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 ★阿修羅♪
こうやつて日本と云ふ國家はバラバラに解體されてゆく。此れは其の一例に過ぎない
http://www.asyura2.com/0601/idletalk20/msg/396.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2006 年 10 月 11 日 19:02:09: Gsx84HOp6wiqQ
 

 
 
 
 
若手研究者の不幸な現實/日本の科學技術繼承を脅かす/日本物理學會 坂東昌子會長にきく
(しんぶん赤旗)
http://www.asyura2.com/0510/nature01/msg/577.html
投稿者 熊野孤道 日時 2006 年 10 月 04 日 00:13:46: Lif1sDmyA6Ww.
 
 
 
 此處問題の遠因は國公立大學の獨立行政法人化にある。そして更にその背後にある本質が
問題である。 
 此處問題は、國公立大學の基礎科學、應用科學等の樣々な技術、研究に配分すべき豫算と
人員を削減せしめ、基礎、應用科學、研究力の弱體化、綜合科學力の弱體化、ひいては國力
の弱體化を企圖した聯中の深慮遠謀の因に起きた現象と見なければならない。最近日本人科
學者が矢鱈とノーベル賞を受賞してゐるが、此れは、今現在日本で起きてゐる、民間(ソニ
ーの慘状を想起すればよい)、學會兩方の科學技術界の弱體化政策を一般大衆に覺られない
樣にする爲の聯中の謀略であらうと考へてゐる。何故ならばノーベル賞とは聯中のものだか
らである。聯中に役立つ學問を發展させた者に對する御褒美だからである。或いは聯中が意圖、命令した思想、政策を忠實に實行したが故の御褒美とも解釋できる。何れにしても此處
賞を誰にやるかは聯中が決めるのである。
 獨立行政法人化とは一體何なのであらうか。其處を考へなければならない。結局のところ
行き着く結論は、此れ等の今日本に起きてゐる樣々な問題の源は皆同じ所から發してゐると
云ふ事に氣附かなければならない。
 其れは自己弱體化である。日本で今起きてゐることは皆繋がつてゐるのである。そして其
の自己弱體化政策と云ふものは、何處から生じてゐるのかに氣附かなければならない。一般
大衆が其れに氣附かない限り、この國に未來は無い。其處にあるのは破滅である。
 しんぶん赤旗が此の點を書いてゐるのかどうか知らない。しかし、此處問題の本質は書い
ていない樣である。所詮共産主義、共産黨と云ふ存在は、聯中が創造した聯中の駒に過ぎな
いと云ふ事でしかない。
 
 
 
次なる獲物
http://www.asyura2.com/0601/idletalk20/msg/381.html
投稿者 石工の都仙臺市 日時 2006 年 10 月 10 日 01:45:36: Gsx84HOp6wiqQ
 
 
 
 

  
日本フリーメーソンの高嵜幹部の證言


◎第三の開國「金融ビッグバン」◎

 1998年盛夏、東京郊外の緑に圍まれた閑靜な住宅街レンガがよく似合ふ喫茶店「カノウ
ブス」で待つてゐたのは、清潔なストライブのワイシャツがよく似合ふ、端正な顏立ちの老人
だつた。
 カノウプス、拉甸(ラテン)語で「老人の星」を意味する此の店の片隅で、老人は叮嚀に挨拶
を濟ませると、意外な話から切り出した。

 「小淵政權がスタートして間もなく、經濟政策のアドバイザー、ブレーン的な存在として『
經濟戰略會議』が發足しましたね。メンバーの顏ぶれを見て、オオッと思ひましたよ。我々に
はなじみ深い、緑のある人が二人も入つてゐるんですから・・・。
  一人は森ビルの森稔名譽會長、もう一人がイトーヨーカ堂の鈴木敏文社長です。二人とも我々の仲間ではありませんが、我々の所有不動産を管理運營してゐるのが森ビルグループ、其
の古くからの店子がイトーヨーカ堂グループだつたからです」

 老人の容姿風貌や所作からは、80歳を目前にしてゐるとは思へないほどの若さが感じられ
た。服裝も、リタイアドには見えないネクタイ姿である。何よりも語り口、言葉遣ひが明確で
ある。

 「日本經濟は今や、金融は勿論、ゼネコン、不動産、流通全てが青息吐息でせう。ところが
其の中にあつて、あの2社だけは元氣。讀賣新聞等は森さんの提言(首都圈に公共投資を集中
すべきと云ふ經濟政策)を大きく扱つてゐたし、森ビルグループは、此の不況下にも臨海副都
心で新しいプロジェクトに着手すると云ふし、兔に角勢ひがある。かうした活躍が、又”フリ
ーメーソンb話”を膨らませる事に成るんですかね」

 やや皮肉つぽく笑ふと、一口吸つたシガリロ・タバコの煙をゆつくり吐き出し、遠くを見る
やうに天井を見上げた。其の表情には、何か複雜な思ひが込められてゐるやうに見受けられる。
 フリーメーソン結社員と成つて約20數年、日本人フリーメーソン最高位階であるスコティ
ッシュライト第32位階級の一人、高嵜廣氏(79歳)である。
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 20世紀末の此の時期に、私達が日本のフリーメーソンの取材を始めたのには、理由がある。
 97年秋の北海道拓殖銀行、山一證劵と續いた大型破綻劇を機に、日本は今、資本主義の心
臟部と云ふべき金融システムが崩潰寸前の危機にさらされてゐる。「不良債權」と云ふバブル
の殘骸を大量に抱へ込んでゐる事を外資につけ込まれ、國際市場で追ひ詰められてゐるからだ。
 此れを一般には「市場の論理」と云ふが、では「市場」とは一體何なのか?其の事を、この
國の經濟マスコミは具體的に檢證しやうとはしない。
 山一證劵が破綻した時に「社内で快哉を叫ぶ歡聲が上がつた」(外資系證劵マン)と云ふや
うな話が、あちこちから聞こえてくる。「ハゲタカ・ファンド」等と呼ばれる外資系金融機關
による、不良債權化した不動産の買ひ叩きも加速してゐる。山一證劵を吸收し、日本のメリル
リンチ幹部は、亞米利加議會で、

 「日本の金融ビッグバンは、我々が效率的な買物をする爲のものだ」

 と明言してゐる。
 かうした事態を、人は、明治維新・戰後改革に次ぐ「第三の開國」、或いは、太平洋戰爭(
大東亞戰爭)に匹敵する「第二の敗戰」と呼ぶ。此の譬喩は、たぶん、間違つてはゐないだらう。

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 「ウーン、『第二の敗戰』ねえ・・。其れより『第三の敗戰』と言ふべき
 ぢやないんですか?だつて日本を開國した”黒船”のペリー提督も、實はメーソンだつたん
ですよ。マッカーサー元帥もさうですし、今のクリントン大統領も、メーソンの正式な結社員
ではないけれど、準メーソンといつても過言ではないんですから」

 あつさり言ひ放たれた其の言葉に、仰天させられた。同氏の言ふ通りであれば、明治維新、
太平洋戰爭(大東亞戰爭)、そして今日の「金融ビッグバン」或いは「第二の敗戰」と、近代
日本の轉換點全てにフリーメーソンが關與してゐる事に成るからである。
 實際、高嵜氏の言ふやうに、今年(1998年)に入つてから矢繼ぎ早に起きてゐる現實を
「第三の敗戰」と捉へて見れば、今の日本で起きてゐる事が實によく分かる。
 參議院議員選投票日を翌日に控へた98年7月11日、極めて象徴的な出來事があつた。
此の日の朝、b奈川縣横須賀市の久里濱港に、一隻の帆船が入港して來た。「プライド・オ
ブ・ボルティモア?世號」と云ふ此の帆船は、亞米利加合衆國メリーランド州の親善大使とし
て、昨年12月に世界歴訪の旅に出航した船である。實は、出航して7箇月後に日本へ立ち寄
つた此の「プライド・オブ・ボルティモア?世號」は、150年前、日本を開國に導いたペリ
ー提督率ゐる4隻の「黒船艦隊」の内の1隻を復元した船なのである。
 久里濱港の「港祭り」に顏見せた「プライド・オブ・ボルティモア?世號」は、浦賀水道を
北上、横濱に寄港した後、其のまま威風堂々と東京灣へ向かつた。ペリー提督が浦賀から當時
の江戸灣へ押し入つた大膽な行動を其のままなぞらえたのである。
「黒船來航」の二日後、參議院議員選舉の翌13日には、更に重要なイベントが東京で開か
れた。國際決濟銀行(BIS)の月例總會と、日米財界人會議の同日開催である。此の會議に
參加する爲に、世界の金融決濟業務を取り仕切る超VIP達が東京に集まつたのである。
 BISの月例總會は、世界の中央銀行の總裁が毎月、一堂に會して、其の時々の金融情勢に
就いて意見交換するものである。開催場所は、過去に一度だけ和蘭のアムステルダムだつた事
があるのみで、通常はBISが置かれてゐる瑞西のパーゼルと決まつてゐる。それが東京で開
かれると云ふことは、當に異例中の異例の出來事なのである。
 當日は、亞米利加聯邦準備制度理事會(FRB)のグリーンスパン議長、獨逸連銀のティー
トマイヤー總裁ら、主要30カ國の中央銀行總裁等、さうさうたる顏ぶれが東京に集結した。
 又、BISの總會が開かれた日本橋の日銀本店から西へ約2キロ、内幸町の帝國ホテルでは
日米經濟界の重鎭達が集まり、「第35囘日米財界人會議」が開かれてゐた。
 日米財界人會議は年一囘、日米の經濟界のリーダーが集まり、テーマ毎に幾つかの分科會に
分かれて討議を交はし、意見を取り纏めて共同聲明を出す。開催場所は日米で交互に受持、9
8年の開催は日本の番であつた。
 日本側の出席者は同會議の日本側議長である槙原稔三菱商事會長始め、今井敬經團連會長、
牛尾治郎經濟同友會代表幹事、根本二郎日經連會長稻葉興作日商會頭以下、大手企業トップが
勢揃ひだつた。一方の亞米利加側は議長のマイケル・ジョーダンCBS會長以下、メロン銀行
のフランク・カラエ會長兼社長、フォード自動車のウェイン・ブッカー副社長等、此れ又さう
さうたる顏ぶれが揃つてゐた。
 然し、もう一つ注目すべき事がある。此の日、東京に來てゐたのは、彼等公的立場にある大
物、云はば「表のドン」達だけでは無かつた。
 國際政治・經濟の底流をウォッチする人物から「ロスチャイルドも來日してゐるらしい」と
云ふ情報が寄せられたのは、13日當日であつた。「いづれにしろ、みんな”參院選後も橋本
龍太郎續投”を前提にしてゐるだけに、橋本辭任には多少とまどひがあるやうだ」とも、 彼
は附け加へた。
 ロスチャイルド家と云へば、世界の政治・經濟に大きな影響力をもつ巨大な財閥グループで
ある。英吉利、佛蘭西、和蘭、香港、亞米利加等に據點を持つ一族のネットワークは、金融を
はじめ産業界全てに及んでゐる。だが、其の一方で一族の誰もが政界、經濟界で公的な立場に
立つことはなく、各國元首や世界的大企業のトップほどには知られてゐない。
 ロスチャイルドと云ふ名も、フリーメーソン同樣に現實離れした陰謀論的な印象を受けるが
(全然理解出來ない。どうしてお金が貯まつたのか考へてゐない言葉である。現實離れの言葉
を出してゐるのはあなたですよ。歴史を通して物語つてゐないのです!忍)、5人の兄弟が世
界に散らばり、其れぞれの國で銀行家等の道に進み、繁榮を謳歌してゐる事は紛れもない事實
である。
 餘り表に出る事はないものの、日本でも大手町のビルに英吉利系のMNロスチャイルド、ロ
スチャイルド・アセットが事務所を開設してゐる。事務所の壁はロスチャイルド・ピンクと呼
ばれるカラーで統一され、5人の兄弟を象徴する五本の矢を一本のリボンが結んでゐるロスチ
ャイルド家のシンボルが掲げられてゐる。
 同家の人間は、時折其の紋章である五角形の楯マークの指輪をつけ、ロスチャイルド一族で
ある事をさりげなく誇示する。其の影響力を知る者は、誰しもが一種の畏敬と畏怖の念をもつ
て接すると言はれてゐる。其のロスチャイルド家の人物が來日すると云ふことから察しても、
7月13日が如何に重要な意味を持つ日であつたかが分かる。
 ロスチャイルド家にパイプを持つ國際金融の專門家から確認出來たプロフィールによると、
來日したロスチャイルド家の人物は香港を據點とする同家の「アジア總代理人的立場」にある
と云ふことだつた。
 此の日の東京には、國際經濟の表と裏の超大物達が集結してゐたのである。

 BIS總會や財界人會議等、其れぞれ名目は異なつても、彼等の目的は、東京で一堂に會
し、危機にある世界經濟の立て直しを目指して日本が負ふ役割を自覺させ、「やるべき事を
やれ」と駄目押しする事であつた。「大手銀行は一行たりとも潰さない」と云ふ護送船團方
式(鎖國政策)を止めさせ、弱肉強食、優秀劣敗の原則が支配する、金融ビジネスの完全開
國を求める。まさしく「砲艦外交」である。
 とりわけ亞米利加・クリントン政權の對日要求は嚴しく、ルー罎財務長官、サマーズ同副
長官は、邦銀の詳細な經營内容のデータを基に、具體的な銀行名をあげて整理淘汰を迫つた、
と云ふ。
 破綻金融機關はバラバラに解體されて外資に買はれ、健全とされる銀行も、生き延びる爲
には、擔保不動産を二束三文で外資に賣却する事を餘儀なくされる。そんな機關が見えてく
るほどに、金融關係者を中心に、大東亞戰爭敗戰に續く「第二の敗戰」なる言葉が生まれた
のであらう。
「プライド・オブ・ボルティモア?世號」は、かつての黒船同樣、數日間、東京灣に碇泊し威
容を見せつけた後に、悠然と去つてゐた。フリーメーソンの内部文獻を見ると、物事を象徴的
な事を結びつけてゐる。其れは「萬物を見通す眼」(此の萬物見通す眼は譬喩表現で、此の象
徴的マークは、惡魔が惡魔王國を建設する目[政治權力を握る]を意味してゐる!忍)であつ
たり、數字であつたりする。複雜な階級位階が三段階、33段階等一定のルールがあるやうで
ある。「プライド・オブ・ボルティモア?世號」來日の日附13日の13(此れは、ムー大陸
が沈んだ日を意味してゐて、そしてイエス・キリスト樣が十字架をかけられた日でもある、不
吉な日を意味してゐる。此の日を喜びに表す人は惡魔「反キリスト」を意味している。そして
キリスト教の「愛の教へ」を抹殺する事を意味してゐる!忍)も其の一つであるが、果たして
偶然の符號であらうか?


◎開國論◎

●ペリーによる開國論

 メーソン國家としての亞米利加と日本の關はりは、實は日米關係其のものと云つていいんで
す。と云ふのも、145年前に黒船艦隊を率ゐて日本に開國を迫つたあのペリー提督がメーソ
ンだつたからです。
 マシュー・ペリーはニューヨークのポーランド・ロッジで會員に成つた。山屋氏は其の著書
『日本のフリーメースン』(あさま童風社)で、ペリーを「記録上證明出來る訪日メーソン第
一號」としてゐます。
 ペリー提督は1853年に4隻の艦隊を率ゐて浦賀に來航し、友好通商條約の締結を求めま
した。艦隊の内2隻が蒸氣船で、其れまで帆船しか見た事のない日本人を仰天させ、「黒船來
襲」と大騒ぎに成つたものです。此の時ペリーは、要求だけ突きつけて一旦引き上げ、翌18
54年春に再び來訪した。日米和親條約の締結にこぎつけました。
 此の二囘に渡る來航時、ペリーが「禮砲」と稱して幕府を威嚇したとか、船上でメーソンの
儀式や會合が行はれた等、樣々なエピソードが傳へられてゐます。
 當時の徳川幕府は、海外諸勢力との交流や交易は長嵜でしか認めてゐませんでした。海外か
らすれば、明らかな規制です(自國の安全を守る爲に鎖國を行つた事實を否定してはいけな
い!忍)。ペリーの主張は、

 「亞米利加は其のやうな規制は受け入れない」

 と云ふものです。開國要求とは、まさしく「規制緩和」だつたのです。亞米利加からの最初
の規制緩和要求がメーソン結社員の手で行はれたと云ふのは、實に象徴的な出來事と云へま
す。ペリーを日本に遣はした當時の大統領フィルモアがメーソン結社員であると云ふのは初耳
ですが、さうであるとすれば日本と米國メーソンとの因縁は實に深いと云ふことに成りますね。

◆ペリーは、「日本との通帖條約締結」「蒸氣船の燃料である石炭や食料の補給」「遭難船員
の保護」を求めるフィルモア大統領の親書を携へて來航した。當時の亞米利加は、イギリス・
佛蘭西・和蘭・露西亞等、他の列強同樣、アジア進出を目指して虎視眈々としていた。
 とりわけ其の最終標的を支那に置いてゐた事は、各種文獻・資料からも明らかである。
其の亞米利加にとつて、日本は支那への足場として地政學上、極めて重要な位置にあつた。
來日前、ペリーはメキシコとの間で起こつた米墨戰爭で將軍として戰ひ(其の意味ではペリー
も米軍出身である)勝利した後、メキシコにゐた支倉常長の遣歐施設がメキシコに遣した日本
人子孫から、地政學上の日本情報を收集してゐた。
 當時、ペリーは琉球(沖繩)を經由して上海に滯留し、翌年も沖繩を經由して再訪してい
る。亞米利加の對アジア戰略上、沖繩はまさしくキイストーンであり、其れは現在に至つても
變はつてゐない。
 日米和親條約(b奈川條約)は、1858年の日米修好通商條約へ發展する。他の列強も亞
米利加に刺戟され、1854年10月の英吉利を皮切りに、56年までに露西亞、和蘭が日米
和親條約と同樣の條約を締結した。
 亞米利加は通商條約により、日本の五つの港で亞米利加人が亞米利加の法律の下で居住出來
る權利を獲得、交易に就いても亞米利加側が決めた關税による最恵國待遇を受ける事が出來る
やうに成つた。勿論、他の列強も此れに習ふ事に成る。

 「1859年、ハリス(米國初代領事のタウンゼント・ハリス)は公使として江戸の公爵館
に住む事に成つた。時を移さず、英吉利・佛蘭西・和蘭・露西亞が江戸に代表部を開いた。列
強は手を組んで行動した。彼等は新たに獲得した『條約上の權利』が侵された場合には砲艦の
存在をちらつかせ、日本が不滿や叛抗の色を露にしやうものなら懲罰行動に出た。此の時期か
ら19世紀末までの日本は云はば半植民地だつた。歐米列強の代表達は、貿易の全てを管理
し、税率と價格を決め、沿岸通行を獨占し、日本の金を吸い取り、99年間の租借權と治外法
權に守られて日本に住んでゐたのだ。列強は、自分達の植民地と支那で享受する特權的立場を
日本にも持ち込んだ。
 此の期間、ほぼ45年間に亙つて、日本は歐米列強の直接『指導』のもとで『改革され、再
教育された』のだ」

 此れは1946年、GHQの諮問機關「勞働政策11人委員會」のメンバーとして來日した
米國のアジア專門家、ヘレン・ミアーズ女史の『亞米利加の鏡・日本』(伊藤延司譯、アイネ
ックス)の一節である。此の著作は占領下の1948年に亞米利加で出版されたが、マッカー
サーが日本での出版を禁じた、云はくつきの著作である。1953年に解禁されたものの注目
を浴びる事なく絶版に成つてゐたが、95年に再度、飜譯出版がなされた。
 ヘレン・ミアーズ女史は、聯合國が日本の戰爭責任を問ひ、憲法や諸制度の改革に着手して
いる中で、日本研究家として日本人と日本社會の成り立ち、戰爭に至る近・現代史を冷靜に分
析してゐる。彼女によれば、開國以來の日本の行動は、歐米列強による「改革」と「指導」の
結果であり、自分達が裁き、「改革」しようとしてゐる日本は、自分達自身の姿(亞米利加の
鏡)だ、と鋭く指摘してゐる。
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然し、日本が負け、占領されたのは事實です。そしてGHQの指令の下、國の根幹から、憲法
から、システムが全て變はつた。日本は全く新しい國として出直す事に成る、とみんなが思つ
てゐました。
 其の新しい日本の指導者がマッカーサー元帥であり、GHQと云ふわけですが、司令官以
下、大半がメーソンだつたと云ふ事實は、當時も今も知る人は少ないやうです。然も、戰爭開
始から集結、戰後處理までを取り仕切つたF・ルーズベルト、トルーマンの二人の亞米利加大
統領が、共にメーソンだつたのです。此の事からも、戰後日本がメーソンの理念に沿つて再設
計されたと云ふことが分かります。
 幕末の開國と戰後の開國と云ふ、近代日本にとつての歴史の大きな節目にメーソンが深く關
わつてゐる事を知る人は希でせう。然し此の事は、日本及び日本人にとつて、決して無視出來
ない歴史的事實です。然も其れは今も生きてゐる現實なんです。


●全能のbマッカーサーによる第二の開國

 マッカーサー元帥は、周知のやうにウェストンポイント陸軍士官學校で卒業した超エリート
軍人です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 厚木にあつた舊海軍基地に、軍用機から降り立つたのが、1945年8月30日でした。
 元帥はとり敢へず横濱税關ビルにGHQを設置し、間もなく東京・丸の内にあつた第一生命
ビルに移轉しました。其の元帥を昭和天皇陛下を訪ねたのは、同年9月27日でした。
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 マッカーサー元帥にとつて最重要事項が、周知の通り、戰後日本の方向を決める新しい憲法
の制定でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆新憲法制定に當たつては、日本側草案が蹴られ、マッカーサー元帥に基づき、ケーディス大
佐(マッカーサー元帥の側近No1とされる民政局長ホイットニー准將の下で、對日占領政策
をリードしてきたとされる)が仕上げたと云ふのが定説と成つてゐる。
 此の間の經緯を日米の關係者から取材し、關聯文獻も調査した在米ジャーナリスト・大森實
(元毎日新聞外信部長)の著『日本は何故 戰爭に 二度負けたか』(中央公論社)によれ
ば、元帥が書いたメモを基に、ケーディス大佐がマッカーサー元帥の指令で草案を書き上げる
までに要したのはわづか一週間。其れを當時の幣原首相、吉田茂外相らに、ホイットニーやケ
ーディスが

 「此の通りやれとは言はないが、やるべき基本原則は全部書いてある」

 と示したと云ふ。然も此の時、日本側に與へられた檢討時間はわづか15分。

 「マッカーサー元帥は、此れに劣る策は如何なるものも考慮に入れな
 い。此の案の基本方針に反しない些細な修正には應じ得る」

 と云ふホイットニーの言葉を引用しつつ、大森氏は、

 「其れはまるで問答無用で、犬養毅が海軍士官に遺した言葉を彷彿さ
 せる。我々戰前派には、シンガポール攻略をやつた山下奉文大將が、
 軍刀の柄に手をかけてパーシバル英司令官を降伏させた時と變はるも
 のではなかつたと思へるのである」

 と論評してゐる。

 「(1946[昭和21]年2月13日に、ホイットニーから突きつ
 けられたマッカーサー原案を基に、幣原内閣が日本の憲法改正草案要
 綱を發表したのは3月6日であつた。立派な顏を連ねた憲法問題調査
 委員會等、全く存在價値はなく、僅か21日間の迅速作業で出來上が
 つた此の憲法草案は、幣原内閣から吉田内閣へ引き繼がれ、6月20
 日に總選舉後の帝國議會に提出された。衆議院で二箇月、貴族院で一
 箇月の審議を經て可決され、天皇の裁可を經て可決され、昭和21年
 11月3日に公布されたのである」

 大森氏の此の著作では、所謂「亞米利加による押し附け憲法」論の根據が、ケーディス大佐
はじめ、當時の關係者の證言・文獻を基に詳細に明かされてゐる。其れはまさしく、ペリーに
よる「第一の開國」に續く、「第二の開國」と云ふ表現がピッタリ當てはまるものであつた。


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 其の新憲法は、「マッカーサーの亞米利加」によつて作られました。そして、其れと同時
に、マッカーサーの指示のもと、日本でのロッジ設立計劃がGHQによつて協力に進められて
ゐた事を知つたはけです。とすれば、憲法制定と同樣に、メーソン設立も亞米利加の占領政策
の一環だつたと云ふことに成ります。
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◆占領直後から始まつたGHQによるメーソン設立の動きと新憲法制定との因果關係を知る上
で、極めて興味深い資料がある。既に絶版に成り、、著者も他界してゐるが、1967年(昭
和42)に出版された『人間と世界の改造者ーー樂園を作るフリーメーソン物語』である。著
者は「山石太郎」のペンネームをもつ田尾岩太郎氏である。
 昭和初期に滿鐵調査部に入社(滿鐵調査部は、ゾルゲスパイ事件の首謀者である尾嵜秀美が
居た會社である)、其の後、大東公司、北支那開發會社等に籍をを置き、大陸の經濟開發に當
たり、終戰と共に歸國した田尾氏は、郷里でロータリークラブの役員を務め乍らフリーメーソ
ンの研究に沒頭。1952年(昭和27)に上京し、世界聯邦國際學會員として各國の有志と
合流。メーソン經濟哲學による人間主義の組織形成に就いて研究したと云ふ、特異な經歴の持
ち主である。
 田尾氏の「人間と世界の改造者」の内容は、元滿鐵社員の日本人がメーソンに加入、其の思
索的研究の早さと深さで忽ち高位階の到達し、メーソンの最高長老や世界各國の有力人士との
交流を通じ、メーソンを研究し、其の成果を小説仕立てで纏めた印象。とりわけ史實に關する
部分は、情報收集・分析の專門家らしく、きちんと裏附けをとつて描冩してゐると云ふ説得力
をもつ。
 同書の第2章『日本解放』では、1943年(昭和18)7月、ニューヨークにメーソンの
長老達が集結し、聯合軍首腦が戰後處理案を話し合ふカイロ會談、テヘラン會談に向けて、人
類共同體づくりのプログラムを檢討し合ふ場面が描かれてゐる。其れらの討議は各部會に分か
れて行はれ、當然、日本解放部會(如何にも共産主義思想である事が分かる。要するに過去の
日本は、封建的で、遲れてゐるから解放するのであると言ふ意味に成つてゐる。日本の古き傳
統の良さを理解してゐない!忍)なるものも開かれる。
 此の部會では、戰爭集結の方法や戰後の日本をどのやうな體制にすべきかが討論され、當面
の占領政策と天皇や軍の處遇、新しい憲法と經濟・社會體制づくりが話し合はれる。
 其の結果、

 「戰後の日本管理は亞米利加、英吉利、蘇聯、支那の4箇國からな
 る對日理事會を含む極東委員會が11箇國で構成され、其れによつて
 行はれる」(原文ママ)

 ことが決定した。日本解放軍(共産軍!忍)としての聯合軍司令部は極東委員會の統括の
下、當時のGHQ體制が此の時點で決まつた、としてゐる。
 此の基本構想は、關係各國にアドバイズされると同時に、メーソンの長老である大統領ルー
ズベルトにも傳へられてゐる。著者は、支那の蒋介石、英吉利のチャーチル、蘇聯のスターリ
ン等との首腦會議を前にしたルーズベルトにかう言はせてゐる。

 「日本解放部會の收穫は眞に素晴らしい。此の是非とも、みのらせて成
 功させねばならない。其處で私は、專門職のメーソンを300名(此れ
 は、英國の300人委員會を捩つてゐるのではないか!忍)集めて、解
 放指導者に教育して解放軍に編入するのが尤もよいと云ふ考へ方に達し
 た」

 1943年(昭和18年)と云へば、日本は「戰鬪眞最中」と云ふイメージがあるが、聯合
軍は既に勝利を確信してゐた事は、數々の文獻、資料でも明らかである。1943(昭和1
8)年11月のカイロに於るルーズベルト・チャーチル・蒋介石の會談を經て、1944(昭
和19)年10月のチャーチル・スターリンの會談では、戰爭をいつ、如何なる形で終はらせ
るか、其れぞれの權益への思惑を胸に祕めつつ、其の收容策が話し合はれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 只、先述の大森氏も其の著書で、

 「日本人には想像もつかない事かもしれないが、亞米利加は、戰爭が始
 まり、戰鬪の繼續中から、國務省と、陸海軍がSWNC(State,
 War,Navy其れぞれ政治、經濟、勞働、文化等の專門分野別に、
 對日占領政策を練つてきたスタッフが、マッカーサーのGHQに派遣さ
 れて、自分達の手で作つた制作案通りの、占領政策を實地する事になつ
 てゐた」

 と指摘してゐる。
 田尾氏の展開する物語が云ふやうなメーソンの長老會議があつたか否かはともかくとして(
此れが一番重要な問題なのに、其れを無視してゐる。メーソンは、ユダヤ教から出來てをり、
此れは、當時、陰謀者である[イエス・キリスト樣を信じないユダヤ教徒が欺いてキリスト教
徒に成り濟ましてゐた]ユダヤ教徒が作つた事を考慮してゐない。此の問題は宗教問題であ
り、靈界の問題でもある。其処から、此の長老會議は、ユダヤ教徒の長老會議を指してゐる。
ユダヤの本家は日本である。イスラエルが其れを認め、最長老であるイエス樣を認める事であ
る!忍)、SWNCと云ふ占領政策實行グループが早い段階で編成されてゐたのは間違ひない
やうである。


●ウォール街の代理人ルービンによる第三の開國

 ペリー提督やマッカーサー元帥が武力による實力行使、云はば砲艦外交時代の”開國”の主
役であるとすれば、現代は經濟の核である金融システムを日本は今解體され、完全開國を迫ら
れてゐると云ふ事でせう(此の國際金融銀行家が、全ての惡の計劃を建てたのである。此の傳
統は、バビロン金融システムから來てゐるのです。だから、砲艦外交が無くなると云ふ事が、
あり得ないのです。現實に、中華人民共和國[裏で援助してゐるのが國際金融家達である]が
行つてゐますから!忍)。
 現代のやうに情報化された時代には、ペリーやマッカーサーの樣に亞米利加の意志を體現外
交儀禮もあるでせう。一應、政府間交渉と云ふ形をとり乍ら、政治・經濟・軍事全ての分野に
わたり、「開國」と「規制緩和」を綜合的に進めていく筈です。
 亞米利加大統領ビル・クリントンは、メーソンの青年組織「ディモレ」の出身である。メー
ソンには入つてゐませんが、其の關聯團體と見られてゐる外交問題評議會(CFR)等、世界
のVIP達で構成される組織には入つてゐるのではないでせうか。クリントンと似たタイプの
民主黨出身の大統領ジミー・カーターも、メーソンには入つてゐませんが、日米歐三局委員會
(TRC)のメンバーださうですから。

◆亞米利加の世界戰略に大きな影響力を持つと云ふCFR(外交問題評議會)、TRC日米歐
三局委員會、BB(ビルダーバーグ會議)、S&B(スカル&ボーンズ)と云つた組織は、亞
米利加内外の各界のトップクラスのエリートで構成され、各會議の討論は、有形無形に亞米利
加國策決定に影響を與へてきた。會議の開催・討議内容・結論等、公に成る場合もあれば、な
らない事もある半公然・半非公然の組織である。
 此れらの會議は、いづれも倫敦のシティやニューヨークのウォール街を取り仕切るロ
スチャイルド、ロックフェラー、モルガン國際的な金融資本と資金や人脈で密接な關係をもつ
てゐる。只、メーソンほど古い歴史はなく、近代から現代にかけて組織されたものである。
 日本人が加はつてゐるのは尤も新しいTRCで、初期は宮澤喜一現藏相や故・渡邊武元アジ
ア開銀總裁等さう多くはなかつた。然し、日本の經濟力が大きくなるにつれて、會員も増加。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 クリントンはBB、CFRなどの會員であり、加へてディモレーの出身とあれば、此れら全
てに關與する國際金融資本の人脈に繋がつてゐると云ふことに成る。
 此のクリントン政權下の閣僚や主要官僚達の殆どが、先の樣々な組織のどれかに屬している
が、經濟、特に金融政策を擔ふのは何と云つても財務長官である。亞米利加の歴代財務長官は
殆どがウォール街の出身者で占められ、其れが亞米利加の云はば不文律ともなつてゐる。

 クリントン政權の財務長官、ロバート・ルービンも其の例に漏れず、政權入りする前にはゴ
ールドマン・サックスの共同會長を務めてゐた。ゴールドマン・サックスと云へば、シティバ
ンク・メリルリンチ、ソロモン・ブラザーズ、モルガン・スタンレー等と共に、目下、日本で
も尤も活動が目立つ外資の一つである。其のビジネスの苛烈さは外資の中でも、1、2を爭
ひ、平成9年の山一證劵經營破綻の際、株價下落の要因と成るカラ賣りで先陣を切つてゐたの
も同社なら、不動産の買ひ叩きでも活溌な動きを見せてゐる。
 ルービン財務長官がコンビを組むサマーズ副長官は、ハーバード大學で榊原英資財務官と舊
知の間柄である。BB、CFRの會員でもあり、金融政策の執行役として日本に不良債權處
理、規制緩和、景氣對策を矢繼ぎ早に、かつ強硬に申し入れる其の姿は、まさしくペリー、マ
ッカーサーと竝ぶ者である。ルービンを鋪佐するのが、表が此のサマーズ副長官、裏がジョー
ジ・ソロスと云ふ編成なのである。


◎東京空爆と水交社との關係◎

 解散させられた水交社も、解散指令が解かれた後の1954年(昭和29)、新たに財團法
人、「水交會」として復活する。戰前の海軍エリートの倶樂部も、舊會員に海上自衞隊現役、
OB、其の家族らも含めた幅廣い親睦團體として再出發した。
 其の水交會理事で事務局長を務める中村進一郎氏は、

 「水交社ビルが東京大空襲の下でも無傷で殘つた事。そして戰後すぐ
 接收されたところを見ると、丸の内界隈同樣、戰時中から殘すべきと
 ころとして位置附けられてゐたとしか思へません」

 詰り、水交社ビルも終戰後に使用する施設として、爆撃目標から除外されてゐたのではない
かと言ふのである。

 「米軍は日本の高射砲の射程距離がどのくらゐか、其れらがどこにど
 れだけ配置されてゐるかも先刻承知だつたのではないですか。私らが
 いた東京の下町なんて、其れは悲慘なものでした。高射砲が迎撃して
 も米軍機には屆かない。射程距離の上空からバンバン爆撃を投下して
 くる。下町なんて木造小屋と同じやうな町工場許り、一面燒け野原
 に成るのは當たり前です。私ら庶民が最大の被害を受け、偉い人達が
 いる都心や高級住宅地は、其れほどではなかつたんでせう」
 (東京大空襲を經驗した下町の商店主)

  勝敗の歸趨が既に明らかに成つてゐる1945(昭和20)年3月、B29爆撃機約3百
機の大編隊が東京を集中爆撃。死者8萬9千人、負傷者4萬人、罹災者百萬人と云はれる被害
を受けたが、被災地の殆どが現在の、江東・臺東・葛飾・墨田等、下町に集中してゐた。
 此の東京大空襲の攻撃目標が日本の中樞であれば、當然、現在の永田町・霞箇關・丸の内が
集中的に狙はれたはず。ましてや水交社ビルは、日本海軍のエリート士官が集まる所であるから、中村氏が「攻撃目標からは外されてゐた」考へても不思議はない。
 其れに關してもう一つ注目すべきは、水交社ビルと道路を挾み、眞向かひにある「日本聖公
會」である。日本グランド・ロッジのある舊水交社、現在の「第38メソニック森ビル」の眞
正面に、其れは位置してゐる。近年、改築されたらしく、比較的新しい教會が2棟、メソニッ
ク・ビルから見て左側が「聖アレジオ教會」、右手が「聖オルバン教會」である。聖オルバン
教會前に掲げられた木板の説明書によれば、「英語による聖公會(英國國教會)の禮拜は、こ
の地で1879年以來續けられてゐます・・」と書かれてゐる。明治12年から、英國國教會
の禮拜が此の地で行はれてゐたはけである。
 英國國教會とフリーメーソンの關係は可也古くから深いものである。フリーメーソンが英國
で廣まり、やがてコンノート公をはじめとする王室にまで深く關はつていつた背景には、カト
リックとは異なり、英國國教會が此の特異な團體を認めた事が大きく影響してゐる。
 其の英國國教會の日本に於る據點が水交社の前に位置してゐる事が、水交社ビルの存在價値
を高めたのであらうか。

『日本に君臨するものーフリーメーソン日本ロッジ幹部の證言』より

日本に君臨するものーフリーメーソン日本ロッジ幹部の證言
http://hiroshima.cool.ne.jp/h_sinobu/Japan_Hurimeson1.html
 
 
 
 
 
 
一九八一年に出版された、ユダヤ人が書いたとされる奇書
「日本人への謀略」から、今、日本人が學ぶべきこと。
更新 平成18年07月05日23時12分

平成十八年(二〇〇六年)七月五日(水)(第一千七百三十一囘)

○アブラハム・ラーウィ著、黒田寛譯
 「日本人への謀略―あるユダヤ人の證言」(Plot against the Japanese.)
 一九八一年、かんき出版、絶版 。
○此の本は奇妙な本である。
○あるユダヤ系亞米利加人が、日本に對して仕掛けられつつある亞米利加
 の謀略に就いて警告する書、と言ふ。
○ 「われわれ西洋の人間は、基本的には肉食民族であり、東洋の民族に
  比べると、はるかに獰猛な性向を持つてゐる事を忘れないで欲しい。」
  (4頁)
○ 「日本の保守系現政權は、恐らく、亞米利加の要求をいやいや乍ら、
  次々と呑まざるをえないであらうし、徐々にではあつても、亞米利加
  が仕掛けた『自己弱體化』への道を走る事に成るであらう。

   日本人の見る道路標識には、日本人好みの行先が書かれる事にな
  るだらうが、裏側を見れば、英語で違ふ行先が印刷されて居る筈で
  ある。

   親愛なる日本の讀者諸氏に申し上げ度いのは、自分が運轉して居る
  道路上での道路標識を見る場合、其の標識は、いつ、誰が、何故、其處
  に立てたのかを、一寸立ち止つて考へて戴き度いと云ふことである。

   運轉手はあなたなのだから、其の道を走つた責任はあなたにある。
  亞米利加人が無理に其の道を走らせたのだ!と云ふ言ひ譯は、もう役
  に立たない。」(217〜218頁)  

○此の文章が、一九八一年(昭和五十六年)に書かれてゐる事に注目し
 なければならない。
○前出の文章は、日本フリーメーソン最高幹部の證言をもとに作られた
 「日本に君臨するもの」(一九九八年刊、絶版)の中に、一部引用さ
 れてある。
○亞米利加は、日本の「自己弱體化」政策を實行して居ると言ふ。
○「自己弱體化」とは、
 日本自身が、自分を弱體化する事、を意味する。
○日本が、或いはより正確に言へば、日本の政府、日本の國家權力、
 日本のエリート權力階級自身が、日本を弱體化する政策を實行する、
 と言ふ。
○勿論、日本のエリート權力階級、日本の政府與黨が、公然と
 「正直」に、「ありのまま」其のことを、日本國民に向かつて、
 知らせるわけはない。
○そんなことをしたら、
 日本國民の信と支持をいつぺんに彼らは失ふであらう。
○從つて、日本のエリート權力階級は、
 自由の日本國民を徹底的にペテンにかけなければならない。
○敗戰後六十年餘、
 すべての日本政府、すべての日本權力エリート階級は、
○占領軍、占領國のご主人さま米國(イルミナティ)の命令通り、
○日本の長期的弱體化政策を實行しつつ、
○日本國民に對しては、うまい話しをでつち上げるペテン師、として
 立ち囘る事を要求された。
○此の演技をたくみに實行するエリート權力者は、米國(イルミナティ)
 のご主人に高く評價され、
○其のペテンが下手なもの、
 又は、内心其のことがイヤでたまらないもの、本心では、日本國民を
 裏切つたりし度くないと強く思つて居るやうな「危險人物」、
○さうした日本の權力者たちは、
○忽ち、ご主人さま=米國(イルミナティ)によつて罰せられる。
○場合によつては、「暗殺」の對象と成る事さへあり得る。
○本書は、公刊當初は、なんの反響もなしに消えたやうにも思へるが、
 今、改めて此の本を讀み直すことは必要であらう。

 (了)


太田龍の時事寸評
一九八一年に出版された、ユダヤ人が書いたとされる奇書
「日本人への謀略」から、今、日本人が學ぶべきこと。
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/cgi-bin/jiji.cgi

太田龍の時事寸評
一九八一年に出版された、ユダヤ人が書いたとされる奇書
「日本人への謀略」から、今、日本人が學ぶべきこと。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1834643&tid=a32a30a31a32gafa31a327n2bcbddca1a1bf73c8a9a1a1a5aaa5u2q&sid=1834643&mid=43

その他の此處書籍に關聯する情報


ジャパン・ハンドラーズと國際金融情報
映画「太陽」とYAMATO DYNASTY
http://amesei.exblog.jp/3520557/

日本人が知らない恐るべき眞實
フリーメーソン幹部の証言@
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060901

株式日記と經濟展望
近代日本の転換點全てにフリーメーソンが關與してゐる。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/d/20060907


此處本は調べたら馬鹿馬鹿しい値段が附いてゐた。
發賣されて直に市場から消えた樣で、なかなか手に入らない稀覯本の様である。
讀んだことが無い人は圖書館にでも行つて讀んでみることをお薦めする。

日本の國策(官民兩方)及び世界の政策を立案する代表的機關

財團法人日本國際交流センタ―
http://www.jcie.or.jp/japan/

FOREIGN AFFAIRS JAPAN
http://www.foreignaffairsj.co.jp/index.htm

日本側の代表的な重要人物


大來佐武郎
大來佐武郎 - Wikipedia
http://rd.search.goo.ne.jp/click?DEST=http://ja.wikipedia.org/wiki/%25E5%25A4%25A7%25E6%259D%25A5%25E4%25BD%2590%25E6%25AD%25A6%25E9%2583%258E&no=2

山本 正
山本 正 | 人名事典 | THE 21 なんでもランキング | お楽しみ | PHP研究所
http://www.php.co.jp/fun/people/people.php?name=%BB%B3%CB%DC%A1%A1%C0%B5


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