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職場から  医療現場は人手もケアも手いっぱい 医療大国日本の現実  【SENKI】
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投稿者 愚民党 日時 2007 年 2 月 24 日 06:40:31: ogcGl0q1DMbpk
 

http://www.bund.org/culture/20070215-1.htm

職場から  

医療現場は人手もケアも手いっぱい

医療大国日本の現実


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看護現場で燃え尽きたと思った私

成島一人

 〈もしかして、これって「燃え尽き」か‥、まさか自分が‥〉

 その日私は、8年間休まず通った勤め先を風邪と偽って休んだ。突然何もしたくなくなり、食欲もなくなった。胸の動悸が激しいのが気になって、それから数日は眠れない日々が続いた。

 職場に風邪だと偽ったのは、私の強いショック状態を理解してもらえないと思ったからだ。

虐待を目の当たりにして

 私は精神科病院の急性期病棟で、ケア・ワーカーとして働いている。仕事は患者の身の周りの世話で、医療行為以外はなんでもする。患者の入浴、オムツ交換、買い物、散歩の付き添いなど、あらゆることが仕事だ。

 職場では看護師が少ないため、医療行為は看護師が担い、患者に関わる多くの仕事はケア・ワーカーが担う分業を行ってきた。そのため患者に関わる様々な情報のなかには、看護師よりも私たちケア・ワーカーの方が知っているものも沢山ある。

 300人弱の入院患者の多くを占めるのは、統合失調症と診断されている人たちだ。この病気の特徴として「妄想をもつこと」が指摘されるが、実際は「感情のコントロールが出来なくなる」ことの方がより本質的な症状だと思う。症状が重かったり、急性期症状の場合には、自殺を企図したり自分や他人を傷つけてしまう恐れのある人もいる。

 それまで私は、仕事にストレスを感じたことはあまりなかった。ただ、強いショック状態になったきっかけとなったことがある。夜勤を共にした女性看護師が、隔離室に入っている女性の若い患者に虐待を行ったのだ。

 薬を飲むのを拒んだ患者に対し、その看護師は患者の上唇を力づくで無理やり鼻の方にめくり上げ、強引に薬を飲ませた。その際私は、下唇を引き下げるよう指示された。他にも薬を拒否する患者がいたが、同様にコミュニケーションなしで馬乗りになり無理やり口を開けさせ飲ませてしまった。

 不穏状態の患者に暴言を返す別の看護師もいた。「私は病気じゃない」と叫ぶ患者に、「病気なんだよ。人間じゃねぇんだよー!」と叫びながら、隔離室に閉めて閉じ込めたのだ。看護師がキレてしまったのである。

 精神科の病棟で働く職員は、精神的なストレスを抱える場面が多い。患者から乱暴なことを言われたり、ときには暴力を受けることもある。

 しかし、それに直対応し患者の言葉を真に受けて怒ったり、患者に仕返しすれば看護にはならない。

 虐待を受けた患者はいずれも隔離室(保護室)にいた。この部屋は、急性期症状で患者が自分や他人を傷つける危険性があるなど、医師が必要と判断した場合に利用される療養空間で、トイレ以外の設備は何も無い。出入り口の戸は外部と遮断するためカギがかけられる。

 本来患者の安全をはかり、より有効な治療のための空間だが、患者にとっては不自由で人権が損なわれやすい空間でもある。利用には細心の注意と法律の遵守が必要だ。

 虐待は今回が初めてのケースではない。私がこの病院で働きはじめた時から虐待は存在したが、以前はもっぱら男性の看護師によるものだった。当時はまだ、看護というより威圧して御するといった感じだった。

 その当時から比べると、病棟の雰囲気が少しは変わってきたのではないかと思っていた矢先に、女性看護師による虐待を目の当たりにして私は強いショックを受け、この問題の複雑さと深刻さを痛感した。

 虐待によって患者の受けた心の傷は計り知れなかった。そして私は、患者が受けたであろうストレス(傷)を自分に重ね、自分自身が傷付いてしまった。これを「代理受傷」と呼ぶらしい。

ナースも傷ついている

 この事件の1年ほど前にも、患者に怒鳴られたか、物を投げられたかした看護師が患者に仕返しをしたことがある。

 虐待した20代の若い看護師は、患者の苦情や他の職員の指摘を受け入れず、虐待の事実そのものを認めなかった。上司とのやりとりも平行線をたどり、結局彼女は結婚を理由に病棟を後にした。今思えば、彼女も深く傷ついていたのかもしれない。

 今回のケースでは、私は虐待をした看護師を信頼関係を作ってきたチームメイトと考えていた。

 その後私は、彼女がなぜそうした行為に及んでしまったのかを、自分たちのチームの問題として考えようと問題提起した。彼女は自分の虐待を認め、それが私を早期の回復へ導いてくれた。

 彼女がなぜそのような行為に及んだのかを話し合った。ある職員は彼女に、「大切なことは、患者との信頼関係ではないですか」と語った。彼女は、「私はそこがなかなか作れないんです」と素直に答えた。少なくとも彼女は、自分に何が問われているかを自覚することができたのだ。

 しかし、看護現場が抱える問題を看護師の自覚だけで克服することはできないと思う。看護の世界では、職場を辞めるだけでなく、職業そのものも辞める人が少なくない。看護師に求められる「あるべき姿」に耐えられないからだ。

 病院は本当は不安な場所、暗い場所なのだが、明るく、温かみのある場所に演出しなければならない。建物は快適な印象のものへ建て替えられ、患者は「患者様」と呼ばれる。

 その中で働く看護師の職業倫理の多くは、感情に関する規則だ。患者に対して「共感的でなければならない」とされ、職務上適切・不適切な感情を規定されている。「白衣の天使」と呼ばれるナースたちへの役割期待は大きい。

 彼女たちは、厳しい現実のなかで、無力感や自己嫌悪を嫌というほど体験する。いくら患者に献身的に関わっても、感謝によって報われるのでなく、怒声や罵声、ときには暴力が返ってくるのだ。

 そんな状況下で、他人を思う感情そのものが枯れてしまう(バーンアウトしてしまう)人が多いのは無理もないことなのだ。

 私自身、看護スタッフの同僚に対して、「共感せよ」「感じるべき」だと主張し、そうでないスタッフを「患者の気持ちを汲み取れない」と批判してきた。しかし、今回の経験を通じて、「看護スタッフは患者に共感的でなければならい」とだけ考えていても、問題は解決できないことに気づいた。

 ただでさえ医療現場は、医療改革の嵐の中にいる。病院は人手不足で、点数になりにくい慢性期の患者は看たがらない。早い退院ばかりを求め、患者への関わりはますます薄まっている。厚生労働省が「患者様」「人権」とあるべき姿をいくら掲げても、看護現場は人手も少なく給料も安いのが実態で、精神科では精神科看護、医療の基礎教育そのものが維持できなくなっている。

 こんな状態では、このさき地域末端の精神科病院の荒廃を止めることはできないだろう。この状態の解決が必要だということだ    

(ケア・ワーカー)


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介護ストレスとどう向き合うか

介護の限度を見極めるのは難しい

村上千鶴子

介護現場の厳しさ

 昨年末、10ヶ月ほど勤めたグループホームを辞職した。仕事上のストレスのため一時的に精神的パニックとなり、業務に支障をきたしたからだ。

 昨年春に新設したばかりのグループホームには、私を含めて7名の職員がいた。老人保健施設、デイサービス、ホームヘルパー、有料老人ホームなど様々な介護現場で働いていた人たちだ。介護歴も違えば、経験してきた介護現場も異なるスタッフが、手探りの中でグループホームを立ち上げることになった。

 一口に介護といっても、当然現場毎に事情は違う。有料老人ホームで働いていた人は、日中は1人でワンフロア20人を受け持っていた。他の職員は入浴介助などに携わっており、実質的には1人で20人を介護していたそうだ。

 私が勤めたグループホームは4交替制で、日中は平均3人の職員で利用者9人の介護をした。1人で20人を介護するのと比較すれば楽だと思うかもしれない。私も研修では、これなら大丈夫だろうと軽く思ったものだ。

 ところが実際にやってみると、この人数すら最低限なのだと実感した。私たちのグループホームでは、「利用者の自立」を謳っていた。とは言え、利用者によって認知症のレベルはまちまちだ。排泄に関しても、1人ではトイレで排泄できない人や、定期的にベッドでのオムツ交換が必要な人もいた。食事の際も、箸を自力では持てないため、必ず食事介助が必要な人もいた。それぞれ異なる利用者のADL(日常生活動作)に合わせた介護が必要になるのだ。

 ましてや認知症を患っているため、介護される側も言葉での意思疎通がなかなかできない。私は利用者さんの表情などから、何とか相手の意思を汲み取る努力を続けた。しかし、本当にこの介助方法でいいのか、いったい相手が何を望んでいるのか、度々考えさせられることが多かった。コミュニケーションが思うようにいかず、介護する側もされる側も、結構ストレスを感じていたのだ。スタッフ間のコミュニケーションも充分だとは言えなかった。4交替勤務のため、なかなか全職員が集まってカンファレンスを持つことができなかった。ちょっとしたことでも意見交換ができず、介護方法の齟齬に悩んだりもした。私自身、初めて夜勤を経験したこともあり、生活リズムが崩れてしまいがちだった。自分が思っている以上に様々なストレスが蓄積していたのだと、今更ながら感じる。

 思い返せば、採用面接の際「あなたのストレス解消法は何ですか?」と聞かれた。他の職種では一度も聞かれたことのない質問だった。面接担当者は、介護現場ではいかに過重なストレスを抱えるのかを知っていたからこんな質問をしたのだろう。

どこまで看ればいいのか

 グループホームでは、職員と利用者の共同生活が営まれ、擬似的家族となる。しかし、利用者がどんなに要求し、それが必要だと分かっていても、家族に了解を得たり、実際に来てもらわなければならないことが多々ある。さらに利用者の中には、家族がほとんど会いに来ない人もいたのだ。

 例えば利用者は一人で外出することが禁止されており、必ず職員か家族の同伴が必要となる。信仰心の厚いあるおばあさんは、入所する前は自宅から毎日礼拝に通っていたが通えなくなってしまい、何気ない会話の中で礼拝に行きたいと語っていた。出来ることならすぐにでも一緒に行ってあげたいと思っても、「今度御家族に伝えておきますね」と気休めしかできないのだ。

 ある夜勤の時、私は歩行器を使用しているおばあさんがトイレに行く際、いつものように見守る形で付き添った。排泄を終えてベッドに戻った時、そのおばあさんは、「あんたは他の人と違う。他の人はこんな風にしてくれない」と涙ながらに私に訴えた。

 夜勤では1人で9名の利用者を介護しなければいけないので、やることは結構ある。そのため一々トイレに付き添ったりせず、部屋に鍵をかけてしまうスタッフもいたようだ。おばあさんは、色々な愚痴を聞きながら何度もトイレに付き添った私に対して、日頃なかなか言えない想いを一気に語ってくれたのだ。

 開所して間もない頃、私自身利用者さんの言動に腹を立ててつい乱暴に扱ってしまうこともあった。他の職員が利用者さんを散歩に連れ出している間、私は一人で昼食の準備をしながら残った利用者さんと留守番をしていた。食事の準備に追われる最中、一人のおばあさんがワーワーと騒ぎ出した。私は「もう少しでお昼ですから」と何度か声かけをしたが、どんどんわめき声がエスカレートしていく。そんな中、なかなか戻ってこないステッフへの苛立ちもあり、わめいているおばあさんに怒鳴り、思わず手を叩いてしまった。おばあさんは認知症で、決して悪気があるのではないと頭では分かっていても、私自身が切れてしまったのだ。

 こうした様々な経験をするなかで、私は自分の何気ない動作や言動がどれほど利用者さんを傷つけてしまうのか考えさせられた。私はだんだん介護するということに恐怖さえ覚え、利用者の要求にどれだけ関われるのか限界を感じ、悩んでしまった。どこまでが介護の範囲かが、分からなくなってしまったとも言える。その混乱が精神的パニックにつながったのだと思う。

看る側と看られる側の関係性

 一時的に介護職から離れた今、あらためて介護とは何かについて考えてみた。老いていく人にどこまで関わることができるのか。この問いは、その人が死を迎えるまで際限なく続く。介護は、ターミナルケアでもあるからだ。開設したばかりだった私のいた施設ではマニュアルも整備されてなく、その点が苦しかった。

 子どもならば、5歳くらいになればだんだんと手が離れ、身の回りのことなら自分でできるようになっていく。しかし、老人はそうはいかない。3年先、5年先に手が離れるという展望がなく、いつまで介護が続くのか先が見えない。むしろ、年を追うごとに手がかかってくるのだ。

 私の伯母で姑を何十年に渡って介護した人がいる。その伯母は、「介護は育児とは違うのよ。育児は希望だけれど、介護は失望。一つ一つのことがだんだん出来なくなっていくのを目の当たりにするのよ」と語っていた。

 家族が介護するのか、介護職員が介護するのかでも状況は異なるが、どちらにしても、関われることも関われないこともある。

 介護とはどうあるべきかと正しい答えを求めるのではなく、介護する側もされる側も、お互いにどういうケアを望むのか、どうしたいのかを考え、突き合わせていくことや、その施設のマニュアルに合わせていくことが問われていると思う。

 ともすると老いはマイナスのイメージが強い。しかし、中年になったら、夫婦間、親子間で、老いから目をそらさずに話し合うことが大切だ。親に何ができるのか、また自分はどう老いていくのかについて直視していく強さが必要なのだ。

 老いることは決して避けられないのだから、老いる準備、死に往く準備を主体的に進めていくことが誰にも問われているのだと思う。

(元グループホーム職員)


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(2007年2月15日発行 『SENKI』 1237号3面から)

http://www.bund.org/culture/20070215-1.htm

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