思いっきりな企画なので、さすがに私も各種スポーツ新聞等で「ゆうばり国
際ファンタスティック映画祭」の存在についてはなんとなく知っていましたが、「夕
張メロン城」等々、夕張市の観光施設に関しては余り知らなかったので、その番組を
興味深く見たのを覚えています。

 なかでも「石炭の歴史村」内部にある大遊園地!の殆ど動くことのない(と報道し
ていました)ジェットコースターとか、観覧車、メリーゴーランド等が寒々しくそこ
に存在する光景は、それはそれで人類が滅んだ後の地球を想起させるなかなかに「哲
学的」なもので、別な意味で感動を覚えたものです。

 他にも人気のない巨大なゲームセンター、だとか、どこの施設にあったか忘れまし
たが(記憶違いかも知れませんが)、それはそれで立派なロボットだとか、学園祭で
上映される(たぶんに一人よがりの)学生の自主制作映画で良く見かけるような映像
が、番組では映し出されていたように思います。唐突に感じる方もいると思います
が、それは或る種のチェルノブイリのようなものとして私には感じられたのです。本
来の存在意義を失った建造物がオブジェとしてそこにあるという意味でも、何かしら
巨大な失敗(愚かさ)の象徴という意味でも。

  しかし、実際それは関東近辺の温泉地に良く見られるような(侘しい)スケール
のものではなく、映像で見る限りは、或る程度の観光客が規模において一定の満足を
得られるようなものでした。そのため、逆に哲学性を帯びてそこにあった、という感
じでした。また、それら施設は広大な北海道の高原的な風景に映えてもいたとも思い
ます。

 要するにその光景に欠けているものは、そこにいるべき(大声で笑っている子供と
それを微笑んで見ている両親とか、若い恋人たちとか、孫に振り回され吐息をついて
ベンチに座り込む老人とかいう)「人」だけであって、それ以外の要素はそこに十分
詰まっているという感じがありました。

 と言う意味では、これらの施設を企画した人々は、やはり切迫した情熱を持って事
にあたっていたのであって、石炭産業の劇的な衰退に歩調を合わせて衰退していく
「街」に、なんとか新しい産業を育てようと彼らは彼らなりに考えていたのだと感じ
た次第です。とって付けたように国や投資家(投資家もまた債券の背後に国を見てい
たという意味では、結局は国なのでしょうが)から「街」に資金を還流させる回路と
してのみそれら事業を考えていたのではないという感じが、施設の本格性には漂って
いたと思います。

 夕張は、或る意味では近代に「見つけられた街」だったと思います。

 夕張市のホームページに入れば、1874年に北海道開拓史に雇われた外人が石炭
鉱脈を発見して以来の「近代が見つけた街の勃興と衰退」が年表となって我々に迫っ
て来ます。最盛期には10万人を数えた人口が廃坑と共に減少し、急速に1万数千人
になっていく、そのような街における自治とは一体何なのか、は例えば古代からの交
通や農業、政治によって歴史的に構築されて来た「揺るぎない自生性に満ちた街」と
比較して、なかなか難しいテーマだと思います。つまり自治とは、その「街」に住も
うという意思を持つ住民の存在を前提にして成立するものであって、その「街」を構
成するのが流動的な「旅人」ばかりであって、しかもそのような「旅人」に対する吸
引力を失った「街」に、つまりは住民なき「街」に、どのような自治が成立するの
か、それは甚だ難しいテーマであり、資本主義が定住者のためのイデオロギーではな
く、流動し漂泊する旅人のためのイデオロギーで本質的にある中では、政治や統治の
形態・思想の根本的な改革を、少なくともその必要性を考えさせる契機になるような
ものだと思います。

                           金融機関勤務:三ツ谷誠 

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 ■ 金井伸郎  :外資系運用会社 企画・営業部門勤務

 現状の制度の下では、地方自治体の債務の利払い・償還金の支払いについては実質
的な国の保証下にあり、地方自治体の「破綻」という事態は正確には規定されていま
せん。

 地方自治体の「破綻」を規定する法制は、地方分権一括法の下での地方債の起債自
由化の前提条件として、現在議論が進められているものです。そこでは、地方債を自
治体の判断と責任において自由に発行できるよう認める見返りとして、発行体である
地方自治体および首長などの責任を明確化すると同時に、国による保証を廃止するこ
とに伴う投資家の負うべきリスクと責任が明確化されることになるでしょう。

 その意味では、地方自治体が破綻した場合のリスクと責任は、直接的には地方債の
投資家や貸付を行う金融機関が負うべき、というのが今後の方向性と言えます。ま
た、こうしたリスクと責任の所在を前提として、市場が要求する財政規律の下で地方
自治体が運営されることが求められることになります。

 地方自治体が破綻した際の、首長や自治体職員などの責任を明確化することは当然
としても、そこに議論が留まっている限りは、状況は大きく変わることはありませ
ん。不見識のようにも思われるでしょうが、それらは重要でも本質的な問題でもな
く、第二義的な問題です。むしろ、第一義的には、投資家や金融機関などの資金の出
し手がリスクと責任を負うべきことを確認することが、市場原理による規律を導入す
るということです。

 このように地方自治体も、市場で資金を調達する民間企業と同等に規律を求められ
ると同時に、地方自治体に対する「破綻法制」によって債務不履行(デフォルト)し
た場合の清算や更生の手続きを定められる必要があります。

 ただし、地方自治体が債務不履行(デフォルト)した場合には、民間企業などの場
合と異なり、発行体である地方自治体の清算などの処理は現実的な選択肢ではないで
しょう。そのため、地方自治体の「破綻法制」は、債務圧縮や支払いの繰延べを行な
う一方で首長などの責任の所在を明確にして財政再建させるための制度として検討さ
れており、民間企業にとっての民事再生法と同様の位置付けとなるスキームと言えま
す。

 現在の制度下では、財政が悪化し赤字比率が一定率以上(都道府県5%、市町村2
0%)となった地方自治体については、夕張市のように財政再建団体となるか、自主
的な再建を目指すことになります。地方自治体が財政再建団体になるためには議会の
議決が必要とされていますが、仮に議会の承認が得られず自主再建を選択する場合に
は、起債が制限されるなど厳しい資金繰り状況を自ら克服しながらの再建となります。

 今後、地方財政の自由化の拡大により財政が悪化する地方自治体も急増することを
想定しますと、総務省主導の自治体の破綻処理スキームには明らかに処理能力に限界
があります。また、議会の議決を経るスキームでは迅速な処理手続きへの移行に難航
する場合も想定され、不確定な要素も大きくなります。その意味でも、特に投資家保
護の観点からは、法制に基づく破綻処理スキームの必要性が高まっていると言えます。

 一方で、裁判所が主導する形となる破綻処理スキームである地方自治体の「破綻法
制」に対して、「選挙の洗礼を受けていない司法が住民の選挙によって選出された首
長や議会に優越するのは不適当だ」との批判も一部にはあります。しかし、ここで仮
に地方自治体に法制度に優越する特権を認めるとすれば、それは地方自治体に資金を
提供する投資家にとってのリスク・ファクターとなるものであり、その結果、投資家
は地方債への投資や地方自治体への貸付に対してリスク・プレミアム(上乗せ金利)
を要求することになるでしょう。地方自治体などの公共団体といえども、市場に参加
する以上はそのルールに従わないことには、相応のコストを求められることを認識し
た上で判断すべき問題です。

 さらに、このような地方自治体の「破綻法制」が検討されていく中では、自治体の
首長や職員の責任問題だけではなく、地域住民の責任がどのように扱われるか、とい
う点も注目されます。

 破綻した地方自治体の地域住民にとっては、公共サービスの水準低下、最終的には
将来の税負担の増加を通じて、破綻責任の負担が課せられる可能性は高いでしょう。
さらに、地方自治体が破綻した場合の負担を地域住民に求めるのは当然として、地方
自治体は国と異なり住民の入退出が自由であり境界を管理しない主体であることか
ら、「いかに負担逃れを許さないか」という点も重要な議論の対象となっています。

 例えば、地方自治体が債務不履行に陥ってしまった場合、最終責任は自治体の意思
決定に関わった全ての人に存するとし、状況発覚前4年間(選挙で当該首長が選任さ
れてからの期間)の自治体の管理職職員・議員・住民に債務返済を要求すべき、とい
うのも一つの考え方です。

 つまり、破綻前に他の自治体に転出していた場合でも、破綻の原因となった地方債
を発行してから償還するまでの時期に居住していた地域住民に対しては、なんらかの
負担金を課すことまで想定されます。おそらく、このような負担金が導入される場合
は、その負担の配分は資産や所得水準などに応じた応能負担の考え方よりは、むしろ
地域住民に対して均等に割り振る応益負担の考え方に近いものになるでしょう。ま
た、これは自治体の意思決定に地域住民が選挙や住民投票を通じて関わる際に、一人
一票の権利を行使できることとも整合的です。

 こうした負担金の算定方法や、徴収方法については、具体的な検討はこれからのよ
うです。例えば、夕張市の場合では、市の債務残高の合計は600億円近くに上ると
されていますが(借入金、関連企業分を含めた地方債、第三セクターおよび公営企業
への債務・損失補填等の合計)、これを単純に人口約1万3千人の一人当たりに換算
しますと約460万円という金額になります。金額だけであれば、日本国民一人当た
りの公的債務残高と大差ないとの見方もできますが(同市の住民は、平均的な国民の
約2倍の一人当たり1千万円近い公的債務負担を負っている、と言えます。)、これ
を破綻処理として負担することは明らかに一般の住民の負担能力を超えています。

 地方自治体の破綻法制が整備された後では、こうした住民の負担金については、債
務減免後の債務残高のうち財政標準規模に対して適切と考えられる債務残高の限度を
超える部分を地域住民負担として割り振り、かつ、一人当たり上限となる一定額を超
える分は国が負担する、といった算定方法が現実的ではないかと考えます。

 従って、このような地域住民への破綻債務に対する負担金の請求は、債務返済の手
段としての実効性よりは、自治体の意思決定に関わる地域住民の規律意識を喚起させ
る枠組みとして考えた方が良さそうです。その観点からは、特に、財政標準規模に対
して過大な債務借り入れを前提とした予算案、安易な行政サービス・公共事業の要求
へのリスク意識を広く住民に喚起させる上では有効なのではないでしょうか。

 もちろん、ここでは夕張市については、あくまでも数値例として取り上げたもので
あり、現状の制度の下で、こうした地方自治体の債務の全部ないし一部を地域住民の
負担とすべきだとの主張をするものではありません。

 実際、現在の地方財政の悪化の背景には、国による景気対策で膨らんだ経緯もある
ため、こうした地域への負担移転は国による責任転嫁、との批判も可能です。そのた
め、破綻法制の導入についても、国から地方への権限及び税財源の移譲を進めるため
の移行期間(10年程度)を設けることを前提として進められており、今回指摘した
投資家や地域住民の責任が明確に取り上げられるのはそれ以降のこととなります。

                外資系運用会社 企画・営業部門勤務:金井伸郎

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 ■ 菊地正俊  :メリルリンチ日本証券 ストラテジスト

 8月13日付け日経に掲載されたアンケート調査によると、自分が住む地方自治体
の財政状況について、知らない人が6割強に達します。私も自分が住む東京区部の財
政事情についてあまり知りません。東京の賃貸住宅に住んでいる場合、自治体への帰
属意識は低く、ある区の財政事情が悪くなれば、別の区へ引っ越せばいいという感覚
もあります。夕張市の場合、70年に10.8万人だった人口が、2005年に1.
3万人と10分の1に減少し、現在人口の4割が65歳以上ということです。高齢者
が多い地方では、故郷への帰属意識が高いうえ、引越しの余裕もないため、自治体の
財政が悪化し、行政サービスが低下する影響は深刻と思われます。

 このアンケート調査では、自治体が財政危機や破綻に陥った場合の責任は、(1)
首長、(2)議員、(3)自治体職員、(4)国、(5)住民、(6)金融機関の順
に多かったです。私も概ねこのような順番で、責任があると思いますが、ここに含ま
れていない責任主体を挙げるとすれば、(7)マスコミなども含まれると思います。

 首長の責任は、現市長だけでなく、昔の市長にもあると思います。夕張市の財政悪
化は、炭鉱から観光への経済復興策の失敗が主因で、そうした政策を推進したのは、
79年から6期24年市長を務めた中田哲治氏ということですが、既に亡くなってい
ます。中田元市長の遺族に退職金や給与の返還を求めるのは法律上困難です。後藤現
市長の給与は9月から5割減額、市職員は基本給を一律15%削減されるということ
です。違法な会計処理の責任をとり、9月に限って、市長の給与は8割減になるとい
うことです。後藤市長は、以前から市の財政事情の悪化や会計問題を認識していなが
らも、公表や抜本対策に踏み切れなかったと推測されます。歴代社長が長期間にわた
って粉飾決算を行っていたカネボウ事件と共通点があります。

 信じられないことは、6月8日に夕張市の夏のボーナスが前年比で増額して支給さ
れたということです。夕張市が財政再建団体指定申請を表明したのは6月20日でし
た。支給額を引き下げるには、市条例を改正して支払基準日を6月1日以前にする必
要があり、ボーナスの増額支給は法律上問題ないということですが、モラル的には問
題と思われます。

 地方自治体の財政再建団体申請は92年の福岡県赤池町以来14年ぶりということ
ですから、過去の事例は参考にならないかもしれません。赤池町では、町営住宅の家
賃、水道料金の基本料金、公共施設の使用料の引き上げ、各種団体への助成金や町単
独事業の削減などが行われ、町道の補修工事は市職員がアスファルトを買って穴を埋
めたといいます。こうした意味で、地方自治体の財政破綻は、公務員や住民が広く責
任を追うことになるといえます。夕張市の債務額は赤池町よりかなり大きいですか
ら、夕張市は赤池町以上のリストラが求められるでしょう。

 今回の件に関して、地方行政を熟知している鳥取県の片山知事は「市議会、道庁、
総務省のチェックが全く働かず、住民も無関心。金融機関がリスク感覚なしに融資し
た。チェックの甘さは夕張特有の現象でなく構造問題。病理を抱える自治体は多い」
と述べられました。株式市場でも粉飾決算はカネボウだけでありませんでした。地方
自治体のリストラは民間企業より遅く、経営悪化の危機感も小さいようですから、今
後、夕張市同様の問題が他の自治体でも発覚するのではと懸念されます。

               メリルリンチ日本証券 ストラテジスト:菊地正俊

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 ■ 山崎元  :経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員

 夕張市の破綻の場合、財政が破綻(財政再建団体の申請)したという事実そのもの
もさることながら、勘定間のやりとりと不適切な一時借り入れによって、赤字の実態
が隠されていたことが衝撃的でした。市の税収は約10億円にすぎませんが、実質赤
字補填のための一時借入金が2005年度で145.4億円で、観光などの公営事業
会計や第三セクターを含めると、一時借入金は228.1億円に及ぶと報道されてい
ます(債務の総額は632.4億円)。また、2005年の決算は、当初発表した8
5万円の黒字を7月下旬に9.8億円の赤字に修正しましたが、実質的な累積赤字
は、公営事業会計を含めると257.3億円にのぼるとのことです(数字は、「週刊
金融財政事情」8月21日号、「週刊ダイヤモンド」8月26日号の記事を参考にし
ています)。「隠せる失敗は、隠せない大きさまで育つ」という”法則”の格好の実
例です。

 この赤字隠しは、現場では「ジャンプ方式」と呼ばれていた、会計勘定間のキャッ
チボールで行われてたようです。これは、「原則年度内に返済しなければならない一
時借り入れの返済が5月と6月の出納整理期間中迄出来る」ことを利用して、たとえ
ば特別会計Aの不足金を、一般会計が一時借り入れで調達し、これを次年度の出納期
間中に、一般会計による次年度分の一時借り入れを特別会計Aに再び貸し付けて返済
する、といった形で、特別会計の赤字を表面化させずに、一時借り入れを実質的に長
期化させる手口でした。何やら、かつての山一証券の「飛ばし」を思い出させるよう
な決算操作です。

 また、同じ北海道で、こちらも炭坑の町だった、歌志内市、赤平市では、本来起債
には知事の許可が必要なところ、これを取らずに起債を行って資金繰りをしていた
「ヤミ起債」と呼ばれる問題が発生しています。歌志内市のヤミ起債額は15億円
で、税収は年間2億5千万円、標準財政規模(標準的な税収と交付税の合計)は24
億円強、借金残高は、139億円とのことです。赤平市のヤミ起債額は13億5千万
円です。ところで、このヤミ起債には、当然引き受け手がいるわけですが、これら二
市の場合、「空知産炭地域総合発展基金」が引き受け手となっていましたが、この基
金は北海道の外郭団体(トップは副知事)であり、監督する側の北海道も、不適切な
事情を知りつつ、これらの市の財政のやりくりに協力していた疑いが持たれているよ
うです。(この段落は「週刊ダイヤモンド」を参考にしました)

 二つの例を挙げましたが、「週刊ダイヤモンド」(8月26日号)の「倒産危険度
ランキング」によると、ここで出てきた三つの市はそれぞれ、夕張市2位、歌志内市
4位、赤平市15位です。これらのように不適切な処理がなされていたかどうかは別
として、他にも問題のある自治体が多く存在するということでしょう。また、私とし
ては、これらの違法かも知れない「不適切」(北海道の表現)な操作もさることなが
ら、上記の歌志内市の「標準財政規模」24億円と、「税収」2.5億円のギャップ
が衝撃的でした(夕張市の場合、47億円対10億円)。これは、交付税による、こ
んなに大きな大きな所得移転があるということであり、地方自治体の破綻の問題は、
税金を通じて、破綻地域以外の国民ともつながっているということです。

 自治体の運営に対して、選挙で選ばれる自治体の首長が責任を持たなければならな
いことは確かですが、現実の自治体の運営は、政府にあってもそうであるように、官
僚が行っており、官僚の行為が善意でさえあれば全て免責されるというような形で
は、実効あるコントロールが出来ないと思います。概念的には、一般企業における経
営者と中間管理職のように、首長(≒経営者)は結果責任を負い、官僚(≒中間管理
職)はそれぞれの職に於いてプロセス責任を負う、という形が、実効性をもって確保
されなければならないと思います。首長が個人的に弁償できる額はたかが知れていま
すし、「首長や議会に責任を押しつけて、現場は安心できる」という形が拡大的に運
営されていることこそが、不正の発生源でしょうし、対策の遅れにもつながっている
のではないでしょうか。

 たとえば、違法性のある会計操作に関わった官僚は、仮にそれが上司の指示や決済
を仰いだものであっても、末端の職員にいたるまで、懲戒解雇処分(退職金や年金は
出ない!)を含む、処分の対象になるということでなければいけないでしょうし、こ
の処分ルールは、基準が出来るだけ明確になるように文書化されて法律に裏付けられ
ていることと、その運用が、たとえば地方自治体に対する上位の自治体や総務省のよ
うな、人事交流のある仲間内の官庁ではない組織によって行われることが必要だと思
います(仲間内の処分ではダメ)。

 個々の官僚にとっては、厳しいルール化ですが、これは官僚が身分保障されている
ことと矛盾するものではないと思います。むしろ、官僚が基本的に身分保障されてい
る(不当な行為がなければ解雇されない等)からこそ適切・必要なルール化ではない
でしょうか。但し、このルール化に当たっては、違法な指示を拒否することによっ
て、個々の官僚が不利益を被らないような保護措置が同時に必要だと思います。こう
したルール化によって、上司や首長の指示であっても、現場の個々の官僚は、違法で
あることを理由に、はっきりと断ることができるようになるでしょうし、これは、職
責に忠実な真面目な官僚にとって好ましいことでしょう。

 また、自治体にあって問題が大きくなり過ぎる前に、何らかに処置に手を付けるこ
とができる点で、自治体の住民と国民にとって、有益な、いわば「安全弁」の役割を
果たすと思います。現実問題としては、たとえば、急激な人口減に見舞われた、産炭
地域の自治体のような場合、官僚組織と公営(第三セクターなどを含む)の事業の縮
小が本来急務の筈ですが(地域振興はなるべく予算を掛けずに行うべきです)、自治
体および公営事業のリストラクチャリングを、どのような制度の下で、誰が担い手に
なって行うかの研究が急務でしょう。何れにしても、自治体財政改善の前提条件とし
て、財政運営の実体を隠すことが出来ない仕組みを、組織の末端まで行き渡らせるこ
とが重要です。

              経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員:山崎元
                 <http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/>

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 ■ 杉岡秋美  :生命保険関連会社勤務

 夕張市が今回財政再建団体に陥った経緯に関しては、不透明な借金隠しの会計操作
があったことが伝えられています。一般会計と特別会計との間で資金のキャッチボー
ルを行い、巧妙に膨れ上がる債務を隠していいたということで、これは97年の山一
證券破綻時に「飛ばし」による簿外債務が、突如として出現したことを思い出させま
す。

 合法とはいえ、限りなくグレーな借金隠しの会計操作を行ってきたことに関しては
弁解の余地はなく、歴代の市長がその責任を追及されるのは、当然のことだと思いま
す。そんなことを、住民にも、また道や国にも隠れてやってきたのですから、ばれた
時のお咎めは給与の減額では足りないのではないでしょうか。現市長がこの会計操作
をはじめたのではないのでしょうが、一度辞職して住民もふくめて事の顛末の総括を
すべきかと思います。

 会計操作は夕張市の特殊事情ですが、夕張市がこれまで過疎を抜け出すためにして
きた努力は同じ悩みを抱える地方都市に一般的なものです。炭鉱の町として栄えて、
一時は人口12万人を数えた夕張市も、過疎化の流れは止めることができず、現在の
人口は1万3千人ほどです。カリスマ的な前市長のもとで人口減を食い止めるため、
観光開発に力をそそぎ、ホテルやテーマパーク、スキー場などに資金を投入してきた
ことのつけが回ってきたのが今回のそもそもの原因ですが、夕張市の町おこしの努力
は完全な失敗というわけでもなさそうです。

 メロンの産地としては、夕張の名前は全国ブランドですし、90年には竹下内閣時
代の「ふるさと創生」事業の資金1億円を使ってはじめた国際映画祭も今年2月で1
7回を数えるなど、巧みな話題作りのセンスを発揮したといえます。メロンは年間の
売上は30億円に達しているとのことなので、中堅企業の工場誘致ぐらいには匹敵し
ます。映画祭は関係者の中では有名で評判も高かったようですが、目論見通りにリゾ
ート地としての転進をはかる起爆剤としては力不足であったようです。毎年、映画祭
のための70百万円の支出と、運営にあたる市職員の人件費負担もばかにはならず、交
付金が削減される見通しのなかでは、映画祭の中止が決断されました。

 過疎化からの脱出のための戦略として、特産物を育て、観光資源を開発する事によ
り経済的な自立を確立するというのは、ごく一般的な戦略であり、教科書的な正解で
あり間違っていたとはいいがたいものがあります。徹底して公共事業や企業の誘致に
頼ろうとした自治体に比べれば、夕張市の場合その自助努力とその成果は、賞賛すべ
きものかもしれません。結局、その懸命な努力にもかかわらず、日本の国のあり方が
大きく変化して起こった、過疎化の波には逆らえなかったということです。これが、
一般的な過疎の現実であるのなら、その会計のずさんさや計画の放漫さを指摘するこ
とはできても、財政悪化の責任を地方自治体(首長、職員)とその住民のみに押し付
けるのも酷であるように思います。

                       生命保険関連会社勤務:杉岡秋美

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 ■ 津田栄:経済評論家

 自治体が財政破綻した時、現行制度では、今回の夕張市の場合に見られたように、
財政再建団体として国の管理のもとで国の支援を受けて財政の建て直しを行なうのみ
で、破綻した財政の責任について誰かを追及するようなことにはなっていません。た
とえ、地方自治に関する法律(自治法や財政法など)に違反する行為(今回のように
債務隠しの不適切な会計処理や無許可起債など)があっても、首長の道義的責任は少
なくともあるのでしょうが、それ以上の法的な責任追及の規定はありません。

 それでは、自治体の財政が破綻した時、どういう責任のとり方があるのでしょうか
? 今、地方自治体の破綻法制の骨格案がでて、この秋から具体的に検討されること
になっていますが、その責任論については、依然固まっていないように見えます。た
だ、財政破綻した時には、首長や議員、あるいは住民まで責任を追及するべきだと言
う人が出てきています。果たしてそこまで追及していいのか、すべてにおいてそうい
えるのかという点で、個人的には、問題は多いと感じています。

 もちろん、今回の夕張市の場合、明らかに市長や職員は市の財政がもう破綻状態な
のを知っているにもかかわらず、それを隠すために、国や北海道に無許可で起債した
り(北海道は実質的に知っていながら黙認?)、短期資金を金融機関から借りてあた
かも何も問題がなかったかのように見せかけて不適切な決算を行い続けてさらに財政
を悪化させてきました。しかも議員がそれを見落として承認してきました。その上
で、市長らはお手盛りで給与やボーナスの増額をしてきたことを考えると、確信犯的
であって相当悪質といえます。今回の市長らの給与の減額は、当然というより、全財
産を提供すべきぐらいの責任はあるのではないでしょうか。

 問題はそうではない場合です。どんなに努力しても、財政破綻するような場合で
す。今、地方は急速な人口減少・過疎化と少子高齢化に悩んでいます。地方の財政状
況は、税負担する人が減り続けはや改善するより悪化の方向に向かってきています。
そんな中で過去の遺産である自治体の膨大な負債の返済は、今後一段と困難を極める
と思われます。そう見ると、この自治体が負債により破綻した時、誰が責任を取るの
かという問題も、極めて難しいといえます。問題は、果たして、そうした負債の責任
を単純に地方の人々に負わせる因果関係があるのかです。

 突き詰めて考えれば、責任は誰かに対して、なんらかの行為について発生し、その
行為の主体が責任を負うと考えるべきです。それでは、自治体の財政破綻の責任は、
誰に対してどういう行為について負うと考えるべきなのでしょうか。誰かが責任を負
うべきということは、その裏に責任が発生する行為とその行為により負担・犠牲を負
った当事者がいるはずです。それが明確になったときに、責任を負うべきものやその
責任の取り方が見えてくるのではないでしょうか。今回の自治体の財政破綻の責任問
題にはこの点が明確になっていません。

 ところで、この90年代、日本ではバブル崩壊によるデフレに苦しむなかで公共投
資などで経済を浮揚させようとして国および地方の財政を悪化させてきたといえま
す。そして、経済の低迷と財政の悪化は地方にいくほどひどくなったといえます。な
ぜなら、過剰債務、過剰設備、過剰雇用に苦しんだ大手企業が生産・営業の集約化・
効率化のために地方から撤退し、従業員であった住民も働き場を探して地方を去って
東京など都市部に流失、そのため地方の中小企業も撤退・廃業・倒産し、産業が衰退
する中で、地方の税収は落ち込んでいったからです。

 そうした中で、デフレ脱却・経済回復を目指して、国は大規模な公共事業を行なっ
てきました。同時に、地方にたいしても、交付金や補助金などを利用して、余計な公
共事業をさせてきたという経緯があります。そこには、デフレ脱却・経済回復という
大命題のために、無理を承知で地方に借金を進めたということもいえましょう。もち
ろん、自治体が積極的に公共事業を進めた面もありますし、そのために政治家が動い
たこともあったかもしれません。

 しかし、あの当時、国民全体が経済を何とか回復するために景気刺激策を望んだと
いう側面は否定できません(ただ、それが公共事業でよかったのかどうか、また誰が
それを決めたのかという問題がありますが)。ということは、地方の膨大な債務の責
任には、国および国民が負うべき面もあり、それを地方にだけ負わすことは国の責任
を転嫁するものともいえます。同時に責任の所在が不公平だともいえます。

 そもそも、日本の自治体は、地方の末端に行けば行くほど、財政の多くを地方税交
付金や補助金に依存して運営されているのが実態です。もちろんそうでない自治体も
あります。しかし、地方の自治体の公共サービスは、社会保障などで年々増大してい
るなかで、それを賄うべき地方財政の収入が地方税(住民税や固定資産税、事業税な
ど)では半分にも達せず、約1/3が交付金等、残り10数%が地方債で賄われてい
ます。これも東京など比較的裕福な自治体を含んでの姿であって、地方の自治体では
税収と交付金・地方債の関係は逆転しているのが実態でしょう。

 つまり、地方自治体には市民に行政サービスを提供するに足る財政構造になってい
ません。地方では、増大する社会保障費さえ賄いきれなくなる日は近づきつつありま
す。行政サービスの最終供給元は地方自治体であり、そこの住民がそのサービスを受
ける客体です。しかし、それを賄う税金の大半を国が握っています。ここに、地方の
あり方、ひいては国のあり方が問題となります。すなわち、20世紀型の国が中心の
中央集権的構造に根源的な問題があるといってもいいのではないでしょうか。税収の
多くを国が吸い取り、一方で地方の財源を縛っておきながら、地方の財源不足分を交
付金や補助金などで分配するなど裁量権を行使する国家中心型の古い構造が、いまだ
に機能しています。

 このことは、別な問題も引き起こしています。この中央集権的国家システムでは、
国として効率的に経済成長を図ろうとするために、工業や商業などの産業の発展を目
指して、企業と都市を重視し、全国一律の制度の下で地方の特性を消してきたといえ
ます。そして、戦後の成長期に「集団就職」という形で、今でも地方に産業がなく必
然的に都市部へ地方から人口が流出しています。ある意味で、地方は、東京など都市
部への人の供給元であるといえます。その結果、地方は、住民の流失による人口減を
招き、少子高齢化が進行することで、地方のコミュニティの崩壊を招き、治安の悪化
にもつながって、疲弊の速度をさらに速めています。

 それが、地方の税収減になるとともに、景気回復を願って地方は公共事業で人口の
減少により需要が縮小しているにも関わらず道路や箱物を中心に作ってみたものの、
企業や人の回帰が見られず、その維持費負担がむしろ地方の財政を締め付けるという
悪循環になっています。そして、地方には今や都市部への人の供給余力も限界を超え
てきて、自らの地域さえ支えられなくなりつつあります。そうした中で地方自治体の
膨大な債務は、積みあがってきたがために、解決が難しくなりつつあるのです。(ま
して、都市部での出生率の低下は、新たな人の供給を困難にし、今後人口減と少子高
齢化は都市部に大きな負担となってくると予想されます。)

 そういった点を踏まえて考えてみると、この日本で噴出している問題は、この古い
中央集権的国家システムが依然残っているがゆえに起こっているといえましょう。そ
して、それを支えてきたのが、お上意識のもとで行政のやり方に従ってきた国民とも
いえましょう。その行政も既得権益を維持することに汲々となって責任の自覚がな
く、また一方国民行政監督するために政治家を選択していますが、その機能を果たす
どころか行政と利害を一致させて行動させているのを黙認していては、同じ責任を負
っているといっても過言ではないでしょう。

 結局、今後どんなに努力しても起きるかもしれない自治体の財政破綻の責任を、一
概に地方自治体の首長や公務員、議員まして住民に負わせるというのは、因果関係か
ら実態に合わないものといえます。ここまで膨らんだ自治体の負債の責任は、自治体
だけでなく、国にもあり、最終的には住民を含めた国民にもあるといえます。つま
り、こうした結果を生んだのは中央集権的システムでやってきた国でもあり、それを
黙認してきた国民でもあって、そのために負担や犠牲を負うのは国であり、国民でも
あると考えれば、国および国民全体が自らの責任を果たしていくしかないと考えます。

 最後に、これからどうすべきかですが、これまでの自治体の債務は国民全体の責任
問題であることを考えれば、まず国は地方債務の全てを引き受け、それ以降の地方の
債務については自己責任として地方の責任として扱うべきでしょう。その場合、国は
中央集権的なシステムをやめ、地方に税源など権限を完全に移転して自主性を与え、
地方の独自性を容認することが必要です。そして、同時に地方の責任も明確化すべき
です。自由や権限があってこその責任であるといえます。そこに、住民の責任の自覚
が生まれ、これまで形だけで本質的には行なわれてこなかった住民自治、地方自治、
そして民主政治が行なわれるのであり、その先は柔軟性を取り戻して経済のダイナミ
ズムとともに財政のあり方も変わっていく(いえましょう。

 もちろん政府債務は800兆円を超える膨大なものですが、国民一人一人の責任と
して自覚して、その負担を国民全体で負うようにすべきでしょう。また、国の機能を
外交・通商など対外的問題や、地方の横断的な内政問題に絞った上で、地方が徴収し
た税金の一定割合を別途払わせる形で国を運営していくようにすべきです。その時こ
そ、地方が自由を取り戻して、競争が生まれ、経済のダイナミズムがでてくると思わ
れ、税収は意外に伸びる可能性があるのではないでしょうか。

                             経済評論家:津田栄

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 ■ 読者からの回答:水牛健太郎

 この問題は、盛んに論じられるある問題によく似ています。ある国が、勝ち目のな
い戦争に乗り出し、自国民と他国に甚大な被害を出した末、戦争に負けた場合、その
責任は、誰が、どのような形で、負うべきなのかーーいわゆる「戦争責任」の問題で
す。

 日本の戦争責任を巡る問題は、戦後、いささか混乱した道筋をたどりました。終戦
直後に首相となった東久邇宮稔彦王が唱えた「一億総懺悔」論は、指導者層の責任を
棚上げするものとして、家族を失った一般国民などから強い反発を買いましたが、一
方で日本国民自身が天皇や政治・軍の指導者を裁くことはできませんでした。アメリ
カを中心とする連合国が主導した東京裁判は、戦後世界秩序構築の手段としての一面
があったことは否定できず、裁判の正当性に疑問の余地を残しました。また、政治・
軍事の最高指導者たちが裁かれたのに対し、天皇はその地位に留まりました。そこに
も当時の世界情勢を巡るアメリカの思惑があり、戦争責任の問題はねじれたまま残さ
れることになりました。現在靖国神社への首相の参拝が国際問題化しているのも、東
京裁判で裁かれたA級戦犯が合祀されていることが背景であり、ひいては戦争責任の
問題が未解決になっていることを反映していることは言うまでもありません。

 この問題はあまりにもセンシティブなものであるため、こうして書き出しただけ
で、ほとんどの読者の方は、私が「自治体の財政破綻」という問題をねじまげて、何
か政治的な主張をしようとしているのではないかと思っているのではないでしょう
か。しかし、私がここでしようとしている議論は、戦争責任問題の内実とは何の関係
もありません。私が論じたいのは、入り組んだ政治的な「責任」の問題を論じる時の
考え方の枠組みです。

 仲正昌樹金沢大学教授は、著書『日本とドイツ 二つの戦後思想』(光文社新書)
の中で、戦後ドイツの戦争責任論の基本的枠組みとなった哲学者カール・ヤスパース
の議論を紹介しています。それによるとヤスパースはドイツ国民の「連帯責任」とい
う考えは認めず、あくまでも各個人が異なった仕方で異なった重さの責任を負ってい
るという立場に立ちました。その上で各人の「罪」の内容を明確にするために、四つ
の罪概念を区別しました。それは、1個人の違法行為である「刑法上の罪」、2過ち
をおかした政治体を直接・間接に支持した「政治上の罪」、3個人の良心に恥じるよ
うな行動を行った「道徳上の罪」、4被害者(ここでは迫害を受けたユダヤ人など)
と同じ人間として、自らの行動と関係なく、申し訳ないと感じる「形而上学的な罪」
の四つでした。

 このような罪概念の中では、一般国民は1の対象になることはなくても、2〜4の
対象にはなりえます。2の罪の帰結として政治上の責任を負い、その結果である国土
の荒廃や経済の混乱といった惨めな状況も受け入れなければならないし、3、4の罪
について、自らの良心に問いかけていくことも求められるわけです。日本の戦争責任
論が「悪いのは誰かーー天皇か、指導層か、一般国民も含めた全員か」という択一的
な議論の袋小路にはまっていったのに対し、ヤスパースの議論は指導者個人の責任を
追及しつつ、一般国民をも免責しない、よりきめ細かな戦争責任論を可能にするもの
だったと言えます。

 こうした議論の枠組みは、今回の質問である自治体の財政破綻についても応用され
うるものです。自治体の財政破綻の背景には、首長・議員や公務員による違法行為が
潜んでいることも多いし、違法行為がなかったとしても彼らは制度の作成者・運用者
として一般住民よりも重い責任を負っていることは間違いありません。しかしその一
方で、一般住民は選挙で首長・議員を選んだのであり、また、しばしば放漫な財政の
受益者としての立場にあります。財政破綻という結果について単に被害者というわけ
にはいかないはずです。

 もとより戦争責任についてのヤスパースの枠組みを、自治体の財政破綻のケースに
そのまま使うことはできませんが、責任を単一のものと見るのではなく、首長、議
員、職員、一般住民、さらには国や上部自治体の関係者など、さまざまな立場の人間
が異なった仕方で、異なった重さの責任を負っているという考え方は重要です。それ
が個々の責任をあいまいなものにせず、議論をねじれさせない唯一の方法だからです。

 重要なのは、自治体の財政破綻について論じる場合、こうした各種各様の責任は当
然それぞれに対する経済負担の確定に反映してくるということです。つまりこうした
責任の主体は、破綻の後始末に際し、それぞれの責任の重さに応じて、経済的な負担
を負うことになります。個人としての首長・議員・職員は賃金カットや返上などを通
じてそれなりに重い負担を負うのは当然ですが、一般住民が増税や自治体サービスの
削減という形である程度の負担を負うことも正当化されます。

 こうした「責任の確定」は決して後ろ向きな作業ではないと思います。それは、権
威主義の隠れ蓑の中で、時には一方的な受益者であり、また時には一方的な被害者で
あるという、表裏一体の立場の中に安住していた一般住民に対して、地方行政の真の
主権者であることを求めるものだからです。地方財政の破綻は、首長・議員・職員・
一般住民といった地方行政のプレイヤーたちが地方財政に対する責任を自らのものと
感じていなかった点に最大の理由があります。全員が、どこかよそからお金を引っ張
ってくることばかりを考えていたのです。主権者である住民の依存性・無責任は、日
本における民主主義の未成熟の一つの表れでもあるでしょう。

 そうだとすれば、その真の解決は、責任の確定プロセスを通じ、それぞれにそれぞ
れの責任を負わせるという形で行われるしかありません。それにより、地方行政のプ
レイヤーたちが地方財政・行政を真に自分たちのものであると感じられるようになれ
ば、そこには何がしか前向きの意味が生じると思います。起こってしまったことは取
り返しがつかないのですから、せめて将来に向けた一つのレッスンとなることを期待
したいと思います。

                         評論家、会社員:水牛健太郎

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■■編集長から(寄稿家のみなさんへ)■■

 Q:725への回答ありがとうございました。マウイから戻りました。年齢を経る
ごとに時差がきつくなる気がします。ホノルルの空港のセキュリティはいまだに大混
雑していました。バブルのころに、外交努力を尽くしてハワイ諸島をアメリカから買
っておけば良かったのに、というようなことを考えてしまいました。

============================================================================

Q:726
 自民党総裁選が近づいてきました。経済合理性の面から考えて、今回の総裁選の、
どのようなところに、興味をフォーカスさせればよいのでしょうか。

============================================================================

                                   村上龍

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
JMM [Japan Mail Media]                 No.390 Monday Edition
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【発行】  有限会社 村上龍事務所
【編集】  村上龍
【発行部数】128,653部
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