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なぜ半藤一利は、ああいう形で昭和天皇の「発話」を活字にすることに問題を見出さなかったのか、そこに疑問を覚える。
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投稿者 TORA 日時 2006 年 7 月 30 日 13:35:38: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu124.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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なぜ半藤一利は、ああいう形で昭和天皇の「発話」を活字に
することに問題を見出さなかったのか、そこに疑問を覚える。

2006年7月30日 日曜日

◆天皇の中立性を侵した日経こそ問題  養老孟司
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1154217684/l50

小泉首相は靖国に関して「心の問題」といいますが、その通りで、本人の問題だと思います。行きたいのであれば行けばいい。そのことでメディアに叩かれることもない。それが「信教の自由」だと思います。

首相が参拝すると様々な問題がある、といわれますが、問題が「ある」のではなくて、メディアが問題を「作って」いるんですよ。「経済に影響する」というのもメディアですが、本当に影響があるのか。

今回も、日経新聞がスクープによって新たな「問題」を作り出した。「天皇の中立性」というものを日経の記者はどう考えているのか。 昭和天皇ご自身は、自らの政治的中立性を、強く守っておられたはずです。

今の天皇陛下も、色々とおっしゃりたいことはあるでしょうが我慢している。「天皇の中立性」とは、天皇陛下が我慢しさえすれば守られる、というものではなく、皆がそういう意識を持つことで守られるものです。

「これは特ダネなんだから、天皇の中立性なんて潰してもいい」と考えたのでしょうか。メディアは今一度自らの倫理基準を問い直すべきです。「天皇の政治的中立性なんて、ウチの会社は認めませんよ」というのなら、現在の天皇制のあり方自体を考えなくてはいけなくなる。

天皇陛下のプライベートな発言を、今度は別の社が「こういうことも言っている」と使うかもしれない。そういう天皇制の根幹に関わることを、勝手に一社が、スクープのためにやらないでくれ、といいたい。

新聞は「談合を許すな」と書きますが、自分たちにも職業倫理がないなら、そういうことを書く資格はない。

私は、今回の騒動の中で本当に国益を考えて行動したのは、福田康夫さんと小泉首相だと思っています。福田さんは、日経の記事が出た翌日には不出馬を表明した。 「国論を二分することになりかねない」というのは明らかに中国を意識した発言です。

富田メモで、参拝反対派に追い風が吹き、世論が安倍、福田でまっぷたつに割れる、ということを恐れたのでしょう。小泉さんが「心の問題」といって、大事(おおごと)にしないのも、極めて正しい対応だと思いますよ。

今、戦争で亡くなった方のためにお参りしようと思ったら、靖国神社以外にはありません。 そして、戦犯もある意味では戦争の犠牲者です。戦争とはそういう犠牲者を生む行為だということを、あそこに参拝することで示してもいる。 靖国をなくしてしまったら、日本人の記憶から戦争自体が消えちゃいますよ。

ソース:週刊文春8月3日号 24ページ (エマニエル坊やがテキスト化)


◆天皇「発言メモ」の読み方 7月25日 亀井秀雄のアングル
http://fight-de-sports.txt-nifty.com/ukiyo/

〇直筆でないことの意味
 これまで私は、寡聞にして、近代の天皇が日記をつけているとか、メモを残したとか、そういう話を聞いたことがない。おそらくほとんどの人も同様だろう。
 また私はこれまで、天皇が誰かに直筆の私信を出したという話を聞いたことがない。多くの人も同様だろうと思う。
 しかしもちろん、日記やメモを書くことは全くなかったと断言することはできない。だが、もしそういう私的な記録が残ったとしても、宮内庁は固く秘匿して、決して公開することはないと思う。
 また「直筆の私信」について言えば、天皇はそういうものは書かなかった。万が一、いや百万に一つ、もしそういうことがあったとしても、受け取った人は固く公開を禁じられたか、そうでなければ、その人自身が深く慎んで来たにちがいない。

 なぜ私がそう判断するのか。それは、天皇の私情を語った言葉は、誰によってどんなふうに利用されるか分からないからだ。もしある時、ふと天皇が「あの男は信用出来ない」とか、「私はあの男が嫌いだ」とかいう意味の言葉を洩らしたとしよう。その言葉は巡りめぐって、天皇に名指しされた人物を失脚させ、時には死に追いやってしまう。そういう恐ろしい威力を秘めているからにほかならない。

〇公表は天皇の意志か
 それとこれとは必ずしも同じではないが、〈天皇たる者、軽々しく個人的な心情や、他人の好悪など口にすべきではない〉という心構えの点では、相通ずるものがある。
 とはいえ、全く口を閉ざしていることには耐えられず、信頼する側近に洩らすこともあっただろう。だが、自らそれを書き留めたりはしない。証拠として残ってしまうからである。
 では、側近に書き留めさせたのか。そんなことはありえない。繰り返しになるが、その理由は、「天皇のお気持ち」なるものが独り歩きを始める危険があるからで、とするならば、側近がメモに書き留めたり、公表したりすることは、天皇から受けた信頼に対する裏切りになりかねない。
 富田朝彦は心覚えのためにメモを取っておいたのかもしれないが、彼自身、その公表を予定していただろうか。あるいは自分の死後、公表されることを望んでいたのだろうか。この疑問は、そもそもこの資料の出所はどこか、どういう経緯で公表に到ったのか、という疑問を誘発する。
 
 そのように考えを詰めてゆくと、次のような問題に行きつくだろう。〈昭和天皇は自分の言葉が富田メモにあるような科白の形で、しかもこのような経緯で公表されることを望んでいただろうか〉。

〇半藤一利の読み方
 毎日新聞はこのようなテクストに関する、小説家・半藤一利の解釈を紹介している。
《引用》
  あり合わせのメモが貼り付けられていて、昭和天皇の言葉をその場で何かに書き付けた臨場感が感じられた。内容はかなり信頼できると思う。昭和天皇は人のことをあまり言わないが、メモでは案外に自分の考えを話していた。A級戦犯合祀を昭和天皇が疑問視していたことがはっきり示されている。小泉純一郎首相は、参拝するかどうかについて、昭和天皇の判断を気にしていないのではないか。あくまで首相の心の問題で、最終的には首相が判断するだろう。

 これは半藤一利自身が書いたものではなく、取材した毎日新聞の記者が彼の談話を文章化し、それを半藤に見てもらったものであろう。
 もし毎日の記者が半藤に了解を取ることなしに、これを発表してしまったら、半藤は腹を立て、クレームをつけたにちがいない。私はそう考え、そうであるだけに、なぜ半藤はああいう形で昭和天皇の「発話」を活字にすることに問題を見出さなかったのか、そこに疑問を覚える。

 また、この文章を見る限り、半藤は実際に富田の手帳とメモを手に取ってみた立場で発言しているように読める。が、仮にそうだとしても、「昭和天皇の言葉をその場で何かに書き付けた」という判断には、飛躍がありすぎる。私の理解では、宮内庁長官が「その場」で、あり合わせの紙に、天皇の言葉を書きつけるなんて、そんな不躾なことはしない。
 これは半藤が言う「その場」の空間的な幅や、時間的なスパンの取り方にもよるが、まさか富田が天皇の前から退出してから、自動車のなかで書くことも「その場」に含めると、そこまで拡大して言ってたわけではないだろう。
 それやこれやを考えると、半藤が感じたという「臨場感」というのは、どうも嘘くさい。単なるレトリックではないか。

 もう一つ疑問点を挙げるならば、半藤は「昭和天皇は人のことをあまり言わないが、メモでは案外に自分の考えを話していた」と言っており、前半の部分は納得できる。だが、後半の「メモ」云々の意味がよく分からない。「メモでは案外に自分の考えを話していた」というのは、言い方そのものとしても可笑しいのだが、この一般論的な言い方から判断すれば、半藤は富田のあのメモ以外にも、幾つかのメモを見ていたことになる。それは誰のメモだろうか。

 それやこれや疑問が湧いてくる、不思議な文章なのだが、毎日新聞は、半藤一利の「話」を引用するに先立って、「「昭和天皇独白録」の出版に携わった作家の半藤一利さん」と紹介していた。
 たしかにこの本は「対話語録」というより、「独白録」というにふさわしい。ということはつまり、昭和天皇の発話は本質的に他者との対話性を欠いた、「独白」だったのではないか。そういう視点から、天皇の発話の性格を捉える必要があるのだが、どうやら小説家の半藤一利はその用意を欠いていたのである。

〇ガセネタに要注意
 私は長年、文学研究を仕事とし、現在は文学館の館長をしている。その間、しばしばこの種の〈新資料発見〉事件を目撃し、私自身も新資料を紹介したことがある。

 私自身が行なった、最近の例としては、「戦略的な読み―〈新資料〉伊藤整による『チャタレイ夫人の恋人』書き込み―」(岩波書店『隔月刊 文学』第6巻第5号、2005年9月)や、「書き込みに見る多喜二と同時代」(『市立小樽文学館報』29号、2006年3月)があり、後者は私のHP(「亀井秀雄の発言」)にも載せてある。読んでもらえれば、大変ありがたい。

 ともあれ、そういう経験を踏まえて言えば、私たちは〈新資料〉が紹介された時、まず資料の出所や発見の経緯を検証し、さらに書体や内容が、その資料の書き手とされる人物にアイデンティファイできるかどうかを検討する。以上のうち一つでも曖昧な点があれば、当然私たちは〈新資料〉の信憑性を疑うことになるだろう。
 特に今回のように、別の人物によって引用された発言の真偽を問う場合は、以上の手続きだけでは決して十分とは言えず、テクスト論や言語行為論の視点と方法も必要となってくる。

 ここに書いたとこは、その初歩的な応用にすぎないのだが、書いているうちに「どうもこれはガセネタではないか」という心証が強くなってきた。
 数ヶ月前、民主党の坊や議員が、ライブドアの堀江貴文のメールなるもののコピーを国会に持ち出して、自民党の武部議員を追い詰めようとし、だが、そのメールがガセネタと分かって大笑い、坊や議員が辞職して一件落着となった。
 あれは文字通りガセネタだったらしく、今回の「発言メモ」とは性質が異なるが、検討すればするほど曖昧で、信じがたい点が増えてくる。
 眉に唾つけて読んだほうがいい。(2006年7月23〜24日)

(私のコメント)
富田メモの信憑性については問題は無いのでしょうが、「私」が誰なのかを日経新聞が十分に資料を公開しないために、マスコミでは勝手に天皇の発言としての政治的世論操作が行なわれている。新聞記事によれば国民の7割が東京裁判を知らず、20代に至っては9割が東京裁判が何なのかを知らない。

そのような無知な国民に対して、天皇が靖国参拝されないのはA級戦犯が合祀されたためと言う記事がトップ記事としてテレビや新聞に大報道されれば、世論調査の結果がどうなるかは火を見るよりも明らかだ。ほとんどの国民大衆は新聞のヘッドラインしか読まないし、若者は新聞も見ないしテレビもお笑いバラエティーしか見ない。

私の学生時代も会社員だった時代も一般的に政治問題は口にしてはいけないと言う雰囲気であったし、特に学生時代はクラスでも政治問題についてクラス会で話される事は全くなかった。日教組などの教師の政治活動が今でも問題になり、国旗や国歌に対するトラブルが今でもあるくらいで、学校側は政治問題に関しては極端にナーバスになっている。

だから若者の9割が東京裁判を知らなくても驚かないが、それが選挙における若者の投票率の低さにつながっている。もちろん中学校や高校で政治教育をする難しさはありますが、全くやらずに東京裁判が何なのかを知らない若者を作るよりかは、右でも左でも様々な政治的な意見があることは教えるべきなのだ。

テレビにしても番組のほとんどがバラエティー番組であり、お笑いタレントがカメラの前で笑い転げているだけの番組だ。このような社会的状況では政治的に成熟した議論が行なわれるはずもなく、一部のネットと雑誌などで議論が行なわれているだけだ。だから一部の政治記者やジャーナリストの意見が世論を決めてしまう恐れがある。

だから朝日新聞などは意図的な誤報記事を書いては世論を扇動しようとした。今回の日経新聞も同じような扇動記事のような気がする。その証拠にあの後での検証記事がほとんど出てこない。半籐一利氏などの意見などで間違いないと書いているが半籐氏はメモ全部を見て検証したのだろうか?

半籐一利氏は昭和を題材にした歴史小説家ですが、歴史学者ではない。あくまでも小説であり参考文献などの掲載も限られた作者の主観が入った読み物なのだ。同じような事は司馬遼太郎氏や阿川弘之氏などの小説にも共通するものであり、読者はそれを歴史的事実として読んでしまう。

しかし歴史学的に検証すれば新しい資料の発見などが次々とあるから、小説家の書いたものなどで書換えが出来るものではないから歴史論文と歴史小説とは根本的に違う。一昨日の「朝まで生テレビ」でも靖国問題を討論していましたが、例によって田原総一郎氏が太平洋戦争の総括が行なわれていないといっていましたが、総括をするのは学者や田原氏のようなジャーナリストの役割だ。

もちろん大東亜戦争を論じた本はたくさん出ているが、天皇の戦争責任の問題もあり根本的なところからの議論が抜けてしまいがちだ。株式日記では大東亜戦争はアジアの解放戦争であると何度も書いているのですが、ネットだから書ける事であり学者がこういうことを書けば学会から弾き出されて来た。

つまりプロパガンダも戦争の一手段なのですが、日本は戦闘に負けたのみならず戦後のGHQの言論弾圧によってプロパガンダの戦争にも負けてしまったのだ。しかしプロパガンダの戦争には終わりという事はなく日本はこれからは正々堂々と反論していかなければ日本は永遠に立ち直る事はできないだろう。

今回の日経新聞のスクープ記事は天皇の戦争責任も関係する記事であり、A級戦犯に対して批判した記事であるとするならば、天皇は戦争責任をA級戦犯に擦り付けたことであり、マッカーサーとの会見で発言した事は嘘になる。ならばマッカーサーとの会見は天皇自身の命乞いの為だったのかと言うことになる。

つまり富田メモと実際の天皇との行動には矛盾があり日経の誤報である可能性が大きい。永田メール事件のような事もあるから、もし日経が意図的に誤報記事を書いたとするならば新聞としての使命は終わったことになるだろう。単なるプロパガンダ紙であり日経は財界の御用新聞なのだ。


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