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パナマ侵攻
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投稿者 Palapala 日時 2007 年 3 月 31 日 13:23:49: MfW3M5qqlF51E
 

阿修羅 迷路からの脱出 http://www.asyura2.com/truth1.htm にさわりが書かれているが、数年前まであったサイトhttp://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/9670/bou4.html(今はない) より

パナマ侵攻

アメリカの小国に対する横暴は枚挙にいとまがない。1989年には、パナマの独裁者ノリエガ将軍を麻薬密輸の容疑で逮捕するという名目で、アメリカ軍はパナマに侵攻した。独裁者を追い出し民主主義を敷くという大義名分とは裏腹に、パナマ運河を自らの支配下におこうというのが本心だった。

1989年12月19日、パナマの人々がクリスマス準備をしていたころ、アメリカ合衆国では密かにパナマ侵攻の準備が進められていた。日付が12月20日に変わって間もなく、アメリカ軍のパナマ侵攻作戦は開始された。
まだ、眠りの中にあったパナマの街に、アメリカ軍2万6000が一斉に襲いかかった。激しい攻撃は3日間におよんだ。その間、多くの市民が家を焼かれ、命を失うことになった。

 ――V・バン・イスラー(アメリカ人ジャーナリスト)「アメリカのニュースメディアはノリエガのことばかり取り上げ、人々の関心をこの一点にひきつけました。侵攻の犠牲になったパナマ人の死亡者や負傷者については触れなかったのです」

アメリカとパナマ。両国間の関係は常に、パナマ運河をめぐる利権が絡んでいた。パナマは、かつてコロンビアの一部であったが、アメリカはパナマ運河建設の利権を手にするため、パナマの独立を支援することになる。1903年、アメリカの軍事的支援を受けて、パナマはコロンビアからの独立を果たした。これと同時にアメリカは、運河建設プロジェクトをフランスから引き継ぐことに成功する。フランスとアメリカの間で進められた条約交渉によって、アメリカは幅10マイルのカナルゾーン、つまり、運河地帯の主権を永久に手にすることになった。
そして、この条約の締結後、アメリカは即座に運河地帯を軍の支配下においたのである。1977年アメリカ合衆国とパナマの関係は、新たな局面を迎える。カーター大統領と当時のパナマ指導者トリフォス将軍の間で、パナマ運河の主権をパナマに返す条約が結ばれたのである。条約では、アメリカがパナマから軍隊を撤収すること、パナマ運河をめぐるすべての権利が1999年12月31日を境に、パナマに返還されることが約束されていた。しかし、アメリカでは、保守派の多くが新条約に激しく反発した。

――レーガン(当時米大統領選候補)「パナマ運河一帯の主権はわが国のものです。アラスカやルイジアナと同様に。アメリカが代金を支払って所有してきたのです」

1980年11月、パナマ運河返還に反対するレーガンは、大統領選挙でカーターを破り、地滑り的勝利をおさめた。その8カ月後、パナマの運河返還条約に調印したトリフォス将軍が突然の飛行機事故で死亡。当局は、飛行機が山肌に激突したのだと発表したが、飛行機が空中で爆発したという目撃者の証言もあった。将軍の死は公式には事故死とされたものの、事件の背後ではノリエガ将軍やCIAの陰謀説がささやかれてきた。

ここまで話せば理解できると思うが、パナマ侵攻によるアメリカの真の目的はパナマ運河の莫大な利益を横取りするために、邪魔なパナマの軍隊を潰すことである。そして、パナマを実質的なアメリカの植民地にすることだ。(別にこれは珍しいことではなく、彼等の歴史が証明している)
以下に彼等が取った作戦を述べる。

1. 自分の言うことをよく聞くノリエガを軍の総指揮官にする。ノリエガは若い頃からCIAの言うことをよく聞いて、中米でのアメリカの戦略に従順だった。しかし、ノリエガは軍総指揮官に成った後は自分の国の事を考えて政策を進める。即ちアメリカのもくろみが崩れ、ノリエガはアメリカのYESマンには成らなかった。

2. アメリカ国内の世論をまとめるため、ノリエガを悪の権化に仕立て上げる必要がある。「ノリエガは麻薬を密輸する、ノリエガは人殺しをする、とんでもない独裁者である」と。マスコミを総動員して世論を操作する。この辺は第二次世界大戦の日本の状況と似てる。

3. ノリエガに対抗するパナマ軍の反勢力をたきつけ、協力し、軍内部からクーデターを起こす。しかし、これはアメリカの巧妙な罠であった。もともと彼等は捨て駒であり、ノリエガを追いつめ、もう少しで捕らえられる。という演出をするための生贄であった。だから、アメリカは、その作戦で冷酷にも反勢力を見殺しにし、ノリエガをわざと逃がしたのである。このように、アメリカの世論に、「ノリエガはパナマにまかせておいてはどうしようもない!やっぱりアメリカ自身がやっつけなくてはならな い!」と思わせてアメリカ国民の支持を得たのである。

4. そしてアメリカ軍のパナマ侵攻。ものすごい人が死んだがアメリカの報道では・・・
「今日はアメリカ兵が何人死んだ。可哀想」
「今日は、アメリカ人が流れ弾にあたった。可哀想」
と、言う一方的な報道で埋め尽くしながら、シュミレーションゲームの解説のように、侵攻の戦略について解説をした。そこには一般のパナマ人実際にどのように大量に殺戮し、パナマ軍兵士が殺されたかについてはいっさい報道しなかった。これによりアメリカ国民は自分たちが大量殺戮に荷担した事に気づくことは無かった。それよりもひたすらノリエガは悪い奴だ!彼を叩き潰すことは正義であると。連日のように情報の垂れ流しで終始した。そして「悪いノリエガはやっつけた。万歳!アメリカ万歳!」と自己満足に浸るのである。
しかし、大量殺戮された国の人たちの事はどうなるの?
まあ、アメリカはコロンブスの時代から先住民のインディオを1億人以上殺戮している国だから、その体質は変わらないね。

5. アメリカの言いなりになる総理大臣、軍の指揮官を専任しておいて、敵対する勢力(即ち、パナマの事を考えて行動する人たちでアメリカにとっては邪魔な存在)のリストを上げさせ、強制連行、そして逮捕である。なんと完璧な作戦。呆れてしまう。
そして事実は、ノリエガが捕まったあとでの麻薬の取引量は2倍に増えたという。したがってノリエガが原因で麻薬が蔓延したという報道は大嘘だと証明された。
(NHK特集より)


アメリカの真意

パナマでいったい何人の市民が死亡したのか、そして、彼らの身元は。この問いに答えが出ることはないだろう。犠牲者の亡骸がどこにあるのか、アメリカ軍はその真実を隠し通そうとしている。

――市民「子どもたちも、妊娠中の女性も、若者も老人も兵士も死んでいきました。政治にもパナマ侵攻にもノリエガ政権にも関係のない人々が犠牲になって死んでいったのです」

――R・クラーク「アメリカ軍による侵攻の犠牲となったパナマ人の数は、調査にあたった組織によってまちまちです。国連人権委員会は死者2500人と見積もっていますし、二つの異なる人権擁護機関が独自に行った調査では2500から3500となっています。また、パナマの民間団体が出した数字はおよそ4000。いずれにせよ、たいへんな犠牲者の数です」

――白人女性「独裁にうんざりしてたの」
 ――インタビュアー「侵攻については?」
――白人女性「侵攻じゃないわ。アメリカは助けてくれたの。合衆国に感謝してるわ」

――M・バレンティ(カリフォルニア州立大学教授)「アメリカの侵攻をどう思うか、パナマ人にインタビューするとき、彼ら(アメリカのメディア)は決まって英語が話せる白人にマイクを向けました。爆撃の犠牲になった貧しい人々のところに行くことはなかったのです。爆撃にあって家族も家も失った人々に話しかけたメディアが一つでもあったでしょうか。アメリカのマスコミはパナマ侵攻の戦術的な側面にしか焦点をあてていませんでした」

「今日の戦闘では米兵15人が死亡」
「死亡したアメリカ人は現在15名。負傷者は100名以上」
「さらにアメリカ市民1人が死亡」
「アメリカ女性が流れ弾の犠牲となり、アメリカ市民の死者は20名に」

――M・バレンティ「アメリカのニュースメディアは徹底してアメリカ人の命だけを大切に扱っていました。アメリカ人の命だけが貴く、アメリカ人の死だけが痛ましいとでもいいたげな報道の仕方でした」

「今夜は侵攻についての大統領のコメントでお別れです」
――ブッシュ前大統領「全ての人の命は貴いものですが、パナマ侵攻は高い代償を払うに値する作戦でした」

パナマ侵攻の際、アメリカ軍は、数知れぬパナマ人の死体をまとめて穴に埋めていた。

――J・モリン(パナマ人権擁護センター)「死体が大量に投げ込まれた穴は、共同墓地と呼ばれています。現在確認されている共同墓地は15あります。パナマの人々を殺してこれらの共同墓地に埋めた責任は、紛れもなくアメリカ軍にあります。共同墓地はパナマのいたる所で発見されており、アメリカ軍の基地内にも存在していると見られています」

パナマ侵攻は、アメリカ国内では支持を得た。しかし、国際社会では圧倒的な非難の声を浴びることになった。

――J・モリン(パナマ人権擁護センター)「国際法の条項のどこを調べても、パナマ侵攻は違法です。パナマ侵攻は国連憲章にも、米州機構の憲章にも違反しています。どちらの憲章にも主権国家に対する侵害や他国の領土への侵攻をはっきりと禁じています。こうした禁止条項は国際法のもとでは極めて明確です。パナマ市民を無差別に攻撃したアメリカの行為は人権擁護をうたったジュネーブ会議の決議にも反するものです」

――E・キャロル(海軍准将 米国情報センター)「ブッシュ大統領はパナマの民主主義を守るために侵攻しなければならなかったと言いました。一体どうやって存在したことのないものを守ろうというのでしょう。1903年に独立国家となった時からパナマに民主主義などありませんでした。アメリカは再びパナマを支配するために侵攻したのです」

ブッシュ政権はまた、ノリエガを政権の座から追い、アメリカに流れ込む麻薬をシャットアウトするためパナマに侵攻したのだと主張した。しかし、アメリカ会計検査院の報告書によると、現在のパナマ政権の主要メンバーが、麻薬取引に関係している証拠が数多くあり、麻薬の取引量も、侵攻時の2倍に増えていると指摘している。
(『パナマ侵攻』、エンパワーメント・プロジェクト)


いつでも「正義」をふりかざすアメリカ軍が麻薬組織を壊滅できない理由は何か。それは、はじめから麻薬組織を壊滅する気がないのである。なぜならば、麻薬こそが「彼ら」にとって重要な資金源だったからである。
ノリエガは、以前、アメリカ権力機構の寵児であった。彼は頻繁にペンタゴン、つまりアメリカ国防総省を訪れ、その度にアラブの王族のような待遇を受けていた。彼はブッシュ前大統領とさえ、少なくとも二度面談している。また、バージニア州ラングレーにあるCIA本部を訪れたこともある。
そんなノリエガがアメリカに刃向かうようになった。そこで慌てたのがパナマに手を伸ばしていた銀行家たちであった。ノリエガがアメリカの手を離れると、彼らの陰のビジネスである麻薬取引が制約を受けるからである。麻薬取締局(DEA)の元取締官はこう述べている。
「マヌエル・ノリエガを(アメリカが)誘拐したおかげで、パナマ経由のコカインとカネの流れがもっと簡単になるだろう。あんなにたくさんの銀行があそこにはあるからね」
(『三百人委員会』ジョン・コールマン(著)、歴史修正学会(訳)(1994)、徳間書店)


彼らの麻薬取引の歴史は古い。その例を、清とイギリスの間に行なわれたアヘン戦争にみることができる。当時のイギリス統治下のインドの歳入の13%は、良質のベンガル産アヘンを、中国のイギリス人麻薬供給業者に売って得たものであった。七つの海を支配した大英帝国は、アヘン貿易の利益の上に成り立っていたのである。アジアを中心としたアヘン貿易で利益を上げたのは、アメリカの富豪たちも同様である。例えば、真珠湾攻撃を演出したフランクリン・ルーズベルト大統領の婦人の出身であるデラノ家もその一つである。また、ニューヨークのマンハッタン島の不動産を買い占めたアスター家も同様である。
『三百人委員会』を著したジョン・コールマン博士は、中国のみならず、日本人をアヘン常用者にする計画もあったという。もっとも、博士自身が述べている通り、失敗に終わったのであるが。
このように、国家ぐるみで麻薬で暴利をむさぼる政策は現在にも受け継がれており、アメリカ軍がパナマに侵攻し、その結果、パナマの麻薬取引が2倍に増えたこともその一例にすぎない。
また、アメリカ国内の世論を反ノリエガ色に染めるため、「彼ら」はメディアを徹底的に利用した。
侵攻の前にも後にもアメリカ政府と主だったメディアは首尾一貫してマヌエル・ノリエガを憎むべき極悪非道の敵とし続けた。

――L・バーンズ「ノリエガ将軍のイメージは、伝説的な悪人になっていきました。悪の化身として、イメージが作り上げられていったのです。ノリエガが捕まったとき、彼の執務室から赤いパジャマや呪いをかける道具、ノリエガ自身が常用していたコカイン、それに、わいせつな写真といったものが発見されたと伝えられました。これは非常に面白いことです。チリでアジェンデ大統領が失脚したときにも、大統領執務室の机から赤いパジャマとわいせつな写真とコカインが見つかったと報道されたのです。パナマの将軍とチリの大統領にその手の同じ趣味があったというのはいかにも出来すぎた話です」

――J・マルチネス(パナマ大学教授)「ノリエガに対する反感を煽るように仕向けた報道は、パナマ侵攻の口実づくりに一役買いました。ノリエガをやっつけるために侵攻したというわけです。でもアメリカ人はこれを真に受けるほど愚かなのでしょうか。例えば、アメリカ軍はいったんはノリエガを追いつめ、捕まえるチャンスを手にしながら、肝心な局面で彼に逃げ道を与えてしまいました。しかし、これもアメリカの計略に入っていたんです。彼らが本当に狙っていたのはパナマ軍を叩きつぶすことでした。ノリエガはその後で捕まえればよかったわけです」

アメリカ政府は当初、パナマ侵攻の理由の中で、パナマ国防軍をつぶすことには触れていなかった。しかし、後に、国防軍の排除こそが重要な目的であったと認めることになる。

――M・サーマン(アメリカ南方軍司令官)「ノリエガ政権の中枢すべてを排除する必要がありました。ノリエガと彼の支持者を倒し、パナマ国防軍を完全に叩きつぶすのがねらいでした」

――B・ペリナン(パナマ国会議員)「アメリカ軍が本当に望んでいたのは、西暦2000年以降もパナマに駐留し続けることでした。パナマ国防軍を無力にし、パナマ政府にいいなりになるよう強要し、パナマを中南米における合衆国のコントロールセンターにする、そのためにアメリカ軍はパナマに侵攻したのです」

パナマ侵攻の結果、推計で2万人のパナマ人が家を失ったといわれる。もっとも犠牲が大きかったのは、サンミゲリト、コロン、パナマビエホ、そしてチョリージョといった地区であった。最下層の人々が肩を寄せ合って暮らしていた場所がアメリカ軍の爆撃によって廃虚と化したのである。

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