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『十字軍』と『魔女裁判』は今なお進行している現実のものである 〈その1〉 投稿者 あっしら 2002/02/07
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投稿者 愚民党 日時 2006 年 8 月 02 日 00:38:00: ogcGl0q1DMbpk
 

http://www.asyura.com/sora/bd16/msg/587.html

【世界は「大宗教戦争」のまっただ中にある】 『十字軍』と『魔女裁判』は今なお進行している現実のものである 〈その1〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 2 月 07 日 20:18:30:

【世界は「大宗教戦争」のまっただ中にある】 『十字軍』と『魔女裁判』は今なお進行している現実のものである 〈その1〉


タイトルを読んで、またまたあいつが奇妙でふざけた妄想をぶちまけていると思われた人もいるだろう。自分でもそう思わないではないのだから、そう思われることは至極当然だと思っている。

世界が「大宗教戦争」の渦中にあるということで、巷間言われているような「キリスト教とイスラムの衝突」を主張したいわけではない。

ブッシュ政権が推し進めている今回の「対テロ戦争」を、1096年に開始された十字軍遠征、そして、13世紀から17世紀にかけて西欧で吹き荒れた「魔女裁判(異端審問)」が、21世紀を迎えた現代においてもなお継続されている証だと見ているということである。(それらの再発ではなく継続である)

ブッシュ政権が派遣しているのは『十字軍』であり、ブッシュ政権が“悪の極み”と非難している「テロリスト」は『異端者』(魔女)であり、日本は『十字軍』に参戦していると考えている。


否応なく宗教的問題に立ち入ってしまうテーマなので、まず、自分の宗教的立場を明らかにしておく必要があるだろう。
いわゆる宗派には属していない。個々の人を含む自然的存在に対して畏敬の気持ちがある。超越神(貨幣がもろもろの価値物の頂点にあり超越的な価値であると考える商人や金融家の宗教と考えている。だから、文字で書かれた啓典に拠った宗教になったと思っている)には魅力を感じない。創造主(神)の実在については肯定も否定もできない。死後の世界についてはわからないし、そのときになってわかればいいと考えている。親近感を感じている価値観は荘子やブッダである。宗教に関する素養は、旧約聖書・新約聖書・コーランをはじめいくつかの宗教解説書を読んだ程度であり貧弱なものである。

また、宗派を取り上げた問題を述べるが、それは、人格的にはその宗派の指導者を指すものであり、宗派そのものや個々の信仰者に言及したものでないことを予めお断りしておく。

さらに、これは、歴史学の論文として書いたものではなく、自分が歴史や宗教の関連書を読んできたなかで形成された歴史イメージを文章に記述したものである。

真実とか真理とかというレベルで受け取って欲しいわけではなく、これを読まれた後で、この間の現実の動きを見直したとき、よりおもしろく見えたとか、先行きが何となくわかる気がすると感じてもらえれば幸いという性格のものである。
そして、歴史に興味をお持ちであれば、現実の世界の動きを見ながら、『十字軍』や『魔女狩り』そして『大航海時代以降の歴史』を見つめ直したとき、これまでとは違うものが見えたと思ってもらえたら幸いかなと思っている。


■ 9・11空爆テロ後の世界をなぜ「宗教戦争」と捉えるのか

10月中旬からこの「阿修羅」ボードに書き込みをしてきたが、当初は、“アメリカ政権がいつもながらの経済権益目的の戦争を仕掛けたな。しかし、9・11米本土空爆テロという大掛かりな「自国民虐殺」の幕開けを用意したシナリオだから、従来のような局地的なものではなく、戦争と権益追及を世界規模で広げていくはずだ。そして、最終的には、市場規模も大きく経済成長も著しい中国を標的にしているのだろう。軍需産業への貢献という目的もある”と考えていた。

しかし、「アフガニスタン虐殺軍事行動」が始まり、9・11空爆テロに関する様々な情報も手に入るなかで、現在進行している出来事は、たんに経済権益を追及しているものではないと考えるようになった。

それは、ブッシュ政権の「アフガニスタン侵攻」が、中央アジアの石油・天然ガスといった資源を確保し、それをインド洋に運び出すためのパイプライン敷設を目的としたものであるのなら、あまりにも稚拙なやり方を選択していると言わざるを得ないからである。

資金に喘いでいる中央アジア諸国は、天然資源の開発に米欧の資本が乗り込んでくることを歓迎している。(お金と引き替えに軍事基地まで提供しているくらいである)
タリバン政権も、98年の「巡航ミサイル攻撃」問題さえクリアすれば、経済復興のために、米国資本のパイプライン敷設を認めるだろう。
(タリバン政権は、97年3月、ユノカルを主軸にしたアフガニスタンでのパイプライン計画を認め、98年まではタリバン幹部が米国を訪れている。9・11までユノカルはタリバン政権と交渉を続けていたともいう。タリバンの女性迫害問題云々が障害になっていたようなことを言っているが、米国民でアフガニスタン問題に関心を持っていた割合は極めて少なく、それが現実的な障害となるとは考えられないし、いつもながらの国益論などを持ち出せばいかようにも言いくるめられることだろう)

中央アジアの天然資源が狙いであれば、わざわざ9・11空爆テロを仕掛けてアフガニスタンまで軍事遠征を行う必要はなく、交渉とわずかばかりの権益分配で済むことである。

そうでありながら、ブッシュ政権は、9・11米本土空爆テロを仕掛け、ウサマ・ビンラディンが首謀者であり、そのイスラム軍事組織であるアルカイダが実行グループであるとし、世界の諸国家に「我々の側につくか、テロリストの側につくかだ」と迫ったのである。

アフガニスタンでは、自国地上部隊の損害を抑えるためなのか、「マスード将軍暗殺テロ」まで行ってまで北部同盟部隊をタリバン政権打倒の戦いに引き込んだ。
タリバン政権は、ムスリム同士が米国の意図のもとで血を流し合うという愚かな選択を避け、政権を放棄するに等しい退却を行って戦争を終息させる道を選んだ。
ブッシュ政権は、それでも「アフガニスタン虐殺軍事行動」を今なお継続しているが、“味方”を空爆したり殺戮したりと的を外したものになっている。そして、肝心な戦争目的であるウサマ・ビンラディン氏を拘束することさえできていない。
アフガニスタン東部の米軍の動きを見ていると、アフガニスタン人に対米憎悪を増幅させるだけの役割を担った軍事行動だと思わざるを得ない。

ブッシュ政権の「アフガニスタン虐殺軍事行動」は、米国資本がアフガニスタンでパイプラインを敷設するためには、それこそ新しい大統領が、土下座して謝罪し、厖大な賠償金でも支払わない限り実現しないという状況を創出してしまったのである。

これまでのアフガニスタン軍事作戦を見ている限り、インド洋に大規模な艦隊を派遣するとともにアフガニスタンでの軍事駐留を継続する、そして、米国の国防費を大幅に増額するためのものとしか見えない。
(タリバン政権が崩壊しアフガニスタン国民に平和と自由が戻ったとプロパガンダを行っているが、アフガニスタンの治安はより悪化し、そのためにより不自由になっただけである。タリバン時代も、女性生徒は教師の家に出向いて勉強できたし(教師や生徒への強姦などを防ぐため)、凧上げもできたし、映画もたまには上映されていたという。先日東京で開催されたアフガン復興支援会議で各国の資金供出はそれなりに決まったようだが、ブッシュ政権が戦闘行為を継続し、諸勢力が覇権争いをしているという現状で復興事業がスムーズに開始できるわけがない。せいぜい、暫定行政機構に資金を渡し、そのある部分を各地の支配勢力に分配するということができるだけである)


ご存じのように、9・11空爆テロの実行犯とされた19名のうち15名はサウジアラビア国籍保有者だとされている。9・11にアルカイダなどはまったく無関係なので、誰を実行犯としてでっち上げるかはブッシュ政権の思惑次第である。
そして、その思惑が、実行犯の大多数をサウジアラビア人にするというものだったのである。
その後、アメリカ国内では、独裁政治で圧制を続け、過激なイスラム宗教教育を行っているサウジ王室への批判が続き、それを受けたサウジアラビア政権も、駐留米軍の撤退要求を匂わせたりするまでになっている。(両国政権の建前は、相互が重要な同盟関係であるとの立場ではあるが、薄い表皮を取り除けば、激しい敵対意識と憎悪が渦巻いているのである。もちろん、カリカリしているのはサウジ王室のほうだけであり、ブッシュ政権は笑いをこらえているだけである。現在のサウジアラビアは、明治維新前の日本に例えると、尊皇攘夷派と開国派がいて壮絶な論争を行っているというものだろう)

ブッシュ政権は、2002年の一般教書演説で、イラク・イラン・北朝鮮を“悪の枢軸”と呼んだ。(当初はイラクだけを名指しする予定だったという。“歴史に造詣が深い”ブッシュ政権は、米欧諸国民が実感できやすい悪の代名詞である「日独伊枢軸」に結びつけたかったようだ。イラクとイランはどっちがドイツでどっちがイタリアに相当するのかはわからないが、北朝鮮が日本に擬せられたことは間違いないだろう。おかげで自分のところにお鉢が回ってきた北朝鮮にはえらく迷惑な話である。北朝鮮は別の思惑だと考えており「米朝和解」もあると思っている)
ブッシュ政権としては、サウジアラビアを“悪の枢軸”の仲間に入れたかったのだろうが、さすがに、サウジアラビアを指名するにはまだ機が熟していないと判断したと見られる。(イラク政権が本当の“敵”かどうかはまだわからないが、イランとサウジアラビアが本当の敵であることは間違いないと思っている)


昨年10月7日に開始された「アフガニスタン虐殺軍事行動」では数多くの暴挙が実行されたが、『マザリシャリフ虐殺事件』・『遺体指切り落とし事件』・『拘束者恥辱事件』の三大事件は特筆すべきものだと考えている。

『マザリシャリフ虐殺事件』は、マザリシャリフ近郊の捕虜収容施設で、大半の捕虜が後ろ手で縛られたまま、米軍の空爆を中心とした攻撃を受けて500名近くが虐殺されたというものである。(英国軍特殊部隊も虐殺に参加)

『遺体指切り落とし事件』は、死亡したアルカイダ兵士の指をDNA鑑定するために切り落とし持ち帰るというものである。(DNA鑑定が必要だとしても、髪の毛1本で済む話)

『拘束者恥辱事件』は、拘束者を元カンダハル空港に設営した米軍基地内の施設に収容し、“薬漬け”にして心身をずたずたにするとともに、ムスリムが信仰上生やしている顎髭を剃り落とし、さらには、グアンタモナ基地に輸送した後は“鳥小屋”に収監し、米軍兵士にバスタオルを落ちないようにされてシャワーブースとの間を往復している姿を映像に撮らせて世界に配信させたというものである。(「BBCニュース」によれば、先日アップしたように、グアンタモナ基地に収監されている拘束者にはNGO(人道支援組織)メンバーが含まれている可能性が高い。『拘束者恥辱事件』にいちばんムカツク)


驚くべきことは、これらの恥ずべき行為が秘匿されることなく、世界にニュースとなって流れたことである。
『マザリシャリフ虐殺事件』はともかく、『遺体指切り落とし事件』は現実に行ったとしても発表などする必要がないものである。『拘束者恥辱事件』も、噂で流れるかも知れないが、映像でわざわざ流す必要なんかないものである。

「アフガニスタン虐殺軍事行動」そのものは、西側映像メディアでほとんど報道されることなく進められていったにも関わらずである。
(だからこそ、ある時点まで、「アルジャジーラ」が世界にもてはやされたのである。相当数(千名以上と推定)の米軍兵士が死んでいながら、十数名しか公表されていないという報道管制が敷かれている。今なお継続されている戦闘状況についても、戦果(それも間違った)が国防総省から発表されるだけというものである)

ブッシュ政権の国際法違反の妄動を支持している“文明諸国”のメディアや組織は、3つの事件を知っても、ここのような特殊メディアや一部の人権組織を除き、非難の声さえ上げていない。
アムネスティ・インターナショナルやU.N.(国連)高等難民弁務官なども、アリバイのように一時的に批判的な声を上げただけで、その後は沈黙を保っている。


偽善・欺瞞・傲慢なブッシュ政権の言動が何を意図しているものだろうかと考えたとき、「ムスリムへの抑制のない侮辱」と「文明諸国民にテロリストにはあのような恥辱を与えても当然であるという意識を付与すること」という以外に思い当たるものがないのである。(米国に逆らうなというのは、ことさら9・11がなくとも、あらゆる国家が、日向野軍事力と経済力の差から自覚していることである)

それは同時に、世界のムスリムたちに対して、「あれだけ侮辱されても立ち上がらないのか?臆病者めが!」というとんでもないメッセージと嘲笑を含んだものでもある。


このように考えていくと、ブッシュ政権のとんでもない妄動は、ローマカソリックが行った『十字軍』と『魔女裁判(異端審問)』(プロテスタント諸派も)という歴史的出来事を否応なく想起させるのである。


■ 『十字軍』とは何だったのか

『十字軍』は、「世界史」的説明としては、聖地エルサレムの回復を目的に1096年に第1次十字軍が編成され、第8次十字軍の遠征の結果として1281年にシリアの十字軍国家が滅亡したことで終わったとされるものである。
(日本の近代学校教育では、西欧中心の「世界史進化論」を教えられているが、18世紀後半から始まった産業革命後はともかく、それまでの世界史で範となる文明を築いてきたのは、中国・インド・西アジア(中東)・アフリカである。(南北アメリカはその歴史をずたずたにされてしまったのでここでは取り上げない)オスマン帝国は、19世紀初期の時点でもウィーンを攻囲するほどの力を持っていた。別に文明に崇高な価値があるとは思っていないが)


9・11空爆テロ後の「反テロ戦争」の呼びかけのなかでブッシュ大統領が「今回の戦いは“十字軍”だ」と声高に叫んだり、作戦名を「究極の正義」としたことで、それは、イスラム世界の気持ちを逆なでするものだと非難され、それらを撤回することになった。
(しかし、あれはつい口が滑ったというものやうっかり反感を買ってしまう作戦名を付けたというものではなく、念入りに計画された「失言」であり「不遜な作戦名」であったと思っている。(歴史への造詣が深い人が政権内にいるようだからね)ブッシュ政権は、9・11直後から、イスラム世界への挑発をさかんに行っていたのである)


『十字軍』とは、今なおあのような大きな物議をかもすほど、西欧(ラテン語キリスト教)世界とイスラム世界&東方(ギリシャ語)キリスト教世界のあいだに深いしこりと亀裂をもたらした歴史的暴挙だったのである。

歴史そのものがテーマではないので結論的に言えば、「『十字軍』は、ローマ法皇庁が、聖地奪還を名目にして、物質的にも精神的にも豊かだと思っていたイスラム世界とビザンチン帝国)を破壊的に侵略した」という出来事である。
(ビザンチン帝国は東ローマ帝国であるが、330年にコンスタンチノープルが首都となっているので本家のローマ帝国ともいえる。ローマ法皇庁が十字軍を通じて東方世界の支配を狙っていたことも間違いないだろう)

十字軍の遠征過程では、ヨーロッパ内でさえ略奪と虐殺(ユダヤ人を標的)を行い、小アジアからエルサレムに至る道程でも同じような蛮行を続けたあげく、降伏したエルサレム市内でも7万人(ムスリムとユダヤ人が一体となって防衛)とも言われる虐殺を行った上で「ラテン(エルサレム)王国」(1098年)を設立した。

この時の十字軍の極悪非道な蛮行は、イスラム世界のみならず東方キリスト教世界にも深刻な衝撃を与え、現在に至るまで人々の記憶に刻み込まれているのである。

イスラム世界の史料が普及していなかった時代のモンテスキューでさえ、『ローマ人盛衰原因論』(岩波文庫:田中治男・栗田伸子訳)で、「この遠征を始めたフランス人が自制的に振舞おうとしなかったことは認めなければならない。アンナ・コムネナがわれわれに向けている悪口雑言の奥には、われわれフランス人が、異国民の許で自己抑制せず、今日われわれを非難する理由となっている悪行を当時もしていた事実があったのである。」(P.264)や「(第1次十字軍の)ラテン人が帝国の西方を攻撃した。長い間にわたって、不幸な分裂が異なった二つの礼拝様式を持つ諸国民の間に和解し難い憎悪を植えつけていた。」(P.262)と対東方キリスト教世界に及ぼした影響を書いている。
(アンナ・コムネナはビザンチン帝国のアレクシオス帝の娘。イスラム世界が受けた衝撃と西欧世界への憎悪に関する史料はここではふれない)

ビザンチン帝国(ギリシャ語キリスト教国家)は、数々の戦争や平時の商取引を通じて、同じキリスト教の西欧世界よりはイスラム帝国に親近感を抱いていた。西欧世界に対しては、優越感・軽蔑・不信感を抱いていたという。
ローマ法皇はキリストの使徒の長である聖ペテロの継承者であり、すべてのキリスト教社会の首長だと主張したが、ビザンチン帝国の皇帝も総主教もそれを認めず、教義上の細かな違いから、ローマ法皇は、1054年、コンスタンチノープル総主教を破門した。
(ローマ法皇庁がビザンチン帝国から独立したという見方もある)

ビザンチン帝国はこのようにしてローマ法皇庁から分離したとはいえキリスト教世界であり、小アジアと中東地域には、ムスリムだけではなく、同じ「啓典の民」として優遇されていたキリスト教徒(シリア正教会・アルメリア正教会(ともにキリストに神性のみ認める単性派)そしてギリシャ正教会も)やユダヤ教徒が生活していた。

西欧世界は、カール大帝時代(8世紀末に「西ローマ帝国」を復興)にアッバース朝カリフから聖地(エルサレム)に対する精神的な保護権を認められていた。エルサレムへの巡礼は自由であり、道程には宿泊設備も整っていた。
(これでもわかるように、イスラム世界がメッカとメディナだけではなくエルサレムも聖地としているのは、『十字軍』に対抗していくなかで形成された価値観である)

11世紀初めまでの西欧世界は、農民も貧しく、城も木造の砦といったもので、貨幣流通もなかった。異民族の侵入(マジャール=ハンガリー人)が止まったこの頃、馬牽引型の鉄製鍬や水車の利用による「農業革命」が起き、食糧の増産が達成され、飢饉や疫病も減少し、都市が形成されていった。そして、西欧の商人たちも、ビザンチン帝国やエジプト・シリアまで出向くようになった。
(このころの西欧商人は、売り物が奴隷や原材料であり、買う物が贅沢品であった)

H.G.ウェルズは『世界史概観 上』(岩波新書:長谷部文雄・阿部知二訳)で、「九世紀のヨーロッパがまだ戦争や略奪で混乱をきわめていた際に、ヨーロッパではとうてい見られないほど開花した大アラビア帝国がエジプトやメソポタミアで繁栄していた、ということである。そこでは文学や科学は生きつづけており、諸芸術は栄え、人間の精神は恐怖や迷信にわずらわされずに活動することができた。また、サラセン人の支配地が政治的混乱におちいりつつあったスペインや北アフリカにおいてさえも、活発な知的生活が見られた。ヨーロッパの暗黒時代のこの数世紀間、アリストテレスの書いたものが、それらのユダヤ人やアラビア人によって読まれたり論議されたりしていた。彼らは無視された科学や哲学の種子を守っていたのである。」(P.214)と書いている。


このようにして西欧世界が文明化を遂げて物質的な余裕が出来、東方世界の豊かさを認知し始めたことが、西欧世界の騎士階級を『十字軍』に駆り立てた前提的要因である。
そして、ビザンチン帝国は衰退していき、コンスタンチノープル周辺を支配するのみ(セルジュクトルコの拡張)で、ローマ法皇に救援を求めるという絶好機が生まれた。(ビザンチン帝国が求めたのは傭兵だけ)
(ドイツ語圏ゲルマン人は、東フランク王国を基盤に「神聖ローマ帝国」(962年)を形成していた。1066年には、イングランドがノルマン人に支配されるようになり、以降400年にわたって、ノルマンディ公国があるフランスとのあいだで激闘を含む深い関係を持たざるを得なくなる。1077年には、「カノッサの屈辱」と言われているローマ法皇の権威拡張の契機となる事件が起きた)

ローマ法皇庁は、領主たちをはじめ多くの人々を十字軍遠征に駆り立てるために、“聖戦思想”を鼓舞し、財産は教会の保護預かりとし係争中の訴訟は停止とし、聖地を奪回したらすべての罪が赦されると説いた。
第1回十字軍では農民までが家族総出で荷車を引きながらエルサレムをめざした。
第1回十字軍の指揮官は、フランス諸侯によって担われており、罪の赦しを得たいという宗教的動機よりも、東方で国を築きその主人になりたいという野望を持っていた。
(トゥールーズ伯レーモン・ド・サンジル、バス・ロレーヌ公ゴドフロワ・ド・ブイヨン、フランス王フィリップ1世の弟ユーグ・ド・ヴェルマンドワ、ノルマン貴族ボヘモンドとその甥タンクレードが指揮官)

第2回以降の十字軍は有効な戦果を上げることができず、1187年には“聖地”に築いた「ラテン王国」も崩壊した。
イスラム世界との戦いに見切りを付けた第4回十字軍は、“ヴェネチア商人”の唆しと経済的後ろ盾を得て、なんとコンスタンチノープルを占領し、東方ラテン帝国(1204〜61年)までつくり、ビザンチン帝国の幕引き(1453年)を準備するという暴挙まで行った。

十字軍はビザンチン帝国からの支援要請を一つの建前としていたが、行ったことと言えば、ギリシャ語圏キリスト教徒を破滅させ、奴隷状態に陥れるだけだったのである。

そして、敗北に終わった『十字軍』は、東方世界をめちゃくちゃにし歴史的な亀裂を生み出しただけではなく、西欧世界そのものにも大きな打撃を与えた。

法皇は、十字軍のための資金調達という名目で、増税や免罪符の販売を行っていた。騎士階級はとりわけ貧困に陥り、キリスト教世界の精神的統一を生むどころか、芽生えかけていた国家間の対立を極度に悪化させた。
宗教騎士団は西欧に戻り、あらゆる種類の財政的軍事的権力の濫用を行うようになった。

しかし、『十字軍』の歴史過程で手に入れた文明は、その後の西欧世界に大きく貢献することになった。(航海術・代数学・化学・医学・ガラス製造・絹織物・毛織物・サトウキビ・綿・果物・緋色などが東方世界から西欧世界に持ち込まれた。現在の日本でも、アルコール・アルカリ・代数(アルジェブラ)と「アルカイダ」や「アルジャジーラ」でおなじみのアラブ語の定冠詞がつく言葉が西欧経由で定着している)


『十字軍』遠征で大きな利益を得た西欧世界は、ローマ法皇庁とヴェネチア商人だけだったと言えるだろう。ヴェネチアは、ビザンチン帝国という交易上の邪魔者が衰退・滅亡していくなかで東方貿易を独占的に行うようになり、「ヴェネチア共和国」として大いなる繁栄を誇るようになる。

西欧世界が近代の黎明と称賛している「ルネサンス」(14世紀〜16世紀)も、十字軍を通じて入手した科学・文化的資産をベースに、ヴェネチア共和国が東方世界との交易を通じて絶えず最新の情報を入手し続けたこと、ビザンチン帝国の滅亡過程で流入した“東方人”の存在に負いながら興り進んでいったものである。
(当時の東方世界は、知識を“知的所有権”などを盾に独占することなく、求める人々に開放していたのである。これは、かつての中国やインドも同じである)

しかし、『十字軍』が西欧世界にもたらした最大の影響は、技術や科学ではなく、十字軍に参加し帰国した人々の意識変化にあったと考えている。ほとんどの十字軍兵士は、聖地奪還という目的を果たすとすぐに帰国した。
(十字軍に参加した人々の意識の変化という重要なことがらが歴史書で語られていないのは、とてつもなく不思議なことである。技術や科学は、生きて活動している人が対象化(物にしたもの)でしかなく、ずっと重要なのは生きて活動している人々の精神である。この、物としては見えない意識の変化が、その後の西欧世界を大きく揺るがすことになる)

十字軍に参加した人々の意識変化が、『異端審問』から始まる『魔女狩り』という西欧世界内部での大虐殺妄動の引き金となるのである。


■ 『魔女狩り』の前哨戦としての「武力的異端者排撃」

カソリックは世界性・普遍性を主張する宗派であり、ローマ法皇を主権者とし、法皇庁を中央政府とする宗教的政治的組織でもある。閣僚である枢機卿の下に多くの官吏がおり、世界各地に司教が存在し、法皇の使節が大使として派遣される。
カソリック世界では、宗教上の儀典だけではなく、法律・財政・学問・芸術などありとあらゆるものが法皇庁の政策によって支配されようとした。
近代国家は、その選任方法や政教分離政策を別とすれば、基本的にローマ法皇庁と同じ権力(支配)構造である。

中世の西欧世界は、法皇庁が、法皇を君主とした「世界国家」を築き、法皇庁を「世界政府」にしようと追求した時代だったと言える。ローマ法皇庁は、俗世界の王権と激しく争いながら、西欧世界で聖と俗の両方をなんとか支配しようとしたのである。

宗派である限り、教義的純粋性と組織的統一性を保つために、その方法は別として、異端者を排除するのは当然だろう。ローマカソリックも、成立から教義論争(神学論争)が何度も繰り返されたし、異端の教義を唱える者は破門というかたちで排除してきた。
政治党派にも同じことが言える。異端者が、除名で済むのか、殺害されるのかは、その党派の思想性と活動環境によって規定されることになる。

ローマ法皇庁の場合は、政治的機能と宗教的機能を同時に志向した組織だから、異端者の存在にはより過敏になったはずだ。異端者は、信仰的異物という存在にとどまらず、国家を転覆する「革命家」となる可能性が高いからである。

このようなことから、カソリックの「異端問題」も、三位一体説など純教義的な範囲で収まっていたときは、論争を通じての勝利者側による「異端者」の破門で済むことだった。
しかし、十字軍遠征が始まってから生じた「異端者」は、カソリックの組織そのものをターゲットにするまでになってきたのである。

『魔女狩り』の前哨戦といえる「武力的異端者排撃」が始まる13世紀の聖職者達は、腐敗と堕落にまみれていた。
霊魂の救済は金銭的取引によって行われ、儀典も形骸化していた。聖職売買は当たり前のように行われ、聖職者は情婦を持ち、懺悔室は女をたらし込む密室となり、尼僧院は売春窟となっていたという。そして、このような情況を浄化したいと願った修道団も、大きくなると教会と同じように堕落したという。
(現在のローマ法皇庁は、小児性愛などの問題を引き起こす司祭が多いことから、神学校に精神科医を派遣して予防すると発表した。おいおい、精神科医以下の精神性しかない人を聖職者にしているのかって、余計なお世話だけど言いたいね)


法皇権が最高度に達したと言われている法皇インノケンティウス三世(在位1198〜1216年)の時代に、12世紀から続いていたフランス南部での異端運動が激化した。

12世紀に起きた異端運動発祥の地の代表的な領主が、第1次十字軍の4人の指揮官の一人トゥールーズのレーモン・ド・サンジル伯であった。
異端運動発祥の地は、まさに、第1次十字軍の主力部隊を送りだした地域だったのである。フランス南部では、領主そのものが異端者だった。

カソリック組織が企んだ十字軍活動を通じてビザンチン帝国やイスラム世界と接触したことで、フランス南部の人々の間で「意識改革」=反カソリックが沸き起こってしまったのである。
東方世界の聖職者(キリスト教)や宗教指導者(イスラム)そして政治的指導者のみならず敬虔な信仰者たち(キリスト教徒・ムスリム・ユダヤ教徒)の生き様を目の当たりにした人々は、従来の自らの信仰を恥じるとともに、カソリック聖職者の姿に絶望したのである。
そして、東方世界を目の当たりにしていない人々にも、カソリック組織の欺瞞性を説き始めた。このような説教に共鳴する人たちは急速に膨れ上がっていった。フランス南部から南ドイツ・ボヘミア・北イタリア・スペインへと異端者が広がっていったのである。

フランス南部の異端者=アルビ派は、形骸化した儀典を否定し、キリストの人性や化体説を否定し、幼児洗礼も否定した。聖堂は不要なもので破壊すべきであり、「神の教会」は建物の中にあるのではなく、信徒の交わりの中にあるとした。十字架はキリストを虐殺した道具であり焼き捨てるべきだと主張し、聖職者を畏敬することをやめ、教会維持税を納めることも拒んだ。
リヨンでも「リヨンの貧者」という改革運動が起きた。その指導者であったヴァルドー(資産家であった)は、カソリック世界のどこにもキリストが望んだような生活が見あたらないという事実に気がついた。説教は平信徒でも女性でも行えるとし、死者へのミサや祈り、布施などの典礼は無意味であり、煉獄は存在しないと主張した。懺悔は、司祭だけではなく、平信徒も聴聞できると主張した。
(西欧史学者は12世紀から起きた「異端運動」と十字軍の関係をほとんど無視しているようだが、「異端者」の主張が、東方世界のキリスト教やイスラムの影響を強く受けた結果であることは自明である)


法皇庁から派遣された異端審問官も、ヴァルドー派について、「異端者たちはその服装と言葉でわかる。謙虚で節度正しい。彼らは、いつわりを避けるために商売に手を出さず、職人として生計を立て、富を蓄えず、最低生活で満足する。彼らは潔癖で肉を食わず酒を飲まない。絶えず働き、絶えず教え、よく学ぶ。従って、彼らには祈る暇はあまりない・・・」と記述している。

このような異端者たちに立ち向かおうとした聖ベルナールでさえ、トゥールーズの異端者を改宗させることができず、侮辱されてしまう始末だった。
聖ドミニクスが登場したが、それでもうまくいかなかった。
そのため、法皇は、異端討伐の軍隊を結成した。そして、それは、『アルビ十字軍』と呼ばれたという。

それは、まさに『十字軍』と同じで、異端者の領地と財産をその討伐者の私有に供するというかたちで進められたのである。

第4回十字軍でコンスタンチノーブルを征服して帰ってきたシモン・ド・モンフォールの部隊が進撃し、異端者の町を次々と陥落させるともに大量虐殺をいたるところで行った。人口3万のペジエ(フランス)では2万人が殺されたという。
ペジエでは、正統的なカソリック信者も少なくなかったが、騎士から異端者との区別はどうすればわかるのかと問われたシトーの僧院長アルノーは、「みんな殺せ。その判別はあの世で神様がなしたもうであろう」と答えたという。

略奪はいたる所で行われた。裕福な異端者はとくに攻撃の的になった。
この『アルビ十字軍』から「異端審問」という名の新たな十字軍が生まれたのである。

領主ぐるみの異端運動は、20年間の凄惨な戦いで一応鎮圧できたが、個々の異端者までを根絶できたわけではなかった。トマス・アクィナスは、「教会は異端者を死の危険から救う必要はない」(『神学大全』)と主張した。


近代的価値観の祖とも言われている「ルネサンス」は、まさにこれから大旋風となって吹き荒れる『魔女狩り』と並行して進んだものである。
ケプラーも、ニュートンも、フランシス・ベーコンも、ウィリアム・ハーヴィも、『魔女狩り』の反対者ではなかったという。

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