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健康とは健(すこ)やかで康(やす)らかな心
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投稿者 不動明王 日時 2007 年 2 月 02 日 22:44:50: Wge0l2yvbkAIg
 

 一部の専門家をはじめ、多くの国民にとって健康なる概念において重大なる錯誤があるのではないだろうか。健康とは文字の如く、健(すこ)やかさと康(やす)らかさであり、外見よりも内面的なもの、即ち、精神的なもの、心の問題であろうと思われる。ところが多くの人は、健康になるために食べ物に拘ったり、外見上の筋肉を増強させるためにスポーツなどに囚われている嫌いがあるようだ。しかしながら、健康とは、そんな外見的・表面的なものとは異なると言うことだろう。

 例えば、ここに頑丈な机があるとして、思い切り叩いても壊れないからといって、この机が健康とはいわないだろう。これは単なる丈夫、頑丈というものである。つまり健康とは頑丈や丈夫と異なる概念であるのに、殆どが外見上の姿形に囚われて、内面的な心の問題であることを忘却している嫌いが見受けられるのである。即ち、筋骨隆々とした肉体、頑丈・丈夫な身体をもって健康的といっているのが世間の常識となっているようだ。また、世間で言われるような標準体重なる尺度も、単なる外見的な美しさの指標程度でしかなく、痩せているから健康とか、太っているから不健康とか言うものではないし、健康とは全く無縁のものである。

 また、何を食べたら健康になるというのも、必ずしも全て正解ではない。ある程度は、健康に食べ物も関係することは否定はしないが、精々一割ほどであろうと思われるのであり、残りの九割ほどの確率で心が関係するものと思われる。従って、何事にも不平・不満の心を排して、大自然の恵みの食べ物を始め、境遇等のあらゆるものに対しても心より感謝して、「吾、唯、足るを知る」の心にて、極端に偏らない中庸・中道の心にて、活達に生活することこそ、健康と活躍に直結するものだろうと思われる。

 そして人間は病気さえしなければ、皆九〇歳ぐらいは生きることが出来るのであろう。七〇、八〇で死ぬのは病気であり、老化老病と言うものであり、老衰というものではないように思われる。換言すれば、老衰では九〇歳ぐらいまでは死亡しないものであろう。この病気も、別に検討するように、気の病であり、心の問題に他ならないものであろうと思われる。現代は余りにも健康に関心を抱いていることが多いが、殆どは食べ物や頑丈さに囚われているようだが、健康とは、病気もそうだが、実に心の問題であると言うことだ。食べ物にしても、何を食べたから健康になるというものではなく、何をどういう心で食べたからという次元で考えていくべきだろう。食べるときの心の在り方が、大きく健康に関係しているということだ。現在は、科学的にも、心の持ち方、在り方で、消化液や酵素の働きに大いに関係しているということが証明されているようだ。

 何を食べたらガンになるとかの議論が余りにも多すぎるが、とんでもない見当違いの話であろうと思われる。そうだとしたら何も食べる物が無くなってしまうだろう。ガンもその原因は心であると思われる。心の偏りや誤りが、凝りとしてのガンを発生させるものと思われる。よく、あれほどアルカリ食品や健康食品を食べていたのにどうしてガンになったのかと悔やむ人もいるが、これなどガンの原因が心の問題であることが解っていないのであろう。くよくよ、イライラなどのストレスも、心の舵取りを誤ったものとしてガンを発生させる原因になりやすいものと思われる。

 健康とは実に心乃至精神の問題である。まずは心を清浄にすることが、健康への秘訣であろうと思われる。この清浄な心とは、実に血液を清浄にすること、即ち、「清血」にすることに尽きると言えよう。逆に言えば、清血な血液とは清浄な心に他ならず、決して石鹸や薬では得られないものであり、実に、何物にも囚われない清浄な心、簡単に言えば、丸く大きく豊かで暖かい心の形成によってこそ得られるものであろう。即ち、石鹸では身体を清潔にすることは出来ても、心を清浄にし、血液を清血にすることはできないものであろう。

 ところで、この心の働きは実に一念三千の世界であり、実に微妙な世界であり、何が正しい心かは容易には解らないものだし、神官や僧侶、道徳や倫理などの専門家ですら、よく理解できていないように思われる。例えば、同じ野菜を好んで食べても、心の在り方によっては、菜食主義者と菜食愛好者の二通りがあると思われる。菜食主義者のように主義に囚われるようになってはいけないと思われる。即ち、人が真心を込めて感謝の念を表してくれる物に対し、自分は野菜しか食べないと言う菜食主義なる頑固な主義に囚われて拒絶するのが「菜食主義者」である。また、自らは野菜を好んで食べるが、人が真心を込めてくれる物は、肉であろうが甘いものであろうが、相手の真心を素直に受け入れて何でも感謝して食べるのは、「菜食愛好者」と言うものであろう。両者の心は天と地ほどの開きがあると言えよう。往々にして、あれほど野菜を中心に食べていたのに、どうしてガンなどになったのかと後悔する方は、案外、菜食主義に囚われて、頑固な心を知らずの内に形成していたのではないかと思わざるを得ない。

 猫が骨を食べても、喉に引っ掛からないないのも、実に美味しく喜んで食べるからであろうと思われる。人間は余りも、栄養とか、味とか、引っ掛かるのではないかという先入観などに囚われ過ぎると言えよう。その囚われる心が、逆に骨が引っ掛かりやすくしているとも言えるのだ。囚われない心にこそ、自然と調和した健やかさと康らかさがあり、健康に直結する健全な消化液や酵素の働きがあるものと思われる。
 縄文時代は、人間でも約五千種ほどの酵素があって、草でも木の実でも分解し消化していたようだが、長年の間に、食生活の変化と共に、酵素が次第に使われなくなっていったものもあり、今では、草や木の実をそのまま食べても、消化不良を起こす場合が多いが、控訴は使わなければどんどん退化し消滅していくようだ。現代の人間は、本来備わった酵素なども、カロリーや美食、便利などに囚われて、過度に追い求める余りに、次第に退化し、その反動として、抵抗力や免疫力が低下してきていると言っても過言ではないように思われる。

 ところで、昔からよく、「健全な精神は健全な身体に宿る」と言うが、これなどはむしろ逆であろうと思われる。正しくは、「健全な身体は健全な精神、心に宿る」と言うべきであろう。健全で健康な身体は、健康な心や精神より生まれるものであり、まずは健全な心を形成することが、健全な身体に直結する第一義のはずであろうと思われる。
 よくスポーツ選手が短命に終わったり、外見が頑丈な人が急死したりするのも、医学界ではその因果関係が良く解っていないらしいが、健康とは何であるのかを巡って正しい理念が理解されていないものと懸念されるものだ。スポーツと健康とは、余り直接の関係はないと言えよう。偶々、スポーツをやって、ストレスに満ちた心身が解放されて、その結果として、健康な心が形成されていくことであり、逆に、過度に無理して実践するスポーツでは、全く健康とは逆効果であるのは明らかだ。それ故に、スポーツもやり方次第では、健康にもなったり、逆に短命にもなったりするものだろう。

 なお、身体や精神を過度に酷使した人の死は突然にやって来るものであり、差ほど酷使していない人の死は緩慢に到来するものであるようだ。酷使して行く場合には、知らずの内に無理が蓄積され、突然の死を迎えるようにしているとも言えよう。要は、何処までも健康とは、心の在り方、舵取りが大きく影響を及ぼすものであると言うことだろう。

 スポーツと同様に、座禅やヨガもや太極拳も健康になれるとかで、ブームを呼んでいるが、これも健康の概念を大きくはき違えていると言えよう。座禅やヨガなどの不動の身体を作ることではなくて、まや太極拳などの緩慢な身体の動きを形成することではなく、不動の心、また緩慢な心を涵養することが大切なのである。何事に対しても、喜怒哀楽などの感情の過度の起伏を顕わにすることもなく、極端に流れることもなく、不動や緩慢な中庸・中道の心を形成することこそ、健康の秘訣と言うものであろう。

 よく考えて見れば、極めて自然で当然なことでもある。即ち、座禅やヨガの姿勢を上手くできないで、支障を来す身体障害者の方は不健康なのだろうか。そのようなアクロバット的・奇形的に身体に捩らせたり捻らせたりすることが出きること自体が健康的ではないことは明らかであろう。それは単なる柔軟な身体と言うことであり、健康な心や身体と言うことではないはずだ。

 なお、健康には心が大きく関係しているとは言うものの、必ずしも心だけの問題でもない。例えば、最近の健康ブームの中で、温泉が健康に良いからと大いに宣伝されているが、この温泉のお湯に至っては、何処も大変熱く温度が設定されているのが殆どだ。熱ければ、刺激も強くて、健康に良いとでも勘違いしているのではないだろうか。しかしながら、熱い温度のお湯では、温泉の薬用成分が身体に強く浸透して大変健康には良くないことが解っていないようだ。これは専門家の医者の方々でも、余り解っていないように思われる。薬用効果も強すぎたりすれば逆効果である。温泉の温度に限らず、薬の過剰使用もマイナスに働くことがあるということだろう。むしろ、温泉のお湯に関しては、ぬるま湯にゆっくりと浸かってこそ健康に良いと言えるものだ。老人は熱いお湯を好むと言うが、老人であっても、熱いお湯は、瞬時に疲労が取れて開放感が走り、一見して健康になったような錯覚に陥るが、極めて身体に強く薬用成分が作用して健康に悪影響を及ぼすものと思われる。

 お湯と言えば、殆どの専門家が、痔の治療に対して、暖めろと指導しているようだが、むしろ、暖めた場合には、その時だけが暖まるというものの、後で冷えやすいのである。むしろ、冷たい水に患部を浸した方が、後で血行が良くなるのである。我々は経験上も、寒い時に、温かいお湯で洗顔するよりも、冷たい水の方が、血色が良くなることを知っており、それと同じであろう。お湯はその時だけが暖かく感じるものの、後で冷えてくるものである。

 また、健康には、心以外にも、日常生活や食生活に氾濫する化学物質なども、健康に有害な物質として大きく作用することが多いのは明らかだ。それでも真正で清浄で無意識の心であれば、気にしたり囚われた心である場合よりも、被害は少ないのではないかと思われる。よく腐敗したものでも、気にする心で食べると過度に嘔吐を催すが、気にしない心で、ただ感謝の気持ちや食べ物を大切にする心で食べる場合は、不思議と臭いもせず、食中りに際しても被害が少ないこともあり得るものだ。現に、当方も何度もそうした事態に遭遇していることで経験上、納得しているものだ。
 こうしてみると、健康なる生活を送るに際して、世間で常識のように言われているような様々な事象や事例において、健康に対する概念や理解、実践の多くが、実に誤解と偏見、誤謬に満ちたものが多いことが解るというものだ。

http://www4.ocn.ne.jp/~mukzke98/seishinsensei1.html

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