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第205号 2006年5月20日 在日朝鮮人と共謀罪(日々通信 いまを生きる)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo22/msg/268.html
投稿者 gataro 日時 2006 年 5 月 20 日 08:50:08: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2006/05/205_200620__1c32.html から転載。
 
日々通信 いまを生きる 第205号 2006年5月20日
伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu 

在日朝鮮人と共謀罪 

JANJAN 5月18日(木)版は次のように伝えている。

  *****************************************
17日、在日大韓民国民団(以下、民団。団長ハ・ビョンオク)と在日朝鮮人総連合会(以下、朝鮮総連。議長ソ・マンスル)が約50年ぶりに歴史的な代表会談を持ち、その間の対立関係を清算して和解の道を歩むことを公式発表した。

[中略]

 ソ議長が「本当に長い間でした。これから私たちが力を合わせて、子孫には和解と協力の時代を開いてあげましょう」と話した。ハ団長は「昨日、日本のマスコミに大きく報道されると、午後は電話がずっと鳴りっぱなしでした」「それほど同胞達は、今回の宣言を待っていたのではないかとあらためて思いました」と答えた。

全文 http://www.janjan.jp/government/0605/0605184578/1.php?PHPSESSID=92d553ff162129c995f4449df96746e6
  *****************************************

長い分裂の歴史だった。
それは朝鮮半島の南北分裂の歴史、朝鮮戦争の歴史を荷なっている。
日本人から差別され、圧迫され、苦悩の日々を過ごす民族が、遠い異国で北と南に分裂して争いあわなければならなかった。
いま、在日コリアンに新しい歴史が始まろうとしている。
それは、本国の新しい歴史の反映でもあるのだろう。

祖国をうばわれ、土地も仕事もうしなって、玄海灘を渡って異国をさまよった長い年月だった。
戦後、金達樹の「玄海灘」を読んで、朝鮮民族の苦難の歴史と、たたかいの歴史を知り、金達樹のほか、金史良、許南麒などの作品を漁り読んだ。

日本に渡航した朝鮮人のなかには日本の生活に希望をもって渡航してきた人たちもいただろう。
しかし、その現実は過酷だった。
小林多喜二の「東倶知安行」や「転形期の人々」には朝鮮人労働者の問題が書かれている。「蟹工船」「不在地主」に書かれた北海道の開拓事業の過酷な労働をしたのも朝鮮人労働者が多かったと思う。「監獄部屋」「人を食う犬」に書かれた労働者にも朝鮮人労働者が少なくなかったと思う。

井上光晴が描いた朝鮮人炭坑労働者は、戦時下の一般的な日本人労働者の過酷な労働条件より、さらにはるかに過酷な条件で虐使された。

私は北九州の新開地で子ども時代をすごしたから、白衣を着た朝鮮人が密集したバラックの集落で暮らしていたのを知っている。
埋め立て事業や発電所、道路開発などの過酷な労働を荷なって、日本の急激な発展をその最底辺で支えたのは低賃金の朝鮮人労働者だった。

私が直接つきあったのは、小学校のときの同級生、軍隊で同じ内務班にいた青年、戦後、千葉県で地域活動をしていたとき、食うや食わずで苦労していた私たちに同情し、親切にしてくれた夫婦などである。

小学校の同級生は頭のいい、字の上手な少年だった。軍隊でいっしょになった二人は、同じ内務班の日本人にいじめられている私をなにかとかばってくれた。戦後知り合った彼は、酒の密造などしていたが、子供たちに韓国語を教えたいと言い、その方面の運動をしていたようだ。

彼らはいずれも私に親切で、忘れることができない人たちだが、いまはもうその消息を知る術もない。

しかし、日本のマスメディアがつくる彼らのイメージは何をするかわからぬ不逞鮮人だった。
関東大震災の時は、彼らが暴動を起したとか、井戸に毒物を投入したとかいうデマが飛び、逃げまどう彼らを民間の警防団が追い詰め、軍隊も出動して大量に殺した。

結局それは根も葉もない流言であり、しかもその元は軍だったということが今ではわかっている。しかし、これを契機に治安維持法が制定され、その後、社会主義者とともに特高警察に付け狙われることになった。

在日朝鮮人で治安維持法の犠牲になった人たちがどれほどあるか、いまの私にはわからない(教えていただければありがたい)。

日本の敗戦は彼らの解放だった。宮本百合子の「播州平野」にも帰国する朝鮮人労働者の喜びの姿が描かれている。

戦後の日本共産党には金天海をはじめ多数の朝鮮人がいた。戦後まもなく結成された在日本朝鮮人連盟(朝連)は日本共産党の影響が強く、やがて、これと対抗する在日本朝鮮居留民団(のち在日本大韓民国居留民団が結成されて、それぞれ朝鮮民主主義共和国、大韓民国と結びついた。

朝連は朝鮮戦争前後から、団体等規制令によって弾圧され、解散させられたが、55年に日本共産党の指導から離れて、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を組織した。

朝鮮戦争では日本から飛行機が飛びたち、兵員・物資が輸送されて、朝鮮の国土が焦土となる苛烈な戦争がたたかわれた。日本人は無自覚だったかもしれないが、朝鮮から見れば、日本は米軍に加担して、祖国を破壊し、大量の人命をうばう敵国だった。

その後、休戦になったが、いまにいたるまで、米朝間、日朝間の国交回復は実現していない。そして、南北間の対立もながくつづいたのだ。

長くなりすぎるので、以下は次号に譲りたい。
5月になっても晴れた日はすくなく、鬱陶しい日がつづく。
国会は終盤にはいり、共謀罪、教育基本法をめぐるたたかいがつづく。日米軍事体制再編、憲法改正、日本の対アジア外交の未来にかかわる重大案件だが、政府与党は後継人事に関心がうつり、ただ、数を頼んで処理しようとする態度が目立つ。
倦怠と疲労を隠せず、政権末期の様相のように思われる。

2泊3日で南伊豆で休養の日を過ごし、下田を訪ねて日本の開国、日米関係の歴史を思った。
あの年の5月、アメリカの都市爆撃がつづき、沖縄では激戦がつづいていた。
ベルリンが陥落して、第2次大戦は終結に近づいていた。
宮本百合子らは、ニュースに旨とどろかし、その日の到来を待っていたという。
私は家を焼かれ、くらい気持で、兵士となって死ぬ日のことを思っていた。
同じ時代を生き、同じ経験をし、同じ新聞を読んでも、感じ取り、読み取るものはひどく違っていたことを思う。
いまもまた、同様なのだろう。
当時の日本、いまの日本をただ一色に見ることはできない。
いまの日本はどうなるか。
いまの日本を後の世の人々はどう見るか。
歴史をふりかえるとは、いまの世を、もう少しながい展望のなかで考えるということなのだろう。
いまの時代を、歴史を生きるものとして生きることなのだろう。

石川啄木は「時代閉塞の現状」に、「時代に没頭していては時代を批評することはできない。自分が文学に求めるのは批評だ」という意味のことを書いていた。

皆さん、お元気で歴史の中のいまをお過ごしください。

以下を参照していただければ幸いです。

文学に見る戦争と平和
第34回  宮本百合子 獄中への書簡 一九四五年五月十日
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs.34.htm
第17回 越中谷利一 一兵卒の震災手記 『戦争ニ対スル戦争』
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/sh17.htm
第47回 金達寿 「玄海灘」
http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/hs@47.htm

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