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ユダヤ学を専門とする学者さん(1)
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投稿者 ひょうたん島の虻 日時 2006 年 10 月 04 日 10:34:32: T0THhg/RF1boM
 

ユダヤ学を専門とする学者さん(1)
「一神教文明からの問いかけ」(宮本久雄、大貫隆編、講談社、2003年9月5日発行、253頁)なる本がある。これは2002年10月から翌年1月にわたって、東大駒場でなされた「連続テーマ講義」記録との事である。イラク戦争が差し迫っていた時期にこの講義は、なされている。主催者の問題意識はこの来るべき戦争(当時の時点)の重要ポイントが文明の衝突、ひいては宗教の衝突にあったとする。この問題意識から推測されるのはキリスト教とイスラム教との対立と思いがちで有るが、さにあらず。用意された11の講義の中でイスラム教に関する講義は2つ、そしてユダヤ教に関する講義がなんと半分近い5を占める。さては、この連続講義の企画者は来るべきイラク戦争(当時)の背後にイスラエルがある事を見抜いておったのだなと、大いに期待をして市図書館からこの本を借り出した。
私の関心事であるユダヤ人の出自、およびホロコースト視点に焦点を当てて公演概要を抜書きする。5人の演者のうち、4人がホロコーストに言及している。
講師の一人であるヘブライ大学名誉教授のベルブロウスキ氏(1924年生まれ、比較宗教学)はホロコーストについて次のように語る:
「ユダヤ人の歴史のほとんどの時代に彼等はいわゆる「離散」の状態で生きてきました。つまり独立国家として又自らの土地で一つのまとまった領土を持ってではなく、主にキリストおよびイスラム教の環境のなかで圧迫され迫害されるマイノリテイとしてです。彼等は軽蔑され差別され追放されただけでなく時に虐殺などのめに会いました。その頂点がナチスによるジェノサイドで二十世紀の半ばにおよそ600百万人のユダヤ人が男も女も殺されました」。
ユダヤ民族の出自については民族のアイデンテティから説き起こす:
「民族性の概念には民族の伝統のさまざまな要素に自己同一化する事によって形成される集合的アイデンチティという意味があります。そのような要素とは共有された歴史に記憶、民族の統一の感覚、言語、宗教などです。(中略)ユダヤ教に有っては、民族としてのアイデンチティと宗教的なアイデンチティが一緒に発達したのです。ユダヤ教とはユダヤ民族の宗教の名前であった人類全てに普遍主義的に向けられた宗教の名前ではありません。(中略)ユダヤ教は民族的に限定された宗教であり、その一神教にもかかわらず民族的な宗教であり続け、又伝道活動や支配によって世界に広めようとしなかった宗教です。」アイデンチティを持ち出す事でアシュケナジの出自を話題にする事を避けている事がわかる。
次は東大助教授市川裕氏(宗教史、ユダヤ教)である。ユダヤ人が迫害され続けた事を語るまとめの中で「いかに不条理な死を迎えたとしても神の裁きを賛美するのがユダヤ教の伝統的な祈りの精神です。しかしヨブの物語以来、神の教えに従う義人が何故不当な苦難にあわねばならぬのか、という神議論の問題は今に至るまで問い直されています。特に600万人とも言われるユダヤ人の犠牲者を生んだショアは未だにその意味が問われ続けているのです」その出自についてはこう語る:
「西暦500年ごろのバビロニアタルミード成立以後イスラム時代にはバビロニアのユダヤ人社会が世界のユダヤの中心となりガオンと呼ばれるユダヤ法学院長名をとってゲオニーム時代がバグダットを中心に栄え13世紀のモンゴルの侵略まで続きます。この間に北アフリカからスペインにかけてスペイン系ユダヤ人社会が興隆し1492年のスペインのレコンキスタによるユダヤ人追放令後はオスマントルコを中心に地中海世界へと先進文化を伝えてゆきました。欧州ではライン河畔の諸都市を中心にドイツ系ユダヤ人社会が十字軍やペストの迫害などで東欧へ移動しポーランドやウクライナを中心に共同体を拡大してゆきました」。東欧のユダヤ人は西から東へ移動したかのごとく書き、この筋書きからは、当然ながらハザール王国の話は全く出てこない。
黒川知文氏(愛知教育大学、宗教史)は語る:
「ヒトラは人種理論に基づくアーリア民族優越主義という内容の民族主義を採用して国家的宗教であるドイツキリスト教を創設します。そしてドイツ民族による他国支配をめざし、ユダヤ民族や「劣性」民族の絶滅を実行していきました。(中略)近代においては西欧の多くのユダヤ人はユダヤ教を捨てて同化しました。しかし、反ユダヤ主義が勃興して再び迫害を受けました。そしてホイロコーストによる約600万人の死者という代償を払ってシオニズムが実現してユダヤ人は国家を持つにいたったのです」
出自:「期限35年にユダヤ人はエルサレムから追放されました。それから1948年にイスラエル国が樹立するまでの約1800年間国家を持たない民としてユダヤ人は世界各地に離散して生活しました。この間、ユダヤ人は中近東とアフリカなどのイスラム世界に生活するミズラヒ系ユダヤ人、中欧東欧に生活しイヂッシュ語を話すアシュケナジ系ユダヤ人、スペインと北アフリカに生活し後に地中海沿岸地方に移住したスファラディ系ユダヤ人に分かれました。(中略)中世後期に黒死病発生に端を発する迫害を逃れるために多くのユダヤ人が移住したポーランドは「第二のバビロニア」と呼ばれユダヤ人の一大センタになりました。」
この演者だけが「1948年にイスラエル国が樹立して以来、イスラエルは何度もパレスチナ人を差別し又虐殺しました。これは、ユダヤ教が基本的にユダヤ民族だけの宗教であるために、容易に民族主義に結びつきそれが排他的な政治運動、民族紛争に変貌しやすいためだと考えられます」とも書く。この演者は911WTC 攻撃にもそうした説明を付してみずからを納得させている。
最後はベン・アミ・シロニ氏(ヘブライ大学教授、日本史)である。
「ヒトラはヨーロッパの文明を救うためユダヤ人の完全な駆逐が必要であると訴え、軍事行為に直接関係することがなかったにもかかわらず、ユダヤ人はヒトラの最大の敵として選び出されナチスドイツにより約600万人が虐殺されました。この数は当時のヨーロッパのユダヤ人の3分の2に当たります。その虐殺の象徴となるのがアウシュビッツ強制収容所です。約150万人がガス室に送られて殺害されました」
出自については、自らがポーランド生まれであり、建国直後にイスラエルに移住したという。「ユダヤ人は迫害され離散し国から国へと渡り歩く放浪の民となった」と語るのみである。イスラエル建国についてはこう語る:
「民族の安全性と自立性を求めることを象徴する『再びアウシュビッツを繰り返すな』の有名なスローガンのもとに1948年イスラエル国家が建設されました。これによりユダヤ人の歴史に根本的な改革が起きました。他国の善意に頼らず自分のことを自分でするように、世界中の同胞は連帯感を強め新国家を財政的政治的道徳的に支援しました。独立戦争、六日戦争の輝かしい勝利は全世界に感銘を与えました。如何に金がかかろうと国土防衛を最前面に押し出し兵器を製造しました。そのための膨大な軍事費の差額はアメリカからの援助金でまかなわれたのです」(いいたい放題ですな、ひょうたん島の虻)。折からノーベル賞の季節であるが、こうも書いている「ユダヤ人は長い間、異郷文化にいたため、彼らの習慣や価値観に挑戦することに慣れていました。理論的議論を好む長い伝統から、完全さよりも独創性に重点を置き西洋の基本的ルールの見解を訂正改造しました。現代経済社会の秘密をマスタし彼らを取り巻く文明の段階に追いつき、たちまち世界経済の指導者となったのです。(中略)世界の人口の0.2%に過ぎないユダヤ人はノーベル賞受賞者の20%を占めユダヤ人の作家、哲学者、科学者の貢献なしに今日の世界を想像することはできません」

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