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オーマイニュース 内外から強烈「逆風」 [J-CASTニュース]
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投稿者 white 日時 2006 年 8 月 29 日 22:19:28: QYBiAyr6jr5Ac
 

□オーマイニュース 内外から強烈「逆風」 [J-CASTニュース]

 http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2377970/detail

オーマイニュース 内外から強烈「逆風」

2006年8月28日、「市民記者」として登録すれば誰でも記事が書ける韓国発のニュースサイト「オーマイニュース」が正式にスタートした。「市民みんなが記者だ」という言葉をコンセプトとして掲げており、同日昼までに1,145人が市民記者として登録した。だが、編集委員から編集方針に疑問を投げかける声も出ているのに加えて、ネットやブログの捉え方に、外部から反発も出ている。

編集方針に疑問を投げかけたのは、同ニュースの編集委員を務めるジャーナリストの佐々木俊尚さん。同ニュースが設置したブログに、06年8月23日から同24日にかけて、2回に分けて投稿された。佐々木さんの記事のポイントは、以下の3つだ。

「客観報道を装いながら、実は『左より』の記事に」

1. オーマイニュースは、そもそもどういう立ち位置なのか。客観報道を装いながら、実は『左より』の記事になっているのではないか。
2. オーマイニュースは何を書こうとしているのか。読者を感動させるためには、書き手と読み手の共通の基盤を探る必要があるのではないか。
3. オーマイニュースはブロゴスフィア(ブログやブロガーによって構成されるコミュニティー)と、どういう関係を持とうとしているのか。
特に、上記1. と3. が、議論を呼んでいる。1. については、27日に編集次長の平野日出木さんの名前で「佐々木編集員の問いかけに対して」という記事が掲載され、その中でこんな説明をしている。

「客観性は、ひとりひとりの客観的たろうという意志では担保できません。数多くの、ロングテールに生息する多様な個人が、主観を交換し合ってこそ実現するのです。ですからスタッフとして私は、オーマイニュースを可能な限り多様な見方が交差するプラットフォームにしたいと願っています」

呉連鎬(オ・ヨンホ)代表取締役兼CEOも、記者会見で「編集部は中立を守る」と、同様の発言をしている。そうは言っても、「市民記者が書いた記事の編集責任はオーマイニュースにある」(鳥越俊太郎編集長)ため、編集部には、記事のバランスを取るための努力が求められることは間違いないようだ。

鳥越編集長が匿名掲示板などに対して「宣戦布告」

3. については、ネット上でさらに熱い議論を呼んでいる。というのも、鳥越さんが匿名掲示板などに対して、事実上の「宣戦布告」をしているからだ。

「2chはどちらかというと、ネガティブ情報の方が多い。人間の負の部分のはけ口だから、ゴミためとしてあっても仕方ない。オーマイニュースはゴミためでは困る」(06年7月10日、ITmedia)
「ブログはそれでいいんです。匿名掲示板とか、ブログの存在を全く否定する気はない。彼らはそこで遊んでいればいいし、楽しんでいればいい」(06年8月7日、月刊「FACTA」)

「宣戦布告」しただけあって、2ちゃんねるの「ニュース速報+」と呼ばれる掲示板では、辛辣な意見が相次いだ。

「確かにサヨク再興のため、何が論破されたのかも考えずにネットに進出し、ただ同じ事を繰り返してるだけって感じだなw」
「左翼のデンパ飛ばしブログと、何が違うの?」

記者会見はネット上で生中継され、画面の横にコメントを書き込む機能が付いているのだが、こちらにも同様の「2ちゃんねらー」によると思われる書き込みが殺到、17時半現在で1,500を超えている。
もっとも、同ニュースは、ブログについては、もう少し柔軟な姿勢を取るつもりのようだ。呉CEOは記者会見の最後に、J-CASTニュース記者の質問に対してこう答えた。

「オーマイニュースも、意味のある、良い情報を伝えているブロガーとは、積極的に一緒にやっていきたい。伝統的メディアとブロゴスフィア(ブログやブロガーによって構成されるコミュニティー)は分かれてしまっている気がする。オーマイニュースがその橋渡しをしたい」

さらに、9月2日には、都内で鳥越編集長を始めとするオーマイニューススタッフと、ブロガーとの対話集会も予定されている。
いずれにせよ、新しい試みなだけあって、「舵取り」は一筋縄ではいかなさそうだ。


2006年08月28日20時45分


▽関連記事

□佐々木俊尚のオーマイニュースへの疑問 (上) [オーマイニュースブログ〜編集局から〜]

 http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/08/post_116.html

佐々木俊尚のオーマイニュースへの疑問 (上)

オーマイニュースの大原則は「開かれた多様な言論」。したがって外部からの批判も積極的に掲載していきます。今回掲載する佐々木俊尚さんはネット言論に通じたジャーナリストで、ネットユーザーの立場からの助言を頂戴すべく、編集委員に就いていただいています。

批判の対象は主に「創刊準備ブログ」に映った編集スタッフの姿や、他サイトで取り上げられた鳥越編集長の言葉ですので、市民記者が主役になる本番サイトには必ずしも当てはまりません。しかし貴重な意見なので掲載します。またスタッフからの佐々木編集委員への反論も明日以降掲載していきます。

(編集部)


オーマイニュースへの疑問 創刊準備プロセスから            佐々木俊尚

私はインターネットの世界の取材を専門にしているフリーのジャーナリストで、今回オーマイニュースの編集委員という仕事を引き受けることになった。実名による参加型メディアであるオーマイニュースの枠組みにある種の可能性を感じ、その枠組みは日本のネットジャーナリズムに新たな可能性を拓くかもしれないと思ったからである。

しかし、もちろん――ことはそう簡単ではない。

私が最初にオーマイニュースのオ・ヨンホ代表と会ったのは、今年春のことだった。汐留のパークホテルのラウンジで、オ代表は「日本でオーマイニュースを立ち上げるにあたって、どのようなことに留意すればいいと思うか」と単刀直入に聞いてきた。それで私は日本のネットメディアをめぐる現状について説明し、いくつかの論点を上げてオーマイニュースを日本に輸入することの意味と困難さについて話した。

その後、私は何度となくオ代表と会い、対話を重ねてきた。日本で新たな言論メディアを立ち上げることにはさまざまな難しさがあり、正直なところ、オ代表がどれだけ頑張ったとしても、それらのハードルを乗り越えるのはきわめて難しいと思った。しかしオーマイニュースという新しいネットメディアのフレームワークにはかなりの可能性があると思ったし、さらにそのフレームワークは、日本のネットの空間に何らかの影響を与えうるポテンシャルを持っているとも考えた。そうして結局、オーマイニュースに「編集委員」という肩書きで関わることになったのである。

しかしそのフレームワークに比して、現在のオーマイニュースが持っているリソースとコンテンツはあまりにもお粗末であるように思える。オーマイニュースのこの「開店準備中ブログ」を読む限り、さまざまな期待にはとうてい応えていない――ネットの世界の言論に慣れた人の多くは、おそらくそう感じているのではないか。

いったいなにが問題なのか。「何もかもが……」と言ってしまえばそれまでだが、しかしその問題点をもう少し掘り起こして考えてみたい。3点ある。

(1) オーマイニュースはそもそもどういう立ち位置なのか

韓国では、1990年代末に金融危機に陥り、財閥系が中心となった経済体制が崩壊した。金大中政権は国策としてIT化を推し進め、その中核を担ったのが、386世代と呼ばれた1960年代生まれの若い韓国人たちだった。1950年代から軍事政権が長く続いた韓国ではこの結果、インターネットを利用する若い世代と政治的なリベラル志向が強く結びつき、90年代末から2000年にかけての経済成長を生み、さらには盧武鉉政権を実現する大きな原動力となった。つまりは「革新」的なイデオロギーと、ネットが体現する新しい世代が不可分に結びついたのである。

ところが日本では、保守対革新というイデオロギー的対立と、オールド対ニューという新旧の世代対立がかなりねじれてしまっている。オールドリベラル、もしくはニューレフト的な「革新」イデオロギーはいまやオールドそのものと見なされているし、逆にネオリベラルに代表されるようなコンサバティブ思想はいまやニューの象徴になってしまっている。

そんな中で、日本の言論空間は左右に分解されるのではなく、左右と新旧、あるいは別のさまざまな区分けによってもカテゴライズされたうえで、ある種のマトリックスによって細分化される状況になっている。

マトリックス化された言論空間の中では、自分がマトリックスの中のどのような立ち位置で記事を発信しようとしているのかという「立ち位置」が明確に求められる。そうでなく「自分はそうした言論マトリックスとは無関係に、あくまでも第三者的な立場から客観報道を発信する」という立場を取るのであれば、それは明確な立ち位置のひとつであって、第三者的な客観性がきちんと求められることになる。

では、オーマイニュースはいったいどのような立ち位置であろうとしているのか。「開店準備中ブログ」のこれまでの記事を読むところ、明らかに戦後民主主義的な市民運動スタンスで記事を書いているとしか思えないが、もしその立場を貫くのであれば、その意志は明確にすべきではないだろうか。

たとえば終戦記念日の8月15日に掲載された『オーマイニュース記者が見た「靖国参拝」』という記事。筆者は、北海道新聞で約1年間の記者経験を積んだオーマイニューススタッフの中台達也くんである。フットワークが軽く、文章も巧みで、若手ながら高い能力を持ったライターだとは思う。

しかしこの記事は、客観報道の体裁を一見とりながらも、首相の靖国参拝に好意的な言葉を語る市民に対しては、「持論を展開し始めた」「ニヤリと笑う」「まくし立てた」という表現を使い、一方で批判的な市民については「静かに語る」「静かにそう語った」「言葉を継ぐ」といった言葉遣いをしている。その表現や、前半に参拝賛同意見を載せ、後半で反対意見を畳みかけるようにつなぐその原稿構成を見れば、中台記者がどのような立ち位置で記事を書いているのかは明確だ。彼は靖国参拝に対して、明らかに嫌悪感を感じているのである。

私はそれを肯定も否定もする気はないが、もしオーマイニュースがそういう主観を持っているのであれば、みずからの立ち位置をステートメントとして明示すべきではないだろうか。もしそれをあえてしないのであれば、左右新旧のぶれのない客観報道に徹するべきではないのか。

この点について私は中台くんに、「なぜこれほどまでに意図的な記事を?」と問うた。しかし彼は「読者を誘導するようなつもりはまったくなく、あくまでも公平に記事を書いたつもりなんです」と答えた。この不思議な受け答えは、オーマイニュースの他のスタッフにも共通していて、私が「週刊金曜日のような左翼系メディアにしようと思ってるんですか?」と聞くと、多くは口をそろえて、「そういうつもりはまったくなくて、イデオロギー的に偏ったメディアになっちゃいけないとずっと思ってるんですよね」と口をそろえるのである。私が思わず「じゃあどうして左に傾いた記事ばかり?」と問い返すと、「うーん、気がついたらそうなっちゃうんですよ。どうしてでしょう?」と答えるのだ。

その背景には、日本のマスメディアの記者教育の問題があるようにも思える。オーマイニュース編集部に集まってきているスタッフの多くは、新聞社やテレビ局などで仕事をしてきた人たちだ。彼らは記者としての教育を徹底して受けてきていて、「新聞らしい原稿」「テレビらしい原稿」を書くことに慣れきっている。その「らしい原稿」とはどういうものかといえば、「日本は豊かだけれど、大事な心を置き忘れてしまっている」「マネーゲームに狂奔するヒルズ族」「反戦平和を胸に誓った」といったようなステレオタイプの表現で書かれた原稿だ。こういう原稿を書くのが新聞だとみんな思っているから、無意識のうちに漫然と原稿を書くと、いつしか記事はどんどん左寄りになってしまうのである。オーマイニュース編集局には、この「無意識の左曲がり」が蔓延しているのではないかと思う。

実のところ、客観報道に一見見えながらも実は強烈に主観を打ち出すようなこうした書き方は、新聞のナンパ(社会面に掲載されるようなサイド記事)の王道で、正直に打ち明ければ私も新聞記者時代に飽きるほど書いた。しかしこうした記事は、フラットな土俵の中で読み手と書き手が相対化されるインターネットの時代においては、もう成り立たないと思う。

(*2点目以降の続きは明日掲載します)

【佐々木追記】
この原稿をオーマイニュース編集部に渡したところ、スタッフの間からいくつかの批判や指摘があった。ここではその詳細は記さないが、おそらくそれらの意見については今後、編集スタッフから記事のかたちでアップロードされるはずだ。

また韓国のオーマイニュース代表であり、日本法人社長でもあるオ・ヨンホ氏からはこの原稿に対して、次のような意見があったことを追記しておきたい。

「この原稿は常勤(社内スタッフ)記者の仕事の一部を見ているだけだと思う。私たちの本質は市民記者であって、彼らの持っているパワーがオーマイニュースの本質だ。また市民記者と常勤記者がどのように協力するかによっても、今後の結果は大いに変わってくる。そしてこのブログはあくまでも準備ブログである。28日のスタート以降に期待してほしい」


□佐々木俊尚のオーマイニュースへの疑問 (下) [オーマイニュースブログ〜編集局から〜]

 http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/08/post_118.html

佐々木俊尚のオーマイニュースへの疑問 (下)

(2) オーマイニュースは何を書こうとしているのか

かつてマスメディアの記事は、「多くの人が拠って立つと信じている基盤」があるという前提の上で書かれていた。「みんなが平等で幸せになれる社会こそが善である」「政府のやることは悪で、市民のやることは善いことである」という牧歌的な土台があり、その土俵の上でお互いの気持ちを確認できる記事であれば、それで良かったのだ。

しかし高度経済成長もバブル経済も終焉を迎え、総中流社会は崩壊した。人々の拠って立つ基盤は失われたのである。身も蓋もなくなったこの新しい世界では、民主主義という言葉ひとつをとっても、それがどのような定義で語られているのかを厳しく問い詰められる。アメリカのブッシュ大統領の語る民主主義と、イスラム圏に住む人たちの語る民主主義、共産中国の人たちが語る民主主義は同じ用語であっても、その意味は著しく異なっている。

だからこそ、この時代におけるジャーナリズムは「なぜ私がこの問題について怒りを覚えているのか」「なぜ私が感動したのか」「なぜ私はこれを批判するのか」という前提を、きちんと説明しなければならない。書き手と読み手がお互いの共通基盤を手探りしながらさぐりあて、それを確認しなければ安心して記事を読めなくなってしまったのだ。

つまりは「こんなに感動した!」「良かった、良かった」とよりどころのはっきりしない感情を垂れ流すだけの記事は、もう求められなくなっているのである。もちろん感動はジャーナリズムの大切な要素であり、書き手に感動のない記事は読む側を感動させることはできない。しかしその感動にも、共通基盤が必要だということを忘れてはならない。共通基盤という認識の欠如した記事には、その書き手にきわめて近いイデオロギーを持った読者しか感動することができないのだ。

「開店準備中ブログ」で書かれてきた記事は、果たしてこのような書き手と読み手の共通基盤を探ろうという努力があったのか。おそらくそれらの記事の大半は、きわめて限られた特定の読者層にしか訴求できなかったのではないか。

(3) オーマイニュースはブロゴスフィアとどういう関係を持とうとしているのか

オーマイニュースの鳥越編集長は、阿部重夫『FACTA』編集長のインタビューで、次のように語っている。

「新聞だって、雑誌だって、ちゃんとあなたは(発行兼編集人)阿部という名前を出しているでしょ。何か問題があれば、あなたは訴えられるわけでしょ。これが、やっぱりメディアの基本なんですよ。責任ある発言、責任ある参加なんですよ。それを安易にいっぱいアクセスして欲しいからといって、匿名でも何でもいいからいらっしゃいとやったら、これはもう根底からメディアとして崩れますよ。ブログはそれでいいんです。匿名掲示板とか、ブログの存在を全く否定する気はない。彼らはそこで遊んでいればいいし、楽しんでいればいい。ただ、寄せられたコメントをお読みになって分かりますように、同じ批判でもちゃんとした批判もあります。しかし明らかに自主的偏見とか、差別的、あからさまな人種的な、これはとても読むに耐えないというようなものもたくさんあります。そういうものは、僕らは全く受け付けません」

この「ブログはそれでいいんです。彼らはそこで遊んでいればいいし、楽しんでいればいい」という発言は、ブロゴスフィアで活動している人たちをいたく刺激した。鳥越編集長はなぜそこまでしてブロゴスフィアに反感を抱いているのか? 「開店準備中ブログ」が炎上し、批判的なコメントが大量に寄せられたからだろうか。

私は今回、この点についてまだ鳥越編集長と話していないから、その真意は今のところよくわからない。だがこの発言だけを見れば、鳥越編集長はブロゴスフィアとは一定の距離を置き、既存のブロゴスフィアとはまったく別の新たな「オーマイニューススフィア」を作ろうとしているように見える。だが果たして、今のやり方でそれは可能なのか?

現在、Web2.0的な考え方が広く認識されるようになり、メディアと受け手(視聴者、読者)のフラット化は著しく進んでいる。メディアが垂れ流してきた言説にブログが鋭い批判を加え、逆に今まで表舞台に出ていなかったマイナーな言論がブログによって陽の当たる場所に出てきたケースも少なからずあり、ブロゴスフィアとマスメディアの補完関係は今後もいっそう進んでいくように思われる。

もちろん、ブロゴスフィアの中には荒らしもあれば、妄想としか思えないようなひどい言説もある。だがそれを切り分けて、「このブロガーは良い人だから認めてあげて、コメント欄もトラックバックもOK」「このブロガーは妄想だから、私のところには来ないで」と障壁を作ることはできない。すばらしい言論も平凡な意見も、あるいは妄想系のヨタ話もすべてがひっくるめてブロゴスフィアであり、フラット化というのはそれらをすべて引き受けなければならないということなのだ。言い方を変えれば、その覚悟がなければインターネットのジャーナリズムは実現できない。

オーマイニュースには、その覚悟があるのかどうか。実名主義はオーマイニュースの最大の武器であるのは間違いないが、しかし匿名と実名を切り分けたからと言って、秀逸な意見とそうでない意見を切り分けられるわけではない。基本的には匿名−実名と、秀逸な言論−妄想言論というのは別の次元の話であって、実名にしたから素晴らしい発言ばかりが寄せられると期待するのは、それこそ幻想でしかない。

……以上、これまでの「開店準備中ブログ」を読んできて、私なりに感じたことをあれこれと書いた。実のところ、オーマイニュース日本版に対する私の個人的気持ちとしては「本当にちゃんとしたものができるのか?」という不信感でいっぱいだ。

しかしそれでも、この記事の冒頭にも書いたように私は韓国からやってきたこの新しいメディアにいまも大きな期待を抱いている。オーマイニュースのスタッフたちにも「このままではだめだ」という危機感は強い。今月28日のオープンは間もなくやってくるが、オープンの時点でオーマイニュースの枠組みのすべてが固定されるわけではない。私はこのメディアの可能性をまだ信じていたいし、スタッフたちとも協力していきたいと思っている。オーマイニュースの現状に落胆してしまった人も、しばらくはウォッチし続けていただければと思う。 (了)


□佐々木編集員の問いかけに対して [オーマイニュースブログ〜編集局から〜]

 http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/08/post_124.html

佐々木編集員の問いかけに対して

佐々木俊尚さんの記事の2本目と同じタイミングで、編集部スタッフの意見を載せようと計画していましたが、そこは計画。本番サイトの創刊準備に追われてそんな余裕はまったくなく、週末になってしまいました。すみません。ただ、そのおかげで、佐々木さんログに端を発した論議をとても興味深く読むことができました。

ということで、佐々木さんの問題提起を素材に、オーマイニュースの立場を編集部を代表せず、個人的に記します。

佐々木さんは、「オーマイニュースはそもそもどういう立ち位置なのか」という質問し、左右、新旧、客観報道か否か、立場をはっきり明確にしろ、といいました。政治や外交の取材経験がなく、そもそも左だ、右だに興味がないノンポリな私としては気の重くなる問いかけですが、この質問は、聞く対象を間違っています。

現在、日本の既存の新聞は、記事本数のほぼ9割(正確に数えたわけではないので、念のため)は無署名です。しかも社説を掲げています。だから「社としてどうなのだ、組織としてどうなのだ」と問い質したくなるのはわかります。

しかしオーマイは「自分の名前で記事を書こうよ」と言っています。社説もない。立ち位置があるとすれば、記者ひとりひとりであって、オーマイニュースではありません。オーマイに「立ち位置」なんてないのです。守りたい何かがあるとすれば、それは「できるだけ多様な言論を載せたい」という、プラットフォームとしての立場です。

客観性についても、個々の記事からではなく、このプラットフォームから生まれると私は思っています。既存メディアで勤務経験がある私を含むスタッフは、彼らが標榜する「客観報道」は現実には不可能だとよく知っています。だからこそ、私たちはあえて「自分の視点で書きましょう」と言っています。名前が「私のニュース(My News)」なのはそのためです。

客観性は、ひとりひとりの客観的たろうという意志では担保できません。数多くの、ロングテールに生息する多様な個人が、主観を交換し合ってこそ実現するのです。ですからスタッフとして私は、オーマイニュースを可能な限り多様な見方が交差するプラットフォームにしたいと願っています。どんな方向からであれ、反対派にも耳を傾けさせる、説得力ある記事を多く掲載したいと願っています(個人的には、政治的な議論はあまり好きではありませんが)。

このオーマイの「プラットフォームとしての立場」に危うい点があるとすれば、衆愚的に一方向に振れたときどうするのだ、という点だと思います。たとえば韓国オーマイニュースにはバカバカしい反日的な記事やコメントが掲載されているようです(私は韓国語が読めませんが、先日も韓国語のわかる日本人スタッフが「バカな記事が載っているなぁ」とつぶやいていました)。

しかし、この言説がオーマイニュースの社論だとか、組織としてのスタンスだなどと勝手に解釈し、「反日メディア上陸」などと楽しんでいる人はポイントがずれています。それはオーマイのスタンスではなく、参加している国民がそういう愚かな意見で盛り上がってしまっている、ということです。

そういう問題点はありますが、その欠点もオーマイのプラットフォームが国境を越えれば、翻訳を通じた議論によって、お互い乗り越えられるかもしれないと私は楽観視しています。日本版の創刊はそのための大きな実験です。ということで、長い目で本番サイトを見守ってください。よろしくお願いします。佐々木さんの第2、第3の質問にも、いずれ答えようと思っています。

(平野 日出木)

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