★阿修羅♪ > 日本の事件20 > 470.html
 ★阿修羅♪
最後の目撃者は後悔するか [どん底あるいは青い鳥。]
http://www.asyura2.com/0601/nihon20/msg/470.html
投稿者 white 日時 2006 年 8 月 11 日 22:14:05: QYBiAyr6jr5Ac
 

(回答先: 彩香事件は冤罪らしいね [どん底あるいは青い鳥。] 投稿者 white 日時 2006 年 8 月 09 日 22:14:40)

□最後の目撃者は後悔するか [どん底あるいは青い鳥。]

 http://donzokoblue.blog55.fc2.com/blog-entry-119.html

2006/08/11

最後の目撃者は後悔するか

しつこく秋田の事件。大沢橋の上での4月の目撃者について「ロクに捜査もしない警察がわざわざ大沢橋付近まで聞き込みに行ったのか」と先日のエントリーに書いたけれど、これって誰彼構わず訪ねて回る「聞き込み」というより、容疑者の携帯履歴に残っていたとか彩香ちゃんの行き先の一つだったとかいう理由で「事情を訊かれた」のではないだろうか。

そのような人が真に大沢橋の上で午後6時45分に鈴香親子を見たのであれば、そして警察が真にこの人に4月のうちに事情を訊いたのであれば、その際に橋の上での目撃証言をこの人から引き出せなかった件は警察の落ち度というよりも、この人が善良な市民としての義務を怠ったというほうが正解だろう。

親子を目撃した直後にその親から電話がかかり「うちの子を知らないか」と尋ねられる。咄嗟に「知らない」とだけ答えたとしても「さっきいっしょにいたのに…」と不審に思うのがあたりまえだ。翌日、その子どもが遺体で見つかる。警察官が尋ねてきてその子のことを尋ねられる。このとき橋の上で見たことを話さないでいるのはどう考えても難しい。

たとえ警察が「彩香ちゃんが来たか」と訊いただけで、その場は何も話さずに終わったとしても、自分が目撃した重大な事実について自発的に通報する時間はそのあとにも十分あったはずだ。以前より鈴香に悪い噂があったというならなおさらである。橋の上で鈴香に見られたわけではないのだから、警察には自分の名前を伏せるようにと頼めばいいだけだ。

警察が彩香ちゃん事件についてキチンと調べていれば豪憲くんは殺されなかったと言われている。誰もが警察ばかりを責めているが、もしも本当に鈴香が彩香を橋から落として殺した場合、この目撃者が橋で見たことを速やかに通報していれば、それにより警察は何らかの捜査を開始して豪憲くんは殺されなかった可能性もあるわけだ。

もちろん、4月のうちにその目撃証言を得てなお、警察が彩香ちゃんの件を事故と見做すこともありうる。しかしこの目撃者は現実には知らせなかった。もしも知らせていれば捜査になったかもしれない。どうして知らせなかったのか。知らせればよかった。そうすれば豪憲くんは殺されずにすんだかもしれない…そう思って自分を責めるのが自然なのではないだろうか。

たとえば5月17日に豪憲くんを最後に見送った同級生の母親などは、彼を家まで送り届けなかったことを今なお激しく後悔している。


豪憲君の自宅まで80メートルの公園付近で別れた数分後、豪憲君は近所の無職畠山鈴香被告に殺害されたとみられる。
「あの時、自宅まで送り届けていれば」と苦しみ、夫とともに勝弘さんに謝罪した。豪憲君が遺体で見つかった18日以降も何度も謝った。(引用元)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060810i308.htm


橋での目撃者は直接豪憲くんと関わりがあったわけではない。だからこの「豪憲くんの最後の目撃者」ほどには申し訳ないとは思わないのかもしれない。しかし「もしもあのとき」という一言くらいはあるのが自然だろう。米山家への謝罪の言葉が一言でもあれば上の記事などでも何らかの言及があるはずだ。

自分は「彩香ちゃんの最後の目撃者」にもかかわらず、警察には言わなかった。事件が事故とされたせいで豪憲くんは殺された(とされている)。「豪憲くんの最後の目撃者」は、自分には落ち度がないにもかかわらず「もしもあのとき…」と後悔している。「彩香ちゃんの最後の目撃者」は善良な市民としての義務を怠りながら、そのことを後悔しているとは伝えられていない…。

「彩香ちゃんの最後の目撃者」の中では「自分は鈴香親子を目撃した」「そのことをすぐに通報しなかった」「通報していれば彩香ちゃんの事件は捜査されたかも」「彩香ちゃん事件が捜査されていれば豪憲くんは殺されなかったかも」といった流れがうまく繋がっていない。どこかの段階に偽りがあって、本人もそのことを知っているのではないだろうか。

たとえば「実はすぐに通報したけれども警察は事故にしてしまった、そして今は通報した事実を警察から口止めされている」といった場合には、この人には落ち度はなく自責の念も持つ理由はない。しかしそれでは警察の落ち度を自分が被ることになる。「通報するしないが後の事態を分けた」という自覚があれば、警察に怒りを覚えこそすれ協力するとは考えにくい。

やはりこの人は、5月になって「橋の上で鈴香親子を見た」と言い出したけれども「4月の段階で通報していればよかった」とは思っていないのだろう。「4月に通報していれば」という後悔がないのは、4月の段階では「橋の上で鈴香親子を見た」とは思っていなかったからだ。だから警察に訊かれても何も言わなかった。

とはいえ、この人が必ずしも自覚のある「見た見た詐欺」だとは限らない。当ブログへのコメントでも指摘されていたように、見てもいないものを見たと言い出すことは十分にありうる。記憶が嘘をつくのだが、本人はそれを事実だと信じ込んでいる。その際に「あのとき通報していれば」といった「偽りの後悔」までもが自然に形成されるとは限らない。

だが仮にこの人の言う「大沢橋の上で鈴香親子を見た」という目撃談が偽りの記憶であるとしても「大沢橋」という場所はいかにしてその記憶に忍び込んだのか。住まいが橋の近くだからか。もしも別人が橋の上で川を見ているのを目撃しても、その光景を鈴香親子と結びつけ記憶を改竄するには何らかの理由があるはずだ。

豪憲くん事件後の彩香ちゃんに関する報道の多くは「警察の発表した場所で滑って流れたのではない」とか「中州に忽然として遺体が現れた」といったもので、遺体が無傷とされていたことも相俟って、橋から突き落とした可能性を指摘する声はメジャーではなかった。橋から落ちたとしても遺体発見現場にごく近い別の橋を想定するほうが自然だろう。「大沢橋」というキーワードを記憶に取り入れる機会があったようには思われない。

なのになぜ唐突に、中途半端な場所にある「大沢橋」が出てくるのか。もしかして「彩香ちゃんは本当に大沢橋から突き落とされたから」ではないのか? だが突き落としたのは鈴香ではない。目撃者自身か、あるいはその近くにいる者が実行した可能性は是非とも除外されねばならないだろう。偽りの記憶ではなく、正真正銘の偽りではないのか、というわけだ。

彩香ちゃんは「同級生のところに行く」と言って家を出た。本当に友人の家には着かなかったのか。実は着いていたのではないのか。他ならぬこの「目撃者」の家に。そこで何かがあって殺された。大沢橋から落とされた。鈴香から「彩香を知らないか」と訊かれても「目撃者」は「知らない」と言うよりなかった。警察に訊かれても知らぬ存ぜぬを通すよりなかった。

そうして黙っているうちに、彩香ちゃんの件は事故だとなった。胸を撫で下ろしたのもつかの間、鈴香とその家族が「あれは事件だ」と騒ぎはじめた。豪憲くんが殺されるに及んで「彩香も事件だった」という話になった。鈴香の育児放棄が伝えられた。「目撃者」は目撃者になることにした。「大沢橋で鈴香と彩香の親子を見た」――現場が大沢橋であることを知っている者ならではの嘘である。

実際にはこの筋書きが次の豪憲くん殺害にどう繋がるのかもわからないし、さほど見込みのある仮説であるとも思われない。ただ彩香殺しで証拠もなしに鈴香を疑うんなら目撃者のほうも一応は疑ってくれよ、というくらいの話である。幾ら大沢橋から流した人形が中州に流れ着いても、それは決して鈴香を指し示すものではないのだから。


▽関連記事

□「気にしないで」豪憲君の父、“最後の目撃者”に語る [読売新聞]

 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060810i308.htm

「気にしないで」豪憲君の父、“最後の目撃者”に語る

 秋田県藤里町で小学1年米山豪憲君(当時7歳)が殺害された5月17日、豪憲君らの集団下校に付き添っていた女性がいる。豪憲君の自宅まで80メートルの公園付近で別れた数分後、豪憲君は近所の無職畠山鈴香被告(33)(殺人罪などで起訴)に殺害されたとみられる。自責の念にさいなまれ続けた女性に、豪憲君の父、勝弘さん(40)は優しく語りかけた。女性の夫が心境を明らかにした。
 「一人で帰れる?」と声をかけると、豪憲君は「大丈夫」と元気に答えた。ランドセルを背負った後ろ姿を確認し、女性は息子と一緒に自宅に帰った。“最後の目撃者”になった。
 「あの時、自宅まで送り届けていれば」と苦しみ、夫とともに勝弘さんに謝罪した。豪憲君が遺体で見つかった18日以降も何度も謝った。勝弘さんからは「本当に気にしないでほしい。こんな事件が起きるなんて誰も思わない」との言葉が返ってきた。勝弘さんは「女性は『私に非がある』と自分を追いつめていた。責める気持ちを消してあげなければいけないと思った」と振り返る。
 夫は「温かい言葉に、二人して泣いた」という。先日、団地の公園で自分の子どもを遊ばせた。のびのびとした姿を見て、「『外は危ないから遊ばせない』ということはしたくない。地域を変えるため、今こそ力を合わせるしかない」と誓った。
(2006年8月10日15時30分読売新聞)

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ HOME > 日本の事件20掲示板


  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。