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ぼけ仙人さん、レスありがとうございます。
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投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 7 月 01 日 15:24:57: YdRawkln5F9XQ
 

(回答先: ワシの文章は余程下手くそかのう、それとも読まずに書いとるんかいのう。 投稿者 ぼけ仙人 日時 2006 年 6 月 30 日 18:39:47)

>ワシの文章は余程下手くそかのう、それとも読まずに書いとるんかいのう。

読みましたとも。文章はお上手です。しかし、少し冗長な感じは致します。
簡潔に要点を述べていただけた方がありがたいです。

> ワシは宗教団体入って盲目的に信仰せよとか、いい人をつくれとも言っとらんけど>な。

宗教は集団を作りますよね。
それが問題なのです。
例えば「聖書を読む会」というような集団を作るのです。
教義は集団を生み出すのです。

宗教の目的は「いい人作り」です。
「人を殺すな」と言う事は「人を殺すような悪い人間になってはならない。」という事です。
貴方は「いい人を作れ」とはおっしゃらないでしょう。
しかし、教典に書かれているメッセージは「こういう人になれ」って事ばかりなのです。

>「宗教は神や教祖に従うという他律的原理があるので問題が生じてくるのではありま>せんか?人間が従うべき論理というものを打ち出せばそれで充分であり、従わないも>のには天罰が下るとかよけいな事を言わない方がいいのではありませんか?」
>とワヤクチャさんが述べておられるけどもじゃ、天罰が下るなどとワシは言ってない>はずじゃし、宗教が神や教祖に従うもんじゃとも言うとらんじゃろうがのう。

では、教義に従えと言っているのでは?
「教義に従わなくてもいい」なんて宗教がありますか?

>だいいち「人間が従うべき論理」とはなんじゃろかのう。それが具体的な言葉として>発せられたとするならば、それは、それこそワヤクチャさんの発信する宗教(人とし>て歩むべき道、人が幸せになるための仮説)じゃろうて。

あくまで「ただの論理」であってそれを宗教的に脚色をしたりしないという事が言いたいのですが。

>ぷち熟女さんも同様にして、神や教祖に「宗教に入信」よりは「信仰を持つ」ことを>「信じ切るより」も「終生、思索を続ける」ことを選びますね。

その選択は正しいでしょう。
しかし、信仰って「根拠なく信じる」事ではないですか?
それが危険だと言っているのですが。
思索は「ただの思考」であって宗教ではないでしょう。
宗教はむしろ思考停止です。
「この事は分からないので神のみぞ知るにしておこう。」ってのが宗教です。

>宗教の教義は人間が体系化したもの。不完全なもの。一人一人違う人間がそういった>ものに無理矢理自分をハメ込むという営為は自然の理に反していないだろうか。

ですよね。
その不完全なものを完全だと強弁するのが宗教です。

>第一、「宗教への帰依」ということが…
>と述べておられるが、ワシは、そんな内容でお伝えしたつもりは毛頭ないんじゃが両>方を読まれた方はどう思われるかのう。だいたい、宗教は帰依するもんじゃないぞ。

ですか?
自分は取るに足りない存在であり教典こそが価値がある存在だという考えは
言葉に過ぎないものに絶対的価値を置く考え方ではありませんか?

>阿修羅の投稿者には唯物思考傾向の方が多いようじゃから、あえて反発されるような>題名をつけたんじゃが、やはりじゃて。凝り固まった観念じゃのう。

私は唯物論も否定します。
意識が説明できないからです。
逆に言葉に過ぎないものに絶対的価値を与える宗教にも反対です。
宗教批判=唯物論ではありませんよ。
両方を批判する立場もあるのです。
フォイエルバッハは唯物論でしょうか?
私はそうは思いません。
マルクスが勝手に観念論と唯物論という二項対立図式を持ち出しただけです。
こんな二項対立に真理はありません。

>このように、宗教と宗教団体の区別、宗教とは何かがお分かりならないにもかかわら>ず、頭から否定しようとする日本人が多すぎるし、逆に「鰯の頭も信心から」のよう>に闇雲に信仰する人も多すぎるわな。

では、宗教とは何ですか?
証明できない存在を信じるのが宗教でしょう。
意識を対象化した学は宗教ではありません。
それは単に心的現象学であるに過ぎません。
ブッダも心理学をやっていただけであり宗教を作る気などなかったと私は思います。
偶像の否定をする論者は宗教を否定していると思います。
ブッダはうさぎが自分の命を差し出した事に感銘を受けました。
他者の幸福を望む気持ち(他利)は尊い精神でしょう。
しかし、支配者はこういうお人よしをとことん利用するのです。
支配者が奴隷確保の為に宗教を生み出したのです。

>とは言え、話を読み込んで行くと大まかには、ワヤクチャさんもぷち熟女さんもワシ>と同じような心持が感じられてくるんじゃがのう。

それはそうですね。
しかし、少し違います。
論理が違うのです。

>じゃから、やはり日本人には物理学や金儲け術よりも宗教学が必要じゃと思うぞ。

宗教学は必要です。
宗教とは何か?を問う事だからです。
これは宗教を対象化した思索が必要だという事であり、「宗教が必要」という事ではありません。
「イエスという男」を書いた田川建三がいいと思います。

>機械的単純科学信仰と経済至上主義的な価値観の脳みそから、原点にかえって、人と>してあるべき姿、人として歩むべき道を求めてを謙虚に己を見つめて欲しいと申し上>げておるわけじゃて。

人には色んな要素が入っているワケでして、宗教もその一面ですが、経済や科学的思考も入り込んでおりますので全てについて考えなければ人間の事は分からないのです。
物質と意識の両方で人間は成り立っているのです。

>そして、その時、先人の偉人の残した教義を土台として、自分の内なる声と葛藤して>欲しいと思とるんじゃのう。

先人の言葉には学びます。
「自分の内なる声」ってここに書いている事も又「内なる声」の一端なんですが。

>人生を茶道に例えるなら、利休は「お茶とは好きなようにお茶立て、好きな用に飲む>べし」と説いておると聞いたが、じゃあ、何にも知らん者が「利休が好きなようにや>ればいいと言っとるで、俺流でやるぞ」とやっても茶道にはならんじゃろうて。

その話を聞いて、利休は「茶道なんか間違いだ。」って言っているように聞こえたのですが。

>やはり、基本を学び、技を習得し、そこから湧いてくる自分なりの解釈が新たな道を>指し示すように、先人の人としての道の教えを学ぶことが、まず重要であろうと思う>わけじゃぞ。

基本って何ですか?
基本を決定したのは誰ですか?
支配者が決定した基本を学べばどうなりますか?
全てを批判的に吟味するという姿勢こそが必要なのでは?

>今は、生きるべき道の指針や、人としてあるべき姿の規範が消えてしもうとるわな。

それは倫理であり、宗教とは区別すべきです。
宗教は倫理を人間に守らせる為に発明されたホラ話です。
「そんな事をしていたら天罰が当たるゾ!」ってホラ話です。
「そんな事なんかあるかい!」って反発した無神論者が悪事を働くので逆に宗教が必要だと勘違いされるだけです。
絶対的存在がいなければ悪事を働くという人間の性がある為に絶対的存在がある事にしてしまうのです。

>よって仏壇の意味も分からん人が多くなっておるでな。徳の積み方を忘れてしもう>>て、日本は沈んで行くわな。

死者に思いを馳せるって事ですか?

>学びを正しく深めていくと、人としての歩むべき道、命の価値、人生の意味、先祖へ>の感謝、身の回りの人々への感謝、生きとし生けるものは当然として万物への感謝な>どなど」、この世の全て意味が感じられて本物の自由が手に入るぞ。

何をもって「正しい」と言えるのですか?
この世に意味が無いといけないのですか?
意味などなくても充分楽しく生きられますが。
むしろ、この世の意味を求める精神こそが囚われていて不自由だと思います。
宗教には全て「人間はこうあらねばならぬ」という押し付けがましさを感じます。
「信仰を持っている私は幸せだ。」なんて事を言われるとその優越感に反吐が出ます。
信仰を持たない人間が不幸ですか?
何を根拠に?
「人を殺してはならない。」とか守るべき事を子供のころからしっかりと植えつけるだけで充分でしょう。
「人を殺してはならない。」という事の理由を聞かれて答える必要などありません。
「存在を否定する事は悪だ。」なんて説明を始めてしまうと「何故、悪がダメなの?」と堂々巡りになるだけです。
理由なく守るべき事が意識された時点で宗教が根拠としてデッチ上げられたのです。

>シジホスの「それでしかり」とまでいけるかどうかわわからんけどな。

その意味は?
全て肯定って事ですかね?
でも、殺人まで肯定してしまってはそれこそ「無意味」になりますね。

>また、この世には身魂相応という原理があって、同じ宗教を同じように学んでも受け>止め方や、そこから発生する行動には千差万別であり、型にはめたくてもはまらんわ>な。

そういう精神の自由があればまだいいです。

>型にはめるには「洗脳」じゃぞ。宗教には洗脳させる力は働かんぞ。

創価学会は宗教ではないという事ですね。
しかし、世間では宗教だと思われていますね。
宗教を自称する者は全て宗教として扱われているのです。

>洗脳は邪神の得意技じゃて。

どれが正しい宗教でどれが邪神かって話を始めたら無限の論争になるって事ご存知ですか?宗教は言葉に過ぎず、言葉を大量に発したら内部整合性は問題にならず、決着は着かないのです。それでメシを食っているのが宗教家です。坊主丸儲けって言いまっしゃろ?キリスト教とイスラム教の正当論争に決着が付くとでも?無理です。

>ぷち熟女さんには、是非「秀真伝」読んでいただきたいもんじゃわな。

どんなお話ですか?

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