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誤報の効能 [どん底あるいは青い鳥。]
http://www.asyura2.com/0601/nihon20/msg/106.html
投稿者 white 日時 2006 年 6 月 19 日 00:35:33: QYBiAyr6jr5Ac
 

□誤報の効能 [どん底あるいは青い鳥。]

 http://donzokoblue.blog55.fc2.com/blog-entry-96.html

2006/06/18 誤報の効能

秋田の醜い報道合戦に松本サリン事件における報道被害を思い出す。当時のマスコミはどうやら「嘘しか」流さなかったらしい。


報道では一斉に私を容疑者扱いした。私が会見で「事件に関与していない」と言っても、マスコミと警察と市民は「おまえがシロというなら、シロの証拠を出せ。出さないなら、おまえはクロだ」という。

長男の手を握って「だめかもしれない。後のことは頼んだぞ」と伝えた。――このときの言葉が、ゆがめられて伝えられることになる。「事件を起こしてしまったから、『俺はもうダメだ』座り込む会社員」という形で。

その後、救急車に乗り「妻を助けて」と言ったのだが、これが「薬品の調合を間違った」という話にすりかわっていた。

「警察が解剖のために犬を渡してといったら渡してくれ。…警察が来ると思うから、家の中は触らないでほしい」と伝えた。しかし、その話を聞いていた警察はマスコミにリークした。その結果の記事が「会社員が関与ほのめかす」という内容。「警察が来るから覚悟して」と言ったことになってしまった。

「調合容器とはかりを押収」と書かれたが、容器は漬物樽と犬の餌茶碗。はかりは持っていかれていない…。地元紙には「使途不明の機械が無造作におかれている」と写真付きで報じられたが、陶芸用のろくろを軒下に置いていただけだ。(引用元)


結局真犯人が判明し、河野さんは真っ白の無実ということになった。ではこれらの「大誤報」はどこに行ってしまったのだろう。

冤罪や誤認逮捕における誤報の意味を、報道関係者はたぶん理解していない。上の引用と同じページで河野さんは「マスコミは大誤報を出した時、なぜすぐに訂正してくれないのだろう」という疑問を掲げて、以下のような答えを出している。


翌29日、NHKは朝のニュースから私を「犯人視報道」した。「会社員が救急隊員に『薬品の調合を間違った』と言った」というものだ。しかしNHKは、その日のうちにこれが完全誤報だということに気付いていたのだ。隊員から私がそんなことを言っていないと確認していたからだ。

これは、私にとっては致命的なニュースだった。NHKはすみやかに訂正しなければならないのに、しなかった。なぜだろう。警察のリーク情報の中には「河野の逮捕は時間の問題」というものがあったのだ。私が逮捕されれば、少々間違った情報を流していても、クレームはこないと考えたのではないだろうか。 (引用元)


どうせ逮捕されるのだから、当該の人物の犯人視に即したことであれば、誤報でも何でもいいというわけである。畠山容疑者に関する報道でも嘘か真かは関係ない、とにかく彼女を凶悪に見せる話ならそれでいいのだ。どのみち彼女は何を言われても仕方のない犯罪者なのだから……。

当局の筋書きに沿う限り、誤報を流してもクレームは来ない。視聴者や読者のほうでも、ニュースや記事が真実かどうかはおそらくどうでもいい。凶悪犯罪が起きる。あの人が犯人ではないかと囁かれる。聞けばかなり「悪い奴」らしい。人々は逮捕を今か今かと待っている。

そこで容疑者が任意で同行される。一般人から見れば逮捕と同じである。毛髪DNAが一致したと報道される。視聴者は「やっぱり!」と叫ぶ。自白した。「やっぱり!」。家宅捜索で車や室内から血痕が出た。「やっぱり!」。人々が心待ちにするのは、この「やっぱり!」感なのである。

証拠に関する報道が偽りであっても、この「やっぱりという印象」だけは据え置かれる。毛髪DNAについては毛の染料の一致がどうこうと言い出した時点で誤報であったことがわかる。しかし「あのニュースは間違いでした」と大々的に訂正されない限り、たとえ薄々誤報と感づいても、最初に耳にしたときに覚えた「やっぱり」感が頭から消えることはない。

家宅捜索直後に報じられた「容疑者宅にあった血痕その他」も、今の感じでは法廷に出ることはないだろう。それでもあのとき日本中を席巻した「やっぱり!」は消滅しない。視聴者・読者はリーク情報と誤報の中で、この偽りの「やっぱり」を次々と心に蓄積させて「鈴香が犯人なんだ」と深く信じ込んでゆく。

それが誤報の効能である。お祭り騒ぎの中で次々と「存在しない証拠に関する誤報」を重ねることにより、結果的には「何の証拠もなしに」容疑者が犯人であると信じ込ませることができるのだ。

のちに「何をもって鈴香が犯人だと判断するのか」と問われても、確たる証拠を言える人はどこにもいない。ただ「あのときのやっぱり感」ゆえに、誰もが「犯人は鈴香に決まっている」と言う。

神戸事件でも同じことで、少年Aがあの凶悪な事件の犯人であるという証拠は実は何一つない。にもかかわらず「犯人はAである」ことに世間は非常な確信を持っている。

誤報によって生じた「やっぱり」は訂正によってその都度消去されるべきである。訂正が重なれば「何かがおかしい」と誰もが気づく。だがマスコミは「クレームがなければ」動かない。結局は視聴者・読者・御茶の間の側から真実を求めるよりない。


捜査幹部は「なぜわざわざ軍手をはめたか分からない。場当たり的な感じもする」と首をかしげる。

「殺害に使ったものを処分せず、なぜ大事に持っていたのか」。捜査幹部は「不可解な行動」の意味をつかみかねている。(引用元)


「軍手」を必要とし「そこにあるものを凶器とした」のは他ならぬ警察なのに、こんな茶番記事を読まされ騙され素直に容疑者を憎む購読者は哀れである。

テレビが「豪憲くんの遺棄現場で午後5時20分ごろに車内にいる畠山容疑者をはっきりと見た。あの女だ!と思った」という衝撃の目撃談を流すとき「その時刻に容疑者はその場にいられたかどうか」を検討するのは、この国ではメディアではなく視聴者の仕事である(実際にはその時刻には彼女は実家にいた)。

「5時20分に現場で見た」と言われて「やっぱり!」と叫ぶのか、それともその真偽をまず詮索するか。刹那の印象だけを蓄積せずに、ある情報が時間的な厚みの中で事実として語られるかどうかに注目したいものである。


▽関連記事

□畠山容疑者、行動に「謎」 秋田小1殺害事件から1カ月 [朝日新聞]

 http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20060617/K2006061703250.html

畠山容疑者、行動に「謎」 秋田小1殺害事件から1カ月

2006年 6月17日 (土) 19:10

 秋田県藤里町の小学1年米山豪憲君(7)が殺害され、17日で1カ月を迎えた。死体遺棄容疑で逮捕された畠山鈴香容疑者(33)は、県警捜査本部の調べに殺害方法など具体的な供述を始めている。接見した弁護士は殺害の動機は「発作的、突発的だった」との見方を示すが、供述は変転し、不明な点も多い。捜査本部は裏付けを慎重に進めている。
 弁護士の説明によると、畠山容疑者は5月17日午後3時半ごろ、水死した長女彩香さん(当時9)の部屋に座っていた。窓の外に下校する豪憲君の姿が見えた。「豪憲君、あのね、彩香の思い出に何かもらってほしいんだけど」。そう言って自宅に招き入れたという。
 その数日前、やはり下校中の小学校女児に「彩香が持っていたピカチュウカードをあげるから家に来て」などと話しかけていた。女児は保護者と一緒にいて、自宅内には入らなかった。この行動が豪憲君殺害に関係するのかどうか、捜査本部も関心を示している。
 畠山容疑者は弁護士に当初、「彩香さんの部屋の入り口」と説明していた殺害現場を玄関に変えた。調べに、豪憲君は靴を脱いでいないという矛盾を突かれたためだ。
 首を絞める際、靴箱にあった軍手をはめたと供述。捜査幹部は「なぜわざわざ軍手をはめたか分からない。場当たり的な感じもする」と首をかしげる。凶器とみられる腰ひも(長さ150センチ前後、幅3センチ、厚さ2〜3ミリ)は「栃木県内のホテルに勤めていたころに購入した」と説明した。
 殺害後、「腰ひもと軍手は袋に入れて自宅の物置にしまった」と供述。帽子とランドセルをはずし、遺体は遠足用のビニールシートでくるんで運んだとも話している。
 「殺害に使ったものを処分せず、なぜ大事に持っていたのか」。捜査幹部は「不可解な行動」の意味をつかみかねている。
 取り調べには、淡々と応じているという。捜査本部は生い立ちや人間関係を中心に捜査を進めているが、「長女の死と関連づけて殺害を自分なりに意義づけようとする供述が多い。が、矛盾点を指摘すると、そのストーリーから外れた説明もする」(捜査幹部)という。


□「事実を伝えよ。誤報は正せ」

 http://www.jcj.gr.jp/~hokkaido/note02/0608kouno.htm

「事実を伝えよ。誤報は正せ」
松本サリンで報道被害、河野義行さんが講演会

1994年6月に長野県松本市で発生した「松本サリン事件」の第一通報者で、容疑者扱いされた会社員、河野義行さんが6月8日、「『疑惑』は晴れようとも〜松本サリン事件と報道被害〜」と題して、札幌市内のSTVホールで講演した。河野さんは,当時のマスコミ報道を「警察のリーク情報に頼って『推定有罪』で動いた意味で同罪だ」と指摘。一方で、公権力の報道介入が指摘されるメディア規制3法案には「何とかして阻止したい」と強く批判した。
在札テレビ・ラジオ報道責任者会「八日会」(7社加盟)の主催。会場には報道関係者をはじめ、市民約350人が参加。メディア規制3法案の審議をきっかけにクローズアップされている報道と人権侵害に対する市民の関心の高さをうかがわせた。

河野さんの講演要旨は次の通り。

■ 「推定無罪」とは正反対に
私は、いろいろなマスコミの人に会うが、共通して聞かれるのは「オウムが憎くありませんか」ということ。マスコミの人は加害者意識が薄いと思う。私の家庭を崩壊に追い込んだという点では、初動捜査をミスした警察と、サリンをまいた人と、マスコミとはみな同罪だと思うからだ。
報道では一斉に私を容疑者扱いした。私が会見で「事件に関与していない」と言っても、マスコミと警察と市民は「おまえがシロというなら、シロの証拠を出せ。出さないなら、おまえはクロだ」という。「推定無罪」という原則とは全く正反対に動く世の中だ。
私は、33日間の入院後、警察から事情聴取を受けて自白を強要され、その後の聴取を拒否した。その後、地元民放から送られてきた質問状には、警察で受けた質問とほとんど変わらない内容が書かれていた。テレビ局は、私の黒い部分を探そうとしていう姿勢だったのだ。ハ
警察は疑いながら真実にたどり着こうとするが、マスコミはそうではないはずだ。なのに、犯人探しばかりしている。朝日新聞のメディア欄で「捜査線上に容疑者が浮かんでも、シロの可能性を探すのがマスコミの仕事ではないか」と書いている記者がいたが、私もそれでいいと思っている。
逮捕、起訴され、裁判で無罪が確定したら、警察は真摯にわびなければならないと思う。しかし、なかなか警察からわびるコメントは出ず、「今でもクロだと信じている」ということが多い。でも、マスコミはそれを批判もせず、そのコメントをそのまま掲載する。そうすると、その人は裁判で無罪になっても、世の中ではなかなか「真っ白」になっていけないのだ。結果的には、疑惑を背負い続けて生きていかなければならない。それはおかしいと思う。

■ 何気ない一言になった「真実」
マスコミは大誤報を出した時、なぜすぐに訂正してくれないのだろう。
6月27日に事件が起き、28日に私の家に強制捜査が入った。翌29日、NHKは朝のニュースから私を「犯人視報道」した。「会社員が救急隊員に『薬品の調合を間違った』と言った」というものだ。しかしNHKは、その日のうちにこれが完全誤報だということに気付いていたのだ。隊員から私がそんなことを言っていないと確認していたからだ。
これは、私にとっては致命的なニュースだった。NHKはすみやかに訂正しなければならないのに、しなかった。なぜだろう。警察のリーク情報の中には「河野の逮捕は時間の問題」というものがあったのだ。私が逮捕されれば、少々間違った情報を流していても、クレームはこないと考えたのではないだろうか。
事実かどうかということと、警察が逮捕するかどうかということは、マスコミにとっては関係ないことだ。間違っていれば直せばいいのに、NHKは1年以上も訂正しなかった。そういう体質がNHKの中にあるのではないだろうか。
マスコミは、大きな流れが生じた時、反対することはなかなか言えないんだなあと感じる。「河野は犯人だ」というのが主流になってくる中で、記者は私の同僚や親戚を取材したが、その中で「犯人じゃない」という話は出たはずだ。しかし、それは黙殺されてしまう。ただ、何でもない一言に中に、真実が含まれているケースはあると思う。
ある記者は、私の長女の同級生宅に取材に来た。この同級生ケンちゃんは「おじさんは絶対に犯人ではない」と言った。記者から理由を聞かれ、ケンちゃんは「だってアゲハが死んじゃうから」と答えたそうだ。ケンちゃんは幼稚園時代から、うちによく遊びに来ていて、からたちの木にアゲハが産んだ卵が青虫にかえったら、私と妻が瓶に入れて飼っていたのを見ていたからだ。そんな家が消毒をするはずがないことを知っていたのだ。その時、記者の感性がよかったら。そこで真実にたどり着いたのではないだろうか。何気ない一言から真実にたどり着くことが必要だと思う。しかし、残念ながら、そういう記者はいなかった。

■ 警察は都合のいいことばかりリーク
事件が発生したのは94年6月27日深夜。11時前、妻が「ちょっと気分が悪い」と言うので、私は風邪かと思い、「横になったら」と言った。すると、外でカタカタという音がする。犬が倒れていたのだ。一匹はピクリとも動かなかった。家の中の妻に声をかけたが、返事がない。部屋では妻も犬と同じように泡を吹き、けいれんを起こしていた。救急に通報し、子供を集めて妻を寝かせると、今度は私に異常が起こった。視野が暗くなり、景色がゆがんできたのだ。激しい吐き気で立っていられなくなり、「死ぬかな」という気持ちになった。長男の手を握って「だめかもしれない。後のことは頼んだぞ」と伝えた。
−−ただ、このときの言葉が、ゆがめられて伝えられることになる。「事件を起こしてしまったから、『俺はもうダメだ』座り込む会社員」という形で。
その後、救急車に乗り、「妻を助けて」と言ったのだが、これが「薬品の調合を間違った」という話にすりかわっていた。その時点で私が全く想像できない言葉だ。−−その時、妻は心臓マッサージを受けていて、「妻も自分もここで死ぬかな」と早々にあきらめていた。
病院で、「おそらく有機リン系の農薬だろう」と点滴してもらった薬がサリンにも効くものだったのだ。28日の3時ごろ、長男に「お父さんは助かったみたいだ」と話し、「これは犬の異常から始まったから、警察が解剖のために犬を渡してといったら渡してくれ。いらないといったら庭に埋めてほしい。警察が来ると思うから、家の中は触らないでほしい」と伝えた。しかし、その話しを聞いていた警察はマスコミにリークした。その結果の記事が「会社員が関与ほのめかす」という内容。「警察が来るから覚悟して」と言ったことになってしまった。
翌日昼、警察が聞き込みに来て、「薬品はないか」と聞かれたので、長男は「昔使った薬品がある」と警察官を部屋に入れた。何ヶ月も入ったことのない部屋で、ほこりだらけになっていた薬品があったのだが、そこには、写真の現像液として使おうと思っていたシアン化化合物があったのだ。そこで警察は、強制捜査の礼状を請求した。その時、裁判所は犬と薬品のみの押収を認めていたのに、警察はビデオや名刺、住所録まで押収していった。「礼状なき押収だ」と抗議したが、心配してきてくれていた80歳の妻の母が任意提出書にサインをさせられていたのだ。
その日の夜、警察の記者会見で強制捜査の罪状が「殺人」と発表されたため、マスコミ報道は一気に過熱した。病院では個室に移され、やってきた松本署長に「何があったのか。本当のことを言ってください」と開口一番言われた。高熱で幻覚まであるのに、「おかげんいかがですか」とも言えないのだ。捜査幹部には「除草剤を使いますか」「殺虫剤は?」と聞かれ、それから病室に刑事が24時間張り付いて「看病」することになった。刑事は目的を「マスコミとの遮断」だと言ったが、もっと早く自分のことをマスコミに伝えられたら、あんな展開にはならなかったのではないかと思う。当時、マスコミは警察に張り付き、警察に都合のいい情報しか出てこなかったからだ。

■ 疑惑補強する記事を書かせた警察
私は、メディア規制3法案に反対している。理由は、警察が被害者を囲い込んだら、自分からの情報を発言できなくなり、冤罪につながる危険性があるからだ。
私はその後、マスコミを使って冤罪を晴らしていった。マスコミには問題もあるが、冤罪を晴らす大きな武器になると思う。
過剰報道、過熱取材かどうかというのは難しいが、法案では、それを公権力が決めることになっている。これでは、公権力の都合のいいようになってしまう。大変怖い法律だと思う。何とか阻止したいと自分でも思っている。
警察の情報操作で、記事は私の言っていないことをかき、疑惑報道につながっていった。「第一通報者方で毒ガスが発生した」というのも、「薬の調合ミス」というのも、全部警察によるリーク。マスコミは私の黒い部分を探そうと、疑惑を補強する記事ばかりを書いていった。
記事には「薬品会社に勤め、薬品のライセンスがあった」と書かれたが、私は20年前に薬品会社で勤めていたのは事実だが、営業の仕事をしていたので薬品に触ることもなく、ライセンスも販売のためのもの。それだけで薬品調合のエキスパートにされてしまった。「調合容器とはかりを押収」と書かれたが、容器は漬物樽と犬の餌茶碗。はかりは持っていかれていないのに、言ったほうがつじつまが合うと考えたのだろう。地元紙には「使途不明の機械が無造作におかれている」と写真付きで報じられたが、陶芸用のろくろを軒下に置いていただけだ。
初期報道は、だれもが何がなんだかわからない状態だから、致し方ないという思いもある。しかし、その後の読売新聞の記事は悪質だと思っている。サリンが見つかったと報じられてから、「会社員にサリンが作れるか」というムードになってきていたのに、退院直前のタイミングを見計らって、「薬品使用ほのめかす」という記事を載せた。「退院しても警察は無茶な取り調べができないだろう」という雰囲気だったのに、「やはり会社員だったのか」と思わせるような世論操作の記事だ。

■ 報道被害でマスコミの罪深さ知る
そんな中で当然、報道被害が生まれてくる。我が家で最初の被害は無言電話だった。6月29日から、一日30本くらいかかってきた。30回の無言電話を受けると、精神状況はおかしくなってくる。木の弱い人なら死にたいと思うだろう。嫌がらせの電話もかかってきた。「人殺し」「税金がもったいないから、早く本当のことを言え」というようなもの。脅迫状や嫌がらせの手紙も二十数通きた。「白状しろ」「死をもってつぐなえ」という内容だ。
取材が集中したのもずいぶんつらかった。マスコミは1ヶ月や3ヶ月、半年という区切りで必ず取材に来る。取材要請だけで1日50本も入り、その対応だけで4時間もかかる。とても、まともな生活はできなくなる。
張り付き取材もあった。入院時は病院で「逮捕時の写真を撮ろう」と張り付いていたし、退院後は家の前で張り付いた。家の中を望遠レンズで撮ろうという人もいたので、暑いのに窓を閉めてカーテンをしていた。やはり、暴力だと思う。
マスコミの怖いところは、私が犯人だということをすぐに何百万人もの人に知られてしまうこと。いったん、そう思い込まれたら、こちらとしてはどうしようもない。一人一人に言っていくことは物理的に不可能だからだ。
報道被害は、もっと広い範囲の人が受けることもわかった。金沢のおばあちゃんは、「テレビを見ておじいさんを誹謗抽象してしまった。この手紙を出さないと死ねない」という内容の手紙をもらった。間違った報道が、こんなおばあさんまで傷つけるという罪深いものだということが分かったのだ。

■ 世論を中立に導いてくれたマスコミ
警察は自分を守ってくれるところだと思っていた。しかし、弁護士は「警察があなたの潔白を証明してくれると思ったら間違いだ。警察は犯人を作るところだ」と言った。
警察に対する信頼は7月30、31日の事情聴取でぶっ飛んだ。「聴取は2時間が限度」と診断書をもらって退院させられ、警察の求めでポリグラフの検査にも応じた。取調室に移ると、刑事はぶっきらぼうに「機械は正直だ」と開口一番言った。「どこで反応が出たのか」と聞くと、刑事は「子供に指示して容器を隠したところだ」という。私がポリグラフの結果を見せてくれと頼んでも、刑事は「できない」と逃げた。その後は、「○○と言っているぞ」という伝聞の事情聴取。当時、高校1年の長男が家で3人の刑事に取り囲まれて「父さんは罪を認めたぞ」と言われても、きっぱり否定してくれたおかげで、その時に逮捕はされないで済んだが、診断書など無視され、聴取は7時間半にも及んだ。
翌日は自白の強要をされた。机にひじを突いていると、怖そうな刑事が「姿勢を正せ」という。自白させる第一歩は自尊心、プライドをはぎとることだという。指差して「おまえが犯人だ・亡くなった人に申し訳ないと思わないのか」と1時間近く強要された。我慢できず「こんな聴取には応じられない」と席を立つと、担当刑事が代わりに来て、「疑惑を晴らすのはあなただ」と言われた。本来、潔白の証明は自分でする必要はないはずだ。警察が証拠で示せばいいのだ。しかし、今の世の中は「推定有罪」で動いている。自分が「真っ白」だいう人が、「真っ白」の証明などできるだろうか。
私は逮捕を覚悟したが、意識のない妻はどうするのか、と考えた。逮捕されたら「7人殺人犯の妻」といわれ、どこも置いてくれないかもしれない。そうはさせたくない、というのが自分が頑張れた原動力だった。妻は意識のない中で私を支えてくれたのだと思う。
逮捕は、世論が「あの会社員をいつまでほうっておくのだ」という声を強めた時にされるのだと思う。世論を中立に持っていくためにマスコミを使うしかない。疑問を持ってくれた2社に、客観的に会社員がサリンを作れるかどうかを検証してもらった。そうして、世論が中立に戻ってきた。その時には、警察は私に手を出せなくなっていた。
マスコミの生命線は、権力の監視と批判の実践だ。メディア規制3法は、その生命線を奪ってしまう法律でもある。だからなんとかして阻止したいと思っている。

【質疑応答】
−−マスコミの中立性について聞きたい。私はマスコミは中立である必要はないと思う。各報道機関が意見を述べた方がいい思うが。
河野さん 私も中立である必要はないと思う。大事なことは事実を伝え、間違っていたら訂正する必要があるということ。しかし、この当たり前のことすらできていない。読者が右を選ぼうが左を選ぼうが、マスコミは自然淘汰されていくと思う。ただ最低限、事実だけは伝えてほしい。誤報なら、素直に訂正すればいい。
−−94年当時、松本に住んでいたが、皆が疑心暗鬼だった。でも、ある時「事件を見ているわけではないでしょう」と言われ、はっとした。新聞による憶測の中で、何を信じたらいいのか分からなくなっていた。
−−松本サリン事件は、その後の事件報道のあり方に生かされているのだろうか。
河野さん 多くの記者と話すると、記者が今の報道体制に危機感を感じていることが分かる。しかし、会社という組織の中で、その危機感が薄められているのだ。だが、今回のメディア規制3法案で、自分の生命線を守るためのシステムを作ろうと本当に気付きはじめた。松本の事件で記者は傷つき、マスコミは反省したが、和歌山の砒素カレー事件でまた元に戻ってきてしまったような気がする。
−−警察に張り付いて情報を流す弊害が指摘されている「記者クラブ」制度をどう考えているか。長野県では田中康夫知事がクラブ制度に反対しているが。
河野さん 記者クラブはマスコミにとっては都合のいい制度だと思う。足で稼がなくても情報が入って記事が書けるからだ。オウム裁判を傍聴して司法記者クラブで会見する時、小さな地元紙を同席させるかどうかでなかなか認めてもらえず、「なんて閉鎖的なところだろう」と思った。長野県は、誰もが情報にアクセスできるものに変えようとしているが、私はその方が健全だと思っている。
−−最近、犯罪被害者の発言の場が増えてきているのはいいことだと思うが、「犯人視」された人側の一方的な発言が流されることもあり、危ないとも感じているが。
河野さん 「犯人視」は印象のみ与えるものだ。新聞は「こいつが犯人」と書いてくれれば楽なのだが、「可能性」「?」と見出しでうたえば、訴訟でも逃げられるのだ。ズルイと思うと同時に、上手だとも思う。日刊ゲンダイだけは「犯人は第一発見者」と断定したが。しかし、本当は断定して書いて、間違っていたら責任を取ればいいと思う。しかし、「らしい」と書いて間違ったら、反省してほしい。

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