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目指すべきは、ある特定のシステムではなく、実質的な内容ですね
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投稿者 heart 日時 2006 年 8 月 03 日 02:39:11: QS3iy8SiOaheU
 

(回答先: 仕事の中に改革的な要素を入れる作業 投稿者 ワヤクチャ 日時 2006 年 8 月 01 日 23:36:55)

ワヤクチャさん、ありがとうございます。

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【ワヤクチャさん】
まずは思想的に鮮明な立場を持つ事が必要だ。
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【heart】
はい。思想かどうかは別にしても、自分の理想・理念を忘れたり、自分の理念に反する考えにいつのまにか染まっていた、なんてことになったら、終わりだと思っています。
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【ワヤクチャさん】
戦争廃絶・格差解消・環境再生が私の目標だ。
貴方も同じだろう。
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【heart】
はい。
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【ワヤクチャさん】
これらの目標を実現する為に何が必要か?
ブログや阿修羅掲示板への投稿は最も重要だ。
もちろん実際の運動に関わる必要もある。
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【heart】
それは私は二本柱のうちの一つにしかすぎないと思います。
運動の中身にもよりますが、運動をやっただけでは社会は変わりませんから。
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【ワヤクチャさん】
しかし、まずはあらゆる言説に対する徹底批判が必要なのだ。
私は曲がりなりにもそれをやっているつもりだ。
自己批判も行いながら。
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【heart】
あらゆる言説を徹底的に批判的に見ることは確かに必要です。
自分と似通った意見であったとしても、それを批判的に見ることによって、思考がそこで止まってしまうことを防げる、という利点もあるでしょう。

ただ、批判のやり方は工夫しないといけないでしょうね。
もしも、批判してそれで終わり、ということであるのならば、物事は先に進まないからです。
(私がこれまでそうできてきたかはちょっと脇に置いての議論になりますが、)
議論の過程でお互いの意見のよい部分をすり合わせてよりよい意見に発展させていくとか、
もし全く意見が合わなかったとしても、自分が考えていなかったような新しい視点を得るとか、
そういった成果を求めて批判しないのならば、批判をする意味がありません。
連帯できるはずの相手と連帯できなくなる可能性すらあります。
批判はOKですが、その結果、何かの成果が残らなければ意味がありません。
あちこちで対立の火種を作るだけに終わるような批判の仕方ではダメだということです。
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【ワヤクチャさん】
ではそれらの思想的立場をいかに生活の他の局面に反映させていくかの工夫が必要だ。
しかし、ブログや掲示板で日常的に対話を行っている人間ならば適切な相手と適切な対話をする事が可能になるだろう。
今日、昼飯を食っている時にそこのママさんと「もっと金持ちから税金を取らねば。消費税を上げる前に。」という話をしていた。
そういう何気ない日常の会話の積み重ねが世の中を動かすという事を分かって欲しい。
職場でもそういう話をする事は可能だ。
仕事の中でやれる事は無限にある。
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【heart】
確かにそういう何気ない日常の会話の積み重ねは重要です。
連帯意識を育むという意味合いはあると思います。
しかし、そういう会話だけでは世の中は動きません。
そういう日常での会話は、どちらかというと似た意識の者同士の間でなされがちだと思います。その場合、互いの愚痴の確認のし合いだけに終わる可能性が高いように思います。
それでは世の中は動きようがないと思います。
それに、そういう場で相手が同調したからといって、その人が実際にその方向で行動するかどうかは、全くの別問題だと思います。

まあ、もし、「もっと金持ちから税金を取らねば。消費税を上げる前に。」という話をした後で、そういう政策を掲げる政党が出てきたら、その政党に投票しようと考えることは十分あり得るとは思いますが、
そういうことでもない限りあまり期待できないように思います。
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【ワヤクチャさん】
米を扱っている会社にいるのであれば兵庫県豊岡市の「コウノトリの郷米」を扱う事によってコウノトリが棲めるような環境を作る為の農薬を減らして頑張っている農家を支援する事ができる。
どんな仕事に就いたとしても仕事の様子を匿名でブログに差しさわりがない程度に書けば「その仕事だったらこういう取り組みができるのではないか?」というアドバイスをネット参加者から得る事は可能だ。
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【heart】
そうですね。
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【ワヤクチャさん】
何でも自分の中で完結した戦略を立てねばならないという事は無い。
色々とやる中で道は開けるものだ。
ブログをやる前と後で自分がどう変わったかを思い浮かべるだけで充分だろう。
行動する中からアイデアも生まれてくる。
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【heart】
はい。
ただ、私は理念先行型の人間なので、何かをするにあたって理念的な戦略とか指針を立てるという行為自体は、必須です。
また、私の考えは流動的であり、今回あの投稿で書いたことが自分の中での完成品というわけではありません。おっしゃるように、行動する中からまた違ったアイデアが浮かんでくるだろうと思っています。
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ここ以下のワヤクチャさんのレスはおおむね「フームそうやな〜」という感じだったので、特に異論とかコメントのあるところだけに対してコメントします。

≪所属組織内での社会に関する「闘争」について≫
>・・・無理だと思うような事はすべきではない。現実的にできる事からなすべきだ。自分の望む事が非現実的過ぎて自爆してしまうのであればその望む事の中身を問わねばならない。

非現実的とはこの場合、組織ににらまれて実現不可能、ということですね。
組織ににらまれないような、組織を立てる(組織としても利益が出る)やり方を考えてそれを提案するのでなければ、非現実的だ、ということですね。
組織と対立するのでなく、組織を仲間に引き込んでいくようなやり方を模索しなければならないということですね。


≪私が、「仕事は自分や家族が生き長らえるための手段」と言ったことについて≫
>簡単に割り切り過ぎ。そんな姿勢では仕事が嫌になるでしょう。
>何らかの意義を仕事に感じられないようではしんどいですよ。

仕事から何か社会を変えるために使える知識が得られるのなら、それだけでも意義深いと考えるようになりました。

>ほとんどの仕事は何らかの有用性によって成立しているハズなのです。
>その有用性の中身をいかに変革するかが問われているのです。

確かに、ほとんどの仕事には何らかの有用性があります。
有用性があるからこそ、対価が支払われ、その仕事が成り立っているのですから。
しかし、仕事によっては、その有用性が社会にとって本当の意味で有用なのかどうかということに疑問符がつくものもあるでしょう。
その中身を変革するだけでよいのならまだいいです。
しかし、その仕事を形作っているシステムそのものに問題がある場合もあるでしょう。
社会的に考えて、内部変革でなくシステム変革が必要と思われる仕事の場合、少なくとも最初のうちは、その仕事そのものに対して意義を感じることはできないでしょう。
その後、システム変革ができる立場にまで登り詰めることができたとしたら、その時初めて、本当の意味で社会的に意義のある仕事ができるかもしれませんが、それまでは、無理である、という仕事も存在すると思います。

>・・・仕事は金儲けと使用価値生産という2つの事を同時にやっているのです。

価値の中身が問題です。
本当に社会にとって価値のあるものとは、人々を幸せにするものです。
しかし、例えば軍需産業で行われている使用価値生産は、人々を殺すものです。

≪仕事の意味付けとして、生計以外に学習を挙げたことについて≫
>学習の意味合いはもちろんあります。しかし、なんと言っても仕事は他者との連帯を勝ち取る場であると思います。仕事を通じて多くの人と知り合い対話し人間関係を作っていく場です。

職場での人間関係は大事だと思います。
友人の一人や二人は私だって作りたいと思っていますし、職場でぎすぎすした人間関係になりたいとも思いません。
しかし、職場での人間関係はあくまでも私的な連帯であり、社会的意義を持つ連帯とはまた違うと思います。


>・・・私生活で確立した内容を仕事にいかに盛り込んでいくのかの勝負ですね。

そのとおりですね。


>理想論も又必要です。理想がなければ現実をどう変えるのかも分かりません。その事は否定的な事ではありません。理想に向かって現実をどう作り変えるのか?という問題の立て方が正解です。

根源にある理想を捨てるつもりはありません。
ただ、私はこれまであまりにも理想主義者でありすぎたと感じています。
現実を知ることの重要性は認識しているつもりでしたが、現実的な思考をすることについてはあまり重要視してこなかったことに気付いたのです。
現実主義の要素も取り入れていかなければ単なる理想論者で終わってしまうという危機感を持っています。

これまで私は、自分が思い描いたとおりのシステムを実現しなければ、という強迫観念にとらわれていたような気がします。
しかし、目指すべきは、ある特定のシステムではなく、実質的な内容ですね。

社会変革の実際の行われ方や、改革後できるシステムが、自分の思い描いているとおりのものである必然性は全くないわけです。

多くの人が現状に満足せず、社会を変えたいと思っているわけですから、やり方も多種多様であって当然であり、できあがるシステムが自分の思うものでない可能性など随分高いわけです。

大事なのは、変革後にできた社会において、人々や生き物が、理想的な生き方ができるかどうか。それだけだと言っていいと思います。

実現する社会が、自分が思い描いている理想の社会と、理念が同じで、かつ、効果が同じでありさえすれば、その仕組み自体が自分が思い描いた理想のものとは異なっていたとしても、全く問題ない。

こう考えると、社会を変える方策は無限にあると思えてきます。

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