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ザ・太田竜のカゲキな半生
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投稿者 パルタ 日時 2006 年 10 月 18 日 18:14:46: BeExvDE2jO5d2
 

太田竜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
太田 龍(太田 竜。おおた りゅう、1930年8月16日 - )は、日本のユダヤ陰謀論者。 本名、栗原 登一(くりはら といち)。 樺太豊原町出身。東京理科大学中退。元日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)委員長。
経歴
1945年10月に青年共産同盟(のちの民主青年同盟)に加盟、1947年、日本共産党党員になったのを皮切りに、1953年に日共離党、黒田寛一等と1955年に第一次革共同を起こすが、分裂。トロツキストになり、第四インターナショナル日本支部の支部長になるが分裂、1967年に第四インター離党、同時に第四インターBL(ボルシェビキ・レーニン)派・武装蜂起準備委員会-プロレタリア軍団結成。1970年頃に脱党。同党から死刑宣告される。同年頃より竹中労・平岡正明らと3バカゲバリスタと呼ばれる仲になり「世界革命浪人」と自称する。1972年にはアイヌ革命論者となり、北海道庁爆破、白老町長および北海道知事に「死刑執行」を宣告(ただし実行犯とは別)、土着革命論など紆余曲折と転向を重ね続け、立場を転々とし、現在は歴史学の立場からのユダヤ論者。また、自然食運動(家畜制度全廃)を主張している。反ユダヤ主義者に転向した後は太田 龍の表記を用い、現在は、『週刊日本新聞』編輯主幹。なお、「転向後」は白老町長襲撃実行犯に対して、自分は関係ないことを表明している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E7%AB%9Cより抜粋


60/70年代を語る――「煉獄回廊」を中心に 4  聞き手・栗原幸夫
5 小説家・野崎六助
  七〇年代の後半というのはそれがいろいろごっちゃになっているわけです。『煉獄回廊』に書いたみたいな体験と、自分なりに自分の世界を確立して物書きとしてやっていきたい、というのと、いろいろせめぎ合っていたというか。振り返ってみれば、要するに腰が座らなかったということなんです。
 太田竜との一件もそれなんですよ。今は笑い話ですけど、結局それだけを手掛かりにして、公安のバカにあいつは爆弾犯じゃねえかっていう目星をつけられた。一連の神社爆破闘争ですね。嫌疑をかけられたのは、西部講堂に出入りしていた私ともう一人と二人いたんですよ。公安に苦しめられた体験というのはほとんど『煉獄回廊』に書いたそのままなんですけれど。いったい何で、というようなばかげた感じがするんですよ。何で俺が爆弾を作れるんだと。
栗原 滝田救援会にも関係していたんですか?
野崎 あれはフィクションです。あれは救援会の内部のことは書いてないでしょう。精神病院の内部もそうです。開放病棟にいる病院の患者がじっさいに芝居をやったという設定は事実です。その芝居は客席から観ていますが、小説の場面のように、わたしは役者で出ていません。
60/70年代を語る――「煉獄回廊」を中心に  聞き手・栗原幸夫
『文学史を読みかえる6 大転換期 60年代の光芒』 2003.1 インパクト出版会
http://www002.upp.so-net.ne.jp/nozaki/rengoku/ren-in04.htmlより抜粋

若者へのメッセージとしての映像 松田政男 '92/8/1
70年と現在を埋めていくもの
略 
67年11月1日といえば10・8と11・12との二つの羽田闘争の中間にあたる時点ですけれども、その段階ですでに私としては街頭闘争の量的拡大に一般市民を巻き込んで行くという方向だけでは、全情勢をラジカル化することはできないと考えていた。そして、「過渡期における革命主体の形成にとつて必要なのは、再び言う、『前衛』への結集ではない。『遊撃者』の分離である」という戦術思想に到達するために、私は少数の友人たちと共にレボルト社という小さなグループを組織して『世界革命運動情報』という雑誌を発行しつづけ、『怒りをうたえ』の第三部が終わった以降の時点で「結合の前の分離」へと踏み出すことになる。ここから先は話が生臭すぎて異論もあるかと思うんですが、いずれにせよ私たちはたとえばパレスチナの地へ飛んで、そこから日本を包囲すべく逆流してくるという道を選び取ったわけです。この「前衛」の視点ではなく「遊撃者」の視点からする「革命主体の形成」論は、当時も今も滑稽なピエロ扱いを受けているとしても、私としては自ら選び取った戦術思想に即してしか行動するほかなかったんで、私自身もアラブへヨーロッパへと飛び、武運ったなく逮捕されて日本へ送還されてしまうんですね。
 この過程への全段階はむろん『怒りをうたえ』では映されるはずないんですが、それでも改めて『怒りをうたえ』を見直すことによって、70年安保当時に自分たち自身が立脚した戦略思想ないし戦術思想の正否を点検し直すよすがにはなる。なし崩しに軌道修正したり転向したりするんではなくて、当時の自分の発言や行動にどう責任をとるか考え詰めて行くことで、単なるノスタルジー談義から脱却できるのではないか。私としては依然として戦術思想の局面で昔の発言の延長線上に、この日本のなかに大量に流入しつつあるアジア、アラブ、アフリカなどからの移民労働者たちと手を結んで、この首都の心臓部を内側から逆包囲して行く方向に立って、そこに残り少ない後半生を賭けて行くことにおそらくはなるのでしょう。
新しい出会いと出発点として
 おかしな始め方をしたのでおかしな終わり方で締め括っておきますと、この明大駿台祭のパンフレットには私以外にも何人かの人が書いています。そのなかのひとり栗原登一は別名・太田竜で、今や地球維新党を名乗って、諸悪の根源はすべてパリサイ派ユダヤ人の陰謀にあるなんて先頃の参院選挙で言ってました。また私より年長の山口健二はポーランドからウクライナへと入って、ヨーロッパのアナーキストの連合を作り出すべく潜行中です。さらに当時も今も無名のままに生きている学生諸君は今どこでどうしているのやら、まさしく「遺恨十年一剣を磨く」どころか十年も二十年も、一剣どころか二剣も三剣も磨きつづけていることでしょう。旧ソ連崩壊後の大転向状況に抗して、『怒りをうたえ』の再上映はこうした市井無名に埋もれて行った人々の出会いを再び実現してくれるかも知れないし、また出会いがそのまま新しい別れになってしまうかも知れないとしても、今こそ何かが始まらなくてはならない時だと思います。その出発点になればと念じて、三浦さんのお誘いを受けて馳せ参じた次第です。
(まつだまさお 映画評論家)
※八・一集合の発言を編集者の責任で要約したものです。
http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/starthp/subpage09.htmlより抜粋

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