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[barbaroi:5562] 『マルコポーロ』廃刊の内幕。「事実の検証」を「反ユダヤ主義」と言い換えるレトリック
http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/435.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2006 年 9 月 09 日 16:37:39: SjhUwzSd1dsNg
 

ユダヤ人のレトリック(誤導を目的とした「まっすぐにものを言わない」方法)をいちいち指摘していたらきりがないのだが・・某メーリングリストでそのような引用があったので転載しておきます。

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[barbaroi:5562] 『マルコポーロ』廃刊の内幕
・・・・
 『マルコポーロ』廃刊は糾弾のせいではない、御家騒動が原因だという主張
がありました。
 デイヴィッド・グッドマン/宮澤正典(藤本和子訳)『ユダヤ人陰謀説:日
本の中の反ユダヤと親ユダヤ』(講談社、1999.4.)
=====
 田中健五〔文藝春秋社長〕が注目されるきっかけになったのは、1974年ご
ろ、当時『文藝春秋』の編集長だったかれが、田中角栄政権の不正を暴露する
「田中角栄研究――その金脈と人脈――」を掲載したときである。
 日本は当時、ちょうど石油ショックに見舞われて、戦後はじめてのきびしい
景気後退を経験していた。出版の世界にも危機がおとずれ、古手の出版社が相
次いで倒産したり、あるいは倒産寸前の状態に追いこまれていた。このような
状況にあって、田中健五の編集方針は功を奏し、一九七六年、『文芸春秋』の
毎月の発行部数は百万を突破した。一九八四年七月、かれは出版部長に昇進、
八五年四月にはネスコという子会社を設立した。ネスコは宇野正美の反ユダヤ
本を四巻も出した会社である。つまり田中健五は一九八〇年代の反ユダヤ書
ブームに加担していたわけである。
 一九八八年に文芸春秋の社長になった田中は、九一年には新しい月刊誌を三
つも創刊した。その一つが経済力も教養もある若い男性向けの『マルコポー
ロ』だった。しかし予想どおりには売れ行きがのびなかったので、九四年四
月、田中はかわいがっていた編集者の花田和凱(はなだかずよし)を『マルコ
ポーロ』の新しい編集長にした。それまで花田は『週刊文春』の編集長で、発
行部数を未曾有の七十六万にまでのばすほどの腕前を見せてはいたが、反面、
かれのスキャンダル路線は失態を何度も演じていた。たとえば皇室を批判して
宮内庁に「謝罪」を強いられたり、JRを批判してJR東日本のキヨスクからボイ
コットされる。そのたびに文芸春秋は恥をかいた。
 このような経過を見ると、アウシュビッツ解放五十周年にホロコーストの史
実を否定する記事を大々的にのせて、そのスキャンダル性にのっかって雑誌を
売ろうとする方法はとつぜん起きたことではなく、田中健五と花田和凱の編集
の手法に一貫した特色が発揮されたにすぎないことがわかる。
 「スキャンダリズムに走りすぎる」という批判は『マルコポーロ』事件以前
から文芸春秋内でひんばんに聞かれた。田中路線は会社に莫大な犠牲をはらわ
せる、という非難が高まり、『マルコポーロ』の広告主からのボイコットが現
実になると、田中健五は責任をのがれられなくなった。
 辞任するつもりは毛頭ない、とかれは一九九五年二月二日の記者会見できっ
ぱりいったが、二月十四日、二週間たらずで辞めてしまった。それでも代表取
締役会長として社にとどまり、日本雑誌協会理事長の地位も放棄しなかったか
ら、社長という立場をおりたところで、それは形をとりつくろうだけのものの
ように見えた。しかし、安藤満専務が新社長になると、三月九日、八十人以上
の大規模な人事異動を実行して、社内における田中の基盤を一掃した。
 <……>
 ユダヤ人団体による広告停止要請に応える形で起きたように見えた『マルコ
ポーロ』廃刊事件は、じつはこのように、ユダヤ人やホロコーストとはほとん
ど関係のない文芸春秋社内のお家騒動にすぎなかった。そして文芸春秋が西岡
論文の内容に正面から取り組むことは、ついになかった。記者会見で田中健五
は、ガス室は本物だと思いますか、という質問に対して「それはあなたと論争
できない。私はイスラエルに行ったことがあるけれども、アウシュビッツには
行ったことがありませんから」と答え、最後までホロコーストの史実を疑問視
しているという印象を強く残したのである。廃刊事件はつまるところ、「ユダ
ヤ人」という題材をいいように利用する、商品になりさがったジャーナリズム
の典型が具体化されたものにすぎなかった。
=====(p.407-408)

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[barbaroi:5564] Re: 『マルコポーロ』廃刊の内幕

たけ(tk)です。

[barbaroi:5562] 『マルコポーロ』廃刊の内幕 にて
> >  『マルコポーロ』廃刊の経緯はほとんどまったく知らなかったのですが、
> > でも、不思議ですねぇ。面妖です。どうも腑に落ちませぬ。
> >
>  『マルコポーロ』廃刊は糾弾のせいではない、御家騒動が原因だという主張
> がありました。
>  デイヴィッド・グッドマン/宮澤正典(藤本和子訳)『ユダヤ人陰謀説:日
> 本の中の反ユダヤと親ユダヤ』(講談社、1999.4.)
・・
(1)
> 八五年四月にはネスコという子会社を設立した。ネスコは宇野正美の反ユダヤ
> 本を四巻も出した会社である。つまり田中健五は一九八〇年代の反ユダヤ書
> ブームに加担していたわけである。
・・
>  このような経過を見ると、アウシュビッツ解放五十周年にホロコーストの史
> 実を否定する記事を大々的にのせて、そのスキャンダル性にのっかって雑誌を
> 売ろうとする方法はとつぜん起きたことではなく、田中健五と花田和凱の編集
> の手法に一貫した特色が発揮されたにすぎないことがわかる。
(2)
>  「スキャンダリズムに走りすぎる」という批判は『マルコポーロ』事件以前
> から文芸春秋内でひんばんに聞かれた。田中路線は会社に莫大な犠牲をはらわ
> せる、という非難が高まり、『マルコポーロ』の広告主からのボイコットが現
> 実になると、田中健五は責任をのがれられなくなった。
・・
>  ユダヤ人団体による広告停止要請に応える形で起きたように見えた『マルコ
> ポーロ』廃刊事件は、じつはこのように、ユダヤ人やホロコーストとはほとん
> ど関係のない文芸春秋社内のお家騒動にすぎなかった。そして文芸春秋が西岡

(1)田中健五は「反ユダヤ書ブームに加担していた」、「アウシュビッツ解放五十周年にホロコーストの史実を否定する記事を大々的にのせて、そのスキャンダル性にのっかって雑誌を売ろう」とした=田中は反ユダヤ主義者である。
(2)田中の辞任は「御家騒動が原因だ」。

従って、反ユダヤ主義者の自滅に過ぎない、と言いたいらしいですね。

しかし

(3)「『マルコポーロ』の広告主からのボイコットが現実に」なった。それは「ユダヤ人団体による広告停止要請に応える形で起きた」ということも認めているようだ。

お家騒動という事実と「ユダヤ人団体による広告停止要請に応える形で起きた」「『マルコポーロ』の広告主からのボイコット」という事実とは背反する事実ではない。お家騒動があったからといって、それが『マルコポーロ』廃刊の唯一の原因であり、「ユダヤ人団体による広告停止要請に応える形で起きた」「『マルコポーロ』の広告主からのボイコット」が原因ではない、という理由にはならない。

正確に言えば、お家騒動と「ユダヤ人団体による広告停止要請に応える形で起きた」「『マルコポーロ』の広告主からのボイコット」とがあいまって、『マルコポーロ』の廃刊に至った、というべきだろう。

そのどちらの「主たる理由」とするかは論者の評価の問題になるだろう。しかし、お家騒動などというのは、捜せばどんな組織にでもあるものなのである。

お家騒動があった、という事実と指摘した後に、「『マルコポーロ』廃刊事件は・・ユダヤ人やホロコーストとはほとんど関係のない文芸春秋社内のお家騒動にすぎなかった」と結論づける言説は、レトリック(「まっすぐにものを言わない」方法)の典型と言えるのではないだろうか?

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[barbaroi:5565] 「事実の検証」を「反ユダヤ主義」と言い換えるレトリック

たけ(tk)です。

[barbaroi:5562] 『マルコポーロ』廃刊の内幕 にて
>  デイヴィッド・グッドマン/宮澤正典(藤本和子訳)『ユダヤ人陰謀説:日
> 本の中の反ユダヤと親ユダヤ』(講談社、1999.4.)
・・
> つまり田中健五は一九八〇年代の反ユダヤ書
> ブームに加担していたわけである。
・・
>  ユダヤ人団体による広告停止要請に応える形で起きたように見えた『マルコ
> ポーロ』廃刊事件は、じつはこのように、ユダヤ人やホロコーストとはほとん
> ど関係のない文芸春秋社内のお家騒動にすぎなかった。そして文芸春秋が西岡
> 論文の内容に正面から取り組むことは、ついになかった。記者会見で田中健五
> は、ガス室は本物だと思いますか、という質問に対して「それはあなたと論争
> できない。私はイスラエルに行ったことがあるけれども、アウシュビッツには
> 行ったことがありませんから」と答え、最後までホロコーストの史実を疑問視
> しているという印象を強く残したのである。廃刊事件はつまるところ、「ユダ
> ヤ人」という題材をいいように利用する、商品になりさがったジャーナリズム
> の典型が具体化されたものにすぎなかった。
> =====(p.407-408)

たけ(tk)が問題にしたいのは、「ガス室はなかった」か、「ガス室はあった」か、どうかという歴史的事実の検証が、なぜ、「「ユダヤ人」という題材をいいように利用する」ということになるのか? ということだ。そもそも、「ガス室」で殺された/ナチスの強制収容所で死んだ、のはユダヤ人だけではないだろうに。

ここには「事実の検証」を「反ユダヤ主義」と言い換えるレトリック(「まっすぐにものを言わない」方法)がある。
では、「事実の検証」によって脅かされる「ユダヤ主義」とはどういうものなのだろうか?

「ガス室はあった」かどうかという歴史的事実の検証を「「ユダヤ人」という題材をいいように利用する」ことだと言うデイヴィッド・グッドマン氏の思考様式を理解できますか?

* たけ(tk)はユダヤ人がユダヤ人の立場でレトリックを駆使することにはあまり憤慨しない。ヒトが自らの利益のために、レトリックを駆使して、自らの有利なほうに、人びとを誤導していこうという傾向は、誰にでもあるだろう。たけ(tk)が憤慨するのは、そのようなレトリックにころっと騙されて、まことしやかにお説教を垂れる知識人のほうだ。

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ガス室論争の発端は反ナチスレジスタンスで複数の強制収容所に入れられた地理学者が「それらの収容所の何処でも「ガス室」など見たことはなかった」という単純な事実を主張したことから始まったらしい。

http://turugi10.hp.infoseek.co.jp/marco/marco1.html
 このラッシニエという学者は、元は地理学
者で、左翼思想の持ち主だったため、反ナチ
スのレジスタンス運動に参加したのであるが、
そのレジスタンス活動の故に、ナチス占領下
のフランスでゲシュタポに捕らえられ、強制
収容所に入れられたという人物なのである。
ラッシニエは、ドイツ西部の収容所に収容さ
れ、戦争末期には、そこでチフスにかかると
いう苦難まで味わっている。
 そのラッシニエが、「ホロコースト・リビ
ジョニズム(見直し論)」の「開祖」となっ
た理由は、単純である。ラッシニエは、戦争
中、反ナチス活動の故にドイツ西部の複数の
強制収容所に入れられていたのであるが、彼
は、それらの収容所の何処でも「ガス室」な
ど見たことはなかったのである。
 ところが、戦後、ニュールンベルク裁判や
欧米のマスメディアが、戦争中ラッシニエが
収容されていたドイツ国内の収容所に「ガス
室」が存在し、多くの人々が殺されたと言い
始めたためにラッシニエは驚き、彼自身の左
翼という政治的立場とは別に、「ドイツの強
制収容所にガス室などなかった」と、声を大
にして主張し始めたのであった。

* 同じく強制収容所に収用されたユダヤ人であるフランクルの『夜と霧』を読んでも「フランクルはガス室を知らなかった」ということが分かります。
http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/433.html

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