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【これはぜひ読んでください】「否定派の巣窟にて」ジョン・サック著(和訳文)
http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/214.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2006 年 6 月 08 日 06:51:06: SO0fHq1bYvRzo
 

【これはぜひ読んでください】「否定派の巣窟にて」ジョン・サック著(和訳文)


これは「目には目を」の著者であるジョン・サックが2001年2月に書いたものです。『肯定派』であるジャーナリストのジョン・サックが『否定派』の国際会議に招かれたときの様子を描いたもので、ツンデルやアーヴィングといった人物も登場します。「否定派」に対するシオニスト・ユダヤの実態も同時に描かれており、「ホロコースト」に関する欧米の現実が非常によく分かるでしょう。

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http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/sack_02.htm
試訳:否定派の巣窟にて  ジョン・サック
歴史的修正主義研究会試訳  最終修正日:2003年12月25日
(原文は↓)
http://www.johnsack.com/daniel_in_the_deniers_den_1.htm
http://www.johnsack.com/daniel_in_the_deniers_den_2.htm
http://www.johnsack.com/daniel_in_the_deniers_den_3.htm
http://www.johnsack.com/daniel_in_the_deniers_den_4.htm
http://www.johnsack.com/daniel_in_the_deniers_den_5.htm
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なお、まだお読みでない方はこちらの方も非常に参考になるものです。
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http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/sack_01.htm
『目には目を』の背景 ――復讐、憎悪、歴史――  ジョン・サック著
歴史的修正主義研究会試訳
(下は英語原文)
Institute for Historical Review
Behind An Eye for An Eye Revenge, Hate and History  by John Sack
http://www.ihr.org/jhr/v20/v20n1p-9_Sack.html
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全文は非常に長いので、その一部を抜粋して貼り付けておきます。全文は上の「歴史的修正主義研究会試訳」のほうでご覧ください。

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試訳:否定派の巣窟にて
ジョン・サック

歴史的修正主義研究会試訳
最終修正日:2003年12月25日


 ホロコーストは起らなかった主張している人々から、自分たちの国際大会で講演してくれないかとの依頼がありました。この招待には驚きました。私はユダヤ人で、ホロコーストについて執筆したこともなければ、それを否定したこともないからです。しかし、歴史評論研究所からの招待はたんなる驚き以上のものでした。カリフォルニア州オレンジ郡にある歴史評論研究所は、ドイツ人はユダヤ人を殺さなかった、ホロコーストはいわば20世紀の詐欺であると人を惑わせている人々の中心的な隠れ家であったからです。だから、この招待は、またとない機会でしたし、垂涎の誘惑でもありました。私たちジャーナリストというものは、いつも事件の外側に置かれています。法廷の傍聴席のうしろ、国会議事堂の議場からかなり離れたところ、フットボールのパスが届かないところ、野球のボールが届かないところにいるのです。私たちは、真鍮のベルとちょっとした分け前を待っている宴会場のこじきのようなものです。歴史評論研究所は、ジャーナリストなら誰もが望んでいること、すなわち、まったく妨げられずにご馳走にかぶりつく機会を私に与えてくれたのです。研究所からの手紙は、濃霧の中にあるために、見きわめることができない国への通行証でした。ホロコースト否定派とはどのような人たちなのでしょうか。閉ざされたドアのうしろでどのような活動をしているのでしょうか。彼らに対しては、「お前たちは間違っている、お前たちは間違っている」という雪崩のような証拠が降りそそがれていますが、なぜ、彼らはこの雪崩に対して不動の石のように屹立しているのでしょうか。私は、ヒトラーの鷲巣にいるモグラのように彼らと交わり、それから演壇にのぼって彼らに話をしてくれるようにと招待されました。私は、はい、うかがいますと研究所に返答したのです。

 金曜日に、オレンジ郡のジョン・ウェイン空港に降り立って、研究所に電話して、「大会はどこで行なわれるのですか」と尋ねました。そのときまで、会場を知らなかったのです。研究所は、私が会場を、ユダヤ防衛連盟、FBIが活発なテロリストと呼んでいるユダヤ人たちに漏らすかもしれない、そして、彼らが暴力行為にうったえるかもしれないと懸念していたのです。私に対してではありませんが、別の大会では、そのような暴力行為が講演者に対して頻繁に行なわれていました。こぶしで殴られた人がいましたし、チェリー・パイ持ったこぶしで殴られた人もいます。パリ、ヴィシー、リヨン、ストックホルムでも殴られた人がいました。私は70歳なのですが、私よりも年長の人物が、ホロコーストは起らなかったと軽率にも信じていたために、地面に倒されて、頭をけられたこともあります。このために、彼は6週間のあいだ、あごをワイヤーで固定され、ストローを使って食事を取らなくてはなりませんでした。この3人の人物は、否定派の指導者たちなのですが、今週末の大会で講演する予定でした。歴史評論研究所は、彼らの言論の自由や身体が、「ナチス」、「ネオナチ」、「反ユダヤ主義者」と叫ぶユダヤ人によって、パンチを繰り出すユダヤ人によって危険にさらされてしまうのを避けようとしていたのです。研究所は電話で、大会の会場を教えてくれましたが、「誰にも言ってはいけない」と付け加えました。

【中略】

 6時ごろまでに、ロビーは人でいっぱいになりました。否定派の人々(土曜日には140名でした)の4分の3は男性で、4分の1は女性でした。大半が白人でしたが、アフリカ系アメリカ人も一人いました。禿げている人もいましたが、剃刀でそりあげたスキンヘッドの人は誰もいませんでした。ひげをたくわえている人も多く、サンタクロースのように豊かな白いひげをたくわえている人も一人いました。多くの人々がスラックスと短い袖のシャツといういでたちでしたが、ジャケット、ブレザー、ビジネス・スーツを着ている人もいました。サファリ・スーツを着ている人が一人、マーク・トウェインのような白いスーツを着ている人が一人いました。「穴がなければ、ホロコーストもない!」とのロゴの入ったTシャツを着ている人が二人いましたが、その意味については土曜日に知ることになりました。鉤十字の腕章をつけている人はいませんでした。私が耳にした会話は食べ物について(「私は生ミルクで育ちました」)、船の外輪について(「『ショーボート』に登場してくるようなものです。ご覧になったことがありますか。それを借りてくることをおすすめします」)でした。結局のところ、その日、その週末の否定派の人々は、もっとも典型的なアメリカの中産階級のようでした。もっといえば、ホロコーストについての姿勢は別にしても、彼らは愛想が良く、開放的で、知的でした。彼らの目は、人を寄せ付けないような確信の炎で燃えているわけでもなく、彼らの口は、厳しい憎悪でねじまがったレモンでもありませんでした。彼らはナチスでもネオナチでもなかったのです。

 彼らは反ユダヤ主義者でもありませんでした。ホロコーストが起らなかったと主張している(そして、実際に起ったことに喜んでさえもいる)のは反ユダヤ主義者であると思っていましたが、その週末に出会った人々にはそのような人はいませんでした。私が反ユダヤ主義的なコメントを唯一耳にしたのは金曜日の夜のことでした。そのとき、私は「穴がなければホロコーストもない!」というTシャツを着た有名な否定派の人物と下のレストランで食事を取っていました。Robert Countess博士というアラバマからやってきた人物です。彼は古典ギリシア語と古典ヘブライ語の研究者として、アラバマ大学で歴史を教えた経験を持っており、定年後はHuntsvilleの郊外の農場で暮らしています。そこで、メジャーリーグ・ピンポンに興じ、旧型のプジョーを集めています。22台を所有しており、大恐慌時代のものもあります。彼の話し方は、少々気難しそうな調子でした。戸外のレストランで、『70人訳旧約聖書』について話すにつれて、その話し振りはますますぎしぎししたものになっていきました。彼ではなく、ほかならぬ私が、ユダヤ教の聖典『タルムード』の話を持ち出すと、彼は、次のようにレクチャーしてくれました。

【中略】

 このように圧倒的な証拠に対して、ホロコースト否定派の人々は――そして、この点では彼らは正しいのですが――、アウシュヴィッツ所長の自白は拷問を受けたあとのものである、その他の証言も、偏見、噂、誇張、途方もない記述で満ちていると論じて、戦後5年経ってからのユダヤ人雑誌のユダヤ人編集者の記述を引用しています。否定派の人々は――またも、この点では彼らは正しいのですが――、ベルゲン・ベルゼン、ブッヘンヴァルト、その他すべての収容所の所長、医師たち、SS、ユダヤ人が、これらの収容所には青酸ガス室があったと戦後に証言していますが、今では、すべての歴史家がこのことを否定していると述べています。さらに、否定派の人々は――そして、またもや彼らは正しいのですが――、アウシュヴィッツの目撃者が、ドイツ人は青酸ガス室の屋根にある穴から丸薬を投下した、ドイツ人はそれを投下するときに、「彼らに食べ物を与えてやれ」と言ったと証言していると述べています。Tシャツに書かれていた「穴がなければホロコーストもない!」のその穴なのです。アウシュヴィッツの屋根は今も存在しています(ドイツ人は1944年に、隠匿のためにそれを爆破したので、崩壊したかたちで残っています)。否定派の人々のいうところでは、ドイツ人がシアン化水素を投入した穴が屋根には存在しないではないかというのです。

【中略】

 プロヴァンは(私を除くと)、ホロコーストが起こったと信じている唯一の講演者でしたが、そのあとで、舞踏会場で講演を行ないました。彼が話したのは、ユダヤ人検死官のことで、彼の論文「穴がなければホロコーストもないのか?」、もしくは、彼の画期的な発見についてではありませんでした。アウシュヴィッツの青酸ガス室にはシアン化合物の痕跡はありません。否定派の人々は、「シアン化合物がなければ誰も死んでいない!」というTシャツは着ていませんでしたが、このことが、青酸ガス室なるものは実際には無害な死体安置室であったことを示すもう一つの証拠であるとみなしています。しかし、プロヴァンによると、痕跡がないのは、ドイツ人が壁をペンキで塗ったからだという話です。

 休日の重なる終末でしたので、土曜日、日曜日、月曜日には16人の講演がありました。ホロコーストとアウシュヴィッツ絶滅機構を信じていないために、法的に告訴されている人々が6人いました。こうしたことを誰かの耳に入れるのは、ドイツだけではなく、オランダ、ベルギー、フランス、スペイン、スイス、オーストリア、ポーランド、イスラエルでも法律違反なのです。イスラエルでは、神の否定は懲役1年なのに、ホロコーストの否定は5年なのです。講演者の一人アーヴィングは、アウシュヴィッツの青酸ガス室の一つは戦後にポーランド人が作ったレプリカであるとドイツで公に発言した罪で、18000ドルの罰金処分となっています。レプリカであることは真実ですが、ドイツでは、この件で真実を語ることは弁護にならないのです。別の講演者のフランス人もフランスで罰金刑をくらっており、また、もう一人の講演者のドイツ人は、ドイツで14ヶ月の刑を宣告されましたが、イギリスに逃亡しました。大家さんは彼を追い立て、妻も彼のもとを去りました。もう一人の講演者のオーストラリア人は、アウシュヴィッツには青酸ガス室は存在しなかったとオーストラリアで書いた(何と、インターネット上で。ドイツにいるドイツ人もそれを読むことができるからという話です)件で、ドイツで7ヶ月も投獄されてから、ここにやってきました。彼は、自分を弁護するにあたって、専門家証人を召喚したのですが、この人物は証言できませんでした。もし証言していれば、同じ法律の犠牲者となって、投獄されてしまったことでしょう。5番目の講演者はスイス人で、一度同室したことのある(私は多くの否定派の人々と会ったことがあります)人物でした。彼は南オーストラリアでカンガルーを飼育しています。彼も、アウシュヴィッツの青酸ガス室に疑問を呈した罪で、スイスで15ヶ月投獄されることになります。

 合衆国には、神のおかげで、修正第1条があります。しかし、カリフォルニアのこの閉ざされた舞踏会場でも、6番目の講演者は、自分の思っていることすべてを、例えば、ドイツ人はユダヤ人を意図的に殺さなかったと話すことはできませんでした。数時間前、この人物と私はワッフル・ブレックファーストの席でこの件について、連邦保安官に逮捕・起訴・投獄される不安なしに、大声で議論しました。

「アイヒマンはどうなのですか。彼は、ヒトラーはユダヤ人の物理的絶滅を命じたと書いていますが。彼はガス処刑収容所について書いていますが。」
「ジョン、アイヒマンはイスラエルに囚われていたのですよ。」
「では、戦時中の発言はどうなのですか。ポーランド総督府長官ハンス・フランクは、例外なく、すべてのユダヤ人を絶滅せよといっていますが。」
「そのようにいったと引用されているだけですよ、ジョン。」
「ゲッベルスはどうですか。彼は、ユダヤ人に対して野蛮な方法が使われているといっていますが。ヒムラーはどうですか。彼は、SS隊員が、100名、500名、1000名の死体がどのようになっていたかを知っているといっていますが。」
「ジョン、私にはわかりませんが、彼らはそのようにいったことがあるのかもしれません。しかし、虐殺がドイツの国家的政策であったというのは真実ではありません。」

 数時間後、この6番目の講演者は、舞踏会場ではこの件をあえて主張しようとはしませんでした。彼は、カナダ市民であり、カナダではインターネット上で活躍しています。もし、彼がワッフルを前にして話したようなことを発言したとすれば、カナダでは訴追されてしまうからです。すでに、彼は2回裁判にかけられています。そして、殴られ、爆弾をしかけられ、放火されて、40万ドルの被害を受けていました。また、「キンタマを切り落としてやる」といわれたこともあるのです。

 この人物とはエルンスト・ツンデルです。ハールスの絵の中に登場するような、丸い、赤ら顔でした。いつも快活です。生まれは、ドイツのカルムバッハでした。ホロコースト否定派についての最近の映画『ミスター・デス』をご覧になったことがあれば、「私たちドイツ人は虐殺マニアとして歴史の中に埋もれるつもりはない。けっして埋もれるつもりはない」と述べているヘルメット姿の人物です。彼も、多くの否定派と同じように反ユダヤ主義者とみなされていますが、ユダヤ人共同体を(神とともに)監督するユダヤ人たちも、実際には、反ツンデル主義者、反カウンテス主義者、反アーヴィング主義者、ひとことで言えば、反否定派主義者であるという方が正直でしょう。ユダヤ人の指導者の中には、ホロコースト否定派の人々をののしり続けている人がいます。エリー・ヴィーゼルは、公共放送局の番組で、「彼らは道徳的に醜悪です」、「彼らは道徳的に病んでいます」と発言しています。反名誉毀損連盟議長のアブラハム・フォックスマンは、「彼らは間違った情報を垂れ流して、われわれを爆撃している」と発言し、また、『ニューヨーク・タイムズ』紙上で、「ホロコースト否定派は、強制収容所がなかったことを信じさせようとしている」と彼自身が間違った情報を広めています。私はといえば、ユダヤ人の指導者たちに反対です。大半の否定派の人々、このシュロで囲まれたホテルにスラックスやハーフパンツで出席している人々の大半は、ツンデルのような礼儀正しい人々でした。彼らはドイツ人として、1940年代の母国の同胞が虐殺マニアではないという希望的観測を抱いて、自分たちを安心させる道を選択してきたのです。

 私はこれらのドイツ系の人々に共感することができます。私自身もユダヤ人のあいだに同じような否定が存在していることを知っているからです。数年前、私は『目には目の』中で、ホロコーストを生き残った数千のユダヤ人がドイツ人を自分たちの管轄する1255の強制収容所に集め、その中で、ドイツ人を殴り、鞭打ち、拷問にかけ、そして、ドイツ人の男女、子供、赤ん坊を殺したことを、切々と書き記しました。この小さなホロコースト(ドイツ人にとっては小さくはなかったでしょうが)は、『60分間』や『ニューヨーク・タイムズ』で確証されていますが、ユダヤ人指導者たちはこれを認めませんでした。こうした表現を使うことをお許しいただければ、彼らはこの事件を否定したのです。その書評のタイトルは、「大きな嘘」、「偽証」、「この本を読むな」といったものでした。もしも、ユダヤ人が60000名のドイツ人に起った事実を否定したいと考えているのであれば、600万のユダヤ人に起った事実を否定したいと考えている、ツンデルのようなドイツ人を許すべきでしょう。

 しかし、ユダヤ人の指導者たちは彼らを猟犬で追い立てたのです。UFOの存在を信じる人々がいますが、彼らの理論はそんなに悪意のあるものではありませんが、彼らの部隊は、この大会に出席している否定派の人々の数よりもはるかに多いのです。しかし、天文学者たちは膨大な量のインクを浪費して、UFOの存在を信じる人々のことを批判したりはしていません。一方、ユダヤ人の指導者たちは、さまざまな理由(補償、イスラエルの生存、ふたたびホロコーストが繰り返されるかもしれないという懸念)から、ホロコーストをアメリカの良心の前面かつ中心にしようとしています。この点では、彼らは驚くほどの成功を収めました。アメリカ人は、年長者でなければ、実際にはそのような要因がまったくなかったにもかかわらず、ドイツに宣戦布告したのはユダヤ人を救うためでもあったと考えています。アメリカ人は、第二次世界大戦で死亡したアメリカ人兵士が10万であるのか、20万であるのか、100万であるのか知らなくても(そして、中国では5000万人が死亡したことはまったく知りません)、何名のユダヤ人が死亡したのかは知っています。合衆国ホロコースト記念博物館の研究部長であったマイケル・ベレンバウムは次のように語ったことがあります。「ホロコーストは第二次世界大戦のサイド・ストーリーでした。しかし、今では、第二次世界大戦をホロコーストの背景と考えるようになっています。」ユダヤ人の指導者たちが成し遂げた中で、特筆すべきことは、もしも、いつどこであっても不埒な否定派を発見したならば、SOSという警戒信号を鳴らすことでした。

 こうしたやり方を彼らが採用したのは、シェイクスピア時代のドイツの神秘主義思想家ヤコブ・ベーメからでしょう。ベーメは、「反対派がいなければ、何も姿をあらわしはしない。反対するものがなければ、ゆっくりと姿を消し、戻ってはこないであろう」と述べています。ホロコーストが見えなくなってしまわないように、ホロコーストが姿を消さないようにするために、ユダヤ人の指導者たちは、反対派、仮想上の人物、お化け、ひいては、とるにたらない否定派のグループの存在をたえず指摘しているのです。しかし、ベーメの言葉は諸刃の剣です。ユダヤ人の指導者たちは、出版物、ラジオ、テレビで繰り返し否定派を非難し続けることによって、かえって、否定派の姿を世に知らしめているのです。否定派の人々は、ユダヤ人とよく似ていて、迫害を受けているがゆえに、生き残っているのです。そして、世界各地に存在する、本当にユダヤ人を憎悪している人々にむけて自分たちの教義を広めているのです。

【中略:この間に、サックは「『目には目を』の背景」の公演を行っている。】

 ホロコーストは起らなかったと主張している人々は拍手してくれました。長い長い拍手でした。多くのドイツ系の否定派の人々は立ち上がりました。アウシュヴィッツについての質問もあり、ドイツ人がアウシュヴィッツでユダヤ人を殺そうとしたとなぜあなたは考えているのかという質問をした人もいました。しかし、ベルリンからやってきたヴォルフガングという人物は、あとで次のように告白してくれました。

「アウシュヴィッツは不衛生になったのです。ユダヤ人は過酷な労働を強いられました。そのことについては、私は認めます。そして、死んでいきました。そのあとで処分されました。死んでしまうと、SS隊員が死体を焼却棟に運んでいったのです。そのことについては否定しません。SS隊員がユダヤ人に『次はお前の番だ。煙となって昇っていくだろう』と脅したようなこともあったかもしれません。」

大会は月曜日に終わりました。ユダヤ防衛連盟からの攻撃を受けた人は誰もいませんでした。否定派(彼らは自分たちを修正主義者と呼んでいます)の次の大会はシンシナティで開かれる予定でしたが、彼らは、私を基調報告者として招待したいと申し出てくれました。私は、「イエス」と答えました。

【全文終了:引用ここまで】

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