投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 3 月 15 日 23:00:51: YdRawkln5F9XQ
(回答先: 宗教の本質は排除 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 3 月 15 日 22:10:17)
心とは「人間らしい心」として意識されるものです。
これが「愛がある」とか「思いやりがある」とかいう具合に意識されております。
これは強い者がゆとりの中で行う行為として捕らえられているのではないでしょうか?
強い者とは神です。
人間の中で神のように強くゆとりがある者だけが人を愛したり思いやりをかけたりする事ができるのではないでしょうか?
自分の事だけで精一杯の人間は愛や思いやりに欠けます。
これは生物として自然な事でしょう。
ではこういう人間には心は無いのか?
このように心という言葉自体人間を選別するキーワードとして登場するのです。
「奴らには心が無い。」などと言います。
しかし、その「奴ら」は生まれた時には「いい人間になる」可能性を持っていたハズです。
つまり、「奴ら」から「心」を奪ったのは社会です。
例えば「金が全てであるかのように」個人を洗脳する社会はホリエモンのような「心なき人間」を生み出すでしょう。
社会改革派は「よりよき心を持とう」というスローガンを掲げて活動すべきでしょうか?
否、「よりよき心が持てるような社会を実現しよう。」と呼び掛けるべきでしょう。
心は社会の反映なのだから。
よりよき心を得ようと宗教にすがっても無駄です。
そこにあるのは言葉に過ぎず実態ではないからです。
言葉をかき集めて「いい人間になった」つもりの独善的な人々はかえって社会に害を与えます。
何もしなくても信じるだけで「いい人間になった」つもりだからです。
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