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日本共産党大会報道に宮本顕治の消息不明:党勢退潮
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投稿者 木村愛二 日時 2006 年 1 月 15 日 08:46:19: CjMHiEP28ibKM
 

日本共産党大会報道に宮本顕治の消息不明

現在の日本共産党幹部会委員長志位和夫は宮本家の家庭教師だった。

日経【不破議長退任、党勢退潮に歯止めかからず】
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http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20060115AT1E1400514012006.html
共産党、不破氏が議長を退任・志位委員長に全権
 静岡県熱海市で開いていた共産党の第24回大会は14日、最高幹部の不破哲三議長(75)が退任する人事を決め、閉幕した。議長ポストは当面空席とし、志位和夫委員長(51)、市田忠義書記局長(63)は留任した。不破氏は18人いる常任幹部会委員にはとどまるものの、志位氏中心の指導部となる。世代交代を図り、2007年の統一地方選と参院選で党勢拡大をめざす狙いだ。
 不破氏は大会で「私自身が我が党の現在と将来を考えて決めた。最終的な責任を担い続けることは、党の指導体制として合理的ではない」と退任決断の理由を説明した。
 不破氏は1970年に書記局長、82年に委員長に就任。97年の宮本顕治・現名誉役員(97)の議長退任に伴い、不破体制を確立し、2000年には空席だった議長に就いた。03年に衆院議員を引退したが、党の実権を事実上握っていた。 (20:00)
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http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20060115AT1E1400D14012006.html
不破議長退任、党勢退潮に歯止めかからず
 36年間にわたって共産党の中枢を担った不破哲三議長の退任により、同党は指導部の世代交代を印象付け、支持拡大を目指す。不破氏が主導した現実・柔軟路線は新体制でも継承されるが、2大政党制の流れが進む中、退潮傾向に歯止めをかけるには至っておらず、党勢回復への道はなお険しい。
 「選挙戦などの第一線で活動することが難しくなってきている。比較的元気なうちに退きたい」。不破氏が志位和夫委員長らごく少数の幹部に、議長退任の意向を打ち明けたのは昨年9月だった。
 以来、志位氏らは新指導部の体制をどう築くか、不破氏も交えてひそかに検討を続けてきた。その結論が、委員長と書記局長、副委員長(3人)の3ポストを「党3役」と位置づけ、当面は集団指導体制で臨むことだった。 (07:01)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E9%A1%95%E6%B2%BB
宮本顕治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

宮本 顕治(みやもと けんじ、1908年10月17日 - )は、山口県出身の日本の文芸評論家、政治家、元参議院議員。日本共産党の元中央委員会議長で、2000年11月からは名誉役員。

1929年8月、『「敗北」の文学』で雑誌「改造」の懸賞論文に当選し、文壇にデビュー。1931年3月、東京帝国大学経済学部卒業。

1931年5月、日本共産党に入党し、日本プロレタリア作家同盟に加盟。 その後、党の中央アジテーション・プロパガンダ部員に就任。 1932年2月、作家・中条百合子と結婚。 1933年1月、中央アジ・プロ部長に就任。 4月、中央委員候補に。 5月、野呂栄太郎の最高指導者就任に伴い中央委員に昇格。

1933年12月、治安維持法とスパイ査問事件で逮捕され、1934年12月、市ヶ谷刑務所未決監に移監。 同月、百合子と入籍。1940年に公判が始まり、1944年12月5日、東京地裁で無期懲役の判決。 1945年5月、大審院で上告棄却。 6月、網走刑務所に収監。1945年10月4日、連合国軍最高司令官総司令部の「政治的市民的及び宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」(人権指令)による一切の政治犯・思想犯の即時釈放の指令に基づき釈放。 1947年5月29日付で日本政府から復権証明書が交付された。

1951年1月21日、百合子が死去(51歳)。

1955年3月、中央指導部員に就任。 7月、第六回全国協議会(六全協)第1回中央委員会総会で中央機関紙編集委員に任命。 8月、常任幹部会で責任者に就任。 1958年8月、第7回大会1中総で、書記長に選出された。

1970年7月、第11回大会1中総で中央委員会幹部会委員長に選出。

1974年6月26日、民社党の春日一幸委員長は『毎日新聞』の参議院選挙取材で、再びスパイ査問事件を取り上げ、宮本はスパイをリンチで殺したと主張。選挙の共産党批判に使った。共産党は「スパイは特異体質により死亡したもの」と抗議した。1975年12月10日発売の『文藝春秋』1976年1月号で、立花隆もまた、スパイはリンチで殺されたと主張した。1975年、春日はこれを国会で取り上げ、再び両党の争いとなった。1月30日、民社党の塚本三郎の質問に対し、稻葉修法相はリンチ殺人を認めた。『文藝春秋』はさらに3月号で、鬼頭史郎判事補により違法コピーされた「刑執行停止上申書」と「診断書」を掲載した。 自民党は民社党と共同でリンチ殺人事件を追及した。しかし、他の野党は、春日が治安維持法を自明の存在として宮本を非難したことから、春日がこの事件にかこつけて言論弾圧を推進していると警戒した。そのため、野党もマスコミも宮本に同情的であった。

また、1970年には、自宅の電話回線が創価学会の幹部数名により盗聴されるという事件の被害にあった。この事件は、のちに、裁判により、創価学会側の敗訴が確定している(創価学会側の敗訴が確定したのは、1988年、東京高等裁判所での控訴審の判決後、上告を取り下げたことによる)。

1977年7月、参議院選挙で初当選。(1989年まで務める。) 1982年7月〜8月、第16回大会1中総で中央委員会議長に選出。 1997年9月、第21回大会で引退し、名誉議長に退いた。2000年11月、第22回大会で名誉役員。 現在の日本共産党幹部会委員長志位和夫は宮本家の家庭教師だった。

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